第20章
 再び宇宙(そら)へ

「ぐはあっ!」
 レインボースターに殴り飛ばされた吟は壁に背を打ちつけ、無様な悲鳴を上げた。そ
れを見たレインボースターはニヤリと笑い、
「あらあら。いい年こいた大人のクセに、大した事無いわね。私みたいな小さい女の子
にボロ負けして、恥ずかしくないの?」
「くっ……」
 悔しがる吟だが、実力の差は歴然としていた。吟も決して弱くはないのだが、レイン
ボースターの強さは半端ではない。それは端で見ているマルコにも分かる。
『軍の施設にも忍び込む程の大泥棒だからな。それなりに鍛えてはいるという事か。後
天的コーディネイターの力もあるし』
 通常、コーディネイターは受精卵に遺伝子を調整する事によって誕生する。しかし、
母胎の子宮にいる時に受精卵が何らかの影響を受けてしまい、当初の意図通りの形質が
得られない場合も少なくなかった。ならば既に誕生した人間の遺伝子を調整すれば、子
宮の影響を受けず、理想的なコーディネイターを作れるのでは?という考えから研究さ
れたのが、後天的コーディネイターである。
 後天的コーディネイターは、遺伝子だけでなく細胞にも改造・調整が施され、肉体的
には通常のコーディネイターを凌ぐ能力を得た。しかし失敗例も多く、想定外の能力を
得た者や、手術後に容姿が醜く成長したり、突然死してしまう者が続出。後天的コーデ
ィネイターはあまりにも不安定な存在であり、その調整技術には今後も発展が見込めな
いと判断され、研究は打ち切られた。
 マルコの組織でも後天的コーディネイターの開発は研究されていたが、やはり頓挫し
ている。世界で最も優れた技術を持つ組織でさえ失敗する程、後天的コーディネイター
の開発は困難なのだ。
 しかし、ここに後天的コーディネイターとして生きている女がいる。筋肉や骨を自ら
の意志で伸縮させ、体格を変えてしまう能力。これは後天的コーディネイターの特殊能
力と考えられる。
「くっ、この、バケモノ女が!」
 殴りかかる吟だが、レインボースターは余裕でかわす。その直後、右腕の筋肉が膨れ
上がり、吟の腹に拳を叩き込む。
「ぐはあっ!」
 凄まじい激痛が吟を襲う。胃液が逆流し、楽屋の床に臭い汁が吐き散らされる。
「あー、もう、きったないわねえ。ま、人の道を踏み外した外道には相応しいけど」
「ゲボッ! き、貴様だって、私と同じ、ようなものだろうが……、この、泥棒女め」
「ええ、私も立派な悪党よ。でも、あんたみたいに人の命をオモチャみたいに扱うよう
な事はしない。それに…」
 レインボースターは吟の『娘』を見る。エウテルペと同じ姿に変えられた少女は、吟
の醜態を呆然と見ている。
「あんな子供に父親を殺させて、その上バラバラにさせるなんて悪行はやらない。あん
たは悪党と呼ぶ価値すらないクズ。人間という種の恥さらしよ。死ぬべき人間だわ」
 冷酷な口調で吟をなじるレインボースター。闇の世界で生きてきた彼女から見ても、
吟の所業は許しがたいものだった。悪として生きる身だからこそ、吟のような悪を超え
た外道は許せない。
「それにあんた、さっき私の事をバケモノって言ったわね? それは私とお父さん、私
に力を与えてくれた先生、そしてこんな私を愛してくれたお姉ちゃんに対する最大の侮
辱だわ」
 レインボースターこと桜道七華は、生まれながらに病弱で、十歳までは生きられない
と診断された。父の桜道現一郎は妻の忘れ形見である七華を救う為、彼女を助ける方法
を探した。
 桜道会の情報網を駆使して何年も掛けて探し当てたのが、裏社会に潜み、後天的コー
ディネイターの開発をしている男だった。学会で異端として扱われ、追放されたその男
は、それでも研究を諦めず、技術を磨いてきた。
 男は自分自身を実験体として得たデータに基づいた手術を七華に施した。手術は成功
し、七華は病弱な体から健康体へと生まれ変わった。
「ツルギ先生には本当に感謝しているわ。先生のおかげで助かったけど、変な能力まで
得ちゃった。ま、そのおかげで泥棒としてやっていけてるし、あんたみたいな外道をブ
チのめせるんだから、いいんだけどね」
 肉体の操作についても、ツルギ先生から教わった。先生も同じような能力を持ってい
たが、能力の使用は肉体に大きな負担を与える。
 先生は実験として一度しか使った事が無いと言っており、レインボースターになった
七華も、能力を使ったのは今日で三度目だ。最初に使った時よりは慣れたが、それでも
体に激痛が走り、頭もクラクラする。確かに先生の言うとおり、多用すれば命に関わる
だろう。だが、
「今は私の命より、あんたをブチのめす方を優先するわ。覚悟はいいわね、歌依吟!」
「くっ!」
 怒りと共に拳を振り上げたレインボースターに、吟は小さな球を投げた。球はレイン
ボースターの眼前で爆発し、眩い光と白煙を生み出した。
「はっ、これ以上、お前みたいなバケモノに付き合っていられるかよ。じゃあな! お
い、逃げるぞ!」
 捨て台詞と『娘』への命令を残して、吟は煙の中に姿を消した。走り去っていく足音
が聞こえる。
「あ、あいつ、絶対に逃がさないわよ!」
 レインボースターが後を追う。吟の目くらましは、彼女の怒りを更に激しくしたよう
だ。この女は怒らせると怖い。
 閃光の後に発せられた煙は、あっという間に消え失せた。吟もレインボースターも去
った楽屋には、マルコと、なぜか残っている吟の『娘』の二人だけ。
「……やれやれ。まったく、あの連中は引っ掻き回すだけ掻き回しておいて、後始末は
他人(ひと)任せですか。僕はそんな事をする為に来たんじゃないんですけどね」
 とグチを言いつつも、マルコは二人の戦いでメチャクチャになった楽屋を片付けよう
とする。私生活はだらけ切っている母親の世話をしているせいか、散らかっている部屋
を見ると片付けたくなってしまうのだ。
 壊れた物をゴミ箱に捨てた後、部屋の隅にいた『娘』に目を向ける。吟の命令を聞か
ず、なぜここに残ったのかは分からないが、掃除の邪魔だ。部屋を出てほしいのだが、
彼女の目には生気が無く、ただ呆然としている。
「ええと、あのー、君、僕の声、聞こえますか?」
 基本的な事を確かめるマルコ。しかし『娘』からの返答は無い。
 弱った。どうすればいいのだろう。マルコは今まで読んだ本や、母カテリーナから得
た知識を総動員するが、いい対策が思い浮かばない。
『困ったなあ。……あいつならどうするだろう?』
 マルコは影太郎の顔を思い浮かべた。かなりバカだけど実は凄くて、誰にでも優しい
あの男なら、この少女をどうするだろうか。そう考えていると、体が勝手に動いた。
「……………………あれ?」
 気が付くと、マルコは少女を優しく抱きしめていた。
『えっ!? あ、あれ? ぼ、僕、何をしているんだ!!? えっ? えええ
え!!!!!????』
 戸惑いながらもマルコは少女から離れなかった。それどころか、抱きしめる力を少し
強くして、小柄な少女の背中を優しく叩く。
「………………」
 少女は何も言わない。その目は相変わらず虚空を見つめているが、わずかに光が戻っ
た様にも見える。
 一方、マルコは激しく動揺していた。母親以外の女性を抱くなど、初めての経験だっ
た。少女を抱く力を強くすると、なぜか宮城夏の顔が思い浮かんでしまい、彼女の事を
考える自分が恥ずかしくて堪らない。そしてますます動揺する。
「ああああああああああああ、あ、あのですね、こ、これは僕はやりたくてやっている
んじゃなくて、いや、でもやらなきゃいけない気がして、その…」
 自分でも何を言いたいのか分からない。しかし、今、この少女から手を離してはなら
ない。抱きしめて、優しくしなければならない。そんな気はする。では、次はどうす
る? どうすればいい?
 少し考えた後、マルコは少女の頭に手を置いた。そして、優しく撫でる。
 マルコは少女の顔を見た。何の感情も浮かんでいない、人形のような顔。それは人と
して不自然で、あまりにも哀しい顔。そんな顔を見たからなのか、マルコはごく自然に
こう言った。
「もう、いいんですよ」
「……………………え?」
 少女がようやく口を開いた。驚きの言葉と共に、人形の様だったその表情も、わずか
に揺らぐ。
「もう、いいんですよ」
 マルコは本心からそう思った。何がいいのかは分からなかったが、そう言いたかった
のだ。それは哀しすぎる人生を送ってきた少女に対する、人間としての本能が、マルコ
の優しい心が言わせた言葉。
 マルコの言葉は少女の心に届いた。少女の瞳から涙が溢れ出てくる。そして、
「う、う、うわわああああああああああああああああああああん!!!!!」
 少女は大声で泣いた。マルコの腕の中で、泣いて泣いて泣きまくった。その涙が自分
の手で殺してしまった父を思ってのものなのか、吟という悪魔の手から逃れた事の喜び
の涙なのか、それは少女自身にも分からない。だが、
「ああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
 少女は泣いた。生まれたばかりの赤ん坊が泣くように、一心に泣き続けた。少女の涙
でマルコの服は濡れてしまったが、マルコは気にしなかった。
『ママ、これでいい……んですよね?』
 マルコの心の中にいる母は答えてくれなかった。しかし、マルコは母が褒めてくれる
ような気がした。そして、あの男も。



 コンサート会場では佐々山に特別ゲストとして紹介されたエウテルペが熱唱。その美
声によって観客達の心を掴み、人々の乾いた心を癒していた。
 その歌声は、ドグマドーを倒してマチルダに戻ろうとしていた影太郎にも聞こえてき
た。B・I・Gアストレイは分離してリトルフレームと三機のメカに戻っていたが、そ
のおかげでウィズの音響収集機能が最大限に働いたのだ。リトルフレームの操縦席に、
エウテルペの優しい歌声が響き渡る。
「いい歌を歌うじゃないか。さすがプロだな」
「そうですね。ラクス・クラインにも負けていないんじゃないですか?」
 どうやら歌声はケンタウロスにも届けられていたらしく、ラグナスがうっとりした口
調で言う。ロボットのような外見をしたラグナスが歌に聞き惚れている姿を想像して、
影太郎は少し不思議な気分になった。
「まあそれだけ、この子の歌が凄いという事か。ん?」
 ウィズのレーダーが、こちらに近づいてくる影を探知した。敵の援軍かと思ったが、
MSやMAではない。とても小さい反応で、どうやら自動車のようだ。
「やれやれ、レーダーが凄いのも考え物だな」
 そう言って影太郎はウィズのレーダーを弱めようとしたが、車の後を猛追する影に気
が付いた。こちらも車のようだが、かなり飛ばしている。
「危ない奴だな。前の車を追いかけているのか? それにしても無茶な運転を…」
 と、ここまで言って影太郎は思い出した。彼の知り合いで、似たような事をする奴が
いる。特に、とある奴を同乗させている時は、もう無茶苦茶になってしまう。
「ラグナス、来てくれ。バカ女とレウを助けに行くぞ」



 会場から逃げた吟は、用意してあった車で逃走。レインボースターも車に乗って追い
かける。逃げる吟と追うレインボースター。富士の裾野の森を切り開かれて作られた道
路を二台の車が走る。だが、レインボースターの最大の敵は吟ではなかった。
「な、何であんたまで乗っているのよーーーーーーっ!!」
「クゥン?」
 いつの間に乗っていたのか、レインボースターの足元には無垢な瞳をしたレウが潜ん
でいた。高速で走る車から放り出すわけにも行かず、かと言って車を止めれば吟を逃し
てしまう。あの男だけは逃がさない。許せない。でも、
「ワン、ワンワンワン!」
「あ、あんたもあの男に腹を立てているのね。それは分かる、分かるんだけど、私の膝
に乗るのは止めてーっ!!」
 とお願いするが、レウはレインボースターの言う事を聞いてくれない。相当、興奮し
ている。吟の話を理解して、レインボースターと同じように怒っているのだろう。『人
の言葉を理解できる程、頭が良い』というレウの長所が災いしてしまった。
「ウー、ワンワンワンワンワン!」
「お、お願いだから大人しくして、そんなに吠えないで、ぎゃー!」
 吠えまくるレウと、動揺しまくるレインボースター。車は事故を起こせないのが不思
議なくらい迷走している。
 一方、逃げる吟も平静ではなかった。彼は今回の作戦に全てをかけていた。切り札で
ある『娘』まで使ったのに、なぜ失敗した? 多くの人間を絶望の淵に追い込み、それ
を歌にしてきたのに、最高の歌を作り続けてきたのに、なぜ?
 宇流影太郎。あの男のせいだ。奴が現れてから、何もかもがおかしくなった。奴さえ
いなければ、全ては上手くいっていたのだ。私は賢い。全ての人間は私の掌の上で踊る
だけの存在なのだ。ダブルGも、私がより多くの絶望を見る為に利用しているに過ぎな
い。私こそが一番賢い。私こそが、私こそが、私こそが!
「なのになぜ、こんな事になった? どうしてこんな……クソッ!」
 怒る吟は前をよく見ずにアクセルを踏んだ。スピードを上げた車はカーブを曲がりき
れず、道路の脇にある大木に激突した。車の前部分はグシャグシャに潰れたが、吟は衝
突寸前で脱出。道路に転がった。
「ぐっ!」
 右腕に激痛が走る。どうやら骨が折れたらしい。
「い、いや、いい。死ぬよりはマシだ。そう、私はまだ死ねない。最高の絶望を歌にし
て、その歌を世界中の奴らに聞かせるまで、私は…」
 歩き出そうとした吟の前を、一機のMSが遮った。ズィニアだ。操縦席のハッチが開
き、夏との戦いを終えた不動剛馬が降り立った。手には日本刀を持っている。
「今、ステージで歌っているエウテルペ・テレプシコーラは本物だな。貴様の作戦は失
敗したようだな」
 確認するように言う剛馬に、吟は答える事が出来なかった。失敗を認めたくなかった
のだ。剛馬は呆れたようにため息をつき、
「情けない奴だ。これだけの戦力をつぎ込みながら失敗するとは」
「わ、私のせいじゃない! 色々と予測不可能な事態が起きて…」
「『娘』はどうした?」
 剛馬は吟の言い訳を遮る。そう言われた吟は、慌てて辺りを見回す。かなり驚いてい
るところを見ると、どうやら『娘』がいない事に気付いていなかったようだ。
「そ、そんなバカな。あいつが私の命令に従わないなんて、そんなバカな!」
 父親を殺させた時から、吟はあの少女に完璧な洗脳を施した。薬物などは使っていな
いが、父親殺しの罪の意識を利用して、精神的に縛り付けてある。あの少女は吟の命令
どおりに行動する。顔を変えろと言えば整形したし、食事も吟の許可が無ければ食べな
い。そんな従順な『娘』だったのに、なぜ?
「そんなに驚く事でもないだろう。沈みかけた船からネズミが逃げるのは自然な事だ」
 剛馬の言葉に、吟は自分が敗北した事を思い知らされた。計画は失敗し、完璧にしつ
けたはずの『娘』にも見捨てられた。最悪の結果だ。
「クソッ、クソッ、クソッ! あいつら、許さん。次は殺す。もう容赦しない。裏切り
者のあの小娘もまとめて、次は私の手で殺してやる!」
 復讐心に燃える吟だったが、そんな彼の前に一体のMSが現れた。アストレイ・リト
ルフレームだ。空にはウィズが飛んでいる。あれに乗って来たのだろう。
「なっ…」
 驚きの余り、吟は尻餅をついた。剛馬は動じず、リトルフレームを睨んでいる。
 リトルフレームの操縦席のハッチが開き、影太郎が降りてきた。その小さな姿を見た
吟は、憎悪と共に立ち上がった。
「宇流影太郎! 貴様さえ、貴様さえいなければ、私の計画は…」
「黙れ、吟」
 剛馬の落ち着いた声が、吟を制止させる。剛馬と影太郎の視線が交差し、互いに相手
の殺気を伺う。
「夏はどうした?」
 尋ねる影太郎に、剛馬は少し微笑み、
「安心しろ、生きている。傷も無いはずだ」
「どうだった?」
「まだまだだな。だが、強くなる素質はある。心も強い。もう少し経てば、もっと楽し
める相手になりそうだ」
「その時は、夏がお前を倒すぜ。前に言った筈だ。夏とロウのどちらかがお前を、そし
てお前の主は俺が倒すと」
 リティリアでウン・ノウを倒した剛馬に、影太郎はそう言った。剛馬も思い出して、
あの時と同じような返答をする。
「相変わらず、面白い事を言う。お前とも戦ってみたいものだ」
「悪いがそれはダメだ。俺がお前を倒したら、夏に怒られる」
 そう言う影太郎に、剛馬は苦笑するしかなかった。そこへラグナスのケンタウロスが
駆けつけてきた。その手には、暴走していたレインボースターの車を掴んでいる。
「いやー、ギリギリセーフでしたよ。もう少しで樹にぶつかるところだった。良かっ
た、良かった」
 と言うラグナスだが、レインボースターは気絶しているので、あまり『良かった』で
はない。ちなみにレウも無事で、レインボースターの顔を舐めている。
「二対一だな。どうする? そのバカを連れて、尻尾を巻いて逃げるか? こっちはそ
れでも構わないぜ」
 挑発する影太郎。だが、本気で戦うつもりは無い。ドグマドーとの戦いでリトルフレ
ームのエネルギーは尽きかけており、B・I・Gアストレイには合体できない。ケンタ
ウロスも損傷しており、ほぼ無傷の剛馬と戦える状況ではない。しかし、弱気になれば
剛馬に隙を見せる。ラグナスやレインボースターを守る為にも、背中を見せる訳にはい
かないのだ。
 影太郎の挑発に、剛馬は謎の笑みを浮かべた。そして吟の方を振り返り、
「宮城夏にお前への伝言を頼んだ。だが、やはりこういう事は直接言うべきだろう」
「えっ?」
 戸惑う吟だったが、彼が剛馬の伝言の内容を知る事は無かった。次の瞬間、吟の体は
頭頂から首、体、腰を切り裂かれ、真っ二つになったからだ。
「歌依吟。俺もロマノフも貴様が嫌いだ」
 吟への決別の言葉と共に、剛馬はいつの間にか抜いていた刀を鞘に収めた。
「…………」
 影太郎は驚きのあまり、声を出せなかった。吟の最期にではなく、人間の体をあっさ
りと両断した剛馬の技量に驚いたのだ。それ程、剛馬の剣技は素晴らしく、そして恐ろ
しいものだった。
 戦慄した影太郎だったが、唾を飲み込む事で我を取り戻した。そして剛馬に、
「わざわざ仲間を殺しに来たのか。口封じのつもりか?」
「いや。この男の存在は、我らが神そのものを汚す。作戦に失敗したら斬るつもりだっ
た」
「それは貴様らの神の命令か?」
「いや。俺の独断だ」
 だからこそ剛馬が恐ろしかった。この男は神に忠誠を誓っているが、自分の全てを神
に委ねてはいない。時と場合によっては自分の意志で行動し、敵と戦う。単なる操り人
形ではない、確固たる自我と絶対的な忠誠心を持った敵というのは厄介なのだ。
「今日はここまでだ。いずれまた、戦場で会おう」
 剛馬はそう言って、影太郎達に背中を見せた。戦うつもりは無いらしい。影太郎は安
堵する心を隠して、
「俺達はもうすぐ宇宙に行く。お前達も来るのか?」
「そのつもりだ。星の空がお前達の墓場となる」
「どうかな? それはそっちの方かもしれないぜ」
 一歩も退かない影太郎に、剛馬は笑みを見せた。そしてズィニアに戻り、飛び去って
いった。
「不動剛馬か。夏、お前、とんでもない奴に見込まれたようだな」
 確かに剛馬は強い。だが、それでも夏は勝つ。影太郎はそう思い、そして信じた。
 遠く離れたコンサート会場から、大きな歓声が上がる。それはコンサートの終わりを
告げる観客達の声であり、霊峰の麓で行なわれた戦いの終わりを告げる鐘の音でもあっ
た。



 コンサートの終了後、影太郎達はマチルダの操縦室に集まっていた。佐々山とエウテ
ルペ、茜と桜道灯、そして高倉も来ていたが、
「あら? うちのバカ妹はどこに行ったの?」
 灯の言うとおり、レインボースターこと桜道七華の姿はここには無かった。レウとの
ドライブで気絶していたのだが、ちょっと目を放した隙にいなくなっていたのだ。
「クーン……」
 寂しげな声を出すレウの頭を灯が撫でる。
「まったく、こんな可愛い犬(こ)を心配させるなんて。あの子も罪作りね。本命にも
気にされていないみたいだし」
 灯の視線は影太郎に向けられる。が、影太郎は「?」と首を傾げる。女性に囲まれて
いる割に、女心には鈍感らしい。
「高倉。あの子が帰ってきたら、ちょっとだけ優しくしてあげましょうか」
「そうですね。何か美味しい物を用意しましょう」
「その時はウチの店をよろしく頼みますわ。サービスしまっせ」
 ちゃっかり商売しようとしている茜は無視され、影太郎達は今後について話し合う。
 オーブの陥落後、地球軍はザフトの地球上の拠点を次々と攻略している。一方、ザフ
トはボアズやヤキン・ドゥーエなどの宇宙要塞に主力部隊を集めている。両軍とも、決
戦は宇宙で行なうつもりのようだ。そして、この戦争を利用して人類の滅亡を目論むダ
ブルGも。
「俺達も宇宙に行くぞ」
 影太郎の言葉に、夏とフィア、ユナが頷く。客人であるマルコも同行するつもりなの
だが、
「あんた達、いい加減離れなさいよ。テルペ、ちょっと不愉快」
 むくれっ面をするエウテルペだったが、そう言われた当人達は離れようとしない。い
や、片方はもう離してほしいのだが、もう片方がしっかりと腕を掴んで、離してくれな
いのだ。
「………………」
 マルコの腕をがっしりと掴む少女。エウテルペと同じ顔をした女の子の積極的な行動
に本物のエウテルペは戸惑い、ますます不機嫌になる。
「離れなさいって言ってるのよ! テルペと同じ顔をしたあんたがそんな事したら、テ
ルペまで変な奴だって思われちゃうでしょ!」
 しかし、少女は離れない。楽屋でマルコの腕の中で泣いて以来、ずっとこの調子だ。
少女の事情を知っているマルコは強く言えず、少女を引き離せない一方、夏の事を気に
している。そんな二人を夏は、
「まあまあ、良いではござらぬか。人の恋路を邪魔するものではないでござるよ」
 と大人らしく庇ってくれる。マルコは少し悲しくなった。佐々山も、
「はははははは、そうだな、夏ちゃんの言うとおりだ。恋は素晴らしく、そして尊いも
のだ。テルペ君、君もこの子を見習った方がいいぞ。でないと大切な相手に気付いてさ
えもらえないぞ」
「!!!!!!!! な、ななななななな何を言っているんですか、佐々山さん! テ
ルペは別に、その……」
 と言いつつ、影太郎をチラチラと見るエウテルペ。しかし影太郎はまったく気付か
ず、エレアやラグナスと何か話している。
「う〜〜〜〜〜…………」
 ますます不機嫌になるエウテルペ。その横に立つエウテルペと同じ顔をした少女はマ
ルコから離れず、二人を温かく見守る夏を、フィアがイライジャの話をしてからかい、
ユナは興味津々な様子を見せる。そんな一同を佐々山と茜と灯は微笑んで、真面目な高
倉はため息をついて見ている。
「大丈夫なのかな、この人達に任せても……」
 不安になる高倉の肩を、話を終えたエレアが叩く。
「大丈夫よ。これがシャドウ・セイバーズなの。みんなマイペースだけどやる時はやる
し、絶対に負けない。絶対に、ね」
「……そうですか。ならば私も信じましょう。この世界の運命を彼らに託します」
「いい覚悟ね。さすが桜道会のナンバー2だわ。これからよろしくね」
「ええ、よろしくお願いします。……えっ?」
 話し合いの末、エレアとラグナスは日本に残る事になった。エレアがそう望み、彼女
を守る事を誓ったラグナスもついて行く事にしたのだ。
「昔の借りを返したい奴がいるのよ。どうやらあいつは宇宙には行かないみたいだし」
 エレアが言う『あいつ』とはアンドレイ・ロマノフの事だ。ダブルGの部下にして、
大企業ロマノフ運送の社長。そして崑崙党の最高幹部『十仙』の一人。この油断ならな
い男に、エレアはかつて捕らわれていた。
「宇宙には行かないみたいだけど、それでもあいつは無視しちゃダメな相手だわ。あい
つの動きを見張る役が必要よ。この中であいつの事を一番よく知っているのは誰かし
ら?」
 エレアはロマノフとの決着を望んでいる。影太郎もそれを承知した。彼女とラグナス
は桜道会に客人として引き取られ、一緒に崑崙党と戦う事になった。
 別れを惜しむ夏達に、エレアは再会を約束した。
「色々やりたい事もあるし、まとめたい研究もあるの。みんなと一緒に戦えないのは残
念だけど、これは誰かがやらないと、ううん、私にしか出来ないから」
 ラグナスも、その金属製の頭を動かしながら、
「皆さんと一緒の旅、本当に楽しかったです。エレアさんは俺が守りますから、安心し
て宇宙に行ってください」
 と別れの言葉を送った。
 数日後、ギガフロートのロウから宇宙に旅たつ準備が整ったとの連絡が入った。影太
郎達はマチルダに乗り込み、日本を後にする。
 別れ際に灯が夏に、自分の愛刀を与えた。富士山麓での戦いで自分の未熟さを知った
夏は、灯に師事を受けていた。
「この『桜花』は私が打った刀。自慢じゃないけど、なかなかの逸品よ。持っていきな
さい」
「ありがとうございます。でも、拙者の剣術は小太刀術で…」
「あんたの小太刀じゃ、不動剛馬って奴は倒せないわよ。それはあんたが一番よく知っ
ているはず」
 灯の言うとおりだった。
「私の刀を使ってみなさい。今までとは違う剣を振るってみれば、何かヒントが掴める
かもしれないわよ。MSの剣術もね」
「はい。ありがとうございます」
「お礼なんていいわよ。私もMSの乗り方を教わったし。次に会う時は、ちゃんと乗り
こなしてみせるわ」
「拙者も、この桜花に恥じない剣術を見に付けてみせるでござる。お元気で」
 任侠に生きる女と、己の士道を見出そうとしている少女は、再会を約束して別れた。
夏達を乗せたマチルダは、東の空へと飛び去っていった。



 翌日、マチルダはギガフロートに到着した。ギガフロートはゴールドフレーム等との
戦いで激しく傷付いたはずだったが、今は傷一つ無い。
「凄いな。完璧な修理じゃないか」
 感心する影太郎に、出迎えに来たロウはニコニコ笑って、
「これくらい朝飯前だぜ。なんたって俺は宇宙一のジャンク屋だからな!」
「ちょっとロウ、みんなだって頑張ったでしょ。サーペントテールの人達も手伝ってく
れたし」
【ジャン・キャリーも素晴らしい働きだったな。どちらも宇宙に行ったからと言って、
自分一人の手柄にするのは感心しないぞ】
「冗談、冗談だよ。俺だって頑張ったんだから、そんなに厳しいツッコミをするなよ」
 明るいロウと、厳しいツッコミを入れる樹里と8(ハチ)。相変わらずである。
 ロウ達の話の中にも出て来たが、サーペントテールの面々とジャン・キャリーは既に
宇宙に上がった。サーペントテールは仕事の為、ジャン・キャリーはラクス・クライン
率いる部隊の噂を聞き、彼らと合流する為に。
「そうか。あの人も自分の生きる道を見つけたんだな。あの人がキラ達と一緒に戦って
くれるのなら、心強いぜ」
 ジャンの事を思い出していると、プロフェッサーがやって来た。影太郎は再会の挨拶
と、エレアとラグナスが日本に残った事を伝えた。
「そう、ちょっと残念ね。彼女とはゆっくり話をしたかったんだけど……」
 プロフェッサーはそう言って、少し沈んだ顔をする。意外と感情を顔に出さない彼女
にしては珍しい。それだけエレアの事を評価していたのだろうか。
「まあいいわ。お互い生きているのなら、また会えるでしょう。私達も忙しくなるし」
「新しい仕事か?」
「ええ。私達も宇宙に行くわ。シャドウ・セイバーズのみんなも手を貸してくれるわよ
ね? 報酬は払うわよ」
「気前がいいねえ。仕事の内容は?」
 そう尋ねた影太郎に、プロフェッサーは一人の少年を紹介した。身長は影太郎より少
し上だが、年は十歳前後ぐらいか。金髪が特徴的なその少年は、少し豪華な服を着てお
り、優しげな顔立ちから高貴な印象を受ける。少年は人懐っこい笑みを浮かべて、
「初めまして、シャドウ・セイバーズの皆さん。ボクの名前はプレア・レヴェリーと言
います。よろしくお願いします」
 と挨拶して、手を差し出す。その手を影太郎は優しく、だかしっかりと握った。
「ああ、よろしくな、プレア」
「はい。皆さんの話はロウさん達から聞いています。会えるのを楽しみにしていまし
た」
「ははっ、どうせロクな話じゃないだろ?」
「いいえ。世界を守る為に戦うなんて、普通の戦争よりも困難な事です。それをやろう
としている皆さんは、ボクは尊敬しています。マルキオ導師も皆さんの事は褒めていま
した」
 プレアはマルキオ導師からの使いだった。地球からもプラントからも人望が厚いマル
キオは、プラントの協力者を通じて、ニュートロンジャマーキャンセラーを搭載したM
Sを地球に持ち込もうとしていた。Nジャマーキャンセラーの力で地上のエネルギー不
足を解消しようとしたのだが、軍事に利用されれば核兵器の封印を解く事になる。マル
キオ自身が動けば目立ってしまう為、プレアと中立勢力であるジャンク屋に仕事が任さ
れたのだ。
「導師は私達とシャドウ・セイバーズをご指名したわ。私達の事をよく知っているみた
いね」
「それは光栄だな。……もしかして、ダブルGの事も?」
「知っているみたいよ。プレアも導師から教えてもらったそうだし」
 ダブルGの存在を知りながらも、何もしようとしていないとは、マルキオの性格から
考えると不自然だった。マルキオ程の人物なら、地球軍やザフトもその発言を無視出来
ないはず。それなのに彼は沈黙している。
『まさかダブルGの手下なのか? それとも、何か理由があるのか?』
 考えていても結論は出ない。マルキオの真意を知る為にも、この仕事は請けるべきだ
ろう。影太郎は改めて、プレアに協力する事を約束した。
「しかしNジャマーキャンセラーか。核に痛い目に合ったザフトがそんな物を作ってい
たとはな」
「何言ってるんだよ、影太郎。Nジャマーキャンセラーなら、もう俺達が持っているん
だぜ」
「え?」
 ロウは影太郎達をギガフロートのMS格納庫に案内した。そこでは分解されたプロト
ハイペリオンが横たわり、B・I・Gアストレイと戦ったMSデネブが整備されてい
た。
 デネブを整備している人物の中に、かつて影太郎を助けて散った男と同じ顔を持つ少
年がいた。彼は影太郎に気付くと、急いで駆け寄ってきた。そして、
「ナイン・ソキウスだ。色々と世話になった。感謝している」
 とだけ言った。そして再びデネブの整備を始めた。
「むむ。影太郎殿は命の恩人でござるのに、随分とぶっきらぼうでござるな」
「いや、あれでも心から感謝しているんだぜ。けど、あいつはそういうのを現すのが苦
手らしいんだ」
 影太郎達が日本に旅立った翌日、ナインは意識不明の状態から目を覚ました。ロウか
ら事情を聞かされた後、ナインは自分を救ってくれた影太郎に感謝して、どうお礼を言
えばいいのか悩んでいたらしい。
「でも、いいのが思い付かなかったみたいだな。俺もアドバイスしてやれば良かった
ぜ」
【何を今更。こういうのは自分で考えなければダメだ、と言ったのはロウだろう】
「そうよ。それにロウも忙しかったし。ギガフロートの修理だけでも大変だったのに、
レッドフレームやブルーフレームの強化までして、ちょっと心配したのよ」
「樹里は心配性だな。宇宙一のジャンク屋が、そう簡単にくたばるかよ!」
 元気一杯のロウは、レッドフレームとブルーフレームをどう改良したのか、自慢げに
語った。
 レッドフレームにはジャンがくれたパワーシリンダーを組み込み、文字通りにパワー
アップした。プロトハイペリオンの装備も流用したらしい。これ等の武装は換装式で、
状況に応じて通常のレッドフレームと使い分ける。
「生まれ変わったレッドフレームは強いぜ。影太郎、お前のモビルローダーにも負けな
いだろうな」
「モビルローダー?」
「B・I・Gアストレイの事だよ。あれをMSと呼ぶのは、色々な意味で間違っている
し、勿体無い気がするからな」
【気にするな。ロウは少し疲れているんだ】
「いや、いつものロウだろ、これは」
 苦笑する影太郎。モビルローダー、悪くない呼び名だ。
 強化されたレッドフレームは、宇宙でテストを行なう予定らしい。影太郎達へのお披
露目はその時までお預けとの事。
「そうか。じゃあそれまで大人しく待つよ。ところでロウ、さっきの話の続きだが、N
ジャマーキャンセラーを組み込んだMSって、ひょっとして……」
 影太郎は視線をデネブに移した。頷くロウ。
「ああ。お前達が行った後に分かったんだけどな。あの時はマジでびっくりしたぜ」
 だがデネブの性能や武装を考えると、核エネルギーで動いている事には納得できる。
「噂だけど、ザフトじゃ、こいつ以外にも核動力のMSが作られているらしいぜ。しか
も既に実戦で使われているらしい」
「それは凄いな。絶対に敵にはしたくないぜ」
 デネブとの死闘の経験から、影太郎は本心からそう思った。
「で、こいつのNジャマーキャンセラーを使っちゃダメなのか? そうすればプレアが
わざわざ宇宙に行かなくても…」
「ボクもそう思って、導師に連絡しました。でも導師は、宇宙で受け取るMSの物でな
いと駄目だと言ったんです」
 プレアの言葉に、影太郎はマルキオへの疑惑を深める。そのMSにはNジャマーキャ
ンセラー以外にも重大な秘密が隠されているのかもしれない。
「やれやれ。どうやら導師様は、何としても俺達とプレアを宇宙に行かせたいらしい
な。ロウ、どうする?」
「俺は構わないぜ。宇宙ではリーアムも待っているしな」
「そうか。なら決まりだ。虎穴に入らずば虎児を得ず、とも言うしな」
 影太郎はマルキオの思惑に乗る事にした。何が起こるか分からない時は、ひたすら前
に進むべし。それはアルベリッヒ・バーネットの考えであり、影太郎も正しいと思う考
えだった。だから影太郎は進む。闇の中、見えない道を、ひたすらにまっすぐ。
「ははっ、それでこそ影太郎だ。ところで、さっきから気になっていたんだけど、あれ
は何だ?」
 ロウが指差した先には、エウテルペと同じ顔をした少女と、彼女に抱きつかれている
マルコがいた。マルコの目元には隈(くま)が浮かんでいる。
「気にするな。ちょっとカッコつけたオトコノコが、可愛い女の子に四六時中引っ付か
れて疲れ果てているだけだ」
「はー、そりゃ羨ましいねえ。分かった、放っておこう」
 男として当然の反応をするロウに、
「いや、そんな冷たい事を言わないで、ちょっと助けてください、ロウさん、ねえ」
 と泣き付くマルコ。しかしロウの耳には届かなかったらしく、
「よーし、それじゃあ宇宙用装備のチェックをするか。影太郎、面白いジャンクが手に
入ったんだ。お前のB・I・Gアストレイに使えるかもしれないぜ」
「本当か? よし、見せてくれ」
「僕を無視しないでくださいよー。助けてくださいよー」
 無邪気で残酷な男達のやり取り。そして、マルコから離れない少女。何とも奇妙でバ
カバカしい光景である。
「さすがにこの状況にはツッコめないわ。バカバカしすぎて」
 樹里の言葉に、当事者以外の全員が頷いた。



 ユーラシア連邦の宇宙要塞アルテミス。かつてアークエンジェルとザフトの追撃部隊
との戦いや、ロウ達とゴールドフレームの戦いの舞台となり大きなダメージを受けたこ
の要塞も今は修復され、絶対的な防御力を誇る光波防御帯『アルテミスの傘』も復活し
ている。
 地球軍とザフトの決戦が間近となり、緊張が高まる宇宙にあって、この要塞の周辺宙
域は静かだった。基地の司令を務めるロバート・ガルシア少将にとっても、穏やかな
日々が続いて、
「少将、オルティギアから緊急通信です。カナード・パルス特務兵が宇宙海賊のMAと
交戦、追撃し反応をロストさせたとの事です」
「またか……。まったく、あのバカ者は!」
 特務部隊X。ユーラシア連邦のMS開発部隊であり、現在はガルシアの指揮下に置か
れている。この部隊のメンバーはいずれも優秀な兵士だが、唯一人、問題児がいる。腕
は確かなのだが、
「血気盛んにも程があるぞ、あの出来損ないのコーディネイターは!」
 愚痴るガルシアだが、その声は相手には届かない。彼の悩みの種である特務兵カナー
ド・バルスは、アルテミスから遠く離れた暗礁宙域にいた。
 カナードが乗るMSの名はハイペリオン。レインボースターに盗まれたプロトハイペ
リオンの制式機だ。プロトタイプが盗まれた為にデータが不足して開発が遅れていたの
だが、一ヶ月前にようやく完成し、カナードの元に届けられた。
 カナードは慣れない機体のテストとして、アルテミスの周辺に隠れている宇宙海賊の
掃討を勝手に行なっていた。今日も海賊どもを全員始末して、母艦オルティギアに戻る
つもりだったのだが、突然ハイペリオンの操縦席に現れた球体によって、予定を変更。
球体が示した地図に従い、この宙域にやって来たのだ。
 カナードが自軍との通信回線を切ると、球体から声が発せられた。
「もう喋ってもいいぞ。ここなら探知される心配は無い」
「そうか。アルゴス・アイを使っているのなら俺達の仲間らしいが、その声はクルーゼ
じゃないな。誰だ、お前は?」
 聞き慣れない声にカナードは警戒心を高める。幼い頃から実験動物として扱われ、孤
独に生きてきたカナードにとって、他人は敵か味方かの二種類しかいない。ラウ・ル・
クルーゼは彼に道を示してくれた恩人であり、一応味方だと思ってはいるが、それでも
警戒心は解いていない。ましてや初めて聞く声の主など、信用出来るはずが無い。
 しかし相手は、カナードの心を落ち着かせるような穏やかな声で、
「おや、クルーゼから聞いてないのかね? 私の名を。腐り果てた今の世界を滅ぼし
て、新しい世界を作る神の名前を」
「! お前、ダブルGなのか?」
 カナードもさすがに驚いた。クルーゼの亜使徒に過ぎない自分に、ダブルGが直接話
しかけてくるとは思わなかった。
「今回は特別だ。君以外の亜使徒にも直接私の声を伝えている。自分で言うのもなんだ
が、これは異例の事だ。そういうのは私はあまり好きではないのだがね」
 つまり好きでない事をしなければならない程、重要な通信だという事だ。緊張するカ
ナード。彼はクロナ等のようにダブルGを敬ってはいないが、クルーゼからその恐ろし
さと強大さは聞かされている。敵に回す事だけはしてはならない。
「カナード・パルス」
「は、はい!」
 頭を下げるカナード。それに満足したのか、アルゴス・アイの向こうにいるダブルG
は亜使徒の名前を次々と呼ぶ。
「クロナ・ギウム」
「はい。ダブルG、貴方の僕はここにいます」
「ミステリウス・マゴット」
「…………虫、虫、蟲、蟲。うふふ、うふふふふふ」
「いるのならそれでいい。アッシュ・グレイ」
「おお!」
「ミハイル・コースト」
「はっ」
「ロンド・ギナ・サハク」
「ははあっ!」
「ロンド・ミナ・サハク」
「……はっ」
「お前達は多くの亜使徒の中でも、特に秀でた能力を持っている。それを評価して、お
前達に重要な任務を与える。今後、お前達はマクシー・ミガゲノと不動剛馬の配下とな
る。以後はこの二人の命令に従うように」
 ここでダブルGは一息ついた。名前を呼ばれた亜使徒達は虫と遊んでいるらしい一人
を除いて、次の言葉を緊張して待つ。
 そして神が告げた言葉は、
「任務の内容は、ネメシスを守り抜く事。これは如何なる命令よりも優先される、ダブ
ルGからの絶対命令である。たとえ私が死ぬような事があっても、この命令に背く事は
許されない。繰り返す、これは絶対命令である!」

(2007・12/28掲載)
次章へ

鏡伝アストレイ目次へ戻る