第34章
 八強出揃う

 開会式が終わると、闘技場に出ていた選手達は更に地下にある格納庫に向かう。ここ
には各自が持ってきたMSが置かれており、戦いの時が来るのを待っている。
 崑崙党の監視員が見張る中、選手達は試合が始まるまで機体の整備をする。マルコも
例外ではなく、操縦席の中でデスフレームの最終点検を行う。
「駆動系、良し。バランサーも問題無し。あとは……」
「おーい、マルコ! 手伝ってやろうか?」
 そう声を掛けてきたのは、先程観客席で見た男だった。マルコが顔を出すと、男はニ
コッと笑う。二年前に何度も見た、懐かしい笑顔だった。
「久しぶりだな、マルコ。これがお前のMSか?」
「ええ、そうです。久しぶりですね、ロウ・ギュールさん。樹里さんもお元気そうで何
よりです」
 マルコは、ロウの隣にいた樹里にも挨拶をする。
「うん、本当に久しぶりだね。マルコ君も元気みたいでホッとしたわ」
 嬉しそうに言う樹里。彼女もロウも、外見は二年前とあまり変わっていない。恐らく
その間柄も進展していないだろう。
「お二人とも、ここにいるという事はMSグラップルに参加するんですか?」
「いいや、俺達は選手じゃない。レッドフレームも置いてきた。知り合いが出るんで、
そいつの手伝いだよ。けどお前、随分と他人行儀だな。俺達は二年前に一緒に戦った仲
じゃないか。もっとフレンドリーに行こうぜ?」
「すいませんが、今は無理です。唯の見学者ならともかく、あなた達は他の選手の関係
者。間接的にですが、あなた達は俺の敵です」
「やれやれ、堅っ苦しい奴だ。勝っても負けても、そういう所だけは変わらんな」
 そう言ってやって来たのは不動剛馬だった。不機嫌そうな顔をしたレオと、移動式カ
プセルに入ったイノリも一緒だ。非常に目立っているのだが本人は全く気にしていない
らしく、カプセルの中であくびをしている。
「ふわ……。剛馬さん、私、バルドルさんの所に行ってもいいですか? あの人、面白
そうなので」
「好きにしろ。だが、あちらさんに迷惑をかけるなよ」
「しません。それでは」
 カプセルの中で頭を下げて、イノリは去ってしまった。去り際にレオに小声で、
「あなたにそういう顔は似合わないと思いますよ」
 と囁いた。
「…………ふん」
 顔を真っ赤にするレオ。女性は苦手だが、忠告を聞かない程バカではない。確かに、
この場にいない相手に怒っても仕方が無い。気を取り直して、
「皆さんは親しいようですが、知り合いなんですか?」
 とマルコ達に尋ねた。
「ああ、知り合いだ。昔の仲間と、師匠の仇だよ」
 ロウはマルコと剛馬を見て、苦笑する。
「お前達が一緒にいるとは知らなかったぜ。いや、考えもしなかった。一体どうなって
いるんだ?」
「色々あるのさ。人生とは奇妙な出会いと巡り合わせの連続だ」
 苦笑し返す剛馬。
「それは、確かにそうだな。そしてあんたは随分と変わっちまったみたいだ。二年前と
は別人みたいだぜ」
「男子三日会わざれば、と言うだろう。人は変わるのさ」
「あれは男は少し会っていない間に成長する、っていう誉め言葉だろ。けど今のあんた
は成長どころか退化しているようだぜ。今のあんたを見たら…」
「宮城夏が泣く、か?」
「いや。ウン・ノウの爺さんがだよ」
 ロウは剛馬が殺した老人の名を挙げた。師匠の名を言われた剛馬は一瞬だけ神妙な顔
をしたが、すぐに酒臭い息を吐いて、
「くだらんな。死人は涙など流さん。泣くのは生きている人間だけだ」
「…………ふん。あんた、本当に変わっちまったみたいだな。まあいいさ、あんたの始
末は夏に任せたからな。俺には何も言う資格は無い」
 そう言ってロウは、この話題を打ち切った。その顔には失望の色が浮かんでいた。
 どうにも微妙な空気になってしまった。この空気を払う為、マルコが話題を変える。
「ロウ。あなた達は『手伝いで来た』と言った。誰に手を貸しているんですか?」
「ん、ああ、お前も良く知ってる奴だよ。今、レウが呼びに行って…ああ、来た来た。
おーい、こっちだこっち!」
 ロウはこちらに向かってくる人物に手を振る。白い子犬に先導されてやって来たの
は、マルコが闘技場で注目した選手の一人。グラマーな体型をした、この大会で唯一人
の女性選手だった。
「ちょっとレウ、そんなに走らないでよ。あら、ロウと樹里じゃない。こんな所で何し
てるのよ。早く来て、私のMSの整備を手伝ってよ」
「ああ、ちゃんとやるよ。けど、お前の試合までまだ時間があるだろ? それまでにお
前の事をこいつに紹介しておこうと思ってな」
「こいつって、マルコ・フィオーレじゃない。わざわざ紹介し合う必要なんて無いでし
ょ。そんなに親しかった訳じゃないし、こいつも大会に出るって事は、私のライバルな
んだし」
「それはそうかもしれないけどよ、二年振りに会ったんだろ? だったら…」
「あー、すいません、ロウさん。話を止めて悪いんですけど、この人、誰ですか?」
 疑問を口にするマルコは、美しい女の顔を見る。この女の顔は見た事があるようで、
だが思い出せない。
「あー、そうか。二年前とはかなり変わっちまったもんなあ。俺達も久しぶりに会った
時はビックリしたし」
「ロウなんか腰を抜かしちゃったもんね。アゴも外れそうなくらいポカーンとしてた
し」
「樹里、お前だって驚いてたじゃないか。けどマルコ、お前、本当にこいつの事、思い
出せないのか?」
 そう言われて、マルコは改めて正体不明の女の顔を見る。綺麗だが、どこかで見た顔
立ち。二年前に出会った女性の顔を思い出して、一人ずつ当て嵌めると、一人だけ面影
を持っている女性がいた。
「! ま、まさか……」
「やっと思い出したみたいね。そうよ、私は」
「桜道灯組長ですね。どうも、お久しぶりです」
「妹よ! 桜道七華で怪盗レインボースター! でも美人のお姉ちゃんと間違われたの
は、ちょっと嬉しいかも」
「複雑な女心ですね」
「クーン」
 樹里のツッコミに、レウが鼻を鳴らした。



 マルコが懐かしい面々と再会している間にも、大会は進行していた。
 第一回MSグラップル世界大会は、二日間に分けて行われる。大会初日である本日は
百人以上の出場者を七名にまで絞り込み、これに特別シード選手である鬼一口を加えた
八名によるトーナメントの一回戦まで行い、明日の二日目に準決勝と決勝を催す。
 鬼一口以外の選手は七つのブロックに分けられ、多数の選手を一度に戦わせるバトル
ロイヤル方式か、広い闘技場を線引きして一度に多数の試合を行うトーナメント方式で
戦う事になる。そして各ブロックで勝ち残った一人だけが、決勝トーナメントに進める
のだ。熾烈な争いである。
 バトルロイヤルは短期間で決着がつくが賭ける機会も一度だけなので、ギャンブルと
しての盛り上がりはイマイチ。トーナメント方式は時間が掛かるが試合数が多くなり、
選手達の情報も多く得られる。一長一短の予選方式は交互に繰り返され、客を飽きさせ
ないよう工夫された試合が行われていた。
 バトルロイヤル方式の第一ブロック、トーナメント方式の第二ブロックの予選は既に
終了していた。どちらの予選も大いに盛り上がり、裏カジノを運営するロマノフに莫大
な富をもたらしていた。
 が、別室にいるロマノフは浮かれてはいなかった。彼の関心は大会にではなく、彼の
隣の椅子に座っている少女に向けられていた。少女の眼は、闘技場の様子を映している
大型モニターに向けられている。
「いかがですか? 今までの試合で面白い強者はいましたか?」
 空ろな目をした少女ミステリアス・マゴットは、首を横に振った。
「いない。勝ち残った二人は仮面を付けてたから顔は見えなかったし、戦い方も下品。
残酷なだけで、面白くない」
「なるほど。あの二人はマティス殿の部下です。金色の仮面を付けた第一ブロックの勝
者の名前はスー、第二ブロックを勝ち抜いた黒い仮面の男は……」
「アッグ」
 マゴットは仮面の男の名を呟く。
「ええ、そのとおりです。選手表を読んでいらしたのですか。さすがですね」
「楽しむ為の努力は惜しんじゃダメ。楽しむ為ならマゴットは、ダブルZは頑張る」
「それでよろしいのです。それでこそ我が主」
 マゴットに頭を下げるロマノフ。その顔は歓喜の感情に満ちていた。
 モニターの向こうでは、第三ブロックの試合が始まっていた。今度はバトルロイヤル
方式。十体以上のMSが剣や拳を振るい、互いを打ち砕く。
「どうですか? このブロックには面白い選手はいますか?」
 そう尋ねるロマノフに、マゴットはモニターの角を指差す。緑色のアストレイタイプ
のMSが、三機のジンを相手に戦っている。荒々しい戦い方だが、三対一という不利な
状況でも一歩も退かない、いやむしろ優勢に戦っている。隙を見せない動きといい、多
数の敵との戦いに慣れているようだ。
「あのMS、ちょっと面白い。自分から厳しい戦いの中に飛び込んでいる」
「確かに、火中の栗を拾う戦い方ですな。あのMSは…」
「選手の名前はトロヤ・ノワレ。MSはアストレイ・グリーンフレーム」
「失われたプロトタイプアストレイの一機ですか。東アジアのジャングルでゲリラ組織
の手に渡ったとは聞いていましたが、この大会に出て来るとは……。ダークホースにな
りそうですな」
 二人が話をしている間に、グリーンフレームは三体のジンを片付けていた。そして残
りの敵全員に襲い掛かる。グリーンフレームの操縦席では、血気盛んな青年が闘志を燃
やしていた。
「行くぜ! 俺は逃げも隠れもしない。敵は全員、ぶっ倒す!」
 バトルロイヤルという試合方式は、トロヤにとって最適のものだった。敵が強ければ
強い程、多ければ多い程、トロヤの闘志は激しく燃える。『密林のファイヤーボール』
の呼び名に相応しい男だった。
 第三ブロックの予選はトロヤの圧勝で終了。続いて第四ブロック、二年前とは別人の
ように成長した桜道七華の戦いが始まる。
「さすがロウ、整備は万全ね。行くわよ、レウ」
「ワン!」
 白い子犬を膝の上に乗せ、七華は愛機と共に闘技場に現れた。彼女の機体を見たマル
コの心は、激しく揺さぶられる。
『まさかこんな所で、あのMSを見るとは……』
 地下格納庫のモニターで、マルコは七華の試合を見る。複雑な思いを抱くマルコの前
で、七華のMSは相手の105ダガーをあっさり追い詰めて、地に倒した。パワーの差
を物ともしない完勝だった。
『当然だ。あのMSに乗る者は強くなければならない。あの男のようにな』
 マルコは影太郎の顔を思い浮かべる。そして、モニターの向こうで勝ち名乗りを受け
るアストレイ・リトルフレームの姿を見る。マルコの闘争心に火が点いた。



 試合が進むにつれて、観客達の興奮は増していった。それは闘技場の最上段に設けら
れたV・I・P席に座る超一流のエリート達も例外ではなく、全員が血走った眼で試合
を観ている。
 誰もがより激しく、より凄まじい戦いを求めている。その願いに応えるかのように、
闘技場では死闘が繰り広げられていた。
 第四ブロックの試合が終わると、第五ブロックの試合が始まるまで少し休憩時間が設
けられた。この間に観客達は食事をしに行ったり、トイレに向かったりする。V・I・
P席の観客も次々と席を立つが、二人だけ例外がいた。老人と美女だ。近い席に座る二
人は、他の客が全員出て行くと話を始めた。
「ふむ。あのちっこいMS、なかなかやりおるわい。自分より大きな相手をに真正面か
ら挑み、見事なテクニックで間接部分や動力中枢のみを壊して戦闘不能にしておる。実
に上手い戦い方じゃ。桜道七華、さすが桜道灯の妹じゃのう」
 敵組織のボスの妹を誉める王 龍(ワン・ロン)。敵の身内の奮闘にも、まったく腹
は立てていないようだ。器が大きいのか、いや、恐らく、
「ええ、そうですわね。本当に素晴らしい戦いでしたわ。素晴らしすぎて、私には物足
りませんでしたけど」
 そう言って美女はクスクスと笑う。マティスと名乗るこの女も、王と同じく真意を悟
らせない人間であるようだ。妖しげなその笑い声には感情が感じられない。彼女はただ
『話の流れで笑っている』だけなのだ。
「ほう。マティス嬢はもっと凄惨な戦いがお好みのようですな。そういえば嬢が出され
た選手達は、嬢好みの残酷な戦い方をしておった。やれやれ、若い子は怖いのう」
「戦いは凄惨かつ残虐なものでなければ、その重さは伝わりません。見る者にインパク
トを与えませんと『素材』として役に立ちませんわ」
「戦いはお主の目的の為の『素材』か。なるほどなるほど、さすがマティス嬢。情報に
関するプロらしい考えじゃわい。爺も参考にさせてもらおうかのう」
「あら、崑崙党の大仙とは思えないお言葉ですわね。情報収集に関しては、そちらもプ
ロではございませんか。ロマノフの動向も、既にご承知なのでしょう?」
 ニヤリと笑う王 龍。好々爺の仮面を脱ぎ捨て、犯罪組織の首領らしい残虐な目付き
を見せる。
「ふふっ、まあのう。これもお主のおかげじゃよ。相変わらず、いい仕事をしてくれる
のう」
「情報収集やそのコントロールに関しては、私達以上の組織はございません。それが
我々『一族』の存在意義ですから」
 一族の使命を自慢げに語るマティス。彼女の心は一族の長としての誇りと自信で満ち
溢れており、それ故に恐れを知らない。崑崙党のボスである王も、マティスの恐れの対
象にはならない。一歩も引く事無く、マティスは堂々と語る。
「万事、私達にお任せください。あなたがお求めになりたい情報、知りたい事は必ずお
知らせいたしますわ」
「うむ。その時はよろしく頼もう」
 それは王だけでなく、崑崙党全体としての返事でもあった。
 マティスは表情は一切変えず、ただ一言、
「ずる賢いですね」
 とだけ言った。
 他の観客達が戻ってきた。それと同時に、試合開始のベルが鳴る。
 ジリリリリリリリリリーン!!!という騒々しい音によって、第五ブロックの幕が開
く。このブロックには、スーやアッグと並ぶマティスの部下の一人がいる。ジンやダガ
ー系のMSが立ち並ぶ中、彼のMSは異彩を放っていた。
「ほう。あれはザフトの新型、いやプロトタイプか。スーとやらのザクウォーリアとい
い、アッグとやらのNダガーNといい、マティス嬢は貴重な機体をたくさん持っておる
ようですのう。羨ましい事で」
「私には色々なツテがありますのよ。プロトタイプセイバー、大仙のご期待に沿える戦
いをしてくれるはずですわ」
 妖しく微笑むマティス。その眼はプロトセイバーの中にいる男に向けられていた。
『戦いなさい、イルド。スーやアッグより素晴らしい戦いをしなさい。あなた達の戦い
は、私に新しい駒を与えてくれるはず。ダブルZにもメレアにも負けない、私の為に戦
ってくれる駒をね』
 マティスの体が少し震える。まるで新しいオモチャを待ち望む子供のように、彼女は
興奮していた。そして、マティスに絶対の忠誠を誓うイルドも、
「マティス様、どうぞご覧ください。私は貴方のご期待を裏切りません。貴方に仇なす
者ども全てに死を。そして貴方と、貴方の為に戦う私に永遠の愛を。ふふふふふ」
 激しく興奮し、心を沸き立たせていた。
 第五ブロックの試合、バトルロイヤルが始まった。いや、それは試合ではなかった。
実弾や剣による攻撃を一切受け付けないPS装甲を施されたプロトセイバーによる一方
的な展開、地獄の殺戮劇だった。



 第五ブロックの試合の様子は、地下格納庫のモニターにも映し出されていた。それは
戦場を生き延びてきたパイロットでさえ気分が悪くなる、残虐で冷酷な戦いだった。
「酷いな……」
 イルドの戦いを見たマルコは、ポツリと呟いた。勝負は既につき、降参している相手
にもイルドは容赦しない。操縦席にプロトセイバーの拳をめり込ませたり、逃げ出した
パイロットを踏み潰したりとやりたい放題だ。
 マルコの気分を更に悪くしたのは、観客達の態度だった。誰もイルドを非難せず、強
化ガラスの向こうで繰り広げられる殺戮劇を喜び、楽しんでいる。彼らにとって闘技場
の向こう側は、映画のスクリーンに映る映像のようなものなのだろう。
「最低の試合ね。ううん、これはもう試合じゃないわ」
 リトルフレームの点検を終えた七華が、マルコの隣に来て呟く。
「ロウと樹里さんは?」
「樹里はあれを見て気分が悪くなって、医務室に行ったわ。ロウはその付き添いよ」
「クーン……」
 七華の足元では、レウが寂しげに鳴く。樹里の心配をしているらしい。相変わらず、
頭のいい犬だ。
「その犬は二年前から変わっていないな。成長しない品種なのか?」
「調べてみたんだけど、成長しないように遺伝子をいじくられているらしいわ。大人の
犬より子犬の方がみんな油断して、仕事がやりやすくなるからでしょうね」
 レウは軍事利用を目的として遺伝子を操作されて生まれた特殊な犬である。可愛らし
い子犬の外見は、スパイ活動には最適だ。小さな体は見つかり難いし、万が一見つかっ
ても殺される心配はほとんど無い。
「まったく、勝手な話よね。人間の都合で体を変えられて、運命も捻じ曲げられた。そ
して、大事な友達も行方不明。不幸すぎるわ」
「クゥン?」
 首を傾げるレウの頭を、七華は優しく撫でる。犬が苦手だった二年前からは想像でき
ない光景だった。
「犬嫌い、治ったんですか」
「この二年間、ずっと一緒にいたのよ。自然に治ったわ」
「レウと一緒に、あの男を捜してたんですか」
「そうよ。あいつには言いたい事がたくさんあるの。絶対に見つけてやるわ」
「もう死んでいるかもしれませんよ」
「それは無いわ。あいつはそう簡単に死ぬ奴じゃない。あの男、宇流影太郎のしぶとさ
はあんたも良く知っているでしょう?」
 七華、いや怪盗レインボースターはそう断言した。何度も出会い、共に過ごした相手
だから分かる。そうだと信じている。信じられる。
「半壊したリトルフレームをゴビ砂漠で見つけた時、あいつはコクピットにはいなかっ
た。遺体も無かった。だから生きている。またきっと会える。私はそう信じているわ。
あんたはどうなのよ?」
「……………………」
 マルコは答えられなかった。二年前のマルコなら頷いただろうか?
「ふうん、まあいいわ。私はこの大会に優勝して、リトルフレームの名前を裏の世界に
広める。そうすれば、あいつの耳にも届くかもしれない。だから私は手は抜かない。絶
対に優勝するわ。あんたと戦う事になったら、覚悟しておきなさい」
 そう言って七華はレウと共に去って行った。
 残されたマルコは、自問自答していた。今の自分は影太郎と会う資格があるのだろう
か? 会ってもどうすればいい? 何を話せばいい?
『ふっ。宮城夏から逃げ回っている不動剛馬の事を笑えないな』
 モニターからは、第五ブロックの試合終了を告げる声が報じられていた。



 第七ブロックの試合はトーナメント方式。このブロックにはMSレスキュー隊の設立
に燃える男、バルドル・カッフェが参加していた。
 バルドルの機体はレスキュージン。プラントが災害救助用に改造したジンである。だ
が機体数は少なく、その数少ない貴重な一機が民間人であるバルドルの手に容易に渡っ
た事態は、プラントでもMSによるレスキューという概念が薄い事を証明していた。
「まったく、こういう行政の対応の悪さだけはナチュラルもコーディネイターも変わら
ないな。デュランダル議長はもっとマシな人だって噂だったんだけど、所詮噂は噂か。
まあいいさ、俺は俺の道を行くだけだ!」
 試合開始。バルドルのレスキュージンには銃や剣などの武器は装備されていない。し
かしバルドルは、レスキュー用の装備を駆使して戦闘用MSに対抗。腰のペンチクレー
ンアームを伸ばして敵のジンを掴んで投げ飛ばしたり、消化剤ミサイルの煙で敵の視界
を塞いだ一瞬、敵機に近づき、パンチを叩き込む。イルドのプロトセイバーとは全く違
う、ユニークな戦い方だった。
「あれ、面白い」
 バルドルの戦いはイルドの殺戮劇にも無関心だったマゴットの気を引き、
「ふうん、あれが……。面白いわね」
 マティスの目にも止まった。彼女の側に立つスー、アッグ、イルドの三人は複雑な表
情を浮かべる。特にイルドは、
「あの男、殺す。必ず殺す」
 バルドルへの嫉妬を隠さなかった。
 第六ブロックの試合終了。勝者はもちろんバルドル。
 そしてすぐに第七ブロックの試合が始まる。これが今日最後の戦いであり、大会最後
のバトルロイヤルだ。マルコのデスフレームもようやく出場した。
「……今は影太郎の事は忘れよう。目の前の敵を倒すだけだ!」
 試合開始。だが、他の機体が一斉にデスフレームに襲い掛かってきた。バトルロイヤ
ルでは弱い者から狙われる。最年少の選手であるマルコが狙われたのは当然だ。だが、
「甘いな」
 デスフレームが高く飛び上がった。掴みかかってきたジンやダガーをあっさりかわし
て、強烈な飛び蹴りを叩き込む。
「低レベルな連中だ。《ホクト》を使うまでもない」
 その言葉どおり、マルコは《ホクト》を使う事無く、予選を勝ち残った。デスフレー
ムの動きには一切の無駄がなく、ビームサーベルで敵MSの四肢を次々と切断。金目当
てのチンピラ傭兵達との格の違いを見せ付けた。
 これで予選は全て終了。そして厳正な抽選の結果、トーナメントの組み合わせが発表
された。闘技場の頂点に立つ巨大モニターにその結果が映し出されると、観客から驚き
と期待の声が上がった。

第一試合
           桜道七華 vs イルド・ジョラール
 (アストレイ・リトルフレーム)  (プロトセイバー)



第二試合
      バルドル・カッフェ vs マルコ・フィオーレ
       (レスキュージン)   (アストレイ・デスフレーム)



第三試合
             鬼一口 vs スー
     (専用ストライクダガー)  (ケルベロスザクウォーリア)



第四試合
         トロヤ・ノワレ vs アッグ
 (アストレイ・グリーンフレーム)   (NダガーN)



「なかなか面白い組み合わせね」
 巨大モニターに映し出された八強の対戦組み合わせを見たマティスは、楽しそうに呟
いた。
「人殺しの道具で人を救おうとしているバカ対メレア・アルストルの秘蔵っ子。噂の鬼
一口とスーの殺人鬼対決。密林のファイヤーボールとアッグの試合も面白そうだわ。う
ふふふ、わざわざ来た甲斐がありそう」
 微笑む彼女の後ろには、話題にされたスーとアッグが立っている。仮面の奥に隠され
た目は二人とも空ろで、だからこそ恐ろしく感じる。
「でも、取りあえずは第一試合ね。これも面白い組み合わせだわ」
 マティスは、少し離れた席に座っている桜道灯の方を見る。彼女も後ろに二人の部下
を立たせ、自身は豪華な椅子に腰掛けている。妹が生死を賭けた戦いに挑むのに、随分
と落ち着いている。
「さすがは崑崙党と互角に渡り合っている桜道会のトップ。大した余裕だわ。妹さんの
事を心から信頼しているのね」
 マティスの言うとおり、灯からは妹の七華を心配する様子は見られない。彼女の後ろ
に立つエレナとラグナスも同様だ。
「でも、私のイルドもなかなかやりますわよ。伝説の怪盗レインボースターの最期を見
る事になるかもしれませんわ。うふふふふふふ」
 試合開始を楽しみに待つマティス。その時、巨大モニターに新たな情報が映し出され
た。
「あら、ベスト8の試合は『首輪』付きなのね。ますます面白くなりそう。イルドの不
利にならなければいいんですけど。ふふっ、うふふふふふ」



 機動闘技場で行われる戦いは、普通の試合ばかりではない。相手の一方が強すぎた
り、盛り上がりに欠ける試合になりそうだと判断された場合、裏カジノはその試合に特
別ルールを設ける。
 例えば、銃火器類の使用禁止。
 例えば、三分以内での試合決着(出来なければ両者の機体を爆破)。
 例えば、強いパイロットに幻覚剤を飲ませて、その状態で戦わせる。
 などなど、選手達にとっては厳しい条件が付けられる。この条件を『首輪』と呼び、
選手達に熾烈なデスマッチを強いる。
 勝ち残った八人の選手にも、それぞれの試合で『首輪』が付けられる事になった。第
一試合に出場する桜道七華とイルド・ジョラールに付けられた『首輪』は『ビーム兵器
の使用禁止』。ビームライフルやサーベル、その他ビームエネルギーを利用した武器
は、一切使用禁止。使った時点で負けとなる。
 闘技場の地下格納庫にいる選手や整備士達にも、このルールは伝えられた。だが既に
機体の調整は終了しており、ルール上、搭乗する選手以外は機体に触れる事は許されな
い。これでは新ルールに対応する事は、ほとんど出来ない。この狙い済ましたタイミン
グの悪さも、『首輪』付きの試合を過酷なものにしている理由の一つだった。
「やれやれ。これはまた、リトルフレームには厳しいルールだな」
 ロウの言うとおりだった。このルール下では、リトルフレームの主武装である71Y
式改ビームライフル《ヒナワ》は使えない。使えるのは実弾式のバルカン砲《イーゲル
シュテルン》だけ。
 剣や槍、実弾式の銃ならば使えるが、闘技場で用意されている武器はジンやダガーな
どの物ばかり。通常のMSよりも小さいリトルフレームは、使う事が出来ない。
「それじゃあリトルフレームは素手で戦わないとダメって事? そんなの無理よ!」
 樹里の言うとおり、唯でさえ普通のMSとはパワーの差があるリトルフレームにとっ
て、この『首輪』はあまりにも不利だ。しかし、
「いや、俺は七華が勝つと思うぜ」
 リトルフレームの整備を行ったロウは、妙に落ち着いていた。
「今の七華は昔とは違う。リトルフレームもだ。それにビーム兵器が使えないのは相手
も同じだ。あっちのMSの武器はビーム兵器が主体の様だから、ほとんどの武器は使え
ないはずだ。それなら七華にも勝ち目はある」
「でも…」
「樹里、七華を信じてやれよ。あいつが強くなったのは、トレーニングに付き合った俺
達が一番良く知ってるだろ? それに今のあいつには、最高のパートナーがいるんだ。
それも二人も。いや、一機と一匹かな? 俺が用意した『右腕』もある。あいつは負け
ないさ、絶対に」
 自信あり気に微笑むロウ。それを見た樹里の心から、不安が消えていく。格納庫に設
置された巨大モニターを見ながら、樹里は七華の無事を祈った。



 ビーム兵器が使えないという条件は、イルドにも厳しいものだった。彼が乗るプロト
セイバーの武装はロウが推測したとおり、そのほとんどがビーム兵器である。だがこの
試合ではビームライフルやビームサーベルだけでなく、強力な《アムフォルタスプラズ
マ収束ビーム砲》も《スーパーフォルティスビーム砲》も使用不可。プロトセイバーの
戦闘力は半減したと言っていい。
「ふっ。このルールは主催者側の嫌がらせか? だが、それでも私は勝つ。マティス様
の御前で無様な姿は晒せないからな」
 勝利を誓うイルド。彼の心に在るのは、マティスへの忠誠と敵への殺意のみだった。
 特別ルールの採用に伴い、闘技場側がジンやダガー用の実弾兵器を貸してくれる事に
なった。だがイルドは、それを拒んだ。
「他のMSの武器など使わない。マティス様から与えられたこのMSの力のみで勝って
みせる。それが私の忠誠の証だ」
 いよいよ試合が始まる。闘技場の両脇にある巨大なゲートが開かれ、広い闘技場に二
機のMSが現れた。
 巨大モニターから向かって右のゲートから現れたのは、イルドのプロトセイバー。左
側のゲートから出て来たリトルフレームを睨みつけているが、リトルフレームに乗る桜
道七華は平然としている。
【いよいよベスト8か。ここから先は簡単には勝てないぞ。気を引き締める事だな】
 リトルフレームの操縦席に、七華の声とは違う声が響き渡る。続いて、
「クーン」
 という犬の鳴き声。七華の頭の上に乗っているレウのものだ。
「心配しなくても大丈夫よ、レウ。どんなに手強い相手でも、私は必ず勝つわ。8(ハ
チ)もサポート、よろしく」
【分かっている。ロウや桜道灯からも頼まれているからな】
 二年前のリトルフレームには無かった小型モニターに、8(ハチ)からの音声入りメ
ッセージが映し出される。
【君はまだまだ未熟だが、私がサポートすれば大丈夫。ロウが作ってくれた『右腕』も
ある。相手がPS装甲のMSでも、油断しなければ必ず勝てる】
「ありがとう。8(ハチ)にそう言ってもらえると心強いわ。特訓では随分シゴかれた
けど」
【君の為を思えばこそだ。私やロウ達の努力を無駄にしないでくれよ】
 七華はこの大会に出る前、灯に頼まれたロウからMSの操縦の特訓を受けていた。エ
レアとラグナスにも模擬戦の相手をしてもらい、レッドフレームからリトルフレームに
移された8(ハチ)からも、色々教えてもらった。元々優れたMSパイロットだった七
華は、この特訓によって更に腕を上げた。
「特訓は辛かったけど、このリトルフレームに乗っている限り、私は負ける訳にはいか
ないのよ。絶対に!」
 気合を入れる七華。狭いコクピットに、闘志に満ちた声が響く。
 彼女の気合に応えるかのように、巨大なドラが鳴り響く。荘厳な音響と共にベスト8
の最初の戦いが始まった。



「この戦い、桜道七華の負けだ」
 闘技場の地下格納庫。デスフレームの調整をしながら試合を見ていたマルコは、そう
断言した。
「おいおい、マルコ君。試合はまだ始まったばかりだぞ。そう言い切るのは早すぎるん
じゃないのか?」
 不動剛馬の言うとおり、七華とイルドの試合が始まってから、まだ一分も経っていな
い。整備を手伝っていたレオも、
「俺も剛馬さんの言うとおりだと思います。予選を見た限りでは、あの二人のMSの操
縦技術は互角と見ました。勝負の行方は分かりませんよ」
 と言う。しかし、マルコの考えは揺るがなかった。
「じゃあ聞くが、お前達はあの女に勝ち目があると思うのか?」
「…………」
「…………」
 剛馬もレオも言葉に詰まった。
「何だ、分かっているじゃないか。ビーム兵器の使用不可。このルールのせいで、リト
ルフレームの勝ちは100%無くなった。PS装甲のMSにビーム兵器以外の攻撃でダ
メージを与えるのは不可能だからな」
 マルコの言うとおりだった。プロトセイバーの装甲は、実弾や打撃・斬撃などをほぼ
無効化するPS装甲。唯一ビーム兵器だけがダメージを与える事が出来るのだが、それ
が使えないのでは、どうする事も出来ない。
「長期戦にもつれ込ませてエネルギー切れを狙うという手もあるが、あっちのパイロッ
トもそれは警戒しているだろう。見ろ、余計な動きはせずに、リトルフレームの動きを
見極めようとしている」
 確かに、モニターに映し出されているプロトセイバーは、試合が始まってからほとん
ど動いていない。リトルフレームが攻撃してきたら、わずかに動いてこれをかわす。無
駄の無い、不気味な動きだった。
「奴はリトルフレームの動きが衰えるのを待っている。七華のスタミナが切れて、動き
が鈍ったところを捕まえるつもりなんだろう」
 PS装甲で無効化される攻撃をわざわざかわしているのは、エネルギーの消耗を少し
でも抑える為。プロトセイバーのパイロットは、エネルギー効率に問題がある自機の弱
点を熟知しており、それをカバーする戦い方をしている。
「だが、桜道七華の方はただガムシャラに突っ込むばかり。操縦技術が上がっても、そ
れを活かす為の方法を考えていない。宝の持ち腐れだ」
 こう説明されると、七華の勝ちは無いように思える。剛馬とレオも反論出来なくなっ
た。
『だが、それでも勝負ってものは最後まで分からないものだぞ、マルコ』
 剛馬は心の中で呟いた。そして、少し昔の戦いを思い出す。勝利を確信して相手を侮
り、結果逆転負けをした痛恨の戦い。
『まったく、鬼一口といい、アキ・ミツルギといい、桜道姉妹といい、女ってのは怖い
ねえ。例外は宮城夏ぐらいか。いや、あいつは別の意味で怖いな。純粋過ぎる』
 宿敵の顔を思い浮かべる剛馬。自分では気付いていないが、嬉しそうな笑みを浮かべ
ていた。



 自分が不利だという事は、七華も承知していた。
 プロトセイバーとイルドは強かった。数百万Gの荷重にも耐えるといわれるPS装甲
に加え、MSの性能もパイロットの腕も一流。こちらの攻撃は全てかわされており、こ
のままでは勝てない。
「でも、だからと言って!」
【逃げる訳には行かないな。私達は必ず勝つ】
「ワン!」
 一人の女と一機のコンピューター、一匹の犬は心を一つにする。三名とも、勝利を諦
めていない。
 一方、イルドはこの戦いに飽きてきた。相手は無闇に突っ込んでくるだけ。単純な動
きで、既に見切っている。操縦桿を少し動せば、攻撃は全てかわせる。つまらない戦い
だった。
「やれやれ。こんな愚かなパイロットが、よくベスト8まで勝ち進めたものだ。この大
会のレベルは低すぎる。マティス様も退屈しているかもしれないな」
 敬愛する主を退屈させてはならない。イルドはこのつまらない試合を終わらせる事に
した。
「ふっ。ビーム兵器が使えれば一瞬で終わらせられるのだが、使えないのであれば仕方
ない。この愚かな相手にはしばらくの間、天よりの裁きを味わってもらおう」
 ふわりと飛び立つプロトセイバー。セイバーは空中戦と高速戦闘に長けたMSだ。イ
ルドは機体の特徴を活かして、空から攻撃を仕掛けるつもりだ。地下にある闘技場の空
は狭いが、それでも天頂はMSのジャンプ力では届かない高さだ。そこまで飛べば、空
を飛べないリトルフレームには、もうどうする事も出来ない。
 空を飛ばれるという事は、リトルフレームにとってはとどめの一撃に等しい。それを
分かっているのか、リトルフレームが突っ込んできた。
「ふっ。単純すぎる」
 イルドはリトルフレームの性能を完全に見切っていた。あのMSのスピードでは、闘
技場の端にいるプロトセイバーが飛び立つまでには追いつけない。
「勝負ありだな」
 そう思った瞬間、信じられない事が起きた。
「8(ハチ)、『右腕』を使うわよ!」
【分かっている!】
「ワンワン!」
 三人の意志が一つとなり、リトルフレームの切り札が発動した。
 リトルフレームの右腕が肩から外れ、ロケットの様に炎を放ちながら飛ぶ。そのスピ
ードはリトルフレームを遥かに上回る。
「なっ!?」
 予想外の攻撃に動揺するイルド。完全に油断していた彼は、飛んでくる右腕に対応出
来なかった。リトルフレームの右腕は、プロトセイバーの胸部に命中する。
「くっ、だが、この程度の攻撃は通じないぞ!」
 イルドの言うとおりだった。リトルフレームの右腕は命中したが、PS装甲で守られ
たプロトセイバーは傷一つ付いていない。だが、
「? な、何だ、この腕は? なぜくっついたままなんだ?」
 しばらく時間が経っても、リトルフレームの右腕は、プロトセイバーの胸にくっつい
ている。振っても剥がれ落ちないし、力づくで剥がそうとしても離れない。
「ど、どうなっているんだ、これは!? プロトセイバーの力でも剥がせないだと?」
 またまた予想外の出来事に、冷静なイルドも大いに焦る。
 実はリトルフレームの右腕の指先からは、金属用の接着剤が出ていた。これはコロニ
ーの建設などにも使われる極めて強力な物だが、リトルフレームが使っているのは、市
販の物をロウ・ギュールが調合して接着力を強めた『宇宙一のジャンク屋特製スペシャ
ルバージョン』である。MSの力程度では剥がせない、異常とも言える接着力を誇って
いた。接着力が強すぎて危険なので、使用にはプロフェッサーの許可が要るというシロ
モノだ。
「今更だけど、ロウ、いいの? プロフェッサーの許可が無いのに、あれを勝手に使っ
ちゃって」
「しょうがないだろ。向こうは忙しいみたいで連絡付かないんだから。なあに、大丈夫
さ。事情を話せば、プロフェッサーなら分かってくれる。尻を叩かれるくらいで済むと
思うぜ」
「叩かれるのがロウだけなら、いいんだけどね。はあ〜」
 ため息をつく樹里の隣で、ロウはニコニコ笑ってモニターを見る。地下格納庫の巨大
モニターには、リトルフレームの小さな右腕を剥がそうとするプロトセイバーの姿が映
っている。うろたえるその様子は滑稽で、誰もが自然に笑みを浮かべる。それはイルド
の主も例外ではなく、
「うふふふふふふ、なかなか面白い事になったわね。一方的な試合は見てて退屈だわ。
こういうアクシデントが無いと、盛り上がらないですわ。スー、アッグ、貴方達も面白
いでしょう?」
 マティスは後ろに控えている二人の部下に呼びかける。笑い声が包む闘技場の中で、
仮面を付けたこの二人だけは笑い声を上げていない。
「スーには面白いかどうかは分からない。けど、この試合の結果は見えた」
「俺も」
 二人の声は冷静過ぎて、不気味なものだった。
 プロトセイバーの醜態を笑っていない者は、他にもいた。七華の姉である桜道灯とそ
の部下、エレアとラグナスである。
「会長」
 短く尋ねるエレアに、灯は黙って頷く。
「まったく、あの子は私をハラハラさぜる事に関しては天才ね。でも…」
「もう大丈夫です。この勝負、七華さんの勝ちだ」
 ラグナスの機械の頭から、頼もしい声が発せられた。
 一方、右腕を剥がそうと暴れるプロトセイバーの操縦席では、異常を告げる警告音が
鳴り響いていた。
「この音は、機体外部の温度が上昇している? まさか!?」
 イルドはコンピューターで温度上昇の中心となっている箇所を探索した。探索はすぐ
に終了した。その箇所は、イルドの予想どおりの場所だった。
「あの右腕から高熱が発せられているのか! だが、この温度は……」
 分析している間にも、リトルフレームの右腕から発せられる熱はどんどん上がってい
る。現在、摂氏10000度。小型ビーム兵器の熱温にも匹敵する温度だ。このままで
はPS装甲の耐熱限界を超えてしまう。
「くっ!」
 プロトセイバーのパワーを全開にして、右腕を剥がそうとするイルド。だが、リトル
フレームの右腕は離れてくれない。イルドは理解した。この右腕は対PS装甲MS用の
『武器』なのだ。リトルフレームが単純な攻撃を繰り返していたのは、自分を侮らせ
て、右腕を付ける隙を作らせる為だったのだ。
「何という失態を! これではマティス様に合わせる顔が……」
 過信を悔やむイルドだが、時既に遅し。温度はますます上がり、プロトセイバーの装
甲に穴が開き始めた。リトルフレームも自身の発する高熱に耐え切れず、溶け出してい
る。
「この時を…」
【待っていた!】
「ウー、ワン!」
 そう、全てはこの小さな穴を作る為に。
 片腕を失ったリトルフレームが走り出した。先程までの単純な動きではない。左右に
高速ステップをして、目標を定めさせない。その軽快な動きは冷静さを失ったイルドを
更に動揺させ、迎撃を行う暇を与えない。
「こ、この、チョコマカと…」
 通常のMSよりも小さく軽いリトルフレームの『本気の』動きは、動揺したイルドの
眼に止まるものではない。あっという間にリトルフレームは、プロトセイバーの懐に飛
び込み、そして、
「そこ!」
 プロトセイバーの胸部、溶けた己の右腕の上から左の手刀を叩き込んだ。高熱を長く
当てられた事によって開いた穴に、小さくも鋭い手刀が打ち込まれる。
 この一撃で勝負は決まった。手刀が打ち込まれた箇所は、プロトセイバーの操縦席の
真上。手刀を下ろせば、イルドを圧殺出来る。
「くっ、こ、この…」
「そこまでよ、イルド。勝負ありだわ」
「マ、マティス様!」
 専用の極秘回線からの主の声が、尚も戦おうとしたイルドを抑える。
「油断したわね。今回は貴方の完敗よ。早くギブアップしなさい。相手も貴方を殺すつ
もりはないみたいだし」
「で、ですが……」
「貴方はまだまだ役に立つ人間よ。こんな所で死んでは駄目。それに貴方の命は貴方の
ものじゃない。その命、私の為に使ってくれると言ったのは嘘だったの?」
「………………」
「今日の敗北は貴方をきっと強くする。貴方の成長を期待しているわよ、イルド」
「は、はい」
 マティスの許しを貰い、イルドはようやく己の敗北を受け入れた。だが、その心には
黒く暗い炎が灯された。
『桜道七華。よくもマティス様の前で恥をかかせてくれたな。貴様は必ず殺してやる。
必ず!』
 イルドのギブアップによって、七華の勝利が決定。闘技場は勝者を祝う歓声に包まれ
た。
 だが、七華の表情は冴えなかった。呼吸は乱れ、顔色も悪い。
「クーン、クーン……」
 自分の頭の上で心配そうに鳴くレウにも、七華は反応しない。疲れ切っているのだ。
【無理をしすぎたな。呼吸も脈拍も乱れすぎているぞ】
「だ、大丈夫よ。ちょっと疲れただけ。少し休めば元通りになるわ」
【やはり今の君にリトルフレームを操縦するのは無理だ。いくら改装しても、君の体は
この機体には大きすぎる。他のMSに乗り換えた方がいい】
 二年前よりも大きくなった七華の体には、リトルフレームの操縦席はかなり狭い。ロ
ウが改装してくれたが、それでも体を動かせるギリギリの広さだ。
 狭い操縦席で敵の攻撃をかわして戦うのは、並大抵の苦労ではない。腕を前に出すだ
けでも余計な手間がかかり、普通のMSを操縦する時の倍以上の体力が必要だった。8
(ハチ)の言うとおり、今の七華なら普通のMSに乗った方が楽だし、戦い易い。それ
は七華も分かっているが、
「でも、それでも私はこのMSに乗りたいのよ。あいつを見つけたら、すぐにリトルフ
レームに乗ってほしいの。このMSはあいつの物だから」
【七華……】
 8(ハチ)は七華の心中を察した。今の彼女の心は、影太郎への贖罪の気持ちで溢れ
ている。自分のせいで行方不明になった影太郎と、それを哀しむ人達へのお詫びと、影
太郎に会いたいという気持ちが入り混じって、リトルフレームへの異常な拘りになって
いるのだ。
【このままリトルフレームで戦い続けていたら、君は死ぬかもしれない。それでもいい
のか?】
「いいえ、私は死なないわ。あいつに会うまでは、絶対に」
「クーン……」
「レウも心配しないで。必ずあなたをあいつと会わせてあげるから、ね?」
 頭の上のレウを撫でる七華。レウが心配しているのは影太郎ではなく七華なのだが、
彼女は気付いていない。
【機械の私でさえ分かるのにな……】
「えっ、8(ハチ)、何か言った?」
【いや、何でもない】
 七華の気持ちは揺るがず、だからこそ危ういものだった。しかし、これは本人が自分
で気付かなければ駄目なのだ。8(ハチ)はそれが分かっていたから、何も言わなかっ
た。いつか七華が自分の危うさに気付いてくれると信じて。



 裏カジノの主催者室。闘技場の様子を映す巨大モニターの前に座る少女に、アンドレ
イ・ロマノフは頭を下げる。
「終わりましたな。いかがでしたか、我が主。この試合、楽しんでいただけましたか
な?」
 ロマノフは傍らの席に座る少女に声を掛ける。空ろな目をした少女ミステリウス・マ
ゴットは、
「うん。ちょっとだけ楽しかった」
 と、短く答えた。それっきり彼女がこの試合について、思い返す事は無かった。
 一方、マゴットの側に控えるロボット獣ゴルドは、モニターの向こうにある試合の終
わった闘技場をじっと見つめていた。その視線の先には、地下格納庫に引き上げるリト
ルフレームがあった。
「グルルルルル……」
 機械の喉を唸らせるゴルド。ロボットのものとは思えない、切なさを感じさせる声だ
った。

(2008・11/8、前半掲載 11/15、後半掲載)

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