第19章
 富士山麓にて百花繚乱

「うっ……」
 目を覚ましたマルコはすぐに立ち上がろうとしたが、体が動かない。手足が縄で縛ら
れている。
「よお、お目覚めかい?」
 床に転がされたマルコの前に立つ男が話しかけてきた。ギターケースを背負い、赤い
帽子に赤いマントを着て、無精髭を生やした青年。テレビや新聞でもよく目にする顔だ
が、マルコが所属する組織の情報網にも何度も現れた顔だ。
「歌依吟……」
 マルコに名前を呼ばれた男は、ニヤッと笑った。嫌な笑顔だった。
「私の事を知っていてくれたとは嬉しいな。私も君の事は知っているよ、マルコ・フィ
オーレ。『アンノン』と私達が呼んでいる組織の幹部、カテリーナ・フィオーレの一人
息子。四六時中ママから離れないマザコン坊やだと思っていたが、影太郎の元にいると
はねえ。ママと喧嘩でもしたのかい?」
「僕の事情をあなたに話す必要はありません」
「ふっ。確かにそうだな」
 睨み合う二人。完全に相手を見下している吟と、密かに反撃の機を伺うマルコ。緩和
と緊張が入り混じった奇妙な空気が、狭い控え室を包み込む。
 そう、ここはエウテルペ・テレプシコーラの控え室。だがマルコがさっき会った彼女
は偽者で…。
「! 本物のエウテルペはどこだ!? まさか……」
「心配するな。まだ生きているよ」
 そう言って吟は、脇に控えていたエウテルペにそっくりな少女に指図した。少女は何
も言わず、部屋の隅にあった掃除器具用のロッカーを開けた。扉を開けるとロッカーの
中から、がんじがらめに縛られたエウテルペが現れた。猿ぐつわまでされている。
「むー、むー!」
 声にならない声をあげるエウテルペ。吟の言うとおり、死んではいないようだ。
「邪魔をされたくないから、お前達にはここでじっとしてもらう。安心しろ、殺しはし
ない。お前達にも私が作った最高傑作を聞かせたいからな」
「最高傑作?」
「そうだ。私が世界中の戦場を見て、作り上げた最高の歌。聞く者全てに絶望と恐怖を
与える至高の歌だ! 私をゴミのように嫌っている佐々山一郎のライブで歌うにはピッ
タリの歌だろう?」
 吟はエウテルペと同じ顔をした少女に目をやる。少女の体がわずかに震える。
「その歌をこいつが歌う。私が最高の恐怖と絶望を与えて育て上げた、生きる事そのも
のに絶望している私の『娘』がな!」
 コンサートを前に興奮しているのか、吟は自慢気に自分と『娘』の過去を話した。
 歌依吟の家庭は裕福だった。豪邸とまでは言わないが、なかなか広い家に住み、父と
母と吟の親子三人、仲良く暮らしていた。
 しかし吟が十歳の頃、それまで仲が良かったはずの両親が大喧嘩をして、互いを殺し
合うという最悪の結末を迎えた。親を亡くした吟を哀れに思った父の弟、つまり吟の叔
父が吟を引き取ってくれた。その叔父の子供が今、吟に『娘』と呼ばれている少女だっ
た。つまり吟と『娘』は従兄妹である。
 叔父もその妻も優しくて聡明な人物だった。吟を実の子供と同じように愛して、育て
てくれた。吟も叔父夫婦に懐き、『娘』も妹のように可愛がり、四人は幸せに暮らして
いた。
 だが、叔父夫婦は気付かなかった。いや、世間の誰も気付かなかった。吟が生まれ付
いての悪魔だという事に。
 吟は人の顔や表情を見るのが好きだった。特に悲しい顔、涙を流す時の顔を好み、よ
く両親に「悪趣味だ」と叱られていた。それでも吟は悲しい顔を見るのを止めず、年を
重ねる毎にその嗜好は深まっていった。
 八歳のある日、学校で担任の教師のある表情を見る。長年付き合っていた恋人に捨て
られた教師は、今まで吟が見た事がない、興奮する程に素晴らしい表情をしていた。
 数日後、その教師は自殺した。生きる望みを失った人間の表情、絶望に満ちた心が作
り出す表情こそ、吟が求めていたものだった。
 それから吟はもう一度あの表情を見る為の努力をした。ターゲットは彼の最も身近に
いた人間、吟の両親だった。両親が嫌いになった訳ではないが、両親への愛情よりも絶
望の表情が見たいという欲が勝った。
 ちょぅどその頃、愛する者に裏切られて絶望した女性を主人公にしたドラマがヒット
していた。吟もこのドラマを見ており、教師の自殺から『愛する者に裏切られる事こそ
が究極の絶望』だと考えて、両親もそうしようとした。
 吟は父と母にそれぞれ、相手が浮気をしているという嘘を吹き込んだ。両親は共に最
初は子供の話と信じなかったが、吟は徹底的にやった。多く貰っていた小遣いで女性の
役者を雇い、家に電話を掛けさせて母に出させる事で父の浮気相手だと思わせたり、母
の声を真似て怪しげな店に電話をして、そこからの返信を求めるメールを父が見るよう
に仕向けたり……。八歳の子供とは思えない狡猾さを発揮して、吟は両親を疑惑と憎悪
の渦の中に叩き落していった。
 二年後、父と母は互いに憎み合い、離婚する寸前にまでなっていた。絶望の表情をす
るまであと一歩。吟は最後の詰めとして、それぞれに匿名の手紙として、浮気相手とホ
テルに入っていく写真を送った。もちろんこれは合成写真である。しかし頭に血が上っ
ていた父と母は写真をまったく疑わず、大喧嘩となった。それを隠れて見ていた吟は、
もうすぐ絶望の表情が見られる事に興奮した。
 しかし、父と母は吟に絶望の表情を見せなかった。母は台所から包丁を取り出して父
を刺殺。父も最後の力を振り絞って母から包丁を奪い、彼女を刺殺。二人とも絶望する
前に死んでしまった。
 落胆した吟は、自分の裏工作の証拠物件を全て始末した後、警察を呼んだ。警察は十
歳の子供をまったく疑わず、この事件を『仲が悪かった両親が喧嘩の末に殺し合った』
という見た目通りに判断した。
 表向きには事件は終わった。しかし、絶望の表情を見る事が出来なかった吟の心には
それまでよりも強い欲望が生まれた。今度こそ見たい。人が絶望に瀕した時の、あの素
晴らしい表情が見たい!
 こんな欲望を抱えたまま、吟は叔父夫婦の元に引き取られた。自分に優しい手を差し
伸べてくれた叔父夫婦を、吟は次のターゲットにした。巧みな演技で叔父夫婦の信頼を
得た吟は、以前の失敗を教訓に方法を変更。まず年寄りの浮浪者を金で手懐けて、「意
地悪な叔父から金を搾り取る」と言って、この浮浪者に当たり屋をするように指示し
た。
 そしてとある夜、家族揃っての外食の帰り道で叔父の車にぶつからせた。吟は浮浪者
には「直前でスピードを落とさせるので安心してぶつかれ」と言ったが、実際には叔父
に酒をたっぷり飲ませ、普段より速く走らせた。浮浪者は即死。うろたえる叔父と叔母
に吟は冷静に命令。死体を車のトランクに隠して、家の中に大きな穴を掘って、そこに
隠させた。
 この一件で吟は叔父夫婦の弱味を握った。人を殺した罪に怯える叔父の心は脆弱にな
り、以前から息子のように信頼し、事件の時も冷静だった吟に頼るようになった。叔母
も同様だった。吟は叔父夫婦の支配者として君臨した。
 叔父夫婦を支配した吟は、彼らを家畜のように扱った。叔父の給料は全て自分に差し
出させて、食事は床に落とした物を食べさせる。少しでも反抗的な態度をしたら電気を
流すなどの体罰を与え、家族関係を主従関係にした。
 それは叔父夫婦の幼い娘も同様だった。元々気弱だったこの少女には体罰は与えられ
なかったが、吟に完全服従する両親の姿を見せられた少女は両親に絶望し、吟に従うよ
うになった。
 叔父夫婦とその娘が見せる絶望の表情は、吟を大いに楽しませた。しかし、叔父が浮
浪者を殺してから半年後。罪の重さに耐えられなくなったのか、叔母の精神が崩壊寸前
になる。精神崩壊でマインドコントロールから解き放たれた叔母が事実を話す事を恐れ
た吟は、叔父に命じて叔母を絞め殺させる。叔母の遺体は風呂場で解体され、家の地下
に埋められた。
 その後、叔父も度重なる体罰と、ろくに食事も与えられなかった事で衰弱死寸前にな
った。叔父が死んだ後、遺体が調べられる事で事件の発覚を恐れた吟は、一人残された
少女に叔父の心臓にナイフを刺させた後、叔父の遺体をバラバラに切り刻ませた。そし
て少女に「お前は父親を殺したんだ」と吹き込み、自分の支配下に置いた。
 世間には「叔母の失踪で叔父は生きる気力を失い、どこかに行ってしまった」と言い
つくろい、少女と共に姿を消した。そして数年後、実の両親は殺し合い、叔父夫婦には
捨てられるという悲劇的な過去を背負い、絶望を歌う歌手『歌依吟』としてデビューし
たのである。
「……………………」
 歌依吟の過去を聞かされたマルコは、この話を聞いた事を心底から後悔した。どうし
てこんな話を聞いてしまったのだろう。吐き気と怒りしか湧き上らない、こんな邪悪な
話を!
 エウテルペも同じ気持ちらしい。猿ぐつわを噛まされながらも、怒りに満ちたその目
は吟を睨んでいる。
「おやおや、お二人とも、私の話はお気に召さなかったようですなあ。残念、残念。は
ははははははははっ!」
 マルコとエウテルペの怒りを、吟は笑って受け流した。この男には良心というものが
無いようだ。いや、『他人の絶望を見たい』という自分の欲望を叶える事こそがこの男
の正義であり、良心に沿う行動なのだろう。普通の人間とは、心そのものが違うのだ。
 しかし、彼女はどうなのだろうか? マルコは吟の『娘』を見た。エウテルペと同じ
顔、同じ髪の色、背丈や体格まで同じだった。
「どうだ、こいつは? エウテルペにそっくりだろ。年はそんなに離れていないし、少
しばかり顔付きも似ていたんだが、それでもここまでするには苦労した。私の最高傑作
だよ。ははははははははははは! わざわざ大西洋連邦にまで行って、あの娘を付け回
した甲斐があった」
 自慢する吟。勝ち誇ったその顔は、実に不愉快なものだった。見ているだけで気分が
悪くなる。マルコは吟の気を逸らせる為の質問をする。
「お前がエウテルペのストーカーをしていたのは、この子をエウテルペの影武者にする
為のデータを集める為だったのか」
「そうだ。最初はラクス・クラインやシャロン・ソフォードを狙っていたんだが、あの
二人の代わりを出来る奴を探すのは手間だし、二人とも売れっ子で警備も厳しい。しか
しエウテルペはまだあの二人ほど有名じゃないし、年も私の『娘』に近い。身代わり役
を探す手間が省ける」
「とことんその子を利用するつもりですか。最低ですね」
「いやいや、この娘の方が最低だよ。私は自分の手で人は殺さない。しかしこの娘はそ
の手で父親を殺して、その遺体をバラバラにしたんだ。どっちが非道かな?」
「!」
 吟の言葉に『娘』の肩が震える。少女は声も出せない程に怯えている。
「その子、完全に怯えてますよ。そんな様子でエウテルペの代わりに歌えるんです
か?」
 皮肉気に言うマルコに、吟は笑って答える。
「心配してくれてありがとう。でも、その心配は無用だ。この子は私の命令なら何でも
聞く、素直な子だ。歌えと言えば歌うし、服を脱げと言えばどんな場所でも脱ぐ。私が
許さない限り、食事も取らない。素晴らしい『娘』だよ、この子は。はははははは!」
 『娘』である事を強調する吟だが、二人の関係は親と娘などではない。横暴な主人と
命令に従うだけのロボット、いやそれ以下だ。
「ふっ。マルコ・フィオーレ、こんな無駄話をさせて時間稼ぎをしているつもりだろう
が、そうはいかない。今頃、あのクソ生意気な影太郎やその仲間どもは大変な目に合っ
ているだろうからねえ」
「そうかな? 彼らは強いし、それにしぶといですよ。お前が血車組、いや崑崙党と手
を組んで、どんな刺客を送り込んだとしても……」
「私の支援をしてくれたのはアンドレイ・ロマノフだ」
 その名を聞いたマルコの表情が凍り付いた。母から何度か聞かされた名前。崑崙党の
幹部にして、ダブルG軍団の亜使徒の一人。
「アンノンの一員なら、あの男の事は知っているだろう? 奴はどんな仕事にも手を抜
かない。特に今のあいつは冷酷に、かつ最も強力な手段を選び、整えて、そして実行す
る。伊達に崑崙党の最高幹部にはなっていない。気に入らないが、頼りになる奴だよ」
 吟はロマノフが送ってくれた戦力を見た時、この作戦の成功を確信した。そして、あ
の忌々しい小僧、宇流影太郎の死も。



 コンサート会場から少し離れた場所、森に近い山麓では五機のMSによる戦いが行な
われていた。しかし、その戦いは呆気なく終わろうとしていた。
「てりゃああああああっ!!」
 ラグナスのケンタウロスの斧が、敵のジンの頭部を叩き割った。地に倒れたジンから
パイロットが逃げ出していく。
「ラグナス、追う必要は無いぜ。お前の勝ちだ。逃げた奴は桜道会がケリをつけてくれ
るだろう」
 そう言う影太郎も戦いを終えていた。リトルフレームのビームナイフ《レツ》によっ
て全身を切り刻まれたジンと、手足を落とされたジンが醜態を晒している。両機共パイ
ロットは逃走していた。
「これで終わりましたね。夏さんの方は大丈夫でしょうか?」
「あいつも腕を上げている。オーブでは剣道の道場を回って修業していたし、MSの操
縦訓練も頑張っていた。そこいらの奴には負けないさ」
「確かに。コンサート会場も無事みたいですし、そろそろ戻りますか」
 そう言って帰ろうとしたラグナスを、影太郎が引き止める。
「待った。どうやらメインディッシュはこれから出て来るようだ」
 山麓を囲む森の中から、巨大な機影が現れた。樹をなぎ倒して現れた『それ』はMS
のような人型ではなく、まるで怪獣のような姿をした機動兵器だった。
「な、何ですか、あれは? あんなのもMSなんですか?」
「いや、違う。どうやらMAらしいな」
「あんなバケモノみたいなのがMAなんですか!? メビウスとは全然違いますよ」
 ラグナスの言うとおり、敵の機体の姿はメビウスとはまったく違うものだった。円盤
のような形をした巨大な体に、前後に二本ずつ、計四本の腕を持ち、その腕には大砲と
巨大なハサミを宿している。胴体の下には昆虫のような八本の足を付けており、それで
地面を器用に歩いている。
「オーブにいた時、どこかの会社がMSにも対抗できるMAを作っているという噂を聞
いた事がある。どうやらこいつがそのMAらしいな。まさか実物を見れるとは思わなか
ったぜ」
 影太郎は敵MAの背部に注目した。異形のMAの背中には、その巨体に匹敵する程の
巨砲が装備されている。あれをコンサート会場に打ち込まれたら……。
「ラグナス!」
「ええ、分かっています。あの会場にはエレアさんも居ますからね」
 二人の戦士は異形の巨大MA・ドグマドーに挑む。



 同じ頃、コンサート会場を狙撃しようとしていた二機のジンを倒した夏の前に、新た
な敵が現れていた。
 敵の機体はズィニア。今までにも何度も戦った相手だ。武器はジン用の重斬刀しか持
っておらず、ズィニアそのものは怖くはない。だが、機体から発せられるプレッシャー
は絶大。今までの相手とはまったく違う。空気を重く感じてしまう、息をする事が苦し
くなる程の重圧。
『この重圧……まさか…………』
 戦慄する夏に、ズィニアから音声が送られてきた。
「俺の気に飲まれる寸前で踏み止まっているか。噂以上にやるようだな、宮城夏。あの
男が愛刀を託しただけの事はある」
 愛刀という単語に、夏は記憶を呼び起こす。撃影の腰に下げられた小太刀《タイガ
ー・ピアス》。この刀を自分に託した師の顔と、彼を殺した男の名前が頭に浮かび、そ
して叫ぶ。
「貴様、不動剛馬か!」
 名前を呼ばれた剛馬は、ズィニアの操縦席の中で微笑する。
「そうだ。お初にお目にかかる。俺が不動剛馬。貴様が持つ《タイガー・ピアス》とロ
ウ・ギュールとやらが持つ《ガーベラ・ストレート》の真の継承者だ」
「我が師、蘊・奥(ウン・ノウ)殿を殺した男が、何を言うか!」
「あの二本の刀は俺の父が作った物だ。息子の俺が受け継ぐのが筋と言うものだろう。
それをあのジジイは難癖を付けて、俺に刀を渡さなかった」
「師はお前の邪悪な心を見抜いていた。だから刀を渡さなかったのだ」
「俺が邪悪だと? 剣術を極めようとする心が邪悪だと言うのか?」
「弱き者を苦しめ、世界を滅ぼそうとしている者に手を貸す。それを邪悪と言わず、何
と言う!」
「俺は主の命に従うだけだ。俺を救ってくれた主の為に強くなる。主が世界の滅びを願
うなら、俺はこの世界を滅ぼす。主の為に生きる事が俺の全て。これぞ忠義!」
「悪への忠義など、真の忠義ではない! 忠義に生きたサムライ達が眠るこの日本の地
で、貴様を倒す!」
 刀を構える撃影。ズィニアも重斬刀を構える。
「ふん。意気込みは立派だが、貴様にこの俺が斬れるかな?」
「斬る! 拙者の剣は、崑崙党やダブルGに手を貸す外道を斬る為にある!」
 気合を入れる夏。剛馬も気を静めて、撃影の動きに注目する。サムライの技を受け継
ぐ男と少女の戦いが始まった。



 同じ頃、コンサート会場の近くに着陸していたマチルダでは、
「エ、エレアさん、フィアさん、影太郎君達との連絡が途絶えました! 強力な妨害電
波が出されています! ど、どうすれば…」
 うろたえるユナの肩にフィアが手を置く。
「落ち着いて。大丈夫、影太郎もラグナスも夏も、簡単にはやられないわ。それにこっ
ちも忙しくなりそうだし」
「えっ?」
 首を傾げるユナの隣で、エレアがモニターの映像を切り替える。映像にはマチルダに
近づいてくる怪しげな男達が映し出された。
「フィア、お客様よ。あなたの読みどおり、こっちにも来たわね」
 モニターの映像が次々と切り替わる。怪しげな男達の集団もまた、次々と映し出され
た。
「五方向からの同時攻撃か。人数は全部で二十ぐらいで、武器は拳銃だけみたいね。バ
ズーカ砲とか持ってこられたら厄介だったけど、これなら何とかなりそうだわ」
「油断しないで。相手は崑崙党の戦闘部隊。それにあのロマノフが送り込んできたとい
う事は、相当の実力を持っているはずよ」
 ロマノフ運送に囚われていた事があるエレアは、アンドレイ・ロマノフという男につ
いてよく知っていた。あの男はやると決めたら徹底的にやる。戦力を送る時は最強の駒
を送り込む。油断すれば確実に殺されるだろう。
「ロマノフの恐ろしさは分かっているわ。あの男は傭兵(こっち)の世界でも有名だっ
たのよ。金払いはいいけど、キツい仕事ばかりやらせる困った依頼主としてね」
 笑うフィア。頼もしい笑顔を浮かべた女傭兵は、懐から銃を取り出した。
「ユナ、あなたはここに残ってマチルダのセキュリティシステムを管理。エレアは私と
一緒に来て。足手まといになったら見殺しにするけど、いいわね?」
「ええ、構わないわ。足手まといにはならないし」
 エレアも銃を手にする。桜道会の高倉達は会場の警備に専念しており、救援には来ら
れない。だが、それは承知の上だ。自分達がここで敵を引き付けていれば、会場が襲わ
れる危険は少しでも低くなる。
「さあて、それじゃあ命を賭けて戦いますか。シャドウ・セイバーズの名付け親と、ち
ょっと生意気だけど可愛いお壌ちゃん歌手と、ヤクザとは思えないくらい優しい女組長
とその子分達の為に!」
 意気込むフィアと、それに頷くエレア。二人の女傑を見たユナの心に、希望と勇気が
沸いてくる。



「…という訳だ。奴らはもう終わりだよ。私の歌を邪魔してきた連中も、私を歌手の面
汚しだと罵った佐々山一郎も、今日ここで死ぬ。みんな死ぬんだよ。はははははははは
はははっ!」
 影太郎達の敗北を、自分の勝利を確信して笑う歌依吟。この卑劣な男に対してマルコ
は、
「その程度ですか」
 と侮蔑の言葉をぶつけた。吟の目付きが変わる。
「何だと?」
「その程度ですか、と言ったんですよ。あなた、今まで宇流影太郎という男を見てきた
くせに、まだ彼の強さとしぶとさを理解していないみたいですね」
 マルコは影太郎と親しい間柄ではない。どちらかといえば嫌いな相手だ。今は一緒に
行動しているが、それは影太郎という人間をよく知る為、いずれ戦う時に備えてのデー
タ集めである。
 だが、影太郎を嫌うマルコは、だからこそ影太郎の事をよく知っている。あの男は簡
単には倒れない。今までもそうだった。幾多の困難を乗り越え、その度に知恵と勇気と
根性を高めて、強くなった。あの男は侮れない。
「何度も負けたくせに、相手の強さを知ろうともしないなんて……。敵を知り己を知れ
ば百戦危うからず。あなたはこの言葉の意味を噛み締めた方がいいですよ」
 マルコはこう言われた吟が怒ってくれる事を期待した。子供に侮辱されて怒らない大
人はいない。特にこの歌依吟という男は、実力以上にプライドが高い。影太郎に異常な
までに殺意を漲らせているのも、影太郎が子供で、自分より遥かに劣る存在のはずなの
に、自分の邪魔をしているからだろう。その点を突付けば吟は怒り、大きな隙が出来る
はずだ。そこを狙えば……。
 しかし、
「はっ、はは、はははははははははははははははは!!!」
 吟は大笑いした。心の底から笑っていた。その笑いは怒りによるものではなく、自分
を挑発したマルコの子供っぽい浅知恵への嘲笑。
「忠告ありがとう、マルコ君。でも安心してくれ。実はある人に君と同じ事を言われて
ね。だから少し、知恵を絞ってみたんだ。今日の私は一味違うよ。ふふふふふふ」
 そう笑う吟に、マルコは初めて恐ろしさを感じた。吟の『娘』は何も言わず、ただ震
えている。
 この光景を、猿ぐつわを噛まされたエウテルペは黙って見ていた。額に汗が浮かび、
瞳も閉じており、何かに耐えているようにも見えた。



 大型MAドグマドーの戦力は、影太郎達の想像以上だった。
 八本の足で駆けるスピードは速くはないのだが、人型のMSとは違う変則的な動きに
惑わされて狙いを付けられない。そして四本の腕による攻撃。距離をとれば砲が火を噴
き、間合いを詰めれば巨大なハサミが振り下ろされる。ラグナスのケンタウロスも、危
うくハサミの餌食になりそうだったが、リトルフレームに助けられた。
「す、すいません、影太郎さん。でもこいつ、かなり厄介な相手ですよ」
「ああ。それに時間も無さそうだ」
 影太郎はドグマドーの背中にあるビーム砲に注意していた。あの大型ビーム砲なら、
ここからコンサート会場を撃つのは容易いだろう。そして威力も絶大。会場は地獄と化
し、その様子は世界中に放映される。
 そうなれば会場の警備を行なっていた桜道会の面目は潰れる上、会場に来ている高倉
達も死ぬ。崑崙党の日本制覇を邪魔する者は完全にいなくなる。MAやMSを使う事で
政府に警戒されても、崑崙党には充分な見返りがある。
「このMAを送り込んだ奴は相当に嫌な奴だぜ。人を殺す事を何とも思っていない、最
低の奴だ。そんなのに負ける訳にはいかないよな……!」
 影太郎は腹を決めた。このまま戦っていても、あの巨大MAは倒せない。いずれあの
MAはビームを撃つ。ならば、一気に決着をつける。
「来い! ヴィズ、ガッツ、ブレイブ!」
 影太郎が叫ぶと共に、近くに潜ませていた三機のマシンの音声センサーが反応。リト
ルフレームに大いなる力を与える為、その姿を現した。
「ラグナス、少し時間を稼いでくれ」
「了解!」
 ラグナスのケンタウロスは、中型の斧《ピジョン・ブラッド》を手にドグマドーに挑
む。倒す為ではなく、時間稼ぎの為の戦いだが、ドグマドーはあっさりとこの戦いに付
き合う。
『人間が乗っていれば、あんな見え見えのオトリは無視するはずだ。どうやらあのMA
は無人機のようだな』
 という事は、無人MSを操るダブルGがこの件の裏にいる可能性が高い。影太郎の闘
志が燃え上がった。
「絶対に勝つ! 俺の知恵と勇気と根性を全て振り絞って!」
 三機のマシンがリトルフレームに合体。巨大なる守護神がその姿を現した。
「待たせたな、カニモドキ! B・I・Gアストレイの力を見せてや…」
 と言い終わる前に、背後から強烈な衝撃。倒れるB・I・Gアストレイ。
「な、何だ!?」
 慌ててレーダーを見る影太郎。先程まで何の反応も無かった場所、B・I・Gアスト
レイの後方に巨大な機影が写っている。後方にカメラアイを向けて、モニターに画像を
出すと、
「…………おいおい、これは悪い夢か?」
 さすがの影太郎もため息をついた。モニターにはカニモドキことドグマドーの姿が映
し出されていた。しかしラグナスもドグマドーと戦っている。
「もう一機いたとはね。しかもレーダーに映っていなかったという事は、ミラージュコ
ロイドも装備しているのか。ここまでやるとはな。こいつ等を送り込んできた奴は嫌な
奴すぎるぜっ!」
 二機のドグマドーが猛然と襲い掛かる。ケンタウロスは弾き飛ばされ、B・I・Gア
ストレイは前と後ろを塞がれて逃げ場を失った。
「ちっ、これはちょっとヤバいかもな……」
 焦る影太郎。こうしている間にも、五分間しか戦えないB・I・Gアストレイのエネ
ルギーはどんどん減っていく。残り時間、あと四分。



「あ、いらっしゃいませー。あ、どーも、お久しぶりですー。お元気そうで何よりです
わ。ウチですか? 見てのとおりですわ。商売繁盛、元気満々、ほんでもって今日は快
晴日本晴れ、と。えっ、実家ですか? いや、帰るつもりはありまへんわ。ばあちゃん
も、兄ちゃん達も、姉ちゃんもがんばっとるけど、まだまだウチは未熟者や。一人前に
なるまでは帰れまへん。……はい、たこ焼き、お待ち! お壌ちゃん、熱いから気を付
けてな。あれ? あんた、ひょっとして……!?」



 サムライを目指す少女と、サムライの道を踏み外した男の決闘は、一方的な展開にな
っていた。
「……!」
 絶句する夏。彼女の剣技は不動剛馬にはまったく通用しなかった。小太刀の短さを生
かした防御からの踏み込みも、素早い連続斬りも、その他の技も剛馬のズィニアに傷一
つ与える事は出来なかった。
「その程度か。失望したぞ、宮城夏」
 剛馬の反撃が始まった。ジン用の重斬刀を巧みに操りつつ、ズィニアの加速力を生か
した強烈な突進。その重い一撃に、夏の撃影は弾き飛ばされた。
「うわあっ!」
 無様な悲鳴を上げる夏。倒された撃影の顔に、ズィニアが刃を突きつける。
「ふん。俺の一撃を受けたのに、機体に傷が付いていないな。PS装甲か。小賢しい」
 剛馬のズィニアが斬撃を叩き込む。撃影のPS装甲はこれを耐えるが、
「PS装甲はエネルギーを激しく消耗する。お前のMSのエネルギーは無限ではない。
俺の攻撃を何発まで防げるかな?」
 剛馬の言うとおり、このまま攻撃を受け続けていれば、いずれエネルギーは尽きる。
その時が撃影と夏の最期だ。しかし、どうすればいい?
『この男は拙者の技を全て見切っている。この男に拙者の技は通用しない……』
 そういえば師もそうだった。初めて手合わせした時、蘊・奥(ウン・ノウ)は夏の技
をあっさりと見切って、彼女を叩き伏せた。その技量に感服して、夏は蘊・奥(ウン・
ノウ)に弟子入りしたのだ。
「お前の剣筋は素直で読みやすい。もっと精進する事じゃ。でなければ、死地を潜り抜
けた真の戦士には通用せんぞ」
 師の言葉が脳裏を過ぎる。師の言うとおりだった。認めたくはないが、不動剛馬は真
の戦士だった。自分など足元にも及ばない存在だった。
『敵の強さも恐ろしさも知らず、何も考えずに挑むとは、何と言う未熟。勝てないのも
当然か』
 磨き上げた技を全て破られた事で、夏の剣士としての心は壊れつつあった。師の敵も
討てず、倒されるのを待つだけの自分に腹が立った。
『ここまでなのか? 拙者はここで死ぬのか?』
 夏の心に恐怖が湧き上がる。死への恐怖は絶望となり、復讐心という名の炎を簡単に
消してしまった。
『あ……ああ…………』
 絶望の底にたどり着いた夏の心に生まれた感情。それは……。



 コンサート会場ではプログラムが予定通りに勧められていた。佐々山一郎の年齢を感
じさせない熱唱が観客達の心を震わせ、会場を大いに盛り上げていた。
 しかし、その裏では激しい戦いが繰り広げられていた。警備を担当している高倉は、
敵の偽情報に完全に振り回されていた。
「B5エリアのゴミ箱に爆弾が仕掛けられていただと? あそこは開演前に確かめたは
ずだ。だが……クソッ! 直ちに確認しろ! お前達はさっき通報があったA9エリア
の喧嘩を止めろ。急げ!」
 警備本部に入る情報のほとんどはデマだった。しかし百件に一件は本物であり、その
為に無視する事は出来なかった。
「血車組、いや崑崙党め、やってくれる……!」
 苛立つ高倉。だが、今は一つ一つの情報を確認するしかない。
 こうして高倉達が翻弄されている間にも、マチルダへの攻撃は行なわれていた。迫り
来る崑崙党の攻撃部隊に対して、
「そこっ!」
 フィアが狙い撃ち、
「こっちの敵は私に任せて!」
 エレアも負けじと守り抜く。しかし多勢に無勢。おまけに相手は一定の距離を保ち、
不用意には近づいてこない。厄介な相手だ。
「あいつら、一気に攻めてこないわね。数に任せて突っ込んでくると思ったのに」
「そっちの方が楽だったわ。私達を釘付けにするつもりみたいね」
 フィアの読みは当たっているようだ。敵はこちらを囲みながらも積極的には攻撃して
こないのだ。
「私達を影太郎達の助っ人に行かせないつもりみたいね。影太郎達さえ片付ければ、私
達なんてどうにでもなると思っているみたい」
「舐められたものね。ま、そんなに外れてもいないけど」
 口調とは裏腹にエレアは焦っていた。影太郎が負けるとは思わない。だが、ここまで
周到な相手が影太郎に対して何も手を打っていないとは思えない。
「こうなったらMSを出して、あいつ等を踏み潰しましょう。フィア、あんたのジンを
出してよ」
「エレア、焦らないで。ここはコンサート会場とは目と鼻の先よ。こんな所でMSを出
したら、会場はパニックになるわ。それこそ敵の思う壺よ」
 フィアの言うとおりだ。この会場を、コンサートを守り抜く事が影太郎達の使命。こ
のコンサートを自分達の手で壊す訳にはいかない。
「でも、このままじゃ……」
 焦りを隠せなくなってきたエレアの耳に、ユナからの連絡が入る。耳に付けた通信機
から聞こえるユナの声は、なぜかかなり興奮していた。



「どうだ? ロマノフの奴はなかなか周到だろ? あの生意気な小僧どもも今日で終わ
りだ。この会場と一緒に消えるんだよ。はははははははは!」
 勝ち誇る吟。縛られたマルコとエウテルペの前で、彼は自分に酔いしれていく。
「もうすぐエウテルペの出番だ。だが、歌うのはエウテルペではなく、大事に育てた私
の『娘』。歌も愛と希望に満ち溢れた三流の歌じゃなく、私が作詞作曲した、聞く者全
てに絶望を与える悪夢のような歌! 観客が絶望の底に落ちたところに撃ち込まれる閃
光! 会場は焼き払われ、跡には地獄のような光景が残る。それを見た者に更なる絶望
を与えるような光景がな。これが私の望み、私の欲望、私の夢! 素晴らしいと思わな
いかい? ははははははははは!」
 最悪の妄想だ。だが、吟の夢は間もなく叶おうとしている。
 マルコは吟の『娘』を見た。この少女、吟が話し始めてからは何も言わない。目も空
ろで、何を考えているのかさえ分からない。吟の言うとおり、何もかもに絶望して、吟
に全てを委ねているのだろうか?
「むー! むーむー!」
 突然、エウテルペが呻き声を上げた。猿ぐつわを噛まされながらも、懸命に何かを訴
えている。
「むー! むー、むーむー、むーーーーーーーっ!!」
 言葉にならない声は、ただの雑音だ。普通の声より不愉快に感じられる。吟もそう思
ったのか、
「あー、うるさいガキだ。おい、猿ぐつわを解いてやれ。だが、そいつが妙な真似をし
たら、分かっているな?」
 吟の指示に『娘』は黙って従った。エウテルペの猿ぐつわを解き、彼女の喉にナイフ
を当てる。
「よーし、それでいい。さすがは俺の『娘』だ。それで、エウテルペさんは何を言いた
いのかな?」
 余裕の表情を浮かべる吟に、エウテルペはふん、と鼻で笑った。
「あなたって、本当のバカね」
「…………」
 一瞬、言葉を失った吟だが、すぐに調子を取り戻す。状況は圧倒的に自分が有利なの
だ。勝利は目前、怒る必要は無い。
「おいおい、負け惜しみか? 君らしくもない醜態だな。もう少し潔く…」
「私は事実を言っているだけよ。影太郎もバカだけど、あいつはいい意味でバカなとこ
ろもあるから、まだマシ。だけどあんたは本物の、まったく救いようの無い、救う価値
も無い究極のバカ。この世から消えた方が世の為人の為、さっさと死んでくださいと神
様にお願いしたくなるくらいのバカよ。あー、もう、本当に死んでくれないかなあ。ね
え、お墓なら私が用意してあげるから、一人で勝手に死んでくれない?」
 見事なまでの悪口雑言である。マルコは呆気に取られ、『娘』の顔は真っ青になり、
吟の顔は真っ赤に染まる。
「き、貴様……! 人が優しくしてやれば、付け上がりやがって! 私のどこがバカだ
と言うんだ!」
「全てよ。人の絶望を見るのが楽しいですって? そんな悪趣味な事を他人に喋るなん
て、バカ丸出しだわ。私達が怖がるとでも思ったの?」
 そう言ったエウテルペは、青くなっている『娘』を睨む。
「あんたもバカよ。父親を殺したり、遺体をバラバラにしたのは確かにあんた。その罪
は一生背負っていかなくちゃならない。けど、一番悪いのは誰? あんたにそんな事を
やらせた、本物の悪党でバカな奴は誰? そんな事も分からないなんて、あんたもバカ
よ。バカ過ぎるわ」
「黙れ! お前が何を言っても、影太郎達はもう終わりだ。このコンサートもな!」
 『娘』への口を閉ざそうとする吟だったが、エウテルペの口は止まらなかった。彼女
は不敵に微笑み、
「その考えこそ、あんたが究極のバカである証よ。あいつ等がそう簡単にやられると思
っているの?」
「思っちゃいないさ。だから私は充分な戦力を用意して…」
 そう答える吟を、エウテルペの目は嘲笑っていた。その目にはわずかだが、哀れみの
光を宿していた。
「あんたって、本当に究極のバカね。そして影太郎はいい意味でのバカ。あんたは自分
がバカだと認めていないから、バカの恐ろしさを知らないのね」
 ここでマルコはエウテルペの様子がおかしい事に気が付いた。ほんの少しだが、彼女
の体が…。
「バカに常識は通じない。常識を打ち破って、奇跡を起こす。それがいい意味でのバカ
よ。天才とか英雄っていう人もいるみたいだけど」
 再び不敵に微笑むエウテルペ。自信に満ちたその表情は、八歳の少女とは思えないも
のだった。



「す、凄い……」
 ドグマドーに吹き飛ばされたショックで故障して動けなくなったケンタウロス。その
操縦席にいるラグナスは、モニターの光景に呆然としていた。
 B・I・Gアストレイを攻撃する二機のドグマドー。一機は接近戦を挑み、もう一機
は砲撃。無人機とは思えない、いいコンビネーションだ。
 だが、
「遅い!」
 B・I・Gアストレイの右腕のパワーショベルが近づいてきたドグマドーを放り投げ
る。そしてもう一機のドグマドーの砲撃をかわしつつ、左腕の2連装ビーム砲で迎撃。
ドグマドーの腕の一つを撃ち抜き、これを破壊した。
 二対一という不利な状況にも関わらず、影太郎は奮闘していた。いや、むしろ二機の
ドグマドーを押している。B・I・Gアストレイの動きも、時間が経つと共に良くなっ
てきている。
「B・I・Gアストレイの操縦に慣れてきたのか? 千時間の訓練よりも一分の実戦の
方が為になると言うが……」
 あまりにも実戦向きな影太郎の性格に、ラグナスは呆れつつも感心した。
 そして影太郎は燃えていた。強大な敵を前にしても恐れず、敵の強さを知りながらも
気持ちは一歩も退かず、むしろ激しくなっていた。
「ふっ、いいねえ、この感じ。小さい奴よりも大きい奴の方が殴り甲斐がある」
 静かに激しく燃える炎。影太郎の心は、そう言うべき状態になっていた。相手が強け
れば強いほど闘志を燃やし、集中力を増して、危機を乗り越える男。それが宇流影太郎
なのだ。
「記憶を辿ると、アルベリッヒ・バーネットもそんな男だったみたいだな。まったく、
クローンとはいえ似過ぎだぜ」
 そう言いながらも、悪い気分ではなかった。それに今は過去を振り返っている時では
ない。自分を燃やして、強くして、敵を倒す時だ。
 B・I・Gアストレイはドグマドー達を睨む。二機のドグマドーの内、腕を一本失っ
た機体は再び接近戦を挑み、もう一機は背中の巨大ビーム砲でB・I・Gアストレイを
狙う。一機がB・I・Gアストレイを引き付けている内に、ビーム砲で仕留めるつもり
らしい。
「おい、カニモドキども!」
 迎え撃つ影太郎。B・I・Gアストレイの豪拳が、ドグマドーの腕をハサミごと粉砕
する。
「俺と俺の仲間達の知恵を集めて作った、このB・I・Gアストレイを!」
 続いて放たれた蹴りで、ドグマドーの胴体を貫く。正面から打ち抜かれ、機能を停止
するドグマドー。しかしもう一機のビーム砲は、今まさに放たれようとしていた。
「このコンサートを命がけで守り、歌っている人達の勇気を!」
 B・I・Gアストレイは素早くドグマドーから足を抜き。そして倒したドグマドーを
蹴り飛ばした。その方向にはもう一機のドグマドーが。
「そして何より、この俺の根性を!」
 ドグマドー同士の衝突。その衝撃でビーム砲の向きは天に向けられ、そのまま放たれ
てしまった。
「舐めるんじゃねえええええええええっ!!!!」
 そしてB・I・Gアストレイの追撃。二機のドグマドーが重なった瞬間、拳で二機の
胴体をまとめて貫いた。



 剛馬と夏の戦場から、ストライク撃影の姿が消えた。
「ミラージュコロイドか。らしくない真似をする……」
 一機で佇むズィニアの背後に現れた黒い影。その左腕から《グレイプニール》が放た
れた。
「くだらん!」
 重斬刀で《グレイプニール》を弾き返す。しかし、既にその場に撃影はいない。また
消えたのかと思った瞬間、剛馬はズィニアを覆う影に気付いた。
「上か!」
 発射する直前に《グレイプニール》を本体から切り離し、剛馬が《グレイプニール》
に気を取られている内に上に跳ぶ。そして、起死回生の一撃!
「でやあああああああああああああっ!!」
 激しい叫びと共に、夏はその一撃を振り下ろした。しかしそれは《タイガー・ピア
ス》による斬撃ではなく、強烈なキックだった。撃影の蹴りはズィニアの頭部に直撃し
て、敵を叩き倒した。
 着地した撃影は、そのまま動かなくなった。ズィニアも動かない。静寂が辺りを包み
込む。
「はあ、はあ、はあ、はあ……」
 激しく息をする夏に、剛馬からの通信が入る。
「無様な戦い方だったな。剣士の誇りを忘れたか?」
 剛馬に言われるまでもなく、夏は今の戦い方が無様なものだと分かっていた。剣の道
を極めたサムライになろうとする彼女らしからぬ戦い方だ。しかし、
「…………死にたくなかった。負けたくなかったのでござる」
 夏は正直な心を話した。
 剛馬に全ての技を破られて追い詰められた時、彼女の心を占めたのは死への恐怖と、
負けたくないという意地。生きる為に、そして勝つ為に、今の自分に出来る事をする。
例えサムライの道から外れても。
「拙者はサムライ失格でござる。死の恐怖に負けて、つまらない意地を晒して、己の士
道を曲げてしまった……」
 夏は自分を戒めた。しかし、
「だが、後悔はしていないのだろう?」
「!」
 剛馬は夏の気持ちを見抜いていた。そう、夏は後悔していない。なぜなら、
「今日のお前のやるべき事は、師の敵を討つ事ではなく、あのコンサート会場を守る
事。その為にはここで俺に負ける訳にはいかない。だからお前は士道を捨ててまで勝ち
に拘った。生きて、勝って、守る為に戦った」
 剛馬のズィニアが動き出した。しかし、機体からは先程までのようなプレッシャーは
感じられない。
「何かを守る為に戦う。それこそが真の士道だと、俺は考えている。だから俺は主を守
る。その為なら何でもする」
「不動、剛馬、お主……」
「今日の貴様は未熟だった。だが、最後にいいものを見せてもらった。若い内はもが
き、あがき、苦しむ事も必要だ。俺もそうだった。せいぜい悩め、宮城夏。そして強く
なれ。俺と戦えるくらいにな。その時こそお前を倒して、父の刀を貰い受ける」
 そう言い残して、ズィニアの姿は消えた。ミラージュコロイドを展開したのだ。
「ああ、最後に一つ。歌依吟に会ったら伝えてくれ。俺もロマノフも貴様が嫌いだ、と
な」
 そして不動剛馬は去った。夏の心に戸惑いと、わずかばかりの敬意を残して。



 マチルダには意外な来客が訪れていた。
「みんな無事みたいね。良かった良かった」
 そう喜んでいるのは桜道灯。桜道会の若き女会長はニコニコ笑って、ユナ達の無事を
祝う。
 しかしユナ達三人の顔は晴れなかった。灯から、わずかばかり距離を置いている。
「ん? 三人ともどうしたの? 何か気になる事でもあるの?」
 首を傾げる灯に、もう一人の来客が、
「あのー、灯さん。灯さんが持っているその刀、鞘に収めてませんよ」
「あ、うっかりしてた。ごめんね、久しぶりに暴れたもんだから、ちょっと興奮しちゃ
って。あはははははははは」
 明るく笑う灯だが、他の者は誰も笑わなかった。プロの傭兵であるフィアでさえ、表
情が引きつっている。
 数分前、彼女達は信じられない光景を見たのだ。銃を持った二十人以上の戦闘部隊を
刀一本で切り倒していく着物の女性。まるで舞を舞うかのような動きを見せて、相手が
銃を撃つ前に素早く踏み込み、斬る。
『夏もかなり腕を上げたと思っていたけど、上には上がいるものね……』
 火星で特殊な戦闘訓練を積んできたエレアでさえ、圧倒されるほどの剣舞。不意を突
いたとはいえ、二十人以上の男が切り倒されてしまった。フィア達は灯がこの若さで日
本一の暴力団のトップにいる事に納得した。
「そろそろコンサートの方もクライマックスね。会場のゴミも茜ちゃん達が協力してく
れたから、もう片付いたでしょう」
 松本茜が店長を務める移動式和風喫茶・風花屋も、この会場に来ていた。世界中を旅
してきた茜は多くの仕事仲間を持っており、この会場の出店の経営者もほとんどが彼女
の知り合いだった。
 以前、ある祭りの出店を世話した事で友人になっていた灯は茜に会場のゴミ掃除、つ
まり偽情報に振り回されている高倉の手伝いを頼んだ。茜は快く引き受け、仲間と共に
高倉達を手伝い、会場の怪しい場所を全て調べた上、偽情報を流していた血車組のチン
ピラも見つけ出して、高倉に引き渡した。
「茜ちゃん達には、後で改めてお礼をしないとね。さて、それじゃあそろそろ会場に戻
りましょう。メインがいないと始まらないし」
 そう言って灯は、連れてきた客の肩を叩いた。小柄な少女は力強く頷き、
「はい! テルペ、ここに来てくれたみんなの為に、そしてテルペを守ってくれた人達
の為に歌います!」



「な……んだと!? お前は、本物のエウテルペじゃないのか!」
 衝撃の事実を明かされ、呆然とする吟。『娘』も、エウテルペと同じ顔を凍りつかせ
ていた。
 しかしマルコはそんなに驚かなかった。彼女が正体を明かす前から、そんな気はして
いたのだ。自分の事を『テルペ』と言わず『私』と言ったり、八歳の女の子にしては落
ち着きすぎていたり、不自然な点が多かった。
「ふーん、私の正体に気付いてたんだ。ちょっと悔しいわね。これでも変装には自身が
あるんだけど」
「へ、変装だと!? お前、まさか……」
 驚く吟の前で、エウテルペとして振舞っていた女は、その姿を変える。手足が少し伸
び、顔付きも骨格そのものが変わる。カツラを外して、顔に施されていたメーキャップ
を拭うと、少し小柄だが、エウテルペとはまったく違う女性が現れた。
「怪盗レインボースターこと桜道七華、参上!」
 名乗りと共に、彼女を縛っていた縄が切れる。
「ワン、ワンワン!」
 いつの間に入り込んでいたのか、影太郎の愛犬レウがマルコの背後にいた。小さいが
その鋭い歯で、マルコを縛っている縄を噛み切る。よく見るとエウテルペ、いやレイン
ボースターを縛っていた縄にも噛み切られた跡がある。
『そういえば彼女、凄く苦しそうな顔をしてた時があったな。犬嫌いの彼女には、縄で
縛られるより辛かったみたいだな』
 冷静に考えるマルコとは対照的に、吟は激しくうろたえていた。
「な、何なんだ、お前のその体は! 体の大きさまで変わるなんて、変装なんてレベル
じゃないぞ!」
「そういう体質なのよ。骨って伸ばしても縮めてもすっごく痛いから、滅多にやらない
けど」
「体質だと? ふざけるな! そんな人間がいるはずが…」
「なるほど。後天的コーディネイターか」
 マルコは聞き慣れない単語を発したが、レインボースターは否定しない。どうやら正
解のようだ。
「こ、後天的コーディネイターだと? ま、まさかそんな……。い、いや、それよりも
貴様がエウテルペだという事は…」
「ええ。本物のエウテルペは、あんた達が来る前にお姉ちゃんが連れ出したわ。その
後、私がここであんた達を待っていたの。ギリギリセーフだったけどね」
「ま、待っていただと? 貴様ら、どうして俺がエウテルペを狙っている事を…」
「私の情報網を甘く見ないで。念の為にと調べさせて良かったわ」
 レインボースターはケナフ・ルキーニに少しだけ感謝した。今回の借りは大きなもの
になりそうだが、それでも姉を苦しめるよりはマシだ。時々喧嘩もするが、レインボー
スターは灯の事を尊敬していたし、子供の頃から自分に優しくしてくれた姉が大好きだ
った。
「さあて、究極のおバカさん、歌依吟。ここからは私達の反撃タイムよ。私も泥棒やっ
てる悪党だけど、あんたみたいなゲス野郎は大っ嫌いなの。覚悟はいいわね?」
「ワン! ウー、ワン!」
 吠えるレウ。マルコも異存は無かった。しかし、吟の後ろで震えている、名前も知ら
ない少女の事は気になった。
 コンサート会場から大きな歓声が聞こえてきた。どうやらあちらもクライマックスの
ようだ。

(2007・12/22掲載)
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