第29章
 報われぬ愛の為に

 中東の砂漠地帯に、小さな町がある。古くから商人達による自治によって栄えてきた
町で、二年前の大戦でも連合にもザフトにも属さず、中立を貫いた。
 位置的にはユーラシア連合の領地となるのだが、商人達はこの町で定期的に開催され
ている市(バザー)の収入の一部を政府に納める事で自治を保った。戦後に組織化され
たジャンク屋組合の協力もあり、町は今日も賑わっている。
 バザーまであと数日。各地から商人やジャンク屋達が集まり、商売の準備を始めてい
た。しかし物と金が集まれば、必ずそれを狙う者がいる。コソ泥程度なら町の自警団で
何とか出来るが、
「敵襲! 敵襲ーっ!」
 町に備えられたサイレンが鳴らされ、人々は避難する。急報のとおり、町には敵が迫
っていた。砂漠専用ジンことジン・オーカーが五機とバクゥが五機、合わせて十機のM
S群だ。
 二年前もこの町は謎のMS群に襲われ、大騒ぎになった。だが、今は違う。
「あの動き、単なる盗賊じゃない。どうやらザフト地上部隊の生き残りみたいだね」
 青い改造バスターダガーに乗るフィア・スカーレットが、敵の正体を推測する。
「では、リ・ザフトでござるか? 宇宙で手痛い目に合ったと聞いているが、まだ懲り
ていないようでござるな」
 ストライク撃影の操縦席に座る宮城夏は、呆れてため息を付く。
「いえ、あれはリ・ザフトの正規部隊ではないと思います。この辺りには二年前に宇宙
に戻れず、リ・ザフトにも合流し損ねた元ザフト兵がいるそうですから」
 ケンタウロスに乗るユナ・シュペルダートが情報を提供する。彼女の本業はMSの整
備士だが、戦力不足と万が一という事を考えて、MSケンタウロスに乗っている。
 二年前は純粋な戦闘用MSだったケンタウロスは、最新のOSを組み込み、情報処理
能力を上げて、偵察・戦力分析用のMSとして生まれ変わった。これなら戦闘が得意で
はないユナでも活躍できる。
「ふうむ。つまりテロリストなどではない、単なる盗賊でござるか」
「はい。町長さんの読みどおり、この町に集まっているお金と物資を狙ってきたんだと
思います」
「つまらないコソ泥相手か。今回の仕事も楽しめそうにないわね」
「楽しむとか楽しめないとか、そういう問題じゃないです。受けた仕事は必ずやる。そ
れが傭兵のお仕事のルールです。私も頑張りますから、盗賊退治のお仕事、きっちりや
りましょう!」
 気合を入れるユナ。戦う気満々だ。本業ではないとはいえ、彼女もこの二年間でそれ
なりの経験を積んでおり、兵隊崩れの盗賊などには負けないだけの腕は持っている。
「いやいや、ユナ殿の手を煩わせるまでもないでござる。ここは拙者達だけで充分。な
あ、フィア殿?」
「もちろん。五分で片付けるから、ユナはランチの準備でもしておいて。それじゃあ、
やるわよ」
 そう言うと同時に、フィアは乗機の銃の引き金を引いた。連合が開発した砲撃戦用M
Sバスターダガーの改造機、バスター・B(ブルー)ダガー。当然、砲撃を得意として
おり、それに凄腕の傭兵であるフィアの腕も加わるのだから、
「はい、一機撃沈」
 両肩の3連装ミサイルポッドから放ったミサイルで、あっさりとジン・オーカーを一
機仕留めた。続いて両腰にある350mmガンランチャーと94mm高エネルギー収束火線
ライフルを連発して、バクゥを二機撃破。
「あと七機か。夏、三機任せるけど、いい?」
「構わぬでござるよ。見物だけというのは退屈でござるからな」
 夏のストライク撃影が、腰に下げている刀を掴む。そして鞘から小太刀《タイガー・
ピアス》を抜き、その美しい刀身を砂漠の日の下に晒す。
 ジン・オーカーがキャットゥス500o無反動砲や37.5ミリ極超高初速ライフル
で遠距離から攻撃してくる。しかしバスター・Bダガーは全ての弾をかわし、撃影はミ
ラージュコロイドを展開して姿を消してしまった。バクゥも背中の砲やミサイルポッド
で攻撃するが、
「そんなヘナチョコ弾に当たると思っているの? 『スナイパー殺し』は伊達じゃない
のよ!」
 優秀なスナイパーであり、自分に迫る弾に対して恐ろしく敏感なフィアは、遠距離か
らの攻撃は全てかわしてしまう。敵スナイパーにとっては最も仕留め難い相手だ。前大
戦でザフト兵として戦場に出て以来、一発も当たっていない。その記録は今この瞬間も
更新されている。
「はい、二機仕留めた」
 フィアは一見気楽そうな、だが決して気を抜かず、敵を正確な射撃で撃ち抜く。ジ
ン・オーカーを二機撃破。続いて最後のジンとバクゥを一機、両腰の砲であっさり仕留
めた。
 しかし敵の動きも早い。残り四機のバクゥが最高速度で突っ込み、バスター・Bダガ
ーの懐に飛び込もうとする。
「あらら、随分と近づかれちゃったわね」
 そう言うフィアだが、まったく焦ってはいなかった。
 煌く剣閃。同時に二機のバクゥの首が落とされ、足も全て切断された。動けなくなっ
たバクゥ二機は砂漠の砂の中に倒れる。
「やれやれ。少しの間、姿を消したぐらいで拙者の事を忘れるとは……。盗賊ども、未
熟すぎるでござるな」
 ミラージュコロイドを解除して、ストライク撃影が現れた。突然現れた敵に対して残
り二機のバクゥは左右に飛び、距離を取ろうとするが、
「逃がさないでござるよ」
 撃影は左腕のピアサーロック《グレイプニール》を飛ばした。《グレイプニール》の
黄色く力強い爪が、左に飛んだバクゥの腹を掴んだ。捉えた敵機の体を撃影は《タイガ
ー・ピアス》で両断する。
「終わったでござる。ユナ殿、何分かかったでござるか?」
「三分十八秒。いつもながら鮮やかですね。さすが夏さん」
「いやいや、拙者などまだまだでござる。世界は広い。上には上がいる。もっと精進を
重ねないと…」
「ちょっと、あんた達。私を助ける気は無いの?」
 フィアが文句を言うが、
「拙者は三機だけでいいと言ったのは、フィア殿でござる。それに、もう助ける必要は
ないでござろう?」
 夏の言うとおりだった。最後のバクゥはバスター・Bダガーのビームサーベルによっ
て腹を貫かれていた。フィアは接近戦の腕もなかなかなのだ。
「これで仕事は完了でござるな」
「まだよ。バザーまではこの町を守る契約なんだから」
「今回の襲撃は偵察でしょうね。一番危ないのは、町に一番お金が集まる日、バザーの
当日ですね。二人とも、気を抜かないでくださいね」
「うむ、承知しているでござる」
「分かっているわよ、ユナ。仕事はきっちりやるわよ」
 心強い返事をする二人。そんな二人を頼もしく感じるユナだったが、
「!? ケンタウロスのレーダーに反応、MSです! 数は一、機種や所属は不明!」
「おや。もう来たでござるか?」
 首を傾げる夏。偵察とはいえ、十機ものMSを失ったのに、まだ戦力を送り込む余裕
があるとは。
「たった一機で来るなんて、随分といい度胸しているじゃない。それとも、ただのバカ
かしら? お腹も空いてきたし、さっさと片付けましょう」
「あ、ま、待ってください、フィアさん。相手から通信です」
 ユナは通信回線を開く。夏とフィアも警戒しながら回線を開くと、
「こちらアキ。夏さん、フィアさん、ユナさん、聞こえますか? シャドウ・セイバー
ズの皆さん、こちらはアキ……」
 それは二年前に別れた時以来に聞く声。短い間ではあったが、共に過ごした少女の声
だった。



 砂漠の町の側には、ザフトの陸上戦艦ピートリー級が停泊している。『砂漠の虎』バ
ルトフェルドが乗っていたレセップス級よりは小さいが、二年前の大戦ではレセップス
級に従属して活躍した陸上戦艦だ。
 二年前に連合の攻撃で大破して破棄されたのだが、戦後にジャンク屋組合が回収して
修復。蘇ったこの艦を夏達が購入し、チームの母艦にしていた。艦の名は、
「マイ・ホームですか。なるほど、そんな雰囲気のする艦ですね」
 艦にやって来たアキは、そう言ってくれた。確かに彼女の言うとおり、艦の中は優し
く暖かい雰囲気が漂っている。清掃も行き届いており、戦艦と言うより家に招かれたよ
うな気になる。
「ありがとう。それでアキちゃん、私達に何の用? 二年前の別れの挨拶の続き?」
「いいえ、フィアさん。今日は皆さんにお願いがあって来ました」
「お願い? 何かしら。私達も暇じゃないんだけど」
「知っています。皆さんの噂は聞いていますから。マルコも皆さんのご活躍には、注目
していました」
 そう言ってからアキは、夏の顔をチラリと見る。しかし夏は気付かず、
「そういえばマルコ殿は一緒ではないのでござるか? アキ殿とはあんなに仲が良かっ
たのに…」
「な、夏さん」
 ユナが夏の服の袖を引っ張る。フィアも呆れてため息を付く。
「夏、あんたちょっと察しなさいよ」
「?」
「なるほど。夏さんはそちらの方は進歩していないみたいですね」
「見事なまでにね。イライジャとの中も進展無しよ」
「フィ、フィア殿、どうしてここでイライジャ殿の名前が出てくるのでござるか! 関
係ないでござろう!」
「関係あるわよ。それが分からないから、あんたは……はあ、まあいいわ。それでアキ
ちゃん、私達への頼みって何?」
 話が元に戻り、アキも気を取り直す。三人の顔を見た後、頭を下げた。
「お願いします、私に力を貸してください。私と一緒にマルコと戦ってください」
「えっ?」
「…………!」
「え、ええっ!?」
 フィア達三人は驚いた。アキがマルコと戦うなど、絶対にあり得ない事だと思ってい
たからだ。驚く三人にアキは更に、
「私はあの人に勝ちたい。いいえ、勝たないとダメなんです。だから力を貸してくださ
い。宇流影太郎の意志を継ぐ女傭兵部隊、シャドウ・セイバーズとして」



 シャドウ・セイバーズ。
 二年前、宇流影太郎という少年を中心に結成されたジャンク屋のチームである。しか
しそれは仮の姿。チームの本当の目的は、世界の影で暗躍する悪を討つ事。影太郎の命
が尽きるその日まで、彼と共に戦うと誓った者達の集まり。
 しかし、彼らの戦いは突然終わった。影太郎は愛機リトルフレームと共に大気圏の炎
に消え、リーダーを失ったチームはジャンク屋組合から登録を抹消された。
 組合長になったリーアム・ガーフィールドはチームを残そうと努力してくれたのだ
が、夏達は組合長になったばかりのリーアムに余計な仕事をさせたくなかった。夏はチ
ームの副リーダーとしてチームを解散させ、修行の旅に出ようとした。
 しかし、フィア・スカーレットは夏を止めて、こう言ったのだ。
「影太郎は生きていると思う。そしてあいつは必ず戦場に戻ってくる。命尽きる時まで
戦うと決めた男、それが影太郎なんだから」
 そういう男を捜すには、自分も戦場に飛び込んだ方が早い。フィアのその案に夏は乗
った。そしてオーブに帰ろうとしたユナもスカウトして、三人で傭兵チームを結成。チ
ームの名前は影太郎の意志を継ぐ証として、シャドウ・セイバーズと付けた。
「この名前を名乗る限り、拙者達は弱い者を傷付けるような戦いはしないと誓おう。拙
者達が戦うのは戦う力の無い者の為、剣無き者の剣となり、盾無き者の盾となる。それ
が影太郎殿の戦う理由だった。ならば、拙者達もそうしよう。影太郎殿の意志を継ぎ、
知恵と勇気と根性の限りを尽くして、正義の為に戦おう」
 正義。これ程危険で、あやふやな言葉は無いだろう。それでも夏は、正義の為に戦う
事を誓った。フィアとユナも夏と同じ道を歩く事を誓った。
 あれから二年。三人によるシャドウ・セイバーズは、かのサーペント・テールに匹敵
する有名な傭兵部隊になっていた。たった三人でどんなに困難な仕事もやり遂げる、し
かし力ある大国や企業の為には戦わない。そんなおかしな傭兵達を人々は最初は笑った
が、次第に認めるようになった。
 そして今日も新たな依頼が来た。それは三人の中で最も冷静なフィアでさえ、戸惑う
ような仕事だった。
 誰よりも愛している男と戦おうとする女。助けるべきか、見放すべきか?



 夏達が守っている町を襲ったのは、ユナの推理どおり、宇宙に帰り損ねたザフト兵だ
った。彼らはナチュラルの絶滅を目論んだパトリック・ザラの意志を継ぎ、この地のナ
チュラルを滅ぼそうと戦った。それから二年、彼らは町や村を襲っては人々を殺し、食
料や金品を奪っていた。相手がナチュラルなら殺しても構わない。そう考える彼らは戦
時中以上に残酷に振る舞い、人を殺しまくった。その所業はテロリストというより、凶
暴な盗賊である。
 そんな彼らをザフト過激派の組織であるリ・ザフトは受け入れなかった。盗賊にまで
落ちぶれた者まで入れては組織の品格が保てない。リ・ザフトの新しいリーダーはそう
告げて、彼らを見放した。
 テロ組織にまで見放された彼らは、こうなったら落ちる所まで落ちてやろう、と半ば
ヤケになった。砂漠のバザーを襲う計画も、そのヤケによって起こしたものである。
 だが、その代償は大きかった。ベテラン兵を揃えた偵察部隊は、誰一人として帰って
来なかった。十機のMSを壊滅させる程の戦力が、あの町にはある。盗賊達は震え上が
った。
 悪い事は更に続く。夜の砂漠を一人で歩いていた男を小遣い稼ぎに襲ったら、この男
が異常なまでにまでに強かった。金色の仮面をつけた若い男は、盗賊と化したザフト兵
達の銃撃を全てかわして接近。兵の腹や胸を素手で貫き、次々と殺していった。
 十分も経たない内に、五十人以上いた盗賊ザフト兵は皆殺しにされた。仮面の少年は
手に付いた血を舌で舐め取り、
「弱い」
 とだけ呟いた。
 少年の耳元に、小さな機械が現れた。大戦でダブルGとその部下達が使っていた眼球
型の小型メカ、アルゴス・アイだ。しかし今この場に現れたアルゴス・アイを操ってい
るのはダブルGではない。
「ごきげんよう、スー。調子はどう?」
 眼球の中から発せられた声は、マティスのものだった。メレア・アルストルと手を組
み、世界を影から動かす者の一人となった彼女は、部下に話しかける。
「返事が無いという事は、あまり良くないみたいね。目的の町には着いたの?」
「いや、まだだ。だが人は殺した。つまらない奴らだった。本当につまらない」
 スーと呼ばれた仮面の少年は、ようやく口を開いた。スーの声には感情がまったく無
い。そのせいかこの少年は、人間の姿をした別の生き物のように思える。
「安心しなさい。目的の町には少しは歯応えのある連中がいるはずよ。シャドウ・セイ
バーズ。最近売り出し中の女傭兵チーム。『サムライレディ』宮城夏と『スナイパー殺
し』のフィア・スカーレット。どちらもなかなかの腕らしいわよ」
 それを聞いたスーは、ニヤリと笑った。何とも気味の悪い笑いだ。まるで人食いの獣
か、悪魔のような笑み。
「そうか。少しは楽しめそうか。なら、いい」
 スーはそう言って、再び歩き始めた。
 砂漠の高い丘を越えると、一機のMSが潜んでいた。ダークグレーと赤で塗られたラ
ゴゥ。二年前の大戦でバルトフェルドが乗った獣型MSの同型機だ。
 スーはラゴゥの操縦席に座った。バルトフェルドが乗ったラゴゥは操縦者と砲撃手の
二人乗りだったが、スーのラゴゥは改造されており、一人でも性能を発揮できるように
なっている。
 いや、スーの腕ならそんな改造は必要なかったかもしれない。スーの操るラゴゥは高
く飛び上がり、走り難いはずの砂地をスムーズに疾走する。
「殺す、殺す、殺す。そして強くなる。もっと強く、強く……」
 自分に言い聞かせるように不気味に呟くスー。朝日が昇る時までは、まだ遠い。



 深夜。砂漠の町は静まり返り、昼間の暑さを吹き飛ばすかのような冷たい風が吹く。
 マイ・ホームの甲板にも風は吹いていた。その中で夏は座禅を組み、目を閉じてじっ
としている。
 寒暖の差が激しい砂漠は、夏にとってはいい修行の場だ。灼熱の昼に体を動かし、凍
るような夜には瞑想して精神を磨く。
 この二年間、夏は寝る間も惜しんで修行に励んできた。その甲斐あって、傭兵の間で
は名の知れたMSパイロットになれたし、剣士としても連戦連勝、誰にも不覚を取らな
かった。
 だが、
「心が乱れていますね」
「……分かるのでござるか」
 夏は後ろから声をかけてきた少女に苦笑した。少女は無表情に、
「はい。何となく、ですけど」
「なるほど。どうやらアキ殿は拙者以上の鍛錬を積んだようでござるな」
「………………」
 アキは語らなかった。が、その沈黙が夏の言葉を肯定していた。夏は立ち上がって、
アキの前に来る。
「二年前とは別人のようでござる。強くなったでござるな」
「そうでしょうか? 自分ではよく分かりません。夏さんは腕を上げたと思いますが」
「いや、拙者などまだまだ。日々、己の未熟を思い知らされているでござる。真のサム
ライへの道は、果てしなく遠いでござるよ。不動剛馬に勝てる日も遠いでござるな」
「……不動剛馬とは会っていないんですか?」
「この二年、まったく行方知れずでござる。だが、剣の道に励んでいるのは確かでござ
ろう。今、戦ったら拙者は勝てるかどうか分からぬでござるな」
「………………」
 剛馬の現状を知っているアキだが、何も言わなかった。この二人の事は他人が口を挟
むべきではない。
 アキは夏と一緒に砂漠の夜空を見上げる。美しく輝く満天の星。だが、今の二人には
星の美しさは辛い。
「本当に、マルコ殿と戦うつもりでござるか?」
 夏が尋ねると、アキは迷わず頷いた。
「フィア殿もユナ殿も驚いていたが、拙者もでござるよ。二年前はあれ程仲の良かった
貴公らがなぜ?」
 夏の言うとおり、二年前のアキはマルコにいつもくっついていた。自分を地獄から救
い出してくれたマルコに感謝し、慕い、ずっと一緒にいたいと思っていた。マルコもア
キ程ではなかったが、アキには優しく接していた。その優しさがアキは嬉しくて、ます
ますマルコを慕うようになった。
「だからこそ戦うです。私はあの人と戦い、勝たなければならないんです」
 アキはそう言い切った。その口調にも、目にも、まったく迷いは無かった。その迷い
の無さが、アキの悲痛な決意を表しているように思えた。
「他の誰でもない、私がマルコに勝たなければならない。そうしないと、あの人は前に
進めない」
「前に?」
「マルコはあなた達と一緒。二年前からずっと亡霊に捕らわれている。宇流影太郎とい
う名の亡霊に」
「!」
 アキのその言葉は、夏の心を激しく打ちのめした。
 それはマイ・ホームの艦橋で、盗聴器で二人の会話を聞いているフィアとユナも一緒
だった。口の堅いアキでも、夏と二人だけなら本当の気持ちを話してくれると思って、
二人きりになるようにしたのだが、
「これはまた……随分とキツい事を言ってくれるわね」
「でも、間違ってはいません。私達はみんな、影太郎君の亡霊に捕まっている。二年前
からずっと、ずーっと……」
 ユナは二年前の事を思い出した。ネメシスを抱えたまま、リトルフレームと共に大気
圏に消えた影太郎。地球に残ったエレアやラグナス、桜道灯に連絡して落下地点にいち
早く駆けつけてもらったが、既にネメシスとリトルフレームの姿は無く、影太郎もいな
かった。
 大切な仲間を失った皆のショックは大きかった。いつも明るかったロウも少し暗くな
り、樹里も元気が無かった。キャプテンGGはジョークを言わなくなり、夏達も笑わな
くなった。
 暗い雰囲気の中、マルコとアキは彼らの元を去った。あれから二年。
「プレア君がいなかったら、私達、ずっと暗いままだったかもしれませんね……」
「そうだね。あの子には感謝しないと」
 ユナとフィアは、亡き友人に思いを馳せる。
 だが、それでも彼女達は影太郎の亡霊から完全には解放されていない。シャドウ・セ
イバーズを名乗り、傭兵として世界中を巡り、時には裏社会にも潜り込む。影太郎は絶
対に生きている。必ず見つける。その思いでこの二年間、頑張ってきた。夏達の頑張り
はアキも知っているし、認めている。
「夏さん達は亡霊に捕らわれているけど、それでも前に進んでいる。私はそれでいいと
思う。でも、マルコは駄目。あの人の願いは影太郎に再会する事じゃない。あの人の願
いは影太郎に勝つ事」
 マルコにとって影太郎は、初めて目障りだと思った人間だった。考え方も、生き方も
全て違う。だが、どこか似ている。まるで鏡に映ったもう一人の自分。似ているけれど
左右は反対。致命的に違うのに、でもやっぱり似ている。そんなもどかしい存在。
 だからマルコは影太郎を追いかける。手を掴みたいから。勝ちたいから。自分は鏡の
中の虚像ではない。自分は本物なのだと証明したいから。
 でも、それは叶わぬ夢。鏡の中の自分に触れられないように、死んだ人間とは競えな
い。戦えない。勝てない。
「それでもあの人は追いかけている。届かない幻影をずっと、必死になって」
 この二年間、アキはずっとマルコを見てきた。だからマルコがどれだけの努力をして
きたか、よく知っている。だから見ていられなかった。
「どんなに努力しても、どんなに強くなっても、マルコの中にいる影太郎はいつも彼の
前を行く。絶対に追いつけない。ううん、マルコがそれを望んでいない。今のマルコに
とって影太郎に追いついて、倒す事は人生の目標。マルコは自分に凄く厳しいから、永
遠に影太郎を追い続ける辛い道を選ぶ」
 それはゴールの無い、そして辞める事の出来ないマラソン。走り続けた挙句に待って
いるのは、死。
「そんなの嫌。マルコが死ぬなんて、絶対に嫌。マルコを止める方法はたった一つしか
ない。マルコの心から影太郎の幻影を消し去るしかないの」
 アキの敵はマルコではない。マルコの心の中にいる影太郎だ。幻影の影太郎を超える
力を身に付ける。そしてマルコに勝つ。捉えられない幻ではなく、現実にいる強敵に目
を向けさせるのだ。
「アキ殿……。だがそれは、修羅の道でござるぞ」
 夏の言うとおりだ。二年間、努力を積み重ねてきたマルコの力は、軍のエースパイロ
ットと同等かそれ以上だろう。対するアキは二年前まではまったくの素人。
「分かっている。だから私も努力してきた。勉強も運動も頑張って、ようやくあの人と
同じ場所に立てた」
「しかし、それでいいのでござるか? マルコ殿を止められたとしても、その瞬間、ア
キ殿はマルコ殿の敵となるのでござるぞ」
 それも普通の敵ではない。二年間の努力を完全に否定した、影太郎よりも憎むべき敵
だ。
「アキ殿はマルコ殿の事が好きなのでござろう? だが、敵になれば絶対にマルコ殿は
そなたの事を好きにはならない。それでもいいのでござるか?」
 同じ恋する女として、夏はアキの気持ちが理解できなかった。愛する人を救う為とは
いえ、愛する人と戦う道を選ぶなど……。
 しかし、アキはきっぱりと答えた。
「いいんです。私の願いはマルコが幸せになる事ですから」
 報われない愛でもいい。アキの願いはマルコを救う事だけ。二年前、地獄の底から自
分を救ってくれた人を助けたい。ただ、それだけなのだ。
「それにあの人は私を愛していない。二年前からずっと、あの人が好きなのは……」
 アキは夏の顔を見た。互いの澄んだ瞳が交差したその時、アキのポケットから鈴のよ
うな音が鳴り響いた。音は静まり返った夜中の町に、大きく響き渡る。
 アキはポケットにしまっていた物を取り出した。それは小型の通信機だった。メレア
の組織が作った、Nジャマーの影響下でも通信が出来る優れ物だ(通信できる時間は一
分だけだが)。
「はい、こちらアキです。……分かりました、すぐに戻ります」
 通信機を収めたアキの表情が変わる。鋭い眼光、戦士の眼差しだ。
「ふうん。二年前とは違うみたいね」
 いつの間にか甲板に来ていたフィアが、感心する様に言った。彼女の後ろにはユナも
いる。
「て、敵が来たんですか?」
「はい。町の外にいる私の仲間が報せてくれました。一機だけですが、機種はラゴゥ」
「バクゥのバージョンアップ版でござるな。ユナ殿、撃影の発進準備を…」
「夏、ちょっと待って」
 勢いよく出撃しようとした夏を、フィアが止める。彼女はアキの顔を見て、
「ちょうどいいわ。アキ、あんたが戦いなさい。一対一の勝負よ。あんたが勝ったら昼
間のお願い、引き受けてあげるわ」
「フィア殿!」
「フィ、フィアさん、それはちょっと……」
 夏とユナは焦った。相手も一機だが、昼間の戦いを見た上で乗り込んできたのなら、
シャドウ・セイバーズをたった一機で倒せる自信があるのだろう。半端な相手ではない
と考えるべきだ。そんな相手にアキに勝てというのは、
「アキ、あんたバトルの経験はあるの?」
「模擬戦は百回を超えています。実戦はこれが初めてです」
「MSは?」
「あります。名前はライブフレームです」
「ふーん。じゃあ最後。勝つ自信は?」
「あります」
 アキはあっさりと、だがしっかりと断言した。



 スーが乗る黒と赤で塗られたラゴゥは、町のすぐ側にまで迫っていた。ラゴゥは迂回
せず、まっすぐに町を目指す。
 スーは色々と考えていた。町に入ったら、ますぜは建物を壊す。人も殺す。たくさん
殺す。全て殺す。シャドウ・セイバーズという連中は必ず殺す。殺す。殺す。殺す。
 人を殺す事だけしか考えていない殺人マシーン。それがマティスが作り上げた最強最
悪の戦闘用コーディネイター、スーである。彼の心に優しさや愛など存在しない。ある
のは純粋な殺人欲のみ。
 スーは自身の殺意を抑えようとはしなかった。昔から欲望のままに暴れて、殺して、
殺しまくった。それは組織に改造されても変わらない。目にする者全てが標的であり、
全てを殺したかった。
「……? レーダーに反応あり。数は一。MS、機種は不明」
 味方ではないようだ。いや、味方でも構わない。自分に近づく者は全て壊す。そして
殺す。スーはそう考えてラゴゥの足を止めて、敵が来るのを待つ。
 シャドウ・セイバーズの襲来を期待していたスーだったが、現れたのはたった一機。
しかし見た事が無いMSだった。オーブが造ったアストレイというのに似ているが、少
し違う。新型だろうか?
「構わない。殺す」
 スーは問答無用で攻撃してきた。ラゴゥの背部にある2連装ビームキャノンが唸りを
上げる。
 対するアキのライブフレームは、ラゴゥの攻撃をギリギリでかわした。アキはわずか
に寒気を感じていた。体調が悪いのでも、空調システムが故障しているのでもない。こ
れは幼い頃に何度も味わった恐怖。
「あのラゴゥのパイロット、雰囲気が似ている……」
 本当にあの男に似ている。アキの人生をメチャクチャにした、あの歌依吟に。
 いや、違う。確かに雰囲気は微に似ているが、あの男のものとは違う。あの男よりも
異質で、もっと邪悪だ。
「世界は広いわね。人の命をゴミのように思っている奴が、あの男以外にもいたなん
て!」
 今、アキの心にあるのは恐怖ではなく怒り。アキの父と母を死に追いやり、アキには
顔まで変えさせた、悪魔と呼ぶに相応しい男、歌依吟への怒り。そして、あの男に対し
て何も出来なかった、非力な自分への怒り。
『と、そんな事を今更考えてどうするんですか。マルコの事は笑えませんね』
 自重するアキ。求めても届かない幻影に、これ以上苦しめられて溜まるか。その思い
がアキを強くする。
 ラゴゥの口には、ビームサーベルが口にくわえる形で装備されている。ビームサーベ
ルとビームキャノンのみというシンブルな武装だが、スーが乗るラゴゥはバルトフェル
ド機よりも軽く、しなやかに、隙の無い動きをしている。
 アキも致命的な一撃は避けるが、ビームサーベルはライブフレームの装甲を確実に削
っていく。
「ふっ。じっくりと殺してやる」
 スーは遊んでいた。一撃であっさり殺すより、何度も切り付けて相手を苦しませてか
ら殺す方が好きだった。スーはその欲求のままに相手を傷付け、楽しみ、殺す。恐ろし
き仮面の殺人鬼。
 だが、その方法はアキとライブフレームには逆効果だった。
「………………」
 沈黙の中でアキは、無力だった頃の自分を思い出した。あの頃の自分は何も出来ず、
何も考えず、人形のように生きていた。いや、あれは『生きている』とは言わない。自
分の意志で考えず、動かず、恐ろしい男の言いなりになっているだけ。あの時のアキは
本物の人形、いや人形以下の存在だった。
 でも、今は違う。マルコに救われたこの心で、考えて、体を動かして、そして戦う。
「私は生きる。そして戦う。マルコと戦って、彼を救う為に!」
 生への渇望を叫ぶアキ。彼女の思いに応えるかのように、ライブフレームが本領を発
揮する。
 両肩と両足の膝にそれぞれ一つずつ、計四つの排出口から目に見えない程に小さな機
械が大量に放出された。修理用のナノマシンだ。ライブフレームの損傷した部分に取り
付き、傷を塞ぎ、ライブフレームの新たな一部となる。
「?……」
 スーの殺意が止まる。傷付けても傷付けても、ライブフレームは倒れない。いつの間
にかほとんどの傷は癒えており、ライブフレームは元通りの姿に戻りつつある。
「傷付けても死なない。殺しても死なないのか、お前は。…………面白い」
 スーは心の底からそう思った。今までこんな敵はいなかった。このMSなら、とこと
ん楽しめる。自分の中で際限なく膨れ上がる殺意を受け止めてくれる。
 一方、無限に再生しているように見えたライブフレームだが、実はかなり危険な状態
だった。
「光(コウ)、残りのエネルギーはどれくらい?」
【24%。これ以上ナノマシンを生成したら、一歩も動けなくなるよ】
 人工知能である光(コウ)の言うとおり、ライブフレームのエネルギーは尽きかけて
いた。ナノマシンの製造には大量の電気を消費する。一度の戦闘で何度も再生すれば、
動けなくなるのは当然。ライブフレームの再生能力は諸刃の刃なのだ。
「そう。でも、それだけあれば充分だわ」
 アキはライブフレームにビームサーベルを抜かせた。ライブフレームのビーム兵器は
ハイペリオンと同じパワーセル方式で、機体本体のエネルギーは使わない。エネルギー
残量を気にする事無く戦える。
 ビームサーベルを構えて、腰を落とすライブフレーム。スーのラゴゥもビームサーベ
ルを光らせている。両者とも、相手の隙を伺いながら、少しずつ距離を詰める。
 じり、じり、じりと迫り合う二機。見ている方がたまらなくなる程の緊張感が流れて
いる。そしてついに、両機とも相手がビームサーベルの攻撃範囲内に入った!
「はっ!」
「死ね」
 二つの閃光が砂漠の夜を切り裂く。そして、ラゴゥの首が宙を舞った。
 ライブフレームが勝ったと思った次の瞬間、首を落とされたラゴゥがライブフレーム
に飛び掛ってきた。
【うわあああああああっ!】
「こっ、こいつまだ……」
 アキの言うとおり、スーはまだ諦めていなかった。
「ふっ、ふふふっ、ふふふふふふふふふふふ! 楽しい、楽しいぞ。もっと遊ぼう、も
っと楽しもう!」
 最高の遊び相手を見つけたスーは、珍しく興奮していた。仮面が歪み、笑みは更に醜
いものになっている。
「くっ、この、放しなさい!」
 ラゴゥを振り払おうとするアキだったが、ライブフレームのパワーが落ちている。エ
ネルギーが尽きかけているのだ。先程の勝負でラゴゥを上回る速度を出す為とはいえ、
電力を一気に使い過ぎた。もがくのが精一杯だ。
 ラゴゥは前足でライブフレームの顔を叩く。強烈なパンチだった。
「これくらい平気だろう? すぐに直せ、直せ、直せ。そして戦え、戦え、戦え!」
 殺人鬼は更に狂おうとしていた。しかし、スーの狂宴は唐突に終わりを告げた。
「こらー、そこの犬っころ! 私の息子の嫁に何やってるのよ!」
 という女の声が響き渡った直後、暗闇の中から黒い戦艦が現れた。アキの母艦アーク
ロイヤルだ。艦長はマルコの母、カテリーナ・フィオーレ。
「さっさとライブフレームから離れなさい! でないとライブフレームごとブッ飛ばす
わよ!」
 カテリーナは本気だった。アークロイヤルの全ての砲の砲門はラゴゥに向けられてい
る。今撃てば、ラゴゥに組み付かれているライブフレームも無事では済まないのだが、
「さっさと離れろって言ってるのよ! それとも、そんなに死にたいの? だったら撃
つわよ。撃ってあげるわよ!」
 カテリーナは気付いていないようだ。相当、頭に血が上っているらしい。今まで町か
ら遠く離れた場所で待機されられた不満も爆発したようだ。しかしそのおかげで町に近
づいていたラゴゥを見つけて、いち早く報せる事が出来たのだが。
 怒るカテリーナに対するスーの判断は、
「…………つまらない」
 首無しのラゴゥは、素直にライブフレームから退いた。
「自分が死んだのでは楽しめなくなる。お前とはもっともっと遊びたいから、今日は退
く。次の遊びが楽しみだ」
 そう言い残して、スーのラゴゥは去って行った。そのスピードは速く、腹いせにカテ
リーナが撃ったミサイルを全てかわして、朝日の中に消え去った。
 長く、壮絶な砂漠の夜が明けた。死闘を乗り越えたその日の朝日は、アキにはとても
美しく思えた。



【ふん。アキめ、冷や冷やさせやがって。カテリーナが助けに来なかったら、俺が出る
ところだったぞ】
【闇(アン)、君が出るにはまだ早いよ】
【分かっている。だから我慢したんだ。ミラージュコロイドで隠れていたアークロイヤ
ルが近づいているのにも分かっていたからな】
【ありがとう。今回の戦い、アキにはいい経験になったと思うよ】
【そうだな。マルコへの妙な拘りといい、アキは予想以上に面白いな】
【アキはもっと強くなると思うよ。二人の戦いは激しいものになりそうだね】
【光(コウ)の言うとおりだな。なかなか楽しくなってきたじゃないか】
【まだ見守るの?】
【ああ。俺が死なない程度にな】
【そう。じゃあね、闇(アン)】
【じゃあな、光(コウ)。お前も死なない程度に頑張れ】



 ライブフレームから降りてきたアキを、フィアは笑顔で出迎えた。
「よく頑張った。約束だ、あんたと一緒に行ってあげる」
「でも、私はあの敵を倒していない……」
「そうね。勝ってはいない。でも負けてもいない」
 フィアはニッコリと笑った。同行してきた夏とユナも同じように微笑む。
「あんたはまだまだ未熟者。でも、何度切られて傷付いても、あんたは諦めなかった。
MSの力を信じて、力の限り戦った。今はそれでいいのよ。未熟者に全てを求めたりは
しないわ」
「拙者達が見たかったのは、どんな強敵に追い詰められ、苦難に合っても諦めず、立ち
向かおうとする根性でござる。アキ殿にはそれがある。ならば共に戦おう。昔の友とし
て、今の仲間として」
 フィアに続いて、夏が言う。そしてユナが手を差し出して、
「これからよろしくね、アキちゃん。シャドウ・セイバーズはあなたに力を貸すわ」
 と誓ってくれた。
 アキは少し戸惑ったが、ユナの手をそっと握り締めた。お互いの手の暖かさが心地良
かった。
「はあ……。アキちゃん、ちょっと、もういいかしら? 私、バザーに行きたいから、
さっさとライブフレームの修理を済ませたいんだけど」
 空気を読まないカテリーナ。アキの事は息子の嫁だと認めてはいるが、それでもちょ
っとだけ腹が立つのは、姑の性か。
 この後、カテリーナも夏達にマルコの母として紹介される。驚く夏達の前で、カテリ
ーナはバザーでの買い物に熱中するのであった。

(2008・5/10掲載)
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