第35章
 救う者vs戦う者

「よう、お疲れさん」
「やりましたね、七華さん! おめでとうございます!」
 試合を終えて地下の格納庫に戻ってきた七華を、ロウと樹里は笑顔で迎え入れた。特
に樹里は、我が事のように喜んでいる。
 そんな二人に七華も微笑を返して、
「ありがとう。8(ハチ)がサポートしてくれたおかげよ。ロウが8(ハチ)をリトル
フレームに組み込んでくれて、助かったわ」
「ワンワン!」
 七華の頭の上にいるレウも、嬉しそうに吠える。
「いやいや、七華もレウも礼には及ばないぜ。あの怠け者、いや怠けコンピューターが
役に立ってくれたのなら何よりだ」
【聞こえたぞ、ロウ。誰が怠けコンピューターだ!】
 リトルフレームの操縦席から、8(ハチ)の怒声が発せられた。合成音声とは思えな
い程、生々しい怒りに満ちた声だった。
「事実を言っただけじゃないか。最近は退屈だー退屈だーばかり言って、俺の仕事を手
伝おうともしないくせに」
【退屈だったから退屈だと言ったんだ。影太郎の事がショックだったのは分かるが、こ
の二年、ジャンク屋としての仕事も上の空で、完全に気が抜けていただろう】
「うっ、そ、それは……」
【私が自由に動ける身だったら、愛想を付かして出て行っただろう。腑抜けたお前を見
放さなかった樹里やプロフェッサーは寛大すぎるな】
「あー、まあ、その、二人には感謝してるさ。まあその話は置いといて、と」
 風向きが怪しくなってきたので、ロウは話の相手を七華に変えた。
「対PS装甲用のヒートアームを早くも使っちまったか。一本だけの切り札を失ったの
は痛いな」
「ごめんなさい。けど……」
「ああ、分かってるさ。あれを使わなかったら勝てなかったし、覚悟はしていた。悪い
のは一本しか作れなかった俺だ」
「仕方ないわよ。材料も時間も足りなかったんだから」
「樹里の言うとおりよ。むしろロウは凄いと思うわ。たった二日でMSの腕一本を作る
なんて、姉さんとエレアも感心していたわよ。もちろん私も」
「サンキュー。けど、これから先の事を考えないとな。勝ち進めば、またPS装甲のM
Sと戦うかもしれないんだし」
「でも、もうビーム兵器は使えるんだし、次の試合に出て来るMSは、どっちもPS装
甲じゃないわ。準決勝は心配しなくてもいいんじゃない?」
 そう言って樹里は、巨大モニターに映っているトーナメント表を見た。次の試合に出
場するMSは、レスキュージンとアストレイ・デスフレーム。確かにどちらもPS装甲
ではない。プロトセイバーよりは攻撃は通じるだろうが、
「どうかな? 俺はあの二機はPS装甲のMSより厄介な相手だと思うぜ」
「ええ、そうね」
 頷き合うロウと七華。二人の心を感じ取った樹里の表情も暗くなる。
「クーン……」
 レウの表情も、暗く重いものになっていた。この愛らしい白犬には似合わない表情だ
った。
『マルコ、お前も俺と同じだったのか? この二年、お前も影太郎の事を気にして、そ
れでも必死に戦ってきたのか?』
 ロウの心の中での問いは、誰にも聞こえないし届いていない。ロウも答えは求めてい
ない。答えは、間もなく始まる試合で分かるだろう。



 巨大な闘技場で対峙する、レスキュージンとデスフレーム。バルドル・カッフェとマ
ルコ・フィオーレは、それぞれの操縦席で試合開始の時を待つ。
 マルコは、デスフレームに注がれる観客達の視線を感じ取っていた。分厚い硬質ガラ
スの向こうにいる観客の大半は、マルコの勝利を望んでいる。1対9という賭けのレー
トが、それを証明している。
 このレートではデスフレームが勝っても、配当は微々たるものだ。だが観客達は、そ
れを知りつつマルコに賭けた。期待しているのだ。マルコがバルドルに勝つ事を。彼の
甘い理想を打ち砕く事を。
 MSによる人命救助を行い、MSレスキュー隊の設立を夢見る黒い肌の青年、バルド
ル。彼の考えは戦い方にも現れており、予選では相手を誰一人殺す事無く勝利した。
 見事な腕だが、この機動闘技場に来た客にとって、バルドルの戦い方は不満を与える
ものだった。わざわざこんな地下深くの違法な場に来た者達が望んでいるのは、スポー
ツマンシップ溢れる清々しい試合ではない。表の世界では見る事が出来ない、鮮血と死
に満ちた戦い、殺し合いなのだ。
 観客達にとって、MSグラップルは映画や劇と同じようなもの、一種の娯楽だ。試合
が盛り上がる事を望み、より刺激的な戦いを求めている。殺戮を賞賛し、殺人鬼を英雄
の様に褒め称える。
 もちろんいつも敗者が死ぬ訳ではない。しかし『敗者の死』というイベントが、MS
グラップルを盛り上げる為のスパイスである事は確かだ。最も残酷に人を殺す鬼一口へ
の歓声を聞けば、それは明らかだろう。
 だが、バルドルはそのスパイスを使う事を拒否している。人を殺さないこの男に、観
客の不満は少しずつ高まっていた。その不満がマルコへの期待となって現れている。バ
ルドルを殺せと、彼の全てを否定しろと、マルコに望んでいるのだ。
「うるさい」
 ポツリと呟くマルコ。誰かに言ったのではなく、ごく自然に出た言葉だった。
 マルコもバルドルには不満を抱いていた。MSで人を救う。そんなくだらない事を、
あのバルドルという男は本気でやろうとしている。MSは兵器だ。物を壊したり、人を
殺す事しか出来ないし、それ以外の事などやる必要は無い。やってはならない。
「そう。兵器として作られたMSが戦う事しか出来ないように、人にも、定められた運
命というやつがある。運命に逆らったり、余計な事なんて、しない方がいいんだよ。そ
うすれば…」
 マルコの頭に、影太郎の顔が浮かぶ。短い命を燃やし尽くそうと頑張り、戦い、挙句
の果てに何処かに消えた、愚かな男。
『俺はあいつみたいにはならない。俺はマルコ・フィオーレ。メレア・アルストル様の
忠実な僕として生きる為に生まれた人間。だからもう負けない。迷わない。迷ったりす
るものか!』
 レスキュージンを睨むマルコ。なぜか怒りと苛立ちがこみ上げてくる。
『いいだろう。俺もあいつは気に入らない。闘技場(せんじょう)で人を殺さない、兵
器で人を救おうとしている、あんな甘い奴は俺が始末してやる』
 マルコがそう決意すると同時に、試合開始の音が鳴る。
 動き出す二機。レスキュージンもデスフレームも、相手に向かって一直線に突っ込ん
でいく。
「行くぞ、マルコ君。君の力を見せてもらう!」
「殺してやるよ、バルドル・カッフェ。甘い理想と共に死ね!」



 バルドル・カッフェ対マルコ・フィオーレ。この試合は、多くの人々の注目を集めて
いた。特にバルドルの過去を知る二人の人物は、彼の戦いをそれぞの思いを抱いて見て
いた。
 組織の諜報力によってバルドルの過去を調べ上げたマティスは、
「うふふふふふ。さあ、バルドル・カッフェ。貴方の戦いを見せてちょうだい。『ザフ
トの黒狼』と呼ばれ、多くのナチュラルを殺してきた貴方が、今、どう戦うのか、楽し
みだわ。相手はメレア・アルストルの秘蔵っ子、予選のように手加減して勝てる相手で
はないわよ。うふふふふふ」
 妖しげな期待に胸を躍らせ、楽しげに観戦する。
 そしてもう一人、試合が始まる前にバルドル自身から彼の過去を語られたイノリ・ユ
ーミルは、
「……………………」
 カプセルの中で、複雑な表情を浮かべていた。
 期待と不安、困惑、ためらい。そんな感情がイノリの心をかき乱しているが、どれも
決定的なものではない。だからイノリはこの戦いを楽しむ事も、止める事も出来ず、た
だ黙って見守っていた。
「バルドル。貴方は面白い人。だけど、とても悲しい人。あなたの思いは、この醜い世
界では綺麗で純粋すぎる。だからとても美しくて、そして儚い。あなたは……」
 この二人の女性とはまったく違う視点から、この戦いを見ている者がいた。不動剛馬
とレオだ。巨大モニターに映る試合を見る二人は、MSパイロットとしてマルコとバル
ドルの戦いを評価する。
「レオ、マルコの動きをどう見る?」
「悪くないですね。いや、予選よりも動きはいい。これなら問題なく勝てると思います
よ」
「ふん、そうかな?」
「違うと仰るんですか?」
「確かにマルコのデスフレームはよく動いている。攻撃も速くて的確だ。だが、全てか
わされている。キックもパンチも一発も当たっていない」
 剛馬の言うとおりだった。攻撃を繰り出すデスフレームだが、この拳も足もレスキュ
ージンにはかすりもしない。
「性能ではデスフレームの方が上なのに、攻撃が全て避けられている。完全に見切られ
ているのさ」
「確かに……。さすがは『ザフトの黒狼』、予選の相手とはレベルが違いますね。銃や
バルカンが使えれば、マルコの方が圧倒的に有利なのに」
 この第二試合でも、第一試合と同じく特別ルールである『首輪』が設けられた。その
内容は、射撃武器の使用禁止。ビームライフルはもちろん、威力の低い小型バルカンま
で射撃系の武器は一切使えない。
「バルドルの方もミサイルとか使えませんけど、あちらのミサイルは元々戦闘用じゃな
いし、戦い方によってはまったく使わなくてもいいはず。この『首輪』はマルコの方が
不利ですよ」
「そうだな。だが、あいつにはいい薬になるかもしれん」
「薬?」
「ああ。今のマルコは病気みたいなものだ。それも、かなり悪い。早く治さないと手遅
れになるんだが、問題は本人が自分の状態に全く気付いていない事だ。この病気は本人
が自覚しないと治せない。この試合で気付いてくれるといいんだがな」
 剛馬の心配を知らずに、マルコは攻撃をし続けていた。何度もパンチやキックを繰り
出すが、やはり当たらない。特別室でこの試合を見ていたマゴットの口が、大きく開
く。
「ふわああああああああああああああああ。退屈。つまらない試合。マゴットもダブル
Zも、ちょっと飽きた」
 先程まで隣にいたロマノフは、崑崙党の王大仙に呼び出されて、今はいない。この特
別室にいるのはマゴットと、ライオン型ロボットのゴルドだけ。
「グルルルルル……」
 ゴルドが喉を鳴らした。そして部屋の扉の方に行く。
「あら、ウジ虫ゴルド、どこに行くの? どこかに行きたいの?」
「ガウ」
 短く吠えるゴルド。マゴットの推測どおり、外に出たいらしい。
「うん、そうだね。ゴルドもマゴットも退屈。だから外に行く。行こう、ゴルド」
「ガウ」
 黄金の獅子と、謎めいた少女は共に特別室を出た。ゴルドが先頭に立ち、マゴットは
その後に続く。二人が歩く道は、機動闘技場の観客席に繋がっていた。



 デスフレームとレスキュージンの戦いに変化は無い。いや、果たしてこれは『戦い』
と言えるのだろうか。
「くっ、この!」
 意気盛んなマルコだったが、バルドルのレスキュージンは彼の攻撃を全てかわしてい
る。のらりくらりと引いては寄せ、寄せては引く。相手だけでなく、見ている者さえも
イライラさせる戦い方だった。
「いい加減にしろ! 逃げてばかりで、やる気あるのか!」
「逃げるのだけは上手だなあ!」
「こっちは大金を賭けてるんだ、真面目に戦え!」
 怒声を飛ばす観客達。無理も無い、試合開始から十分以上も、この退屈な追いかけっ
こを見せられているのだ。バルドルの敗北を望む大半の客は、バルドルだけでなく彼に
翻弄されているマルコにも怒りの矛先を向け始めた。
「おいクソガキ、そんな逃げ足だけの奴はさっさと倒せ! てめえにいくら賭けてると
思ってるんだよ!」
「殴れ、殺せ、潰せ、引き裂け! それくらいの事も出来ないのか! このウスノロ坊
主が!」
「………………」
 マルコは腹が立った。安全な場所から自分を侮辱する観客達にではない、逃げるだけ
の相手を捕らえる事が出来ない自分に、そして逃げ続けているバルドルにだ。
「いい加減に、しろよな」
 静かに怒るマルコ。デスフレームの加速を最大出力にして、レスキュージンとの間合
いを一気に詰める。
「おっ、速いな」
 しかしバルドルは動じない。レスキュージンの腰にある二基のペンチクレーンアーム
を伸ばして、突っ込んでくるデスフレームに向ける。
 差し出された矛先にデスフレームの動きが止まった一瞬、レスキュージンは高く飛び
上がった。デスフレームの頭の上を飛び越して、その後方に着地。マルコの攻撃は、ま
たしてもかわされた。
「くっ……」
 最大加速による攻撃も、あっさりかわされてしまった。マルコは相手の技量の高さを
思い知らされた。
「さすがは『ザフトの黒狼』。噂どおり、いや噂以上の腕だ」
 二年前の大戦、バルドルは頭部と右肩を黒く塗ったジンで地球軍と戦い、多大な戦果
を挙げた。彼の戦い方は実に合理的だった。無駄弾は撃たず、無駄な動きもせず、狙う
のは敵機の操縦席のみ。そこだけを破壊して、敵を確実に仕留める。失敗は絶対にしな
い、狡猾で恐ろしい黒き狼。それがバルドル・カッフェという人間のはずだった。
 しかし、今のバルドルは違う。敵であっても傷付けようとはせず、過激な戦闘になる
のを避けている。臆病ともいえる戦い方だった。
「狼と呼ばれた男が、随分と変わったものだ。牙が全て抜け落ちたのか?」
 全周波回線による通信で、バルドルを挑発するマルコ。バルドルが怒り、向こうから
攻撃してくれればマルコにとって絶好の機会だ。マルコは拳ではなく、口で攻撃する事
にしたのだ。
 だが、そういう戦いならばバルドルも負けてはいない。バルドルはマルコの挑発を聞
いて、微笑を浮かべた。
「ほう。ただ戦う事しか出来ないバカな子供かと思ったが、こちらに気を置く心は持っ
ていたか。よし、それなら見所はあるな」
「なっ……」
 余裕を感じるバルドルの発言。マルコは見下されたような気がした。
「君の力は見せてもらった。MSパイロットとしては、なかなかのものだ。ザフトでも
君程の腕の持ち主は、そうはいないだろう」
 誉められたマルコだが、敵に誉められても嬉しくない。特に、この甘い狼から誉めら
れると腹が立つ。そんなマルコの気持ちには気付かず、バルドルは話を続ける。
「だが、正面から挑むだけというのは芸が無い。バトルもレスキューも、状況に応じた
機転が大事だ。基本は疎かにしては駄目だが、基本どおりのやり方では通用しない事も
多々ある。君はもっと頭のいい子だと思う。落ち着いて、冷静になって、よく考えて挑
んで来たまえ」
 敵にアドバイスするバルドル。その余裕は気に入らなかったが、確かに彼の言うとお
りだ。
『少し、いやかなり感情的になっていたな』
 深呼吸するマルコ。心を沈めて、冷静さを取り戻す。
「ご忠告、感謝する。ではここから本気で挑ませてもらう」
「ほう。では、こちらも本気を出すとしよう。逃げ続けるのにも飽きたからな」
 マルコとバルドル、デスフレームとレスキュージンの間に気迫が漲る。今までのつま
らない追いかけっこは様子見に過ぎない。二人の戦いは、まだ始まってさえいなかった
のだ。
「本気の君を見せてもらうぞ。でなければ、スカウトすべきかどうかも判断出来ないか
らな」
「MSレスキュー隊、か。そんな夢みたいな事を本気でやるつもりなのか?」
「もちろん。夢とは現実にするものだ。俺はこの夢の実現に全てを賭ける」
「変わった人だ。黒い狼、黒狼とまで言われた人の台詞とは思えない」
「その名で呼ぶのは止めてほしいな。あまり好きではないんだ」
 言葉を交わしている間にも、両者の気迫は更に高まっている。
「行くぞ、光(コウ)」
【やっと出番だね。待ちくたびれたよ】
「すまない。出来る事なら、お前の力を借りずに倒したかったんだが……」
【ベスト8まで勝ち進んできた相手に、戦力を温存して勝つのは無理だよ。あの人が相
手なら特にね。ザフトの黒狼、本当に強いよ】
「確かに強い。だからこそ、俺はあいつを倒す。そしてもっと強くなる」
【OK。その気持ちに力を貸すよ】
 デスフレームに搭載された人工知能・光(コウ)はその機能を発動させた。戦いの中
で収集していたレスキュージンについてのデータをまとめ、敵の次の動きを予測。より
効果的な攻撃方法を考える。
【射撃系の武器は使えないんだよね。だったら、これしかない。マルコ、《ホクト》を
使おう】
「気が合うな。俺もそのつもりだった」
【使う場所とタイミングは…】
「言われなくても分かっている。ここだろ?」
 マルコはモニターの一部を指差した。
【うん、そこだよ。僕のサポートはいらなかったかな?】
「そうでもない。これで俺の考えが正しい事が証明された。この戦い、絶対に勝つ」
【マルコなら勝てるよ。頑張ってね】
 ここまで話して、光(コウ)はマルコの口調が以前と変わっている事に気が付いた。
一人称が「僕」から「俺」になっており、全ての言動から子供っぽさが消えている。
【ふふっ、成長したんだね】
「? 何を笑っている。何かあったのか?」
【何でもないよ。マルコ、必ず勝とうね】
「勝つさ。絶対にな」
 光(コウ)の励ましの言葉で、闘志を燃やすマルコ。バルドルとの戦いは、これから
が本番だった。



「む」
 バルドルは、マルコの様子が変わった事を察した。今までよりも闘志が高まっている
のを感じる。
「この気迫、ついに本気になったようだな」
 手強くなった相手を前に、バルドルの心に湧き上がってきた感情。それは恐怖ではな
く喜びだった。
「ああ、嬉しいよ。自分も相手も本気で、全力を出して戦える。戦争という殺し合いで
は許されない事だからな!」
 戦争ではない戦いが出来る事を、心から喜ぶバルドル。地下の整備場にいるイノリに
は彼の気持ちが良く分かった。
「『ザフトの黒狼』。狼には凶暴で狡猾なイメージがあるからそう名付けられたんだろ
うけど、だとしたらあの人には合わない名前だわ」
 試合が始まる前、イノリはバルドルからその過去を聞かされていた。自分について来
てくれるという人には、自分の全てを語って、その上で判断してもらう。それがバルド
ルのやり方だった。彼は誠実な男だった。
「誠実と言うより真面目なのね。そして、優しすぎる人」
 敵機のコクピットを集中的に狙い、敵のパイロットを確実に殺した男。その正確すぎ
る殺し方に味方からも恐れられ、狼と呼ばれた男、バルドル・カッフェ。
 だが、彼は決して殺人鬼ではない。生まれ育ったプラントを、そこに住む人々を守り
たい。バルドルはただその一心で兵士となり、MSに乗り、プラントの平和を脅かす地
球軍と戦った。
 ナチュラルの両親から生まれた第一世代コーディネイターであるバルドルにとって、
地球軍は心情的に戦い難い相手だった。バルドル自身もそう思っており、だからこそ彼
は非情に徹した。心を鬼にしてコクピットを狙い、敵兵は全て殺した。
 敵を見逃せば、敵がまた戦場に出てきて、自分の仲間やプラントの人々を傷付けるか
もしれない。だからバルドルは敵兵を殺し続けた。全ては故郷(プラント)とそこに住
む人々を守る為に。
 バルドルは狼と呼ばれ、恐れられる事を厭わなかった。同じコーディネイターであり
ながら地球軍に入り、不殺主義を貫いて戦っているジャン・キャリーの噂を聞いた時
は、その偽善を軽蔑した。
 しかし二年前の大戦の末期、彼は気付かされた。この戦争が神を自称する悪魔の手の
中にあった事を。自分達の純粋な思いが、憎しみの輪を広げて、更なる戦火を呼んでい
た事を。
 プラントを守る事が世界を守る事だと思っていた。悪いのは全て地球連合軍で、だか
ら戦場に出て来た敵を殺すのは当たり前の事だと思っていた。
 だが、この戦争の真実を知り、自分達に正義など無い事を知った時、バルドルの心の
中で何かが消え去った。誰よりも平和を願い、それ故に人を殺し、狼と呼ばれた男、バ
ルドル・カッフェ。戦争が終わり、彼に与えられたのは凄まじいまでの空しさと、人を
殺した記憶のみ。
 敵兵を殺したのはザフトの他の兵士も一緒だし、地球軍の兵士も同じだ。しかしバル
ドルは積極的にコクピットを狙って、敵兵を殺している。確実すぎるくらいに人を殺し
たバルドルを、人々は殺人快楽者のように見た。その冷たい眼がバルドルを更に苦しめ
た。
 自分は何の為に戦ったのだ? なぜあんなにも多くの人を殺してしまったのだ?
 苦悩するバルドルは、戦後間もなく地球に下りた。そしてとある町に住んでいたナチ
ュラルの叔父の元に身を寄せた。戦争が続いていたら、この優しい叔父も殺していたの
かもしれない。そう思うとバルドルの心は恐怖に包まれた。
 過去に怯えるバルドルに、叔父は「気分転換になる」と自分の仕事を見物させた。
 叔父は消防隊員だった。炎を恐れず、必死になって火を消し止め、逃げ遅れた人を助
ける叔父の姿に、バルドルは衝撃を感じた。何かを守る為に、人を救う為に戦うとは、
こういう事なのだ。
「俺は人を殺しすぎた。敵も味方も、もう殺したくないんだよ。これからは人を助ける
為に戦う。それが俺の償いだ」
 イノリにそう言ったバルドルの顔は悲しげなものだった。だが、イノリにはその時の
バルドルの顔は、とても眩しく感じられた。
「彼はこんなカプセルの中に閉じこもっている私とは違う。とても強くて、優しくて、
悲しい人」
 イノリはバルドルのレスキュージンと対峙するデスフレームを見る。あのMSに乗っ
ている少年は、バルドルとは違うタイプの人間だ。
「マルコを動かしているのは、悲しみではなく怒り。彼は自分に怒っている。それじゃ
あバルドルには勝てない。どうするの、マルコ?」
 マルコとバルドル。似ているようでまったく違う二人の戦いを、イノリはもっと間近
で見たくなった。移動用カプセルを走らせ、闘技場の観客席に直結している高速エレベ
ーターに乗る。が、
『重量オーバーです。恐れ入りますが、後からお乗りになった方はお降りください』
 非情というか、当然のアナウンスが鳴り響く。ちなみにイノリが乗っているカプセル
の重量は400キロ。本人の体重も含めると、
「私が重いんじゃないわ。たかが400キロで悲鳴を上げるなんて、このエレベーター
の性能が低すぎるのよ」
 確かにこのエレベーターにも問題はあるが、イノリの体重も含めると400キロ以上
になる。具体的な数値は、
「ああ、もういいわ!」
 イノリはカプセルから飛び出した。彼女の体に有害な外気を隔てていた安全な世界を
捨てて、エレベーターに乗り込み、雑菌だらけの闘技場に向かう。
「あの人達も命を賭けて戦っている。だったら私も命を賭けるわ。そして…」
 彼女にとって最も危険な言葉、『愛している』と言ってほしい。でも、どちらに?



 レスキュージンはその名のとおり、災害救助用にジンを改造したMSである。装備も
救助用の物ばかりで、普通に戦えば戦闘用MSに敵うはずがない。
 しかしバルドルはこのMSを駆使して過酷な予選を勝ち抜き、戦闘用MSであるアス
トレイ・デスフレームと互角に戦っている。常識では考えられない事だ。
「MSの選択だけでなく、操縦技術も常識外れか。ホント、厄介な相手だな」
 苦笑しつつ、マルコは狙いを定める。
「光(コウ)」
【うん、こっちはOKだよ】
「じゃあ、行くぞ!」
 マルコはデスフレームをレスキュージンに向かって走らせた。ルールによって射撃武
器が使えない以上、接近戦を挑むしかない。だが、
「迂闊だな。そして、単純すぎる!」
 バルドルの言うとおりだった。デスフレームの動きはあっさり読まれ、振るった拳は
かわされる。この試合で何度も繰り返されてきた光景だ。
「かーっ! 何やってんだ、このバカ!」
「何度も何度もしくじりやがって! てめえ、勝つつもりあるのかよ!」
 失敗するのが分かっているのに改めようとしないマルコ。短気な観客達は呆れて罵声
を浴びせるが、それはすぐに止んだ。
 デスフレームの右拳が闘技場と観客席を隔てるガラスに当たる。この超硬質ガラスは
特別製で、ミサイルの直撃を受けてもヒビ一つ入らない。選手は傷付き死んでも、ガラ
スに守られた観客は傷一つ負わない。このガラスはMSグラップルの安全性を示す象徴
だった。
 だが、その安全神話は文字どおり『崩壊』した。
 デスフレームの拳がわずかに揺れる。直後、超硬質ガラスに亀裂が走り、あっさりと
割れた。
「なっ!?」
「があっ!!!???」
「えっ?」
 驚く観客達の頭上で、分厚いガラスは数多の破片となった後、芥子粒のごとく細かく
なって、破砕した。塵と化したガラスの破片が、観客達に降り注ぐ。
「きゃ…きゃあああああああああああああ!!!!!」
「うわあああああああああああああ!!!」
「あ、ありえねー! な、何だ、あのMSは! バケモノ並のパワーなのかよ!」
 予想外のアクシデントに、観客達は右往左往する。機動闘技場の超硬質ガラスが割れ
た事など今まで一度も無いし、あってはならない事だった。これでは観客達も安全では
なく、観戦するなら選手達と同じく命がけで、という事になる。
 このアクシデントはV・I・P席からも確認された。崑崙党の頂点に立つ王龍は、こ
の裏カジノを仕切る男に問う。
「これは何とも、困った事になったのう。アンドレイ・ロマノフ、この不始末、どうす
るつもりじゃ?」
 威厳溢れる老人の詰問に、ロマノフは少し頭を下げて答える。
「ガラスのチェックは試合前に行いました。ガラスに欠陥は確認されていません。あの
デスフレームというMSが、我々の常識を超える力を持っていたという事でしょう」
「MSのチェックもきちんとやっておくべきじゃったな。MSの性能に関する情報は選
手からの自己申告ではなく、こちらのスタッフでチェックして入手するべきじゃった」
「そうですね。次回からの大会では、そうさせていただきます」
「これからどうするつもりじゃ? 試合は中断するのか?」
「いいえ、試合は続行します。多額の金が動いている試合を中断しては、MSグラップ
ルと崑崙党の名に傷が付きます」
 ロマノフは部下を呼び、ガラスが割れた客席の観客達を避難させるよう命じた。そし
てマイクを手に取り、アクシデントの発生に対する対応と試合の続行を告げた。
「マルコ・フィオーレ選手のMSは、大変強大なパワーを持っています。超硬質ガラス
が再び割られる可能性は高く、この試合に関しては当カジノは安全を保障出来ません。
命を大事にされる方は、速やかに退席なされてください。試合の様子は特別室のモニタ
ーで見る事が出来ますので、そちらでご観戦してください。ですが賭け金の取り消しは
承ってはありませんので、あしからず」
 この一方的とも言える通告に対して、観客からの文句は意外にも無かった。皆ここが
違法な裏カジノであり、常識が通じない事を知っているのだ。臆病だが生きる事に長け
た観客達は、席を立って闘技場を出て行った。残ったのは十分の一ほど。命よりも危険
を楽しむ事を選んだ、愚かな末期患者達。
「やるのう、ロマノフ。だが失点は失点じゃ。この事は仙人会議で議題にさせてもらう
ぞ」
「はっ。大仙の仰せのままに」
 王龍に頭を下げるロマノフ。組織の重鎮らしい神妙な態度だが、彼は別の事を考えて
いた。ロマノフの頭の中は、人がほとんどいなくなった観客席に現れた、黄金の獅子型
ロボットを連れた少女の事で占められていた。
『あの御方がなぜあんな所に……。避難させるべきか? いや、あの御方の邪魔をする
など、私には許されない事だ。見守るしかないのか。だが…』
 密かに苦悩するロマノフの事は知らず、試合は続いていた。超硬質ガラスを微粒子に
まで砕いたデスフレームの一撃に、さすがのバルドルも驚きを隠せない。
「やるねえ、マルコ君。そんな切り札を隠し持っていたとは。だが、単なるパワーじゃ
ないな。力だけでは、ミサイルをも防ぐ超硬質ガラスを一瞬で、しかもあそこまで細か
くは砕けない。振動波か?」
 さすがは歴戦の強者。バルドルはデスフレームの最強武器《ホクト》の仕組みを、あ
っさり見抜いた。
「当たったらタダでは済まんな。だが、どんな武器も当たらなければ意味は無いぞ」
 そのとおりだった。しかもバルドルはマルコの動きを見切っており、マルコの攻撃は
今まで一撃も当たっていない。バルドルのレスキュージンは距離を取り、デスフレーム
に近づこうとしない。絶大な威力を誇る《ホクト》も、このままでは宝の持ち腐れだ。
「バルドルの奴、《ホクト》を相当警戒しているようだな」
【狙いどおりですね】
「ああ。派手なパフォーマンスをした甲斐があった」
 ニヤリと笑うマルコ。《ホクト》を使って超硬質ガラスを割ったのは作戦だった。攻
撃がかわされる事を予測して、逃げ遅れそうな女性や老人がいない客席のガラスを砕い
て(偶然にもその席にはブーイングをした観客達が大勢いた)、バルドルに《ホクト》
の威力を見せ付けたのだ。
 作戦は成功した。バルドルは一撃必殺の威力を誇る《ホクト》を警戒して、デスフレ
ームに近づかない。このまま距離を保ち、腰のクレーンアームで攻撃するつもりなのだ
ろう。
「そうだ。くだらないルールのせいでミサイルが使えない以上、お前はそうするしかな
いんだ」
 勝利を確信したマルコは、バルドルの次の行動を予測した。その予測は、半分だけ的
中する。
 レスキュージンがクレーンを大きく振る。巨大なフックのついたワイヤーロープが空
を飛び、デスフレームの両腕に巻きつく。
 これで腕の動きを封じたつもりならば甘い。《ホクト》は強烈な振動によって相手を
破壊する兵器だ。ロープによって繋がれたこの状態は、むしろ好都合。このままロープ
を伝って振動をレスキュージンに叩き込めば、
「マルコ君、君の勝ちだろうな。だが!」
 《ホクト》の特性を見抜いているバルドルは、デスフレームの腕にロープが巻きつい
た瞬間、あるスイッチを押した。
 途端に大音響が闘技場に響き渡る。爆発、そして黒煙。大きな穴の開いた超硬質ガラ
スが激しく揺れ、客席も地震のように揺れた。
「うっ、くっ!」
 客席にやって来たイノリは立っていられず、倒れかけた。しかし寸前で誰かに後ろか
ら引っ張り上げられた。
「あ、ありがとうござい……ます?」
 助けてくれた相手の顔を見て、イノリは驚いた。相手は人間ではなくライオン、いや
ライオン型のロボットだった。金色に塗られたそのロボットはイノリの服の端を器用に
銜(くわ)えて、彼女を助けてくれたのだ。
「ゴルド、どうしてその子を助けたの? 相変わらず無駄に優しいね。そんなゴルドは
嫌い。じゃない。好き? 分からない。マゴットには良く分からない」
 黄金のライオン型ロボットに、空ろな目をした少女が話しかける。初対面の相手だっ
たが、イノリは彼女の事を知っていた。組織の資料で見た事がある顔だった。
『ミステリウス・マゴット。ダブルGに忠誠を誓った女……』
 この二人の運命的な出会いを知らず、マルコとバルドルは戦い続けていた。
 戦い続けていた、と言っても爆発した後に何かあった訳ではない。いや、マルコは何
も起こせなかったと言うべきか。
 爆煙は収まって現れたのは、両腕を失ったデスフレームだった。レスキュージンが放
ったロープの先端のフックに仕掛けられていた爆弾は、MSの腕を吹き飛ばすには充分
すぎる威力があった。
「光(コウ)、腕は動かせるか?」
【無理だね。完全に破壊されている。胴体にくっついているだけで奇跡だよ】
「操縦席を傷付けないよう、爆薬の量を加減したみたいだな。しかし腕を駄目にするく
らいの威力は保っている。大したものだよ、まったく」
 《ホクト》を警戒しているバルドルが、デスフレームの両腕を狙ってくるのは読んで
いた。しかしまさか爆弾を仕込んでいたとは思わなかった。
「MSでレスキューしようなんて考えているお人好しが、爆弾なんか使うとはね。勝負
に関しては甘くなかったみたいだ」
 相手がバルドル以外のパイロットだったら、爆弾も武器の一つとして考えて、警戒し
ただろう。バルドルの青臭い理想に完全に騙された。
「悪いな。俺も負けたくはないんでね」
 一方、狙いどおりデスフレームの両腕を破壊したバルドルだったが、あまり嬉しくは
なかった。あの爆弾は最後の切り札。出来る事なら使いたくはなかった。
「これで俺を甘く見てくれる奴はいなくなるな。残り二試合は厳しい戦いになりそうだ
な」
 いや、先の事を考えて、今のこの試合に負けては意味が無い。優れたMSパイロット
を見つけて仲間になってもらう為には、自分の力と意志を示して、勝ち進まなければな
らない。
「弱い奴がリーダーでは、誰も付いてこないからな。マルコ君、では決めさせてもらう
ぞ!」
 突撃するレスキュージン。両腕が使えないデスフレームは後ろに飛んで逃げる。
「今度は君が逃げる番か。いいだろう、いくらでも逃げたまえ! 必ず捕らえて、勝た
せてもらう!」
 だが、逃げ回るかと思われたデスフレームは、ある箇所で足を止めた。そこは先程デ
スフレームが《ホクト》を使って破壊した超硬質ガラスの前。デスフレームの後ろには
逃げ出さなかった物好きな客が、わずかにいる。
「むっ。観客を背にすればこちらが攻撃出来ないと思っているのか?」
 確かに、ここでレスキュージンがデスフレームを攻撃して、それがかわされれば、レ
スキュージンの攻撃は後ろの客席を直撃し、客達の命を奪うだろう。それはバルドルに
とって、爆弾を使う以上の禁忌。
「見損なったぞ、マルコ君。君がそんな卑怯者だったとはな!」
 と言いつつバルドルは冷静に考える。デスフレームをあの場所が引き離すには、どう
すればいい?
 だが、考えるまでも無かった。デスフレームは自分からその場を離れ、レスキュージ
ンに向かってきたのだ。
「ほう、決着をつけるつもりか。前言撤回、その潔さは良し!」
 迎え撃とうと拳を握るレスキュージン。両腕を使えないデスフレームに出来るのは足
による攻撃、キックのみ。もしかしたら足にも《ホクト》があるかもしれないが、
『無いな。そんな奥の手があるのなら、両腕を壊された後にこちらが攻撃してきた時に
使っているはずだ』
 あの時、バルドルはわざと隙を見せていた。カウンター攻撃を仕掛けるのなら、絶好
のタイミングだったはずだ。しかしデスフレームは攻撃してこなかった。もうマルコに
打つ手は無いのだ。
「ならば、とどめを刺すのみ!」
 バルドルは迎撃態勢を整える。フック先の爆弾を使った以上、レスキュージンに強力
な武器は無い。あるのはこの体のみ。デスフレームの蹴りをかわした後、カウンターパ
ンチで奴を沈める。それでこちらの勝ちだ。
『ああ、こちらの理想的な勝ちだ。…………理想的?』
 バルドルの心に違和感が浮かび上がる。何だ? 自分は何か見落としている?
 時間の流れが止まったように感じた。その中でバルドルは考える。デスフレームは両
腕を使えない。武器も持てない。武器? デスフレームの武器は、頭部のバルカン砲と
背中のビームサーベル。バルカン砲はルールで使えない。ビームサーベルも使っていな
い。だが、無い。デスフレームのバックパックにあるはずのビームサーベルが、いつの
間にか一本消えている。
 それに、デスフレームが繰り出してきたこの蹴り。繰り出すにはタイミングが少し早
すぎるのでは? これでは絶対に届かない、
「!!!!!」
 反応したのはバルドルの戦士としての『感』だった。壊れかけたデスフレームの最後
の蹴りに、《ホクト》と同じ、いやそれ以上の危険を感じた。
 何かを考える前に腕が動いた。操縦桿を後ろに引き倒して、レスキュージンを後方に
下げる。直後、レスキュージンの頭があった場所を光の刃が通り抜けた。
【そんな、かわされた!】
「くっ!」
「やってくれたな、マルコ君!」
 蹴りをかわされて態勢を崩したデスフレームに、レスキュージンが組み付く。両腕が
使えないデスフレームは抗う事が出来ず、そのまま地面に倒された。
「ふう、危なかったよ。まさかこんな切り札を隠していたとはな。ビームサーベルを足
に付けて繰り出すなどとは、まったく……」
 バルドルは背中に冷や汗が流れるのを感じた。彼はマルコに恐怖していた。
「あんた程の凄腕に《ホクト》が当てられるとは思わなかったからな。策を練らせても
らった」
 そう、爆弾を使われた事以外は、全てマルコの予測どおりだった。《ホクト》を封じ
たバルドルが攻勢に出る事はもちろん、足にもあるかもしれない《ホクト》を警戒し
て、最初の攻撃には隙を見せる事も読んでいた。
 客席を背にした後、すぐに離れたのはバルドルを油断させる為。人は他人が自分の思
いどおりに動かないと怒り、自分に応じてくれると喜び、冷静さを失う。マルコはバル
ドルが最も嫌う行動をした後、すぐにそれを止める事でバルドルを喜ばせて油断させた
のだ。
 そして最後の蹴り。MSの足の裏にある、宇宙でコロニーの外壁などを歩く時に使う
吸着システム。重力下でMSの重量を支えられる程の吸着力は無く、重力のある地球で
使う奴はいないが、マルコはこのシステムを使って、いつの間にか地面に落としていた
ビームサーベルを足の裏にくっつけ、その刃を繰り出したのだ。
 通常のキックよりも威力もリーチも大きく伸びたこのビームサーベルキックこそ、マ
ルコの真の切り札だった。見事な作戦だったが、
「もう切り札は使えない。これで本当に終わりだ!」
 バルドルの言うとおり、組み伏せられた今の状態では、レスキュージンにキックは当
てられない。デスフレームは腕も使えない。
【マ、マルコ……】
「光(コウ)、奴の言うとおり、俺の作戦は失敗した。この読み合いは俺の負けだ」
 とどめのパンチを与える為、腕を振り上げるレスキュージン。
「という訳だ。やってくれ」
【本当にいいの? これをやったらデスフレームだけでなく君の体も……】
「やれ。このまま負けたくない。いや、諦めたくないんだ」
【……うん、分かった】
 マルコの願いを聞き入れた光(コウ)は、禁断の力を発動させる。
「む? な、何だ、地震か?」
 最後の一撃を繰り出そうとしたバルドルは、自分とMSを揺らす振動を感じた。最初
は小さかったその振動はどんどん大きく、そして激しくなっていく。
「! ま、まさか……」
 バルドルはレスキュージンとデスフレームの体勢を見直す。レスキュージンはデスフ
レームを組み伏せている。つまり、デスフレームと接している!
「腕は壊れたが、《ホクト》のシステムそのものはまだ壊れていない。最後の最後で読
み誤ったな、バルドル!」
 マルコの言うとおり、バルドルは勝利を焦って、読みを誤った。あれだけ強力な攻撃
を繰り出すシステムなのだ。その重要性を考慮すれば本体と同じ、いや本体よりも頑丈
に作られていると考えるべきだった。
 デスフレームの体全体が激しく揺れる。その振動はレスキュージンにも伝わり、両機
を揺さぶる。
 いや、この二機だけではない。振動はデスフレームの背中に接している地面から闘技
場全体にまで伝わり、裏カジノそのものを揺らす。
「ぐっ……!」
「きゃあ!」
「凄い、揺れ。マゴットも倒れ、そう」
「ガルルル……」
 V・I・P席にいるロマノフも、汚れた空気に耐えていたイノリも、戦いを静かに見
ていたマゴットとゴルドも、《ホクト》の洗礼を受けた。この世界そのものが壊れるの
ではないかと思わせる程の振動は、わずか五、六秒間だけの出来事だった。しかし、そ
れで充分だった。
「ぐ、あ……」
 振動に耐え切れず、気絶するバルドル。ザフトのエースパイロットとして多くの死線
を潜り抜けてきた彼も、こんな異常な振動は初めての体験だった。脳と体が揺れて、意
識が保てなくなった瞬間、彼は叔父の顔を思い出した。
「もう苦しむな。これからはお前が本当にやりたい事をやれ。それがきっとお前を救う
道になるはずだ。お前は優しい子だからな」
 叔父の優しい言葉が、バルドルの心に安らぎを与えた。敗北のショックが和らいでい
く。
『何だ、それ。人を救うつもりだったのに、その前に俺が救われてしまった。いや、こ
こからだ。俺のレスキューは、ここ、から始ま……』
 バルドルは気絶したが、マルコは意識を保っていた。今まで《ホクト》を使った経験
が、彼の体を少しだけタフにしていたようだ。それでも気分は最悪だが。
「ぐっ、はあ……。光(コウ)、機体の状態は?」
【…………】
 返事は無かった。機体そのものを揺らす禁断の技は、光(コウ)にまで影響を与えた
ようだ。
「今夜は徹夜だな。いや、それでも間に合うかな……」
 試合終了のドラを聞きつつ、マルコはため息をついた。無様な戦いだったが、勝った
事は嬉しかった。
『俺、少しは強くなったのかな?』



「やれやれ。マルコの奴、無茶しやがる」
 闘技場地下の格納庫。デスフレームの最後の激振動はここにまで伝わり、格納庫のあ
ちこちで人や物が倒れて、パニックになっていた。その中で不動剛馬だけは平然と立っ
て、モニターを見ていた。
 巨大モニターから聞こえる音声は、マルコとデスフレームの勝利を伝えていた。しか
し混乱状態の格納庫でそれを聞いているのは、剛馬とレオだけだった。
「デスフレームの《ホクト》は、あんな風にも使えるんですね。けど、本当に無茶をす
る。あと五秒《ホクト》を使っていたら、デスフレームがバラバラになっていますよ」
「いや、三秒も持たなかっただろうな。あれはマルコにとってもイチかバチかの賭けだ
ったはずだ。もう二度と使わないだろう」
「それが賢明ですね。戦場であれを使ったら、目の前の敵を倒しても、動けなくなった
所を別の敵にやられる。そんなマヌケな死に様、彼には似合いませんよ」
「似合うか似合わないかで言うなら、今回の戦いはマルコらしかったな。敵の行動パタ
ーンを読み切って、作戦を考え、意表を突いた行動をする。トリッキータイプの本領発
揮だ。あいつはああいう戦い方の方がピッタリなんだよ」
「トリッキーと言うのは、ちょっと違うと思いますよ。マルコの病気はこれで治ったん
でしょうか?」
「さあな。それはこれからのあいつを見ないと分からん。だが、面白くなってきたのは
確かだ」
 微笑む剛馬と、不安げな顔をするレオ。格納庫の混乱はようやく収まり、次の試合の
準備が始まっていた。

(2008・11/22、前半掲載 11/29、後半掲載)

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