第27章
 生と死のアストレイ

 草木一本生えていない、岩と土だけの世界。乾いた風が大地を吹き抜ける。
 人間はもちろん獣や虫さえもいない、生命無き荒野に立つ巨大な人影。MSだ。ダー
クグリーンとダークブルーに塗り分けられたその機体は、頭部にあるV字型のブレード
アンテナといい、二機のカメラアイを宿した顔立ちといい、我々が良く知るMSに酷似
している。かつてオーブという国が他国の侵略から自国を守る為に製造し、歴史の影で
活躍したMS、『アストレイ』と呼ばれる機体に。
 不気味な色をしたアストレイ似のMSの前に、四つの機影が現れた。ザフトの代表的
なMSジンが三機、地球軍が作り上げたものの正式採用されなかった大型MAドグマド
ーが一機。
 ジンは手にした銃を謎のアストレイに向けている。ドグマドーも両腕の巨大な鋏を開
いて戦闘体勢を取っている。
 戦う意志を見せる相手に対し、謎のアストレイの操縦席に座る少年は冷静だった。冷
ややかな眼で四機の敵を確認した後、
「準備OKです。いつでもどうぞ」
 と、淡々と言った。感情がまったく込められていない声に対し、通信機の向こうにい
る者も感情無き声で答える。
「了解した。実弾及び殺傷能力のあるビーム兵器の使用は許可されている。存分に戦い
たまえ。生き残りたければな。健闘を祈っているよ、マルコ・フィオーレ君」
 通信が切られた。それと同時に四機の敵が攻撃を仕掛けてきた。
 マルコは素早く操縦桿を動かす。ジンの銃弾は彼が乗るMSにはかすりもせず、ドグ
マドーの単装砲による砲撃も当たらなかった。
「いい動きだ。今までよりも反応速度が速い」
【うん、マルコの癖に合わせて調整したからね。喜んでもらえて嬉しいよ】
 独り言かと思われたマルコの呟きに、声が返ってきた。先程通信した相手ではない。
電子音声だが、子供っぽい感じのする声だ。
【いよいよ始まったね。ボクも手伝おうか?】
「必要ない。たかが無人機相手にお前の手を借りていたら、これから先の戦いを勝ち続
けるのは無理だ。このデスフレームにも慣れておきたいしな」
【分かった。ボクは見ているだけにするよ。でも気を付けてね。マルコの事は信じてい
るけど……】
「大丈夫だよ。安心して見ていろ、光(コウ)」
【うん】
 光(コウ)と呼ばれた存在は、それを最後に口を閉じた。ちなみにこの会話の間にも
ジンとドグマドーの攻撃は行なわれていたのだが、マルコのMSは全ての攻撃をかわし
ていた。
 このままでは倒せないと判断したのか、敵は戦法を切り替えた。三機のジンが前面に
出て、デスフレームと呼ばれたマルコの機体に襲い掛かる。二機は銃撃、一機は剣によ
る接近戦を挑んできた。
「ふん。機械仕掛けにしちゃ考えたな。でも、単純すぎる」
 デスフレームは背中のバックパックからビームサーベルを抜いた。ビームの刃はジン
の重斬刀をあっさり両断し、そのまま本体も真っ二つにした。
 味方が倒されても。残った敵は攻撃を続ける。感情を持たないので動揺もしない、無
人機らしい動きである。しかしデスフレームも止まらない。腰に着けていたビームライ
フルを手に取り、ビームを連発。二筋のビームは二機のジンの腹部にある動力部を打ち
抜き、地に倒した。
 残るはドグマドーのみ。見るとこの巨大MAは、その背中にある巨大ビーム砲《チャ
ウシェスク》にエネルギーを充填している。三機のジンが戦っている間にエネルギーを
溜めて、ジンもろともデスフレームを打ち抜くつもりだったのだろう。
「ホント、単純だねえ」
 呆れつつもマルコは攻撃に移る。向かってきたデスフレームに対して、ドグマドーは
《チェウシェスク》のビームを放った。《チャウシェスク》のエネルギー充填率はまだ
70%程だったが、MS一機を仕留めるぐらいなら充分すぎる威力だ。
 草が生えていない荒野を抉り、強烈なビームがデスフレームを襲う。しかしデスフレ
ームは逃げない。今までのように攻撃をかわそうとしない。
【えっ!? ちょっ、ちょっとマルコ、危ないよ!】
 驚く光(コウ)とは正反対に、マルコは冷静だった。前から来るビームをしっかりと
見つめるその眼には迷いも揺らぎも無い。ただじっと前を見て、的確な操縦をする。
「見せてみろ、デスフレーム。お前の力を!」
 デスフレームの両腕が前に突き出された。空手の突きのように勢い良く突き出された
その腕は、ブルブルと震えていた。まるで臆病者のように。いや、機械であるMSが怯
える事などない。それに震えているのはデスフレームの『腕』だけだ。その震えはわず
かな間に更に激しくなり、デスフレームは震える両腕で《チャウシェスク》のビームを
受け止めた。
 瞬間、ビームが霧散した。MS一体ぐらいなら瞬時に消し去る程のビームが、デスフ
レームの震える両腕に触れた途端、消えてしまったのだ。
 予想外の事態にドグマドーの電子頭脳が判断を鈍らせる。その隙を見逃すマルコでは
なかった。両腕を振るわせたままのデスフレームを疾走させ、ドグマドーの懐に飛び込
む。ドグマドーは八本の足を動かしてその場から退こうとするが、
「遅いよ」
 デスフレームの拳がドグマドーに叩き込まれた。震える拳はその震えをドグマドーに
も伝え、敵の巨体を激しく揺らす。
 ドクマドーの各所に亀裂が走る。デスフレームの拳からの振動に耐え切れなくなった
のだ。亀裂はわずかな間に大きくなっていき、怪物のようなドグマドーの体をバラバラ
にしてしまった。拳が叩き込まれてからわずか十秒。巨大MAドグマドーの呆気ない最
後であり、デスフレームの完全勝利だった。
 だが、マルコを待っていたのは勝利の栄光ではなく、
【き、君は、な、な、な、何考えてるんだよー!!!!】
 子供っぽい喋り方をするコンピューター光(コウ)からのお叱りの言葉だった。
【あんな強力なビームに真っ向勝負するなんて、君はバカ? バカだったの? ボクは
命知らずのバカと組む事になったの? 嫌だ、そんなの嫌だよー!】
「《ホクト》の実戦テストをしたんだよ。あのシステムの振動がビームに対しても有効
なのは光(コウ)も知ってるだろ?」
【データ上ではね。実験もしたよ。でも実験で使ったビームはあんな凄い威力じゃなか
った! マルコ、無茶しすぎだよ! もし《ホクト》の超絶振動でビームを消し去る事
が出来なかったらボクも君も死んでたんだよ!】
「そうだね。でも僕は信じていたから」
【《ホクト》の性能を? そういえばこれを作ったのは君のお母さんだったね。信じて
るんだ、お母さんの事を】
「………………」
 マルコは答えなかった。その体はわずかに震えていた。



 デスフレームが戦い抜いた荒野に、また新たな機影が現れた。
 MSだ。姿形はデスフレームと同じくアストレイシリーズに酷似しているが、機体の
色はアストレイシリーズともデスフレームとも違う。紫とオレンジという、奇妙な組み
合わせで塗られている。
 この新たなMSの両肩と両膝には、それぞれ丸い排出口が設けられていた。加速や姿
勢制御をするブースター用のものだろうか?
 その他の点ではこの機体はデスフレームとまったく同じだった。背中のバックパック
には二本のビームサーベル。腰にはビームライフル。そして相手も、デスフレームと同
じ三機のジンと一機のドグマドー。ジンが銃を構えるのも、ドグマドーが鋏を広げるの
も同じだった。
 紫とオレンジに塗られたアストレイの操縦席に座っているのは、女の子だった。可愛
らしい顔、大きく開かれた金色の瞳、水色の髪、褐色の肌。かつて歌姫と呼ばれ、多く
の人をその歌で癒した少女と同じ顔だった。いや、皆が知っている姿よりも背は伸びて
いるし、胸も少し膨らんでいる。流れた歳月の中で彼女も成長したのだ。
「ライブフレーム、準備完了です。どうぞ」
 少女は戦いの準備が整った事を伝えた。それを待っていた相手は、通信を送る。
「了解した。実弾及び殺傷能力のあるビーム兵器の使用は許可されている。存分に戦い
たまえ。生き残りたければな。健闘を祈っているよ、エウテルペ・テレプシコーラ君」
「………………」
「おっと、これは君の本当の名前ではなかったね。では改めて、健闘を祈っているよ、
アキ・ミツルギ君。君の親族としてね」
 含みのある言葉を残して通信が切れた。同時に敵MS達が攻撃をしてきた。ジンの銃
とドグマドーの単装砲による一斉射撃がライブフレームを襲う。
 しかし、ライブフレームには当たらなかった。ライブフレームはデスフレームと同じ
ように、いや、デスフレームよりも優雅に、かつ無駄の無い動きで全ての銃弾をかわし
た。その動きは華麗な舞の如し。
 だが、ライブフレームを操っている者の心は、優雅や華麗という言葉とは遠い所にあ
った。彼女の心は怒りと苛立ちで熱くなっていた。
【アキ、心拍数が乱れてるよ。もっとクールにならないとダメだよ】
 ライブフレームの操縦席に人工音声が流れた。少しでもアキを落ち着かせようとする
その声は、デスフレームでも発せられた声だった。
「……うん、分かってる。ごめんなさい、光(コウ)。心配をかけて」
【ううん、分かってくれればいいんだ。意地悪な事を言ったノーフェイスさんが悪いん
だし。アキを受からせたくないのかな?】
「そうかもしれない。でも、私は受かってみせる。絶対に」
【うん、アキなら絶対受かるよ。アキは誰よりも頑張っていたから】
「光(コウ)が私のトレーニングをサポートしてくれたからよ。ありがとう」
【ううん、ボクはトレーニングのプログラムを組んだ…だ……け………】
 光(コウ)の音声がおかしくなった。途切れ途切れとなった後、再び発せられた声は
今までとは感じが違うものだった。
【ちっ、バカどもが。のんきにお喋りやってる場合じゃないだろ。今がどういう状況な
のか分かってるのか?】
 乱暴な口調になった光(コウ)に、アキは冷静に対応する。
「分かっているわ、闇(アン)。さっきから攻撃は全てかわしているわよ」
【かわしてるだけじゃダメだ。戦いってのは、こっちを殺そうとしている敵を殺さない
限り終わらないんだぜ】
「それも分かってる。今から攻撃に移るわ。闇(アン)が手伝ってくれれば簡単に終わ
るんだけど」
【嫌だね。俺は光(コウ)みたいなお人好しじゃない。俺は俺の為にしか戦わない。そ
れにあの程度の連中、お前一人で充分だろ。俺は高見の見物をさせてもらう】
「そう。じゃあそこでじっくり見てて。私とライブフレームの戦いを」
 アキがそう言うまでも無く、戦いは更なる展開を迎えていた。逃げ続けるライブフレ
ームに業を煮やしたのか、それとも恐れるに足らずと判断したのか、敵が一気に襲い掛
かった来たのだ。三機のジンは銃を連射。ライブフレームが逃げようとすると、その方
向に銃を撃つ。ライブフレームの動きは完全に読まれている。
【ふん、動きが読まれているな。これだから実戦経験の少ないガキは…】
「闇(アン)だってまだ子供レベルでしょう。経験はこれから積むわ」
【経験積む前に殺されると思うぞ。ほら、来たぜ】
「!」
 三機のジンの攻撃に気を取られていたアキは、もう一機の敵、ドグマドーの接近に気
付かなかった。ドグマドーの巨腕が唸りを上げる。蟹の鋏を思わせる形状をした超振動
クラッシャー《ゴトビナ》がライブフレームの左腕を狙う。
「……」
 口を閉じたまま、アキはライブフレームを最高の速度で動かした。その素早い反応に
よって致命的な一撃は避けられたが、攻撃を完全に避ける事は出来なかった。《ゴトビ
ナ》の鋭い爪がライブフレームの左腕を抉り、大きな傷を作ってしまった。
 アキは直ちに左腕のシステムチェックをする。どうやら動力系統を壊されたらしく、
ライブフレームの左腕はまったく動かない。四対一という不利な状況の上、片腕で戦わ
なければならなくなった。
【やれやれ、これは本気でヤバいみたいだな。俺はサヨナラさせてもらうぜ】
 逃げ腰な闇(アン)とは正反対に、アキはまったく動じていなかった。口元には笑み
さえ浮かべている。
 ドグマドーは距離を取り、背部にあるビーム砲《チャウシェスク》を展開した。そし
て三機のジンがライブフレームを取り囲み、逃げ道を塞ぐ。ジンもろとも《チャウシェ
スク》で止めを刺すつもりだ。
「無人機らしい効率的な戦法ね。勉強になるわ」
 どこまでも冷静なアキに対し、三機のジンはじりじりと距離を詰めてくる。そしてジ
ンとライブフレームの距離が目前にまで縮まった時、《チャウシェスク》からビームが
放たれた。強烈な閃光がライブフレームと三機のジンを飲み込む。
 この一撃で決着はついたと思われた。しかし、閃光が消えても一機だけ大地に立って
いた。ライブフレームだ。迂闊に近づいてきたジンの一機を盾にして身を守ったのだ。
それでも完全に防げた訳ではない。ビームの熱によって機体の各所が溶かされており、
立っているのが不思議なくらいの惨状だ。
 操縦席の中も酷い有様だった。計器はひび割れ、各所から火花が飛び散っている。ア
キもノーマルスーツを着ていたので無事ではあるが、顔は死を間近にした恐怖で引きつ
っている。だが、
「……勝ったわ」
 彼女の闘志は折れていなかった。折れるはずがない。この結果は全て彼女の予定どお
りなのだ。
 ライブフレームの両肩と両膝の排出口から、銀色の煙が流れ出した。煙はライブフレ
ームを包み込み、傷口を塞いでいく。まるで人間の傷が癒える時のように、いや人間以
上の速度でライブフレームの傷は治っていく。操縦席も同様で、機体の内部にも流され
た銀色の煙の恩恵によって、わずか十数秒で完璧に修復された。ライブフレームはビー
ムを受ける前の状態に戻った。
 計算外の事態にドグマドーの人工知能は混乱した。ドグマドー最強の武器《チャウシ
ェスク》は強力なビーム砲だが冷却システムに欠陥があり、一発撃った後は五分間の冷
却期間が必要である。アキはその弱点を知っており、それを付く作戦を行なったのだ。
「どんなに酷い傷を受けても《デミウルゴス》が無事なら、ライブフレームは修理して
復活する事が出来る。一撃で全部吹き飛ばされたら直せないけど、これでもう怖い物は
無いわ」
 唯一にして最大の脅威である《チャウシェスク》は封じた。あとは勝つだけだ。ライ
ブフレームはビームライフルを持ち、ドグマドーの額に向けて引き金を引いた。《チャ
ウシェスク》から放たれたものよりは細いが、それでも強力なビームがドグマドーの体
を貫いた。中枢のシステムを撃ち抜かれたドグマドーは八本の足を伏して、動かなくな
った。
【勝ったか。けど、ギリギリだったな。初の実戦ではこんなものか。いや、やっぱり酷
い戦い方だな。奴のビームで、修復用のナノマシンを作る《デミウルゴス》が壊された
らどうするつもりだったんだ?】
 アキの未熟な戦い方を攻める闇(アン)。確かにアキの戦い方は無謀すぎた。ライブ
フレームの性能に頼り切っており、機体の中にある《デミウルゴス》が壊されていたら
死ぬかもしれなかったのだ。しかしアキは、
「いいのよ、これで。この戦いで色々な事が分かったわ」
【ほう、何が分かった? お前が未熟で弱い事か?】
「ええ。そしてライブフレームの力。ビームライフルを撃つ時、引き金を引く指の反応
速度が下がっていたわ。データどおり、ナノマシンを作った後は少し動きが鈍くなるみ
たいね。ナノマシンを作るのにかなりエネルギーを使うし、問題はあるけど、それでも
このMSは強いわ。そしてもっと強くなる。私も含めてね」
 自信に満ちた声で答えるアキ。ふと、このライブフレームの兄弟機を与えられた男の
事を考える。
「闇(アン)、マルコは合格したのかしら?」
【さあな。合格していたらどうするんだ? 祝電でも送るのか?】
 からかうように尋ねる闇(アン)に、アキは冷たい声で答える。
「戦うのよ。それが私の選んだ道だから」



 ダブルGの暗躍とその滅亡によって終焉した戦争、後に第一次C.E大戦と呼ばれる
戦いから二年。世界は未だ混乱の中にあった。
 盟主アズラエルを失った後、地下に潜伏したブルーコスモス。ナチュラルへの憎しみ
を捨てられぬザフトの軍人達によって結成されたリ・ザフト。この二大組織による反政
府テロだけでなく、戦争で使用された武器やMSが闇の市場に流れ、それを悪用した事
件も続発。崑崙党など既存の犯罪組織までもがMSを所有するようになり、人々の生活
を脅かしていた。
 南米の独立戦争は終わったものの、アジアや中東では横暴な政府からの独立を求める
人々と政府軍の衝突が激化。戦争の種を蒔いたダブルGがいなくなっても、人々は戦う
事を止めなかった。
 時はコズミック・イラ73、4月10日。第二次C.E大戦が始まる狼煙となったニ
ューヨークでの戦いが起こる三ヶ月前。マルコ・フィオーレとアキ・ミツルギの壮絶な
戦いが始まろうとしていた。



 メレア・アルストルの居城にある『謁見の間』。玉座に座るメレアと、その隣に立つ
仮面の男ノーフェイスの前には、二人の人物が膝を付いていた。
「マルコ・フィオーレ。アキ・ミツルギ。七次試験、合格おめでとう。心から祝福する
よ」
 メレアから賞賛の言葉を貰い、二人は頭を上げた。だが、マルコもアキも喜んではい
なかった。この合格は、新たな試練の始まりでしかないのだ。
「七次試験、MSの操縦と戦闘を課題にしたテストに合格したのは君達だけだ。他の奴
らはデスフレームやライブフレームを乗りこなせず、負けたり吐いたり……。あんなの
が七次試験まで残るなんて、この試験のシステムには問題があるのかもしれないね。終
わったら見直さないと」
「はっ。ですがメレア様、今は…」
「分かっているよ、ノーフェイス。過酷な試験を勝ち残ったこの二人に、ご褒美を上げ
ないとね」
 そう言ってメレアは玉座から立ち上がった。子供の背丈しかないメレアは、椅子から
降りても背の高さは変わらない。しかし、その赤い瞳から放たれる威圧感は増した。冷
酷さと同時に暖かさを感じさせる矛盾した瞳が、二人の合格者の顔を見る。
「マルコ・フィオーレ。我が組織の中でも指折りの優秀な科学者、カテリーナ・フィオ
ーレの息子。長きに渡って僕に仕えてきたフィオーレ家の若き当主。母と家の名に恥じ
ぬ忠誠と健闘を期待してもいいのかい?」
 意地悪そうに尋ねるメレアに、マルコは深々と頭を下げて宣言する。
「はい。我が知恵、我が力、我が命、全ては大総裁メレア・アルストル様の為に。マル
コ・フィオーレの名に誓って、メレア様に永遠の忠誠を誓います」
 一切の迷い無く、マルコはそう答えた。凛とした声と、輝く青い瞳。そして堂々とし
た態度。まだ十三歳の少年ではあるが、伝統あるフィオーレ家の当主として相応しい姿
だった。
 この忠誠の言葉に対して、メレアはニッコリ笑って、
「嬉しい事を言うね。でも、言葉だけじゃ駄目だよ。君の忠誠はこれからの働きで証明
してもらうからね」
「はっ。何なりとご命令を」
 再び頭を下げるマルコ。メレアはマルコの隣で膝を付く少女に眼を向ける。
「アキ・ミツルギ。我が側近ノーフェイスの遠縁の娘にして、エウテルペ・テレプシコ
ーラの名を持つ少女よ。戦いを知らぬ世界からここまで登ってきたその成長には、僕か
らも敬意を表する。これからも君の成長を期待してもいいのかい?」
 再び意地悪そうに尋ねるメレアに、アキはマルコのように深々と頭を下げて、
「はい。未熟極まりないこの身でどこまで登れるのかは分かりませんが、命ある限り自
分を磨き続ける事を誓います。偉大なる大総裁メレア・アルストル様の為に」
 と宣誓した。二年前、ある悪魔のような男の手によって顔を変えられた上に心まで壊
され、言葉を発する事さえ出来なかった少女はもういない。今のアキはマルコと同じ、
いや彼を上回る程の意志と決意を秘めていた。それが彼女を強くしている。
 アキの強い眼を見たメレアは、ニッコリと微笑んだ。面白そうな玩具やゲームを見つ
けた子供のような笑みだった。
「結構、結構。二人とも、まだまだ僕を楽しませてくれそうだ。最終試験も期待してい
るよ」
 メレアは再び玉座に戻った。メレアが椅子に座ると共に、ノーフェイスが説明を始め
る。
「改めて言うが、この試験は、我が組織の最高幹部を選抜する為の試験である。メレア
様の右腕となる最高幹部に相応しい頭脳と肉体、そして難局を乗り越える為の様々な技
術を持っているかどうか、試験という形で見させてもらった。七次試験まで残った二
人、マルコ・フィオーレとアキ・ミツルギはいずれも最高幹部に相応しい力量の持ち主
である。だが、最高幹部の椅子は唯一つ。より優秀な者がその椅子に座れる。どちらが
より優秀なのか、君達にはそれを決める為の最終試験に挑んでもらう。だが、この試験
の厳しさは今までの試験の比ではない。二人とも、覚悟はいいな?」
 ノーフェイスに言われるまでもない。マルコもアキも、最終試験に挑む為にここまで
来たのだ。
「よろしい。では最終試験のルールを説明しよう」
 マルコとアキにはそれぞれ一隻の艦と、一機のMSが与えられる。二人はそれぞれ艦
に乗り、世界中を旅する。
「君達の艦は、表向きにはエンキドゥ・カンパニーが闇ルートで手に入れた中古の艦と
いう事になっている。かなり金を使ったが、各国政府に航行の許可は取ってある。世界
中どこへ行くのも自由だ。地球を飛び出し、月やプラントに行ってもいい。面倒な手続
きは全てこちらでしておこう」
 国境に縛られる事なく、武装した艦で世界中を自由に旅する。これは世界中の人々か
ら信頼されているディプレクターでも困難な事だ。裏表問わず全世界にネットワークを
張り巡らせているメレアの組織だからこそ出来る偉業である。
「もちろん、ただ旅をするだけではない。君達にはある時期に合流してもらい、MSで
戦ってもらう」
 この戦いは三回行なわれる。基本的には二勝した方が勝ちだが、戦いの内容によって
は三回目の戦いを行なう事になる。その判断はメレアに委ねられている。
「つまらない戦いはしないでほしいな。僕は退屈するのが嫌いなんだ」
 そう言うメレアの態度からは、彼の真意は掴めない。全てはメレアの気分次第という
事だろうか。
「君達が強くなる為ならば何をしてもいい。ザフトや地球軍、ディプレクターと戦って
経験を積むのもいいだろう。後始末はこちらでしておこう。好きにやりたまえ」
 面倒な戦闘の後始末までしてくれるとは、至れり尽くせりである。だが、これはメレ
アの組織にとっても楽な事ではない。この親切に見合うだけの戦いをしなければならな
いという無言のプレッシャーが、マルコとアキを襲う。
「あと強い仲間を集める事を薦めておく。君達の戦いは一対一で行なわれるとは限らな
いからね」
 組織の最高幹部となれば、個人的な賢さや武勇だけでは勤まらない。優秀な人材を集
める能力や、集めた人材を使いこなす能力も問われる。この最終試験はそれも試すのだ
ろう。
「仲間の人数に制限は無いが、我々の組織の存在を知られてはならない。組織の事が外
に知られた場合、即失格となる。口の堅い人間を仲間にするように」
 これは当然だろう。メレアの組織は人間の長い歴史の裏で暗躍してきたが、それは徹
底的な秘密主義によって組織の存在を隠し、表の世界から警戒されなかったからだ。コ
ズミック・イラという時代になっても、組織は表の世界には知られていない。その栄光
と暗躍の歴史を絶やすような愚か者が最高幹部になれるはずがない。
「ルールの説明は以上だ。君達が戦う時、戦う場所はこちらから報せる。その時までは
君達を縛るものは無い。自由に行動し、強く、賢くなりたまえ。大総裁メレア・アルス
トル様の為に」
 ノーフェイスの説明は終わった。自由ではあるが過酷な最終試験の内容にマルコとア
キは戦慄し、メレアは微笑んでいた。



 メレアへの謁見を終えたマルコとアキはノーフェイスに案内され、城の地下にある格
納庫にやって来た。広大な格納庫には二機のMSが並び立っており、その後ろには二隻
の宇宙戦艦が着地していた。MSは七次試験でマルコとアキが乗ったデスフレームとラ
イブフレームだが、戦艦は二人とも見た事が無い物だった。
「デスフレームはマルコに、ライブフレームはアキに与えよとの御命令だ。二人ともそ
れぞれの機体の特徴を引き出した戦いをしたな。メレア様は大変満足している。今後も
頑張りたまえ。そうすれば機体は必ず応えてくれる」
 含むような言葉を送るノーフェイス。それから二隻の戦艦を指差し、
「乗る艦だが、これは君達の意志で選びたまえ。艦長も既に乗っている。自分と苦楽を
共にする艦と艦長だ。自分で選ぶのが一番良いだろうというメレア様のお心遣いに感謝
したまえ」
「…………」
「…………」
 マルコもアキもノーフェイスには返事をせず、二隻の戦艦を見る。黒い艦と青い艦、
どちらも特徴的な艦だった。
 黒い艦は地球連合のアークエンジェル級に似ている。しかし艦首の両舷から前方に突
き出されたMSハッチはアークエンジェル級のように折れ曲がっておらず、直線的な形
状になっている。通信アンテナなどの細部も違っており、アークエンジェル級を元にし
て作られた新型艦のようだ。
 青い艦の方は、何ともおかしな艦だった。形状はメレアの組織で使っているオケアノ
スという輸送艦に似ているが、かなり改造されているらしく、武装も整っている。そし
て艦の正面には、まるで一角獣のような巨大な角がある。長く鋭いその角は、無駄なよ
うにも見えて、どことなく哀愁も感じさせる武装だった。
「黒い艦の名はアークロイヤル。青い艦の名はユニコルン。どちらも優れた性能を誇る
艦だ。連合やザフトの艦を相手にしても、充分に戦えるだろう」
 自慢するように言うノーフェイス。この男はこういう時には嘘は言わない。どちらも
いい艦というのは本当なのだろう。
 だとしたら選ぶ基準は、艦と自分が乗るMSの相性だ。マルコのデスフレームは《ホ
クト》による絶対的な破壊力を拳に宿した、接近戦を得意とするMSだ。敵陣に切り込
み、最前線で戦う事になるだろう。それならば、
「私が先に選んでもいいかしら?」
 考えるマルコにアキが問う。どうやら彼女は既に選んだようだ。先を越されたのは悔
しいが、
「ああ、どうぞ」
 マルコはアキに順番を譲った。レディファーストを気取ったのではない。アキがマル
コ並に賢ければ、彼女が選ぶ艦は分かり切っている。それはマルコとデスフレームには
適さない戦い方をする艦、
「私はアークロイヤルに乗るわ。いいわね?」
「構わないよ。僕はユニコルンを選ぶつもりだったからね」
 接近戦を得意とするデスフレームには、同じく敵陣に切り込む力に長けたユニコルン
に乗る方が適している。そしてナノマシンによる修復能力以外は平均的な武装しかない
ライブフレームは、同じく平均的な性能のアークロイヤルに乗るべきだ。
 マルコがこう思ったとおり、アキはアークロイヤルを選び、マルコの望んだ結果にな
った。しかしマルコは喜ばなかった。これはつまり、アキがマルコと同じ見識を持って
いるという事であり、油断ならない強敵だという証明だからだ。
 恐るべき敵を見つめるマルコ。アキもマルコを睨む。二人とも冷たい眼をしている。
「次に会うのは最初の試験ですね」
「ええ。お互い、力を尽くして戦いましょう。そして勝つのは私。あなたに勝つのはこ
の私、アキ・ミツルギよ」
「そうはいかない。僕は負けられないんだ」
 マルコはデスフレームを見上げた。かつて共に戦ったジャンク屋や傭兵、そしてあの
少年が乗っていたMSと良く似た機体である。懐かしささえ感じるが、デスフレームを
見るマルコの眼は冷たいままだった。
「必ず勝つ。必ず……!」
 そう呟きながら、艦に乗り込むマルコ。その後ろ姿をアキはじっと見送った。その眼
は先程までの冷たいものではなく、優しさと暖かさ、そして哀しみを感じさせる眼だっ
た。



 ユニコルンの艦橋にやって来たマルコを出迎えたのは、懐かしい男だった。
「ふっ。久しぶりというべきかな? 主に捨てられ、落ちぶれたサムライ崩れの艦へよ
うこそ。小僧、歓迎するぞ」
 そう言って不動剛馬は、歯を見せながら笑った。この男らしい、豪快な笑顔だった。
 二年前、ダブルGの使徒としてマルコ達と戦った気高きサムライは、マルコの艦の艦
長として現れた。しかし彼は二年前のままではなかった。手には刀ではなく一升瓶を持
っており、吐く息も酒臭い。
「未成年には毒だが、今の俺にとっては極上の甘露だ。許せよ、小僧。ふはははははは
はははははは!」
 大笑いする剛馬。どうやら既に酔いが回っているようだ。
 マルコは心の中でため息をついた。もしかしたら自分は最悪の選択をしてしまったの
かもしれない。しかし、もう後には戻れない。この艦とこの酔っ払いと一緒に戦うしか
ないのだ。
『そう、戦うしかないんだ。そして必ず勝つ。アキ・ミツルギに、あいつに……!』
 一方、アークロイヤルの艦橋に来たアキも自分の選択を後悔していた。彼女と共にマ
ルコと戦うはずのアークロイヤルの女艦長は、アキの顔を見た途端、
「うううううううう、うわあああああああああああん、どうして、どうしてマルコじゃ
ないの? マルコはあっちの艦に乗ったの? どうして、どうしてなのよ。どうして、
どうして……はっ! まさかマルコは私の事が嫌いになったの? だから私の艦を選ば
なかったのね。そんな、そんなのって、うわあああああああああああああん!!!!」
 と、泣きじゃくっているのだ。アキはため息をついて、女艦長を慰める。
「カテリーナさん、マルコがあっちの艦を選んだのは戦いに有利だからです。マルコは
あなたの事を嫌っていませんよ」
「うっ……。グスッ、そ、それ、ホントなの?」
 アキの言葉を聴いて、マルコの母カテリーナは、ようやく涙を止めた。この機を逃さ
ず、アキは畳み掛ける。
「ええ。私達、それぞれの艦に誰が乗っているのかはまったく知らされてなかったんで
す。もし知っていたら、マルコは絶対にこっちの艦を選んだはずです。マルコはカテリ
ーナさんの事を大切に思っていますから」
「そ、そうね、マルコが進んで私を敵にするはずがないわ。でも結局マルコは敵になっ
ちゃったのよね。ああ、私、どうすれば……」
「メレア様にお願いして、艦長を変更してもらったらどうですか?」
「無理よ。私にこっちの艦に乗るように命令したのはメレア様なんだから。あの方の決
めた事には逆らえないわ」
 アキは再びため息をついた。恐らくこれはメレアの悪ふざけだろう。メレアはマルコ
がユニコルンを選ぶだろうと予測していた。そしてカテリーナをアークロイヤルの艦長
にして、マルコには自分の意志で艦を選ばせた。仲のいい親子が争そう事になってしま
ったが、これはマルコが選んだ結果だと思わせて、二人の心を弄んでいるのだ。
 アキの心に怒りが込み上げてきた。心を踏みにじられる痛みや苦しみは、アキは誰よ
りも良く知っている。だから許せない。人の心を踏みにじる事を喜ぶ卑劣な悪魔も、踏
みにじられても泣いているだけの弱虫も。
「カテリーナさん」
 アキはカテリーナの手を握った。
「私に力を貸してください。私はマルコに勝ちたいんです」
「で、でも、私はマルコとは……」
「この試験にマルコが勝ったら、あの人は不幸になります。ううん、もう成りかけてい
るんです」
「えっ!?」
 カテリーナの顔付きが変わった。息子の将来を案じる母親は、息子の結婚相手だと認
め、息子の次に信頼している少女の言葉に耳を傾けた。



 夜の闇の中、アークロイヤルとユニコルンが天空に向かって飛び立つ。二隻の艦はし
ばしの間だけ共に飛び、それぞれ違う方向へと去っていった。
 居城のテラスからその光景を見ていたメレアは、隣に立つノーフェイスと話す。
「行ったね」
「はい」
「いよいよ始まったか。世界レベルの手間とお金と時間をかけた、最高の前夜祭が」
「前夜祭にしては少々…」
「手が込みすぎているって言いたいんだろ? 確かにそうだけど、これから始まる本祭
の規模を考えれば、これでもまだまださ。本祭はこの世界を大きく揺るがす程のビッグ
イベントなんだからね」
 確かにメレアの言うとおりだ。本祭、いや『ゲーム』が始まれば、世界はそれに注目
せざるを得ない。その傍らでマルコ達の前夜祭は進められ、それが終わる頃には世界は
大きく変わるはずだ。
「この騒がしき世界に静かなる福音を。あの二人の試験も、六機のガンダムによるバト
ルも、全てはグランドクロス・プロジェクトを完成させる為の布石に過ぎない。その為
の準備は終わっているんだろうね?」
「はっ。マティス殿には偽情報を流してあります。プラントや各国の諜報部、ディプレ
クターにも、それとなく」
「OK。これで前夜祭も盛り上がるだろうね。例の連中については?」
「残念ながら。マティス殿の情報網でも詳細は掴めておりません。この二年間、目立っ
た動きもありませんし。あの男が関わっているのは確かなのですが、尻尾を掴ませませ
ん」
「ふん。アンドレイ・ロマノフか。二年前に崑崙党の最高幹部『十仙』に入れてもらっ
たばかりなのに、今では十仙の第三位か。キレ者だよ。ダブルGも厄介な奴を残してく
れたねえ。けど…」
 メレアは夜空を見上げて、ニヤリと笑う。自らの勝利を信じて疑わない、傲慢な人間
の笑みだ。
「最後に勝つのはこの僕、メレア・アルストルだ。そして僕が勝ったその時、人類の歴
史も変わるのさ。愚かな人類が創った愚かな世界を壊し、心地よい新たな世界を創り、
与えてやろう。僕は神さえ創り出す新世界の主、創世主メレア・アルストルだ!」
 人の域を超える程の傲慢と増長。しかし、この男はそう思うだけの資格はある。二百
年という長い時を生き続けて、人類の愚かさを見てきたこの男、メレア・アルストルに
は。



 ユニコルンの艦橋。ここには、いや、この艦にはマルコと艦長の剛馬しか乗っていな
い。アークロイヤルもだが、この二隻の艦は組織が作った高度なコンピューターを搭載
しており、それによって無人艦に近い操縦性を備えている。艦内の設備も全てオート化
されており、掃除や料理、洗濯も全てコンピューターがやってくれるのだ。
 しかし艦の行き先は人間が決めなければならない。そして行き先を決めるのは、この
二隻の艦に限り艦長ではなく、
「マルコ。それでどこへ行くんだ?」
 酒臭い息を吐きながら問う剛馬に、マルコははっきりした声で答える。
「北へ。強い敵と戦う為に」
 そしてアークロイヤルでも、
「アキちゃん、まずはどこへ向かうの?」
 と質問するカテリーナに、アキが答える。
「南へ向かってください。会いたい人達がいるんです」
 行き先を決めた二隻の艦は、それぞれの場所を目指す。再び出会うその時、死力を尽
くして戦う為に。勝つ為に。

(2008・4/12掲載)
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