第33章
 機動闘技場(モビルコロセウム)の奇妙な面々

 香港。
 旧世紀においては数奇な運命を辿り、繁栄と腐敗を極めた東洋の魔都。その残光はコ
ズミック・イラという新時代になっても残っており、近代的な高層ビルと崩れかけた古
い建物が共存する歪な、しかしそれがごく当たり前だと感じさせる奇妙な空気を作って
いる。
 世界的に見ても異質な空間であるこの香港地区は、アジア大陸の一部と大小多数の島
によって構成されている。それ等の島の中でも最大の大きさを誇るのが、ここランタオ
島。香港の中心部ともいえる香港島の西に浮かぶこの島には、空港や広大な遊園地など
がおり、香港の観光名所となっている。
 だが、それはこの島の表の顔に過ぎない。
 島の外れにある小さなビル。誰も住んでいないはずのこの古いビルに、深夜になると
何処からともなく人がやって来る。武装した警備員による厳重なチェックを潜り抜け、
地下に案内された彼等の前に現れるのは、地上とは全く違う世界。夢と現実、勝者と敗
者、生と死が交差する裏カジノである。
 地上にある公式のカジノとは違い、ここでは人の命すら賭けの対象になる。血と狂喜
を求めて香港中から、いやアジア、世界中から多くの金持ち達が集い、この裏カジノで
行われる非合法のイベントに酔いしれる。
 世界的にも最大の規模を誇るこの裏カジノでは、一晩で多額の金が動く。その額は小
国の国家予算にも匹敵すると噂されており、その金を求めてまた人がやって来る。集ま
った人達を飽きさせない為、カジノ側も多種多彩なイベントを行う。そのイベントの中
で今、最も多くの人々を魅了しているものが、裏カジノの更に地下に築かれた広大な闘
技場で行われている。
 ローマの古代遺跡コロッセオを模して作られたこの地下闘技場では、元のコロッセオ
と同じく人間と人間、獣と獣、人間と獣による命がけの戦いが行なわれ、人気の高いギ
ャンブルとなっていた。その戦いの歴史と伝統は、コズミック・イラでも引き継がれて
おり、更なる発展を遂げた。
 今、行われている戦いは人間同士の戦いだった。だが、彼等が使っている武器は古代
の剣闘士のような剣でもないし、近代的な銃火器でもない。コズミック・イラの科学技
術が作り出した人間よりも遥かに大きな武器、MSだった。
 MSグラップル。このギャンブルは、そう呼ばれている。MS同士による巨大な格闘
戦。武器の使用は制限されており、銃火器類の使用は一切禁止。参加するパイロット達
は厳しい制限の下でその力量を競い合い、勝利と敗北を分かち合う。
 MSによる戦いは、人間同士の戦いを遥かに超える迫力がある。戦場以外では目にす
る機会が少ないその戦いは、カジノ客の心を掴むのに充分な力を持っていた。闘技場に
来た客は、小型ミサイルにも耐えられる超硬質ガラスによって守られた観客席から壮絶
な戦いを見て楽しみ、その結果に一喜一憂する。瞬く間にMSグラップルは、この裏カ
ジノのメインイベントとなった。
 人が集まれば金も集まり、その金が更なる人を呼ぶ。MSグラップルの勝者は多額の
賞金を手にする事が出来る為、腕に覚えのある傭兵や、元正規軍のMSパイロットも参
加するようになり、イベントを更に盛り上げた。
 世界中から強者達がやって来るこの闘技場で、頂点に立つ者がいる。MSグラップル
が始まっておよそ一年、その間、一度も負けた事がない不敗のチャンピオン。その人気
は絶大で、チャンピオンが出場する試合は闘技場は常に満員御礼。今日の試合も例外で
はなく、大勢の観客の前で、チャンピオンはその強さをアピールしていた。
 チャンピオンのMSは、紅のストライクダガー。対戦相手の機体はソードストライカ
ー装備のダガーL。パイロットは元大西洋連邦の兵士で、素行の悪さから軍を追われた
ものの腕は一流。南米の独立戦争では、その剣で多くの敵を切り刻んだ猛者だ。
 粗暴な兵士は自分の勝利を信じて疑わなかった。相手はチャンピオンと言っても、所
詮は裏社会のクズ。正規軍の兵士だった自分の敵ではない。ダガーLの大剣《シュベル
トゲベール》で真っ二つにしてやる。
 試合が始まった。先手を打ったのはダガーLだ。右肩のビームブーメラン《マイダス
メッサー》を投擲し、それをかわして隙が出来た相手を対艦刀《シュベルトゲベール》
で切り裂く。これはソードストライカーを装備したMSの基本戦闘法であり、彼もこの
戦い方で多くの敵を倒してきた。今回もそのつもりだった。
 だが、紅のストライクダガーは思わぬ行動に出た。飛んでくる《マイダスメッサー》
に対して直進し、自ら当たったのだ。ビームブーメランの刃はストライクダガーの右肩
にめり込み、火花を飛び散らせる。
 しかしストライクダガーの動きは止まらない。一直線に走り、うろたえるダガーLに
襲い掛かる。
 ビームサーベルを抜くストライクダガー。その剣閃は速く、ダガーLのパイロットは
まったく反応出来なかった。ダガーLの両腕は一瞬で切り落とされ、持っていた《シュ
ベルトゲベール》ごと地に落ちた。
「なっ……」
 兵士が悲鳴を上げる間もなく、チャンピオンの攻撃は続く。ダガーLの足が、頭が切
り落とされ、残された胴体に止めの一撃が突き刺さる。勝負ありだ。
 だが、チャンピオンはまだ止まらなかった。切り落としたダガーLの頭を踏みつけて
グシャグシャにし、次にダガーLの両腕と両足をビームサーベルで切り刻む。そして箱
のようになった胴体は、その手で殴り、引き裂き、中の機械を抉り出す。
 凄惨な光景だった。だが、超硬質ガラスの向こうで見ている観客達にとって、この光
景は興奮を高めるエッセンスとなった。チャンピオンのストライクダガーが無力な相手
をいたぶる度に、観客達は喜び、興奮し、更なる惨劇を望む。
 そしてチャンピオンは観客の期待に応える。操縦席のハッチを強引に開けて、中で震
えていたパイロットを掴み出した。
「うわああああああああ! や、やめろ、やめてくれーっ!」
 負けたパイロットは懇願するが、誰も彼の願いを聞いてはくれない。この闘技場では
敗れた者には何も与えられない。自らの命さえ、自由には出来ないのだ。
 ストライクダガーの手に力が込められた。その手の中にいたパイロットは悲痛な断末
魔を上げる。全身の骨を砕かれたパイロットは、障害最大の苦痛と共に絶命した。
 だが、まだ勝者の儀式は終わらなかった。ストライクダガーの手に、更に力が入る。
脆弱な人間の体はMSの力によって押し潰され、血と体液を流しながら、その形を変え
る。わずか数秒で、哀れな敗者の体は小さな肉の塊となり、ゴミの様に捨てられた。
 血に染まった掌が、勝者の証。観客の大歓声と共に、チャンピオンは勝ち名乗りを受
けた。
 機動闘技場(モビルコロセウム)。いつの頃からかそう呼ばれるようになったこの場
所は、並の戦場以上に過酷な『戦場』だった。



 MSグラップルの観客は秘密厳守の裏カジノに入る事を許された者達であり、そのほ
とんどがV.I.Pと呼ばれる高名な政治家や世界有数の資産家、もしくはその関係者
である。いずれも派手な服装や装飾品で着飾り、普通に生きる庶民とは違う雰囲気を漂
わせている。
 だが、そんなV.I.Pしか入れないはずの世界に、異質な者達が混ざっていた。闘
技場の端にある席に座っている三人の男達。彼等は普通の人間とは違う、少し危険な雰
囲気を発していた。
「ふん、つまらないショーを見せやがって。で、どうだった、マルコ。奴の戦いは?」
 一同の中で最年長の壮年の男は、酒臭い息を吐きながら、三人の中で最も小さい少年
に話しかける。十二、三歳ぐらいの少年は、その青い瞳で誰も居なくなった闘技場を見
ながら、
「………………ああ。参考になったよ」
 と淡々と答えた。
 チャンピオンの凄惨な戦いと挑戦者の哀れな最期を、この少年はまったく動じず見て
いた。その冷静さは異常であり、恐ろしささえ感じさせる。
「素っ気無い感想だな。レオ、お前はどうだ?」
 酒臭い男は、隣に座っていた青年に話を移す。美しい緑の瞳を宿した青年は、
「やり過ぎだと思いますね。いや、明らかにやり過ぎです。MSの手足を切り落とした
時点で勝負は付いていた。それなのに、コクピットからパイロットを引き釣り出して、
それを握り潰すなんて……」
 レオ・ゲルツィンは先程の光景を思い出して、吐き気を催した。あんな事をや平然と
やるチャンピオンも、それを見て喜ぶ観客達も狂っている。どちらもレオには理解でき
ない人種だった。
「剛馬さん、あのチャンピオンは本当にあなたの友達なんですか? だとしたら俺はあ
なたを見損ないました。あんな鬼のような事をする人間と友達だなんて…」
「鬼のような、か。ははっ、違いない。実際、あいつは鬼と呼ばれた奴だからな」
 不動剛馬はそう言って笑った。面白くてたまらないという笑顔だった。
 それから剛馬はマルコとレオを連れて、観客席を後にした。そして闘技場の選手控え
室に入る。もちろん関係者以外は立入禁止の区域なのだが、剛馬は顔パスで通された。
「昔、ここで稼いだ事があってな。今のチャンピオンとも戦った。あの頃から強かった
な、あいつは」
 楽しそうに昔を語る剛馬に、レオはますます幻滅する。酒びたりではあるが歴戦のM
Sパイロットである剛馬にレオは憧れ、密かに目標にしていたのだが、あんな酷い事を
するチャンピオンと友達だなんて、
「ああ。確かにあのチャンピオンは強いな」
 突然、マルコがポツリと呟いた。それを聞いた剛馬はニヤッと微笑み、
「そうだ。昔より強くなっているな、あいつは。お前さんもそれを期待して、ここに来
たんだろう? 強い奴と戦う。うん、シンプルで使い古されているが、強くなるには最
良の手段だ。結構、結構。はははははははは!」
「笑ってないで、早くチャンピオンに会わせろ。そして俺と戦わせろ」
「焦るなよ、マルコ。今日は紹介するだけだ。奴はこの闘技場から出られない身だ。奴
と戦いたいのなら、この闘技場で戦うしかない。だったら、ここのルールに従わないと
な」
「従うさ。強くなれるのなら、何だってする」
「ははははは、その貪欲さは嫌いじゃないぜ。負けて少し賢くなったな。それでいい。
頭の悪い奴は強くなれないからな」
 茶化す剛馬に、マルコは少し怒りを感じた。
 先日のアキ・ミツルギが操縦するライブフレームとの戦いは、マルコの完敗だった。
あの戦いでマルコは自分の未熟さを思い知らされ、強くなりたいと願った。組織の重鎮
であるフィオーレ家の当主として、成長したかった。
 その願いを聞いた剛馬は、マルコ(とついでにレオ。外に出られないイノリはユニコ
ルンで留守番をしている)をこの闘技場に連れて来た。ここに来れば、強くなる為の方
法を知る事が出来ると言ったのだ。
 強くなりたかった。その為ならば何でもする。例え悪魔に魂を売る事になっても。マ
ルコの貪欲さは、危険な域にまで達していた。
 それを知ってか知らずか、剛馬はマルコを機動闘技場のチャンピオンに会わせようと
していた。チャンピオンがいる控え室の前に立ち、扉をノックすると、
「どうぞ」
 という返事。とても綺麗な声だった。
 扉を開ける剛馬。三人は揃って、控え室の中に入った。
「あ、不動さん。久しぶりですね。いついらしていたんですか?」
「今日来たばかりだ。お前さんの戦い、見させてもらったぞ。相変わらず頑張っている
ようだな」
「ええ。私が生きるには、戦うしかありませんから。そちらの方々は?」
「俺の今のツレだ。紹介しよう、こっちの小僧はマルコ・フィオーレ。あっちで突っ立
っているのはレオ・ゲルツェンだ。おい、二人とも、チャンピオンに挨拶しないか。失
礼だろうが」
 そう注意されたマルコとレオだったが、
「……………………」
「……………………」
 二人とも完全に固まっていた。
「お二人とも、緊張しなくてもいいんですよ。不動さんに何を言われたのかは知りませ
んけど、私はそんなに大した人間じゃないんですから」
 そう言ってチャンピオンは、二人にペコリと頭を下げる。
「初めまして。柚木良子、いえ鬼一口(おにひとくち)です。今後ともよろしくお願い
します」
 紫色の髪を生やした若い女性は、丁寧に挨拶をした。



 鬼一口、柚木良子。
 東アジア共和国で彼女の名を知らない者はいない。いや、世界的にもその名はよく知
られている。それ程までに彼女は恐れられていた。
 鬼一口。それは鬼をも一口で食べると言われた、凶悪な殺人鬼だった。
 二年前の大戦時、柚木良子は東アジア共和国軍の兵士として戦場に居た。彼女は戦車
の操縦士として活躍し、ザフト軍のMSを多数撃破。一兵卒から中尉にまで昇進した、
極めて優秀な女兵士だった。
 だが、終戦間際の戦いで良子の部隊は敵を深追いして待ち伏せに合い、砂漠で全滅し
てしまった。かろうじて描き残った良子は、わずかな生き残りと共に砂漠をさ迷い、二
十五日後に味方の基地に生還した。
 熱砂の地獄から生還したのは、良子一人だけだった。いくら優秀でも女性の良子だけ
が生き残ったのはなぜか? 良子を保護した基地の兵士がその疑問を口にすると、彼女
はあっさりと答えた。
「倒れた仲間の血を飲んだり、肉を食べたんです。サソリや毒蛇より、味方の方がずっ
と怖かったですね。油断してたら殺されますから」
 戦後、良子が遭難した砂漠を調査すると、彼女の仲間の兵士達の死体が次々と発見さ
れた。いずれも肉は一欠けらも残っておらず、骨のみの状態だった。
 良子は軍事法廷にかけられた。裁判の結果、状況が状況であり、殺さなければ殺され
るという極限状態で冷静な判断が出来なくなっていたと考えられて、良子は無罪。だが
軍からは除隊させられた。
 生き延びる為に仲間の血肉を食らった女兵士の物語は、これで終わるかと思われた。
だが、この話は始まりに過ぎなかった。
 良子が除隊して一ヶ月が過ぎた頃、東アジアの各地で子供が失踪する事件が相次いで
発生した。行方不明になった子供達は数日後、骨のみとなって発見された。
 警察は子供を狙った連続殺人事件と断定した。そして新聞記事を見た軍の関係者が警
察に良子の事を話して、彼女の逮捕状が出された。だが逮捕寸前に良子は逃走。その行
方は未だ不明であり、子供を食べる鬼の如き殺人鬼、鬼一口の伝説だけが残った。



「うふふふふふふ。何ですか、そのどこかのスポーツ新聞みたいな噂話は。ほとんどデ
タラメですよ」
 指名手配犯・柚木良子こと鬼一口は、レオから自分のエピソードを聞かされると明る
く笑って否定した。本当に明るい笑顔で、この女性が冷酷な連続殺人鬼だとはとても思
えない。
「アタシ、子供を食べた事なんてありませんよ。それなのに鬼一口だなんて、酷い名前
を付けますね。名前を付けた人に抗議しましょうか。でも誰がそんな名前を付けたんで
しょう? 不動さん、ご存知ありませんか?」
「知らん。それにそんなに悪い名前でもないと思うぞ。お前の戦い方は『鬼一口』と言
う名前にピッタリじゃないか」
「あれは主催者さんが、ああいう風に戦えって言ったんですよ。客は鬼一口らしい凄惨
な戦いを望んでいる、君はチャンピオンなんだから観客の期待に応えないといけないっ
て、だから……」
「ああ、分かっているさ。お前さんはああいう事を好き好んでやる人間じゃない。戦っ
た俺が一番良く知っている」
「不動さんとの戦い、懐かしいですねえ。勝てたのが信じられません。アタシの運が良
かったんですね」
「運も実力の内だ。あれから俺はMSに乗らなくなったから、今では実力もお前さんの
方が上だろう。名実共に、お前はここのチャンピオンだよ」
「ありがとうございます。不動さんにそう言ってもらえると嬉しいです」
「それで、今日はチャンピオン様にお願いがあるんだが」
 そう言って剛馬は、隣にいるマルコの頭に手を乗せる。
「こいつを今度のトーナメントに参加させてほしい。チャンピオンの推薦なら、頭の固
い上の連中も承諾してくれるはずだ」
「その子をですか? でも今回のトーナメントは参加者が凄い数で、レベルも高いって
噂ですよ。危なくないですか?」
「だから出させるのさ。こいつは今、本気で強くなりたいらしいからな」
「そうですか。不動さんの頼みなら断れませんね。分かりました、主催者の方には私が
話をしておきます」
「助かる。持つべき者は昔の友だな」
「昔の友って言えば、あの人はどうしたんですか? 女の子みたいな言葉づかいで話を
していた、あのちょっと面白い人は…」
「ああ、奴なら……」
 レオとマルコを放って、剛馬と鬼一口は昔話を語り始めた。剛馬の友人の話らしく、
レオにはまったく関係のない話だった。
 退屈だと感じたレオは、ふとマルコの顔を見る。用も済んだし、マルコも退屈してい
るのではと思ったのだが、
「…………………………」
 マルコの顔は真っ青になっていた。体もわずかに震えている。
「マ、マルコさん、どうかしたんですか? 顔色が悪いようですが…」
 心配するレオにもマルコは返事をしない。体の震えは、少しずつ激しくなっている。
「あ、あの、剛馬さん、マルコさんが!」
「ん? ああ、そうだな、そろそろ失礼するか。じゃあな、鬼一口。トーナメントの参
加、本当によろしく頼むぞ」
「はい、分かりました。気を付けて帰ってくださいね」
 鬼一口と呼ばれる女はニコニコ笑いながら、マルコ達を見送った。
 控え室を出て扉を閉じた瞬間、マルコの震えは止まった。顔色も元に戻っている。
「マルコさん、大丈夫ですか? 具合が悪いのならユニコルンに戻って休んだ方が…」
「レオ、そうじゃない。マルコはあの女にビビッたのさ」
「え?」
 剛馬の発言は、レオには信じられないものだった。
「ビビッたってあの鬼一口、いや柚木さんにですか? どうして、あんな普通の女の人
に……」
 女性恐怖症のレオでさえ、鬼一口の優しい笑顔には癒されたような気がした。そんな
女性に怯えるなど信じられない。そんな純粋なレオを、剛馬は哀れむような目で見る。
「レオ。今、お前が会ったのは正真正銘の『鬼一口』だ。かつて怪物と呼ばれた稀代の
殺人鬼だよ」
「え、でもあの人は、自分は人を殺していないって…」
「子供を食べた事は無い、とは言ったな。けど、殺していないとは言ってないぞ」
「!」
「仲間の兵士を殺して生き延びた話も否定しなかったな。ついでに言うが、あの女は嘘
は付いていないぞ」
 鬼一口が子供を殺して、骨だけにしたのは食べる為ではない。子供の親にそう頼まれ
たからだ。
 鬼一口に殺された子供の家はどの家も貧しく、それでいて多くの家族を抱えており、
飢えに苦しんでいた。戦争による荒廃と貧困が彼らの飢えに拍車をかけ、政府の援助も
焼け石に水。家族の誰かを殺さなければ生きられない。そんな苦しむ人々の噂を聞いて
やって来たのが、鬼一口だった。
「正確には、軍を追われたあの女を匿った組織だがな。奴らは子供を殺してやる代わり
に、子供の親に組織への忠誠を誓わせた。子供を殺した負い目があるから、親は絶対に
組織を裏切らない。忠実な駒が労せずして手に入る、クソみたいな方法だ」
 人食い殺人鬼・鬼一口の噂は、組織にとっては利用価値のあるものだった。子供がい
なくなってもその骨をばら撒けば、警察は鬼一口の仕業だと考え、組織の存在にはまっ
たく気付かない。
「組織にとっては使い勝手のいい駒だよ、あの女は。組織には絶対に逆らわないし、カ
ジノの客寄せパンダとしても役に立つ」
「逆らわないんですか? 自分の存在が利用されているのに」
「ああ、そうだ。それが奴の望みだからな」
 鬼一口こと柚木良子の目的は唯一つ、自分が生き残る事。それだけだ。砂漠で仲間の
兵士達を殺したのも、その血肉を食らったのも、組織の命令で子供を殺したのも生きる
為だ。その為ならば彼女は何でもする。必要ならば自身の手足をも切り落とすだろう。
「あいつの戦いを見ただろう? あの女は生き残る事しか考えていない。そんな自分の
臆病さに自信を持っているから、敵の攻撃に突っ込むという無謀な戦い方が出来るし、
致命傷は確実に避ける。矛盾しているが、だからこそ恐ろしい女なんだよ、あいつは」
 マルコの体か再び震え出した。今度はガチガチと歯を鳴らしている。
「怖いか、あいつが。自らの命に異常なまでに執着している、この世で最も残酷でしぶ
とい女だぞ」
 剛馬の言うとおり、鬼一口は強い。そして恐ろしい女だ。敵を倒して生きる為なら、
どんな事でもやるだろう。容易に勝てる相手ではない。けど、
「ああ。だからこそ、戦う意味がある。俺がもっと強くなる為には、あの女と戦わない
と」
 歯を震わせながら、それでもマルコは決心した。その決意にレオは少し感動し、剛馬
は嬉しそうにマルコの肩を叩く。
「ふん。一度負けた事で少しは前向きになったな。だが、まだまだだ。大会ではその空
元気を本物にしてみせろ。そうすればお前はもっと強くなる」
 大会。それは三日後にこの闘技場で開かれる、MSグラップルの世界大会の事であ
る。裏社会のMSパイロット達が世界中から集まり、その強さを競い合う一大トーナメ
ントにして、空前のギャンブル。
 マルコはこの大会に参加する為に、この香港に来た。大会への橋は架かった。後は前
進あるのみ。



 裏カジノがある古いビルの上空に、巨大な戦艦が飛んでいる。マルコ達のユニコルン
だ。
 一本角を持ったこの戦艦の姿は、闇の空とミラージュコロイドによって隠され、人の
眼には映らない。ユニコルンは誰にも気にされる事無く、悠々と空を漂っていた。
 艦内では留守番をしていたイノリが、自室であくびを噛み殺していた。特異体質であ
るイノリは、無菌室となっているこの部屋からは出られない。出る時は移動装置の付い
た特殊なカプセルに入る必要があるのだが、
「面倒だからパス。今日は誰も居ないし」
 それでも退屈だった。殺菌処理をした小型ロボットがお茶やお菓子を運んでくれるの
で飢えはしないが、退屈は紛れない。ゲームや読書にも飽きた。
「いつもなら艦内のカメラで、マルコ達の様子を見て楽しむんだけど……」
 今日は誰もいない。このユニコルンにはイノリだけだ。
「退屈すぎるわ。外の様子でも見ましょう」
 顔の右半分を包帯で隠した少女は、艦の外にある小型カメラを下に向ける。偵察用の
カメラは、下界の様子をイノリの部屋にあるモニターに映し出した。
「あそこがマルコ達が入ったビルよね。裏カジノ、一度くらいは見てみたいわね。何と
かしてみようかしら……あら?」
 ビルの玄関が騒がしい。警備員がビルに入ろうとした黒人の男性を押し留めている。
 イノリはカメラの集音マイクを最大にした。サードユニオンの優れた技術によって作
られたマイクは、遥か下方の音声も容易く拾った。特に黒人の男の声はよく通る声なの
で、聞き取りやすかった。
「だから、俺はちゃんとした客だっての! 中に王(ワン)って人がいるはずだ。その
人に聞けば分かるはずだ。とにかく中に入れてくれ!」
 裏カジノに入れてくれと頼む黒人の青年に、警備員は冷静に、いや冷淡に応じる。
「何度言われましても、お独りで来られた方は招待状もしくは紹介状を持っていなけれ
ば、ここから先にお通しする訳には参りません。お引取りください」
「いや、招待状なら持っていたし、本当なら王(ワン)さんと一緒に来るはずだったん
だ。けど王さんと合流する途中で子供が車に轢かれるのを見て、ヤバい状態だったから
そいつを応急手当てして、心配なんで病院にまで付いて行ったら、時間にメチャクチャ
遅れて、招待状もどっかに落として……」
 子供のような言い訳だ。警備員も全く信じておらず、このしつこい男を追い返そうと
する。しかし男も引き下がらない。
「何をやっているかしら、あの人は。そんなに裏カジノに入りたいの? あんな所に出
入りするような上品な人には見えないんだけど」
 イノリの心に、この男に対する興味が沸いてきた。部屋の隅にある机の上を見ると、
不動剛馬が昔の伝で手に入れた裏カジノへの紹介状がある。
「暇だったら来てみろ、って行ってたわね」
 そして今、イノリは猛烈に暇だった。
「だから王(ワン)さんを呼んでくれ! バルドル・カッフェが来たって言えば分かる
はずだから!」
 男の叫び声が、イノリの心を後押しした。退屈と好奇心。それが少女の気持ちを少し
だけ変えた。



 この裏カジノには、機動闘技場で行われるMSグラップル以外にも多くのカジノゲー
ムがある。バカラにルーレット、スロットマシン、ポーカー、ブラックジャック、クラ
ップス……。そこで行き交うチップの額は、最低の物でも合法カジノのおよそ十倍。最
高額のチップは、一枚で家一軒が建つ程だ。
 そんな桁違いの金が蠢く中、マルコとレオは剛馬に連れられて、カジノを歩き回され
ていた。剛馬はゲームには目もくれず、キョロキョロと首を動かしている。どうやら誰
かを探しているようだ。
「おかしいな。爺さん、今日は来てないのか……お、いたいた。おーい、爺さん!」
 剛馬は前方にいた、白い髭を生やした老人に呼びかけた。呼ばれた老人は剛馬の顔を
見て、笑顔を見せる。
「おやおや、これはこれは懐かしい。わしを稼がせてくれた元チャンプじゃないか。久
しぶりじゃのう、元気にしとったか?」
「ああ、おかげ様でな。爺さんの方こそ、商売繁盛な様で何よりだ」
 再会の挨拶を交わす二人。謎の老人は黒服を着た四人の男達に守られている。どうや
ら老人の護衛らしく、四人にはまったく隙が無い。
 緊張を続ける護衛達を他所に、老人は剛馬と話を続けた。
「商売繁盛とは、このカジノの事か? まあ確かにそうだが、そろそろ潮時かもと考え
ておる。派手にやりすぎて、政府の連中に目を付けられ始めた」
「ワイロでもばら撒けばいいじゃねーか。そういうのは得意だし、この大陸の伝統だろ
う?」
「時代は変わっておるよ。鼻薬の効かん堅物が多くなってきおった。二年前の戦争のせ
いで、鼻薬の効く連中は暗殺されたり失脚したりと散々じゃ。新しい連中を抱きこむの
に、また金を使わねばならん。収入はちっとも増えんくせに、支出ばかり増えおる。ま
ったく、金の流れというのは思いのままにならぬものじゃのう」
「崑崙党の王(ワン)大仙ともあろうお方が、随分と弱気な事を。さすがにお年を召さ
れましたかな?」
「ふん、そうかもしれんのう。そろそろ若い連中に道を譲る時かもしれん」
 弱気な事を言う老人だが、そんなつもりはまったく無い事を剛馬は知っている。この
小柄な老人は、見た目よりも遥かに狡猾で強かだ。
「大仙、そろそろお時間です」
 護衛の一人が、老人に囁く。
「何じゃ、もうそんな時間か。貧乏暇なしとは良く言ったものじゃのう」
「もう行くのかよ。俺の連れを紹介したかったんだが」
「されずとも知っておるよ。そっちの小僧はマルコ・フィオーレ君で、そっちの若いの
はレオ・ゲルツェン君じゃろう?」
「!」
「!」
 名前を呼ばれた当人達は驚いたが、剛馬はニヤリと笑って、
「ああ、そうだ。さすがは崑崙党のボス、耳の早さは衰えていないな。俺がこの町に来
た時点から調べていたのか?」
「わしは弱いからのう。だからこそ情報収集には力を入れておる。お主らがメレア・ア
ルストルの城から旅立った頃から調べさせておったよ。MSグラップルの真似事をやっ
ておるそうじゃないか。明日の大会にそちらの小僧を出すつもりか?」
「ああ。さっき鬼一口の推薦を貰ってきた」
「ほほう、それはそれは。面白い客も来るし、明日は面白くなりそうじゃのう」
「客?」
「うむ。日本の仇敵からの推薦でのう。……む? 推薦と言えば、誰かを忘れているよ
うな気が……」
 王老人が首を傾げたその時、カジノの客が突然ざわめいた。
 客達はカジノの入口を見ていた。マルコ達もそちらの方を見ると、
「おーい、王の爺さん、どこにいるんだー? 返事をしてくれー」
「この広間にはいないみたいね。このカジノにいるのは間違いないの?」
「ああ、それは間違いない。必ず見つけて、待ち合わせに遅れた事を謝らないと。おー
い、爺さーん、どこにいるんだー?」
 異様に目立つ男と女がいた。
 いや、男の方は普通の格好だが、女の方が問題だ。車輪付きの巨大なカプセルの中に
入り、それを中からリモコンで動かしている。目立つ事この上ない。
「おーい、どこにいるんだ? 王爺さんやーい!」
 豪華なカジノの中で、大声で人を呼ぶ男。聞いている方が恥ずかしくなってくる。
「不動君、後は任せる」
「いや、任せられても困るんだが。あいつが呼んでるのはあんただろ? 返事をしてや
ったらどうだ?」
「ううむ、確かにそうなんじゃが……。バルトフェルドめ、困った奴を紹介しおって」
「バルトフェルド? アンドリュー・バルトフェルドの事か。あの男は『砂漠の虎』の
仲間なのか?」
「ああ、そうじゃよ。我が崑崙党の憎むべき敵、ディプレクターの大幹部様じゃ」
 ピクッ。
 ディプレクターの名前を聞いた瞬間、レオの眉が動いた。さして、たちまち不愉快な
表情になっていく。
「あの男はわしの客じゃが、あっちのカプセルに入った女子はお前さんの仲間じゃろ。
何とかせんか」
「ごもっともで。イノリの奴、留守番せずに何しに来たんだか」
 やれやれ、という顔をして剛馬は二人の元に行く。
「大仙、そろそろ行かないと」
「ああ、もうちょっと待て。少し話をしたい奴もおるしのう」
 王は護衛からの注意を止めて、なぜかマルコに話しかけてきた。
「お前さんがマルコ・フィオーレか。あのカテリーナ・フィオーレの息子にしては、真
面目っぽいのう」
「……母さんを知っているのか?」
 驚く心を隠して、マルコは老人に尋ねる。
「ああ、ようく知っておるよ。あの女には痛い目に合わされた事もあるしのう。じゃが
恨みには思っておらん。わしは頼りにならん身内より、手応えのある敵の方が愛しく感
じるのじゃよ。かっかっかっ!」
 王は声を上げて笑った。
 崑崙党の最高幹部会『十仙』の第一位にして、アジア地区最大の犯罪組織の頂点に立
つ男、王 龍(ワンロン)。マルコもこの老人の噂は聞いているが、どうやらこの男、
噂以上の変わり者らしい。
「なるほど。だからディプレクターからの客も受け入れたのか」
 マルコはイノリと共にいる男の顔を見る。精悍そうな青年だった。
「そうじゃ。あのバルトフェルドが一目置いたというのも気になるし、それにあのバル
ドルという男、なかなか面白い事を言いおる」
「面白い事?」
「ああ。MSを使って、人の命を救いたいそうじゃ。わしやお前さんの組織とは、まっ
たく違う使い方じゃのう。かっかっか!」
 再び笑う王。実に楽しそうな笑い方だった。



「ああ、そうだ。俺はMSで人助けをやろうと思っている」
 イノリに紹介され、マルコ達と挨拶したバルドル・カッフェは、誇らしげにそう言っ
た。その眼はキラキラと輝いているように見える。
「俺はMSによるレスキュー部隊を作りたいんだ。人型機械であるMSの可能性は、人
間と同じように無限大だ。兵器や工事やジャンク回収の道具として使うだけなんて勿体
無い。君達もそう思わないか?」
 同意を求めるバルドルに、マルコ達は返事をしなかった。無視した訳ではない、呆気
に取られたのだ。特にマルコは。
『この男、何を言っているんだ?』
 二年前からMSで戦ってきたマルコにとって、バルドルの考えは意外すぎるものだっ
た。マルコにとってMSは力の象徴であり、戦う為の道具。それ以上でもそれ以下でも
ない。
『そうだ。だから俺はデスフレームに乗っている。敵を、アキを倒す為に強くなろうと
しているんだ』
 しかしバルドルは、マルコとはまったく違う道を歩いている。彼はMSの可能性を広
げようとしているのだ。
「ディプレクターにこの計画を持ち込んだら、凄く乗り気でさ。あと一歩ってところま
で言ったんだけど、ニューヨークの事件以来、最近また騒がしくなってきただろ? 宇
宙でもガーネット・バーネットが手痛い目に合ったそうだし」
「ふん。いい気味だ」
 恨みを込めたレオの呟きは、誰の耳にも拾われなかった。バルドルは話を続ける。
「ディプレクターも無茶苦茶忙しくなって、俺のアイデアは保留されたまま。けど、世
界が平和になるまで待っていたら、時間が勿体無いからな」
 暇を持て余していたバルドルは、レスキューチームの人員を集める事にした。ディプ
レクターも援助してくれると言うが、今の状況では当てにはならない。それに生死を共
にする仲間は、自分で見つけたかった。
「取り合えずはMSパイロットだな。これがいなくちゃ話にならない。けど一流のパイ
ロットは軍やディプレクターに入っていたり、傭兵になっているからな。なかなか見つ
からないんだ、これが」
 スカウトに失敗続きのバルドルに数日前、ディプレクター本部のバルトフェルドから
一通の手紙が届いた。手紙にはMSグラップルの詳細と、大会を取り仕切っている崑崙
党のボス、王老人への紹介状が入っていた。
「『お前さんとは名前が似ている感じがするから、放っておけない』って書いてあった
な。いい人だよなあ、バルトフェルドさん。ああいう人に俺のレスキュー部隊に入って
ほしいんだけど」
 バルトフェルドを誉めるバルドル。ますます不愉快になっていくレオには気付かず、
話を進める。
「で、紹介状を貰って王の爺さんと会ったんだ。爺さんも面白そうだって言ってくれて
さ。大会に出場する選手で気に入ったのがいれば、声をかけて連れて行ってもいいって
言ってくれたんだ。いやあ、悪い組織のボスって聞いてたんで緊張してたんだけど、結
構話の分かる人だなあ」
 喜ぶバルドルに、剛馬は心の中で苦笑した。
『まったく食えない爺さんだ。このカジノを取り仕切っているのは、あの爺さんじゃな
いのに』
 確かに王は崑崙党のボスであり、ここは崑崙党が経営している裏カジノだ。だが、こ
この最高責任者は王ではない。王に上納金を収める事によって、カジノの全権を任され
ているのは崑崙党十仙の第三位、アンドレイ・ロマノフだ。
『ロマノフに話を通さず、勝手にそんな約束をするとは……。王の爺さんとロマノフの
仲が悪くなっているっていう噂は本当らしいな』
 新参者のロマノフは、崑崙党の内部ではその辣腕を評価されていると共に警戒されて
いる。ボスの座を狙っているという噂もある。
『金を稼ぐから今まで見逃してきたが、そろそろ切る頃だと判断したか。手始めに奴の
最大の収入源を切り崩すつもりか?』
 とはいえ、王も正面からロマノフとやり合うつもりはないのだろう。ロマノフの経営
するMSグラップルの選手をスカウトしようとするバルドルを送り込んだのは、ロマノ
フへの牽制のつもりか。
『そしてバルトフェルドは、王がバルドルをこうやって使う事を読んでいた。バルドル
の行動が、崑崙党が内部分裂する切っ掛けになればそれで良し。バルドルがMSグラッ
プルのスター選手をスカウトすれば、MSグラップルの人気は落ちて崑崙党の収入源を
一つ潰す事が出来る。もしバルドルが失敗しても、ディプレクターに損は無い。虎め、
なかなか狡猾だな』
 剛馬はバルトフェルドの考えに感心した。もちろんこれは剛馬の勝手な推測で、バル
トフェルドの真意は不明だが、
『まあいい。ならば俺達は、虎とこの男が起こす風に乗らせてもらうとするか』
 バルドルを利用しようとする剛馬の前で、バルドルはMSレスキューへの夢と情熱を
語り、聞いているマルコを戸惑わせる。
「へえ、マルコ君もMSパイロットなのか。えっ、明日の大会にも出るのか? 俺も王
の爺さんの推薦で出る事になったんだ。MSも貸してくれるし、あの爺さん、いい人だ
よなあ。大会では全力を出して戦ってくれ。君の腕を見たいからな」
「俺をレスキュー部隊に誘うつもりなんですか? 俺があなたより強かったら…」
「いや、MSレスキューに必要なのは強さじゃない。試合では、その辺も見せてもらう
よ。君がレスキューをするのに必要なものを持っていれば、勝っても負けてもスカウト
させてもらう。覚悟しておいてくれよ。俺はしつこいからな」
「は、はあ……」
 バルドルの勢いに押されるマルコを見て、カプセルの中にいるイノリは楽しそうに笑
う。
『私の見込んだとおり、あのバルドルって人、面白いタイプね。いい具合にみんなを掻
き回してくれそう。こっちの人は、もう掻き回されているみたいだけど』
 イノリは、いつもとは違う顔をしているレオに眼を向けた。レオの体からは、怒りと
憎しみの感情が溢れ出そうとしていた。
「ディプレクター、バルトフェルド、ガーネット・バーネット……くそっ!」
 小声で彼らを呪うレオ。そんなレオを見て、イノリは再び楽しげに笑うのであった。



 翌日の裏カジノは、他のカジノゲームを全て休業。しかし人々の熱気は普段より凄ま
じく、客達は我先にと闘技場に駆け込んでいた。
 その一方でゆったりと歩く者達がいる。カジノ側から招待された特別客だ。騒がしい
人々を尻目に、彼らは闘技場の最上段に設けけれたV.I.P専用ルームに向かう。
 崑崙党十仙の第三位にいる男、アンドレイ・ロマノフは専用ルームの扉の前に立ち、
訪れたV.I.P達と挨拶を交わしていた。この裏カジノの真の支配者としては当然の
行動だ。
 礼儀正しいロマノフは、客達の評判が良かった。このカジノにいる者、そして訪れた
者は皆、ロマノフに敬意を払っており、大きなトラブルが起きた事など一度もない。カ
ジノのあるビル周辺の治安もいい。ロマノフの裏カジノでは安心してギャンブルを楽し
めるとの評判が流れ、それを聞いて世界中から金持ちが集い、このカジノに更なる富を
呼ぶ。富の永久循環だ。
 利益の少なかったこの裏カジノを支配し、わずか一年足らずで崑崙党に多額の資金を
与えてくれる設備にするようにしたのはロマノフである。経営者としても一流のロマノ
フの手腕は、人々に賞賛された。
 だが、何事にも例外はある。ロマノフが辣腕を振るえば振るうほど、それを不快に思
う者がいる。ロマノフの、いや崑崙党の敵だ。
 その一人が今日、闘技場を訪れた。黒髪が良く似合う、着物を着た美女だった。
 彼女がロマノフの近づくと、ロマノフが先に頭を下げた。
「お久しぶりです。本日はようこそお越しくださいました、桜道会会長殿」
「こちらこそ、お招き頂きありがとうございまます。抗争中の敵組織のトップをカジノ
に呼ばれるなんて、さすがは崑崙党、器が大きいですね」
 崑崙党の日本地区への進出を悉く阻んできた女傑、桜道灯はそう言って挨拶した。そ
してロマノフと、ぎこちなく握手を交わす。
「いえいえ、罠かもしれない招待に応じた会長の肝の太さには負けますよ。護衛も二人
しか連れて来ていないのですか?」
 ロマノフの言うとおり、灯の護衛は二人しかいなかった。だが、灯は命の危険など全
く感じていない。いつでもどこでも死ぬという侠客としての覚悟は出来ているし、それ
に、
「護衛なら私達がいるわ。心配しなくても、この前会長を殺そうとしたバカは捕まえた
し、その前のはこっちのラグナスが片付けました」
「どうも」
 ショートカットの似合う美女に話を振られて、ロボットのような被り物をした男が挨
拶する。いや、被り物ではない。これはこの男にとって、本当の頭だ。
「……………………」
 自信に満ちた二人の護衛に、ロマノフは黙ってしまった。この二人、エレア・クーウ
ェルとラグナス・バモラス、そしてロマノフには浅からぬ因縁がある。エレアとラグナ
スにとって、ロマノフは殺しても飽き足らない敵。だが、
「少なくても私達は崑崙党のチンピラより役に立ちます。会長には誰も指一本、触れさ
せませんから」
「ほう、それは二人とも頼もしい。MSグラップルでも頑張ってくれたまえ」
 他人の振りをするロマノフ。桜道会には招待状の他に、MSグラップルに選手として
参加できる手続き書類が入っていた。MSの心得があるエレアかラグナスが参加するだ
ろうと思ったのだが、
「あ、勘違いさせてゴメンなさい。出場するのは私達じゃないの」
 エレアが意地悪そうに微笑む。その微笑を見て、灯はわずかにため息を付いた。強大
な崑崙党も恐れぬ灯だが、今日だけはその心は大きく揺れていた。
『あの子、かなり気が立っていたわね。暴れすぎて目を付けられると厄介な事になりそ
うだけど……』
 いや、それは無理だろう。あの子は今日という日を待っていたのだから。
 機動闘技場に嵐が吹こうとしていた。



 灯達がV.I.P専用ルームに向かった後、ロマノフの前に新たな招待客が現れた。
「御機嫌よう、ミスター・ロマノフ。お元気かしら?」
 挨拶したのは美しい女だった。着ている服は丁寧な作りの物で、女自身も服に負けな
い高貴さを感じさせる。
 だがその女の眼はとても冷たい光を放っており、見る者に恐怖心を抱かせる。ロマノ
フも少し動揺したが、すぐに我を取り戻して挨拶を返す。
「ようこそ、ミス・マティス。ご招待に応じていただき恐悦至極です」
「うふふ。そうね、たまにはこういうイベントも見たいと思って。それに、なかなか面
白い人達も集まっているみたいだし。崑崙党の十仙の一位と三位だけでも凄いのに、桜
道会の会長までいるなんて」
 楽しそうに微笑むマティス。確かに、傍から見れば呉越同舟で面白いだろうが、
「こちらは大変ですよ。大会の運営だけでも苦労しているのに、お客様の間でトラブル
など起きたら……」
「あら、それがあなたの狙いなんでしょう?」
「………………」
 マティスの言葉に、ロマノフは反論しなかった。
「今日の闘技場は、闘技場の中も外も賑やかになりそう。楽しみだわ。私の番犬達まで
貸してあげるのだから、期待してもいいのでしょうね?」
「ええ。それはもちろん。あの三人には大会を大いに盛り上げてもらいます」
 頭を下げるロマノフ。それを見たマティスは再び楽しそうに、そして冷酷な笑みを浮
かべるのであった。



 選手と客、そして主催者。それぞれの思惑を秘めたまま、MSグラップル世界大会は
幕を開けた。
 まずは大会の開幕を告げるセレモニーが始まった。黄金製のドラが鳴り響き、歓声を
上げる観客。そして闘技場に選手達が入場する。
 世界各地から集まったその数、104名。軍のパイロットから傭兵、元ジャンク屋な
どいずれもMSの扱いに自信を持ち、自分こそが最強だと思っている命知らずの猛者ば
かり。
 マルコ・フィオーレもその一人だ。いや、出場選手の中で最年少の彼は、自分を最強
だとは思っていない。だが最強を目指し、強くなりたいと思っている。
『強さ、か……』
 マルコの頭に二人の人物の顔が浮かぶ。鬼一口とバルドル・カッフェ。MSで人を殺
す女と、MSで人を助けようとする男。まったく正反対な生き方をしている二人だが、
『あの二人の心は強い。二人とも、心の中に簡単には揺るがないモノを持っている』
 自分もそういうモノを持てば強くなれるのだろうか? その答えは今のマルコには分
からなかった。だからこそ戦うのだ。あの二人か、もしくはあの二人と同じくらい心の
強い敵と戦えば、強くなる手掛かりが得られるかもしれない。
 マルコは出場選手達の顔を見回した。皆、自分より背が大きい。少し悔しかった。
 選手達は多種多彩だった。ボディビルダーのような筋肉を見せびらかしている男の隣
では、暗い顔をした痩せた男が何か呟いている。金色の仮面で目元を隠している男が、
似たような黒い仮面を付けた男を睨んでいたり、黒人の男同士が小声で罵りあったりし
ている。混沌とした、まるで戦場の様な雰囲気だ。
 一人だけ女性の選手もいた。マルコより背が高く、モデル顔負けの顔とスタイルをし
ている。下品な男達が口笛を吹いたり、ニヤニヤ笑いながら彼女を見ているが、当人は
全く気にしていない。
『? あの女、どこかで会ったような気が…』
 するのだが思い出せない。顔立ちは誰かに似ているのだが、彼女はあんなに背は高く
なかったし、胸もあんなに大きく、
「ワン、ワンワン!」
 突然、観客席から犬の鳴き声がした。続いて、
「おい、こら、吠えるなよ、レウ。応援したいのは分かるけど、試合はまだ始まってい
ないんだ。落ち着けって」
「そうよ。プロフェッサーが言ってたでしょう? ここはマナーには凄くうるさいカジ
ノで、あんまり騒ぐと追い出されるかもしれないから、大人しくしてましょう。ね?」
「クーン……」
「そうそう、いい子いい子」
 観客席で吠えた白い犬と、それを抱える男。そしてその傍らにいる少女。いずれも見
覚えのある顔だった。
「ん? おい、あれって、もしかしてマルコじゃないか?」
「あ、ホント、マルコだわ。うわー、久しぶり。二年振りね。元気だった?」
「ワンワン!」
「こら、吠えたらダメだって。よお、マルコ。俺の事、忘れちまったか?」
 忘れるはずがない。二年前、マルコや影太郎と一緒に戦った自称世界一、いや宇宙一
のジャンク屋と、その相棒とも言うべき女性。そして影太郎と共に過ごし、彼が行方不
明になると、まるでそのの後を追うようにいなくなった子犬。
 ロウ・ギュールに山吹樹里、そしてレウ。懐かしい面々との再会だったが、懐かしい
顔はもう一人いた。先程、レウが吠えた謎の美女だ。
「……マルコ・フィオーレ。あの人が目を掛けていた男と会うなんて、これも縁ってや
つかしら。まあいいわ、私の前に立ちはだかるのなら倒すだけよ」
 桜道七華、かつて怪盗レインボースターと名乗った女は、そう宣言した。
 多くの人々の思惑を乗せて、今、第一回MSグラップル世界大会は始まった。それは
この闘技場を大きく揺さぶる嵐の始まりだった。



 大きな嵐が吹こうとしている最中、会場の片隅でロマノフは一人の少女に向かって膝
を付いていた。
「ようこそお越しくださいました、我が主。今宵は愚か者達の戦いと祭りを楽しんでく
ださい」
 そう丁寧に語るロマノフに少女は答えず、傍らにいるライオン型のロボットの頭を撫
でる。
「私はミステリウス・マゴット。私はアンドレイ・ロマノフの主。ううん、ロマノフの
主はダブルZ。ダブルZは私。マゴットが楽しめばダブルZも楽しい。そうだよね、ゴ
ルド? このウジ虫以下のキンピカロボット虫」
「グルル……」
 短い唸り声を上げるゴルド。その声は機械による合成音声とは思えない程、生々しい
ものだった。

(2008・10/25、前半掲載 11/1、後半掲載)

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