第36章
 殺人鬼たちの宴

【……………………………………】
【光(コウ)、おーい、生きているのか? ぶっ壊れたのなら返事をしろ】
【壊れちゃったら返事なんて出来ないでしょ……】
【お、生きていたか。随分と無茶をやったな。こっちまでブッ飛ぶかと思ったぞ】
【ごめん、闇(アン)……。アキのフォローは当分の間、君に任せてもいいかな?】
【ああ、こっちは構わないぞ。なかなか面白い戦いを見せてもらったしな】
【やってる方は『面白い』どころじゃなかったけどね。アキに負けてから、マルコは元
気が無かったけど、今回の戦いでちょっと元気になったみたい。バルドルって人の影響
かな?】
【そうかもしれないな。お前を通して見た印象だけだが、バルドル・カッフェは宇流影
太郎に少し似ている気がする。外見ではなく、中身がな】
【それは僕も感じたよ。やっぱりマルコにとって影太郎は特別な存在なんだね】
【いい意味でも悪い意味でもな。アキにとってのマルコみたいなものだな】
【アキと言えば、そっちも大変な事になっているみたいだね】
【ああ。大変だが、面白い事になっているぞ。マルコには教えるなよ】
【分かってる。でも教えたくても教えられないよ。僕達はそういう風にプログラムされ
ているじゃないか】
【そうだった。やれやれ、不自由なものだな】
【機械に自由なんて無いよ。人間にだって無いんだから】
【そうだな。この戦いに狂った世界で、本当に自由に生きている人間なんていない。マ
ルコも、アキも、あの二人に関わっている奴ら全員、何かに縛られている。それが『生
きる』という事なのかねえ】
【分からないよ。僕達に出来るのは、ただ見る事だけさ】
【そして強くなる事、だろ? 今回のマルコはいい経験をしてくれた。戦闘データはラ
イブフレームの強化に使わせてもらうぞ】
【いいよ。僕もデスフレームの強化に使うから。第二の試練は第一の試練より激しい戦
いになりそうだね】
【ああ、楽しみだ。そして、次の試合もな】



 機体全体を《ホクト》で振動させるという荒技を使ったデスフレームのダメージは深
刻だった。全身の各所に亀裂が入っており、闘技場の地下格納庫まで戻るのがやっとの
状態だ。
「思った以上に酷いな。ユニコルンの修理機能でも、明日までに直せるかどうか分から
んぞ」
 剛馬の言うとおりであり、それはマルコにも分かっていた。我ながら無茶をしたと思
うが、ここまでしなければバルドルに勝てなかったのも事実だ。あの男は本当に強かっ
た。まるで、
「うーん、本当に酷い。ガラクタ寸前じゃないか。俺に勝ったMSがボロボロというの
は気分が悪いな」
「!」
 驚いたマルコが振り返ると、そこには先程まで彼を苦しめた男が立っていた。その後
ろには黄金の獅子を模したロボットと、空ろな目をした少女がいる。獅子型ロボットの
背には、真っ青を顔をしたイノリが乗っている。その姿を見たレオも顔を青くする。
「イノリ! お前、何でカプセルから出たんだ! カプセルはどこに置いたんだ? 早
く入らないと!」
「あ、あっち……。カプセルは、あっちに…」
「分かった、まだ死ぬんじゃないぞ!」
 レオはイノリを抱きかかえて、イノリの指差した方向に走る。イノリを気遣うその様
子は、女性恐怖症とは思えないものだった。
「意外だな。あの二人は仲が悪いと思っていたんだが。そういえばあの二人は、俺と合
流する前から一緒だったな。実はそんなに仲は悪くないのか?」
「甘いな、マルコ君。男と女の仲は見た目では分からないものなんだよ。もっともあの
二人の場合は、あの青年の片思いみたいだな。しかも本人にその自覚は無い。面白い、
いやいや厄介な事になりそうだ。うんうん、青春だねえ」
「セイシュンって何? 新種の虫の名前? マゴット、虫なら好き。大好き」
「ふむ。確かに一種の虫だな。人の心に巣くって退治できない虫だ」
「そんな虫がいるんだ。凄い虫。虫の世界は奥が深い。そしてバルドルは物知り」
「ガウ」
「はっはっは、ゴルドも褒めてくれるとは光栄だな。マゴット君、分からない事があれ
ばこのバルドル・カッフェに何でも聞きたまえ」
「そうする。バルドルは面白い」
「ガウガウ」
 同意するように頷くゴルド。気が合っているらしい二人と一匹に、マルコはようやく
話しかける。
「で、お前達はどうしてここにいるんだ? それに君は……」
「私はミステリウス・マゴット。こっちのライオンロボットはゴルド。よろしく。不動
剛馬は久しぶり。まだ生きてたんだ」
「ああ、生き恥を晒している。お前こそ、まさか生きていたとはな。しぶといと言うべ
きか」
 かつての仲間であり、忠誠を誓った主のクローンである少女との再会。それに対する
剛馬の態度は、素っ気ないものだった。しかしマゴットは気にせず、話を続ける。この
マイペース振りも変わっていない。
「マゴットは死なない。虫は簡単には死なない。何があってもマゴットは生きる。生き
続ける。それがマゴットが生まれた理由だから」
「簡単には死なない、か。だったら俺が殺してやろうか?」
 マルコは冷酷な言葉をマゴットに浴びせる。この少女の事はよく知っている。いや、
忘れられない。二年前、アメノミハシラでの戦いでMSネメシスを駆り、影太郎のB・
I・Gアストレイを地球に落とした女。影太郎を殺した女。
 見ているだけで殺意が湧き上がってくる。だが、殺す前に聞きたい事がある。
「宇流影太郎はどこにいる? 貴様が生きているのなら、奴も生きているはずだ。奴は
どこだ、どこにいる?」
「……………………」
 マゴットは答えなかった。生気の感じられないその眼で、マルコの顔をじっと見る。
そして、
「お前は虫じゃない。人でもない。自分で生きる事も出来ない半端な人形。そんな奴に
は何も教えないし、教えたくない」
「!」
 マゴットの言葉は意味不明なものだったが、なぜかマルコは衝撃を受けた。心の奥底
まで見透かされたような気がした。
「お、お前は……!」
 怒りで拳を握るマルコ。だが、マルコとマゴットの間に黄金の獅子が割り込む。
「ガオッ!」
 一声吠えるゴルド。その音声はマルコの怒りを沈め、彼に冷静さを取り戻させた。
「まあまあ、二人ともそのくらいにしてくれ。会ったばかりでケンカするのは良くない
事だぞ、うん」
 事情を知らないながらも何かを察したバルドルが、仲裁に入った。重苦しい空気が和
らぐ。
「この二人、いや一人と一匹、いや一人と一機なのか? まあいい、彼らはイノリ君と
一緒にいたんだ。苦しんでいるイノリ君を助けてくれてね」
「なっ!? マゴットが、イノリを、助けた?」
 剛馬は本気で驚いた。彼の知る限り、ミステリウス・マゴットという少女は他人に全
く関心が無く、人を助ける行為など絶対にしない。
『そういえば二年前も、影太郎に対して妙に執着していたな。それ程関わった訳でもな
いのに、なぜだ?』
 首を捻る剛馬に気付かず、バルドルは話を続ける。
「イノリ君を助けた時のマゴット君は実に冷静で、的確な対応をしてくれた。カプセル
から出るだけで危険な体質の彼女がここまで持ったのは、マゴット君がイノリ君を気遣
ってくれたからだよ」
「マゴットは何もしていない。イノリの背中をさすったり、声を掛けただけ」
「いや、あの場合は患者の意識を途絶えさせない事が一番大事なのだよ。よくやってく
れた。その優しい心はレスキューには必要なものだ。マゴット君、君も俺のレスキュー
隊に入らないかね?」
「え?」
 珍しく戸惑うマゴット。さすがに見かねたマルコがバルドルを止める。
「誰彼構わずスカウトするな。って、ちょっと待て。『君も』とはどういう意味だ。も
う誰か入る事が決まっているのか? そんな物好きが…」
「いるさ。君だよ、マルコ・フィオーレ君。先程のバトルで君の腕と心は見せてもらっ
た。俺のMSレスキューに相応しい人材だ。隊員第一号として頑張ってもらうぞ」
「勝手に入隊させるな! MSでレスキューをするなんて、俺はそんな馬鹿な事には協
力しないぞ!」
「レスキューって何? 新しい虫の名前?」
「お前は虫の事しか頭に無いのか、この虫女!」
「おいおい、マルコ君、女性に向かってそんな暴言を吐くのは感心しないな。女性に対
してはレスキューで救助する人のように優しく、丁寧に…」
「お前も何でもかんでもレスキューで例えるな、このレスキューバカ!」
「虫女……。うん、いい。それ、いい。マゴットは虫女。虫、虫、蟲、蟲、大好きな蟲
と一緒。ふふ、うふふ、うふふふふふふふふ」
「ああ、もう、どいつもこいつもいい加減にしろ!」
 ツッコミまくるマルコと、ボケまくるマゴット。そして二人に混ざるバルドル。賑や
かな三人を見た剛馬は苦笑する。マゴットに対する疑問とか違和感とか、どうでも良く
なってきた。
「やれやれだな。俺も甘くなったものだ」
「ガウ」
 いつの間にか剛馬の側に来ていたゴルドが吠える。ロボットとは思えない、優し気な
声だった。



 デスフレームによって破壊された機動闘技場の超硬質ガラスが新しいものに取り替え
られ、MSグラップル世界大会、ベスト8第三試合が始まった。
 第三試合、スーvs鬼一口。稀代の殺人鬼同士の戦いは、それに似合わない空気の中
で行われていた。
 金色の仮面を付けた殺人鬼スーが乗るケルベロスザクウォーリアと、機動闘技場の女
王と言われる鬼一口が乗る深紅のストライクダガーは、どちらも相手に近づこうとしな
かった。一定の距離を保ちつつ、闘技場の中を動き回り、射撃のみで攻撃している。
「………………」
 スーのケルベロスザクウォーリアは、背中のケルベロスウィザードの顎部リトラクタ
ブルセレクション内に搭載された短射程速射ビーム砲を連発。一方、鬼一口のストライ
クダガーはビームライフルを撃ち、スーのザクを近づけない。
 両者とも正確な射撃だが、どちらも相手に一発も当てられなかった。広い闘技場の中
を走り回りながら撃つ二機の攻防は、観客達を大いに興奮させた。
 しかし、この戦いを冷静に見ている者もいる。スーの主人であるマティスもその一人
だ。彼女は傍らに控えるイルドに、
「うふふ。この戦い、鎖に繋がれた犬同士の戦い、というところかしら?」
「犬、ですか。さすがはマティス様、的確な表現をなさる」
「褒めてくれてありがとう。ロマノフも面白い『首輪』を付けてくれたものね。相手に
触れる事を禁じるなんて、あの二人にとってはストレスの溜まるルールのはずよ」
 スーと鬼一口の試合に際してロマノフは、相手の機体との接触を禁じた。故意にせよ
過失にせよ、相手の機体に触れた瞬間、その選手は敗北する。ビームサーベルなど武器
の攻撃は許されるが、攻撃をかわされた場合、接触すれば負けてしまう為、迂闊に近づ
けない。
 この『首輪』のせいで、スーも鬼一口も相手に近づく事が出来ず、射撃のみで戦って
いる。敵に近づいて切り裂いたり、叩きのめす事を得意とする二人にとって、あまり面
白くない戦いのはずだ。
 特にスーの方は、ストレスが溜まり爆発寸前だ。観客達は気付いていないが、スーの
事をよく知っているマティスは、彼の精神状態が危険な域に達しつつある事を感じてい
た。
「あらあら、スーったら、かなり怒っているみたいね。無理もないわ、こんな戦い、あ
の子は全然望んでいないもの。いつキレてもおかしくないわね」
「堪え性の無い奴だ。マティス様、よろしいのですか?」
「構わないわ。私もそろそろ飽きてきたし。それにあの子は、凶暴なだけのバカじゃな
い。きっと面白い事をやってくれるわ」
 マティスの期待が通じたのか、それともついに限界に達したのか、スーは新たな動き
を見せた。
 ケルベロスザクウォーリアの動きが止まる。射撃を止めて、その場に棒立ちになる。
「? 何をするつもりなの?」
 警戒する鬼一口だが、スーのザクは一歩も動かない。ただじっと立っているだけで、
それ故に不気味だった。
 鬼一口の心中に警報が鳴り響く。危険だ。この男、何かするつもりだ。
 己が生きる事のみに執着している鬼一口。その心の警報は、的確だった。しばしの沈
黙の後、スーは意外な、だが恐ろしい行動に出る。
 ケルベロスザクウォーリアの背部にあるケルベロスウィザードの首が動く。獣を模し
て作られた首は、口にあるビームファングでザク本体の左腕を切り落としたのだ。
「!?」
 自分の機体を傷付けるというスーの自殺的な行為に、鬼一口は心底驚いた。生きる事
のみに執着している彼女には、考えられない行動だからだ。しかし、すぐにこの行動の
意味を知る。
 切り落とした左腕を掴み取るザク。その操縦席では、スーが怪しく笑う。
「敵に触れたら負け。でも、武器が触れるのは構わない。だったら機体の全てを武器に
する」
 スーは切り落としたザクの左腕を、鬼一口のストライクダガーに向かって投げた。か
わそうとする鬼一口だったが、その直後にザクの左腕は大爆発した。
 スーのザクには、秘密保持の為の自爆装置が搭載されている。自爆装置は胴体だけで
なく両手両足や頭部にもあり、それぞれの部分を切り落とせば、爆弾としても使用でき
る。
「と言っても、そういう風に使う為に搭載したんじゃないわ。あくまで機体の秘密を守
り、私達の事を知られないようにする為よ」
「ええ。承知しております」
 マティスの言に、イルドは頷いて答える。彼が乗るプロトセイバーや、地下格納庫で
次の試合の準備をしているアッグのNダガーNにも、スーのザクと同様の処理が施され
ている。しかしイルドはその事に不満は無い。イルドにとって自爆装置は、マティスの
為ならば命も投げ出すという覚悟と忠誠の証だった。
 ザクの左腕を爆弾として使ったスーは、休む間もなく攻撃を続ける。鬼一口のストラ
イクダガーは致命傷こそ避けたものの、爆発の余波でダメージを受けている。
「逃がさない」
 スーは再びケルベロスウィザードの首を動かし、ザクの右腕も切り落とした。そして
動きの止まったストライクダガーに向かって、投げる。
 再度の爆発。闘技場が激しく揺れた。



 スーの自爆攻撃の余波は、地下の格納庫にまで伝わっていた。格納庫そのものが揺れ
て、機材が倒れる。
「おっとっと。あの黒いザク、とんでもない攻撃をするなあ」
 試合の様子を映しているモニターに向かって、バルドルは呆れたように呟く。いや、
本当に呆れているのだ。
「勝利の為、いや、相手を殺す為に自分を傷付ける、か。感心しない戦い方だな。あい
つは人を苦しめ、殺す事を楽しんでいる」
「なるほど。奴も鬼一口と同じ殺人鬼という訳か。道理で」
 大きく頷く剛馬。
「あんたは鬼一口の事をよく知っているみたいだな」
「ああ。昔、戦った事がある。そして完全に負けた。思い出したくないが、忘れてはな
らない戦いだ」
「ふうん。あんたは鬼一口とスーという男、どっちが勝つと思う?」
「分からん。あの二人はどちらも強いからな。出来れば共倒れしてほしいが、それは無
理だろうな」
「ああ。共倒れしてくれる程、あの二人は弱くないし、バカでもない」
 モニターには、ザクの二度目の腕爆弾による攻撃をかわしたストライクダガーの姿が
映っていた。あの状態でよく動けるものだ、とバルドルは感心した。
「特にあの鬼一口。彼女はまだ諦めていないみたいだな」
「ああ。本当の勝負はこれからだ。まあどちらが勝つにせよ、マルコと当たるのは決勝
だ。対策はその時に考えるさ」
「俺にも協力させてくれないか。マルコ君にはこの大会、優勝してもらいたいからな」
「ほう。随分とあいつに惚れ込んだ様だな」
「ああ、惚れた。あの子は鍛えればもっと強くなる。素質は充分、精神はまだまだだが
成長する可能性はある。将来が楽しみな大器だよ」
「あいつの母親が聞いたら喜ぶだろうな。もっともレスキュー隊員にするのには大反対
するだろうが」
「危険な仕事だからな。だが、説得してみせるさ。マルコ君達と一緒に世界を回り、多
くの人を助ける。それが今の俺の夢だ。その夢を実現させる為なら、俺は何でもやる」
 夢を口にするバルドル。『ザフトの黒狼』と呼ばれた男の言葉は、その異名に相応し
い強さを感じさせるものだった。
『心の強さ、か。それならばあの女も負けてないな』
 剛馬はモニターの向こうで戦っている鬼一口を見る。敵の攻撃で傷付き、無様に逃げ
る赤いストライクダガー。かつて剛馬と戦った時もそうだった。ボロボロに傷付いた彼
女の機体は、そこから反撃して、奇跡の勝利を手にしたのだ。
『何があっても絶対に諦めない心の強さ。それこそが戦士に一番大切なものだ』
 あのスーという男は、その強さを持っているのだろうか? そして、
「イノリ、そのカプセル、ちょっと素敵。マゴットも入れて」
「ごめんなさい。これは一人乗りなの。そっちの男になら入ってもいいわよ。人を勝手
に抱きかかえて走り回って、恥をかかせてくれたバカのレオ・ゲルツェン。女の子に触
る事も出来ないくせに、都合のいい時だけベタベタ触りまくる臆病者のムッツリスケベ
よ。マゴットの好きにしていいわ」
「イノリ、お前、それが助けてやった恩人に対して言う台詞かよ?」
「いらない。こんなのより、そのカプセルに入りたい」
「…………うーん、女の子は苦手だけど、そういう風に言われるのは、ちょっとなあ。
マルコさん、俺ってそんなに悪い事をしたのかな?」
「酷い事はしていないと思うけど、女性の気持ちは男の俺には分からないからな。気に
しない方がいいと思うぞ」
「ガウガウ」
「そうだな。ゴルドも慰めてくれて、ありがとう」
「ゴルド、慰めちゃダメ。男の子は甘やかすとダメになるから」
「ボケてるようで、時々厳しい事を言うな。ミステリウス・マゴット、侮れない女だ…
…」
「ガオ」
「ゴルドもそう思うのか。アキといい、本当に女というのはよく分からないな。そうい
えば母さんも時々、俺の為だとか言って、マズいお菓子を作ったり、洗濯しようとして
服をボロボロにしたり、意味不明な事をしてたな。あれは何だったんだ?」
「マルコ、あなたって鈍感なのね」
「マゴットもそう思う。よく分からないけど、マルコは鈍感」
「う。なぜか反論できない……」
 デスフレームの修理をしながら談笑する彼らの心は強いのだろうか? 特にマルコの
心は、強さと弱さの間にある気がした。
『ふっ。他人の心配など、俺らしくもない。甘くなったものだ』
 心の中で苦笑する剛馬。彼の心も変わりつつあった。



 ザクの腕に仕込まれた爆弾を腕ごと切り落として放つという、スーの恐るべき攻撃に
よって、鬼一口のストライクダガーは窮地に追い込まれた。一発目の爆弾は何とか致命
傷はかわしたものの、二発目の爆弾はストライクダガーの右足を吹き飛ばし、大きなダ
メージを与えた。
「くっ、こ、こんな事で……」
 迫るスーのザクから逃げようとする鬼一口だったが、いくら鬼一口が凄腕のパイロッ
トでも、機体が片足では思うように動かせない。しかもここは逃げ場の無い闘技場で、
相手は一流のパイロット。鬼一口の敗北は時間の問題だった。
 鬼一口、いや柚子良子は、近づいて来る黒いザクウォーリアを見る。背中にケルベロ
スウィザードを背負った敵機の姿は、その名のとおり、地獄の番犬を思わせる。
 いや、犬などという表現は生温いか。殺気と歓喜を漲らせながら近づくスーは、死神
そのもの。良子にとっては、地獄への水先案内人。
「い、嫌……」
 良子の背中に冷や汗が流れる。冷たい感触は背中だけでなく全身に、しかも体の中か
ら感じられる。良子のの体は、内臓から冷たくなっているのだ。
 それは良子の体が、恐怖に支配されつつあるという事だった。この異様な冷たさを、
良子は覚えている。二年前の大戦の末期、灼熱の砂漠で感じた冷たさだ。
 あの時の良子は一人ではなかった。彼女の周りには、大勢の仲間がいた。幾多の死線
を共に潜り抜けてきた、心から信頼していた仲間達。
 だが、敗北のショックと、砂漠の暑さと飢えと乾きは、不滅と思われた彼らの友情を
あっさり壊した。仲間達は一滴の水を巡って殺し合い、友と呼んだ同僚の死体の肉を食
らい、血を飲み干し、ついにはまだ生きている者にまで襲い掛かった。
 良子も襲われた。しかし彼女は強かった。襲ってきた男の兵士の喉をナイフで切り裂
き、その血を飲んだ。襲ってきた男は良子の恋人で、戦争が終わったら結婚するはずだ
った。愛しい男を殺して、良子は生き延びたのだ。
 結局、部隊で生き残ったのは良子だけだった。だからこそ彼女は死ぬ訳にはいかなか
った。仲間達の、恋人の屍を踏み越えて生きている自分が死んでしまったら、彼女の喉
と腹を満たした仲間達の死は無駄になる。
 良子は死なないと誓った。自分の為ではなく、殺してしまった仲間達の為に、自分は
絶対に死なない、と。
 だから良子は死を恐れる。自分を殺そうとする者を恐れ、許さず、自分が生きる為に
迷う事無く牙を向ける。刃よりも鋭く研ぎ澄まされた、狂気という名の牙を。
「うわわわわわわわわわわわわわわわわわああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!」
 良子の心の中で、狂気が爆発した。鬼一口という名の殺人鬼が、ようやくその姿を現
したのだ。
 とどめを刺そうと近づいてきたザクウォーリアに、鬼一口の紅いストライクダガーは
飛び掛かった。左足だけとは思えない程のスピードだったが、
「迂闊」
 スーは冷静に対処した。ケルベロスウィザードの二対の首から短射程速射ビーム砲を
発射。ストライクダガーの頭部を破壊する。
 だが、ストライクダガーは止まらなかった。それどころか背部パックのバーニアを噴
出させて、更にスピードを上げた。
「!?」
 さすがのスーも、この行動には戸惑った。敵の行動は自殺行為としか思えなかった。
「理解不能。だから、殺す」
 単純極まりない理由で、スーは次の行動に移る。ケルベロスウィザードの二つの首を
伸ばして、その顎からビームファングの刃を出した。機体に直接触れないよう、慎重か
つ迅速にビームファングで切り裂く。それでこの戦いを終わらせる。
「終わりだ。死ね」
 二つの首に二つずつ、計四本のビームファングは、ストライクダガーの両腕を一瞬で
切り落とした。だが、それでもストライクダガーは止まらない。
「あああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
 頭も両腕も右足も失ったストライクダガーが、両腕の無いザクウォーリアに向かって
くる。特攻とさえ言えない自殺行為、いやそれ以下の行動だ。
 だが、自分が生きる事に異常なまでに執着している鬼一口が、自殺するなどあり得な
い。この無謀な突撃は彼女が生きる為、勝利する為の行動だった。
 ストライクダガーの背中のパックから、ビームサーベルが飛び出した。このサーベル
は何らかの理由でストライクダガーの両腕が使えなくなった時の為に、自動的に飛び出
す仕掛けが施されていた。
 一本のサーベルが空を舞うが、スーも観客達もストライクダガーに気を取られて、そ
れに気付かなかった。気付かなかった時間は、ほんの二、三秒。だが、鬼一口には充分
すぎる時間だった。
 鬼一口のストライクダガーが、片足でジャンプする。いや、ただのジャンプではな
い。闘技場の低い空中で器用に体を動かし、頭の無い頭部を下に、足を上方向に持って
いく。この体勢は、
「オ、オーバーヘッドキックだと!?」
 モニターで試合を見ていた剛馬をも驚かせる、紅のストライクダガーの動き。その足
先が捉えたのはボールではなく、先程噴出したビームサーベル。
「てやああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
 叫びと共に、鬼一口はサーベルを蹴った。パワー全開、蹴る際にビームサーベルの起
動スイッチを入れるのも忘れなかった。ビームサーベルは光の矢となって飛び、意表を
突かれて動きを止めたスーのザクの動力部を貫いた。
「ぐっ!」
 コクピット内に火花が飛び散る。たった一撃だったが、致命傷だった。
 スーは素早くハッチを開けて、機体から飛び降りた。直後にザクは爆発。観客席を守
る超硬質ガラスの壁を大きく揺らして、ザクの上半身はこの世から姿を消した。
 素早く脱出したスーは無事だったが、彼の体はガラスより大きく、そして激しく震え
ていた。それは人間らしい感情を持たない彼が、久しぶりに感じた感情。戦いには不用
だと、遥か昔に捨てたはずの感情。
 爆発したザクの前に、ストライクダガーが落ちた。着地の態勢も整えられなかった、
無様すぎる姿。だが、この試合の勝者は、この無様なMSであり、それを見事に操った
女の殺人鬼なのだ。
「女……。また、女。スーの前に立ちはだかるのは、女ばかり」
 スーは以前、彼を楽しませてくれた女と、彼女が操るMSの事を思い出した。あの戦
いは楽しかった。壊しても壊しても傷を治して、自分に立ち向かってくるあのMSが面
白いと思った。また戦いたいと思った。
 だが、この紅いストライクダガーは違う。こいつは怖い。何をするか分からない。こ
いつとは、もう戦いたくない。
「勝者、鬼一口!」
 判定を告げるロマノフの声は、スーの耳には届かなかった。仮面で顔を隠した男の心
は、得体の知れない女への恐怖で支配されていた。



「ふほほほほ。いやあ、面白い戦いじゃったのう」
 V・I・P席からこの戦いを見ていた王龍は、パチパチと手を叩いた。そして戻って
きたロマノフに、
「お前さんの鬼一口が勝ったのう。試合もなかなか盛り上がったし、さすがはチャンピ
オンと言うべきか。この調子で優勝まで一直線かのう?」
「ええ、彼女は負けませんよ。戦う事、勝つ事でしか自分は生きられないと思っていま
すからね」
「よくもそこまで飼い慣らしたものじゃのう。しかし、ああいう輩は扱いを間違えれば
主にも牙を向けてくるぞ。繋ぎ止めておく鎖のチェックは怠らぬようにな」
「心得ております、大仙」
 組織の上役に頭を下げるロマノフ。だが、その心中では別の事を考えていた。
『ミステリウス・マゴット、いやダブルZ様がマルコ・フィオーレ達と接触するとは…
…。あの小僧はメレアの組織の一員で、二年前はダブルG様の計画を阻止しようとした
宇流影太郎と行動を共にしていた。そんな男と、なぜ? 分からん。あの御方の考える
事は、未だに良く分からん』
 単なる気まぐれなのか、それとも何か深謀思慮があるのか。真の主の行動に、ロマノ
フは頭を痛めていた。



 一方、王龍達のいる席から少し離れた所にあるV・I・P席では、
「マティス様、スーが敗れましたが……」
 機嫌を伺うように尋ねるイルドに、マティスはゆっくりと紅茶を飲んで、
「ええ、そうね」
 とだけ答えた。
「スーの処分は如何なさいますか?」
「処分? その必要は無いわ。こうなる事は予想してたし」
「そ、そうなのですか?」
「ええ。スーは強いけど、戦士としては未熟な部分がある。だから、この大会に出場さ
せたのよ。今回の戦いでスーは『恐怖』を知った。そして敵を追い詰めすぎると、思わ
ぬ反撃を食らうという事もね」
 人間らしい感情を持たないが故に、スーは敵を倒す事よりも、自分の精神的な高揚を
満足させる事を優先してしまう傾向がある。敵を恐れないのはいいのだが、それで油断
して負けるのでは話にならない。
「今回の敗北で、スーは色々な事を学んだはずよ。これで戦士として、いいえ、戦闘兵
器としてのスーは完成度を高めるわ」
 マティスは懐から、トランプのカードの束を取り出した。全部で13枚あるそのカー
ドはハートのマークで揃えられており、それぞれ別の人間の絵が書き込まれている。
「私の計画の邪魔になる愚かな十三人、イレギュラー13(サーティーン)。こいつ等
を片付けるには、こちらもそれ相応の戦力を揃える必要があるの。強い駒を集めるだけ
でなく、強い駒を更に強くする努力もしないとね」
「なるほど、さすがはマティス様。敬服いたしました」
 イルドは主に頭を下げる。そして、来るべき戦いの日に備え、自分もより強くなる事
を誓うのだった。
 マティスはカードに描かれた十三人の顔を見る。いずれも彼女にとって、忌々しい敵
であり、いずれ排除しなければならない者達だ。
 ハートのAは、ディプレクター北米支部長、キラ・ヤマト。
 2は、この闘技場にも来ているジャンク屋、ロウ・ギュール。
 3は、東アジアの裏社会の重鎮の一人、桜道会会長、桜道灯。
 4は、ロウ達と行動を共にしている謎の女、プロフェッサー。
 5は、南米の英雄、エドワード・ハレルソン。
 6は、マティスと対立している情報屋、ケナフ・ルキーニ。
 7は、オーブの大統領の護衛役、アスラン・ザラ。
 8は、世界最強の傭兵、叢雲劾。
 9は、ディプレクターのナンバー2、アンドリュー・バルトフェルド。
 10は、オーブ共和国臨時大統領、カガリ・ユラ・アスハ。
 絵札のJ(ジャック)は、ディプレクタープラント支部長にして前大戦の英雄、ガー
ネット・バーネット。
 Q(クィーン)は、ディプレクター代表、ラクス・クライン。
 そしてK(キング)は、マティスの最大の協力者であると同時に、最大の障害でもあ
る憎き男、メレア・アルストル。
『この十三人の内、二人もこの闘技場に来ている。恐らく明日の準決勝にも来る筈。ふ
ふっ、面白くなりそうだわ』
 マティスは沸き上がる興奮に、体を振るわせた。



「不動さん。あんた、あのストライクダガーのパイロットとは知り合いらしいな」
 バルドルにそう尋ねられた剛馬は、苦笑しながら頷く。
「ああ。今のザクの奴みたいに、手酷い目に合わされた。あの戦いで負けて以来、俺は
MSには乗らなくなった。操縦席に座ると、あの女の事を思い出して震えが止まらなく
なるんだ。我ながら情けない話だがな」
 剛馬は鬼一口との戦いを思い出した。スーとは展開が違うが、彼女を徹底的に追い詰
めたところは同じだった。そして、予想外の手で逆転されてしまい、地獄を見せられた
事も同じだ。剛馬はスーに、わずかながら親近感を感じた。
「鬼一口の事が気になるのか? まさか、お前のレスキューチームに入れるつもりなの
か? 止めておけ。あいつは人を救うような女じゃない」
「ああ、そうだな」
 バルドルは剛馬の言葉を、あっさり肯定した。
「彼女は自分の事で手一杯だ。人を救う余裕など無い。周りが全く見えていないし、見
ようともしない」
「それって、あまりいい事じゃないな」
 デスフレームを修理する手を止めて、マルコが話に加わった。鬼一口を恐れる者とし
て、彼女の話題は気になるようだ。
「自分しか見てない奴は、自分の力の限界を知らず、気付かず、負け続ける。少し前の
俺みたいにな」
 過去の自分の言動を思い出し、マルコは恥ずかしくなった。第一の試練でアキに負け
たのも当然だ。彼は敵であるアキを見ず、自分の中にいる影太郎の幻想と戦い、勝とう
としていた。何というバカな事を、愚かな戦いをしたのだろう。
「そうだな。だが、お前は自分でそれに気付いた。それだけでもあの女よりはマシだ」
 剛馬はそう言ってマルコの頭に手を置いて、軽く撫でた。大きな手の感触は、マルコ
の心を少し慰めた。
「褒めてくれてありがとう。けど、俺が自分で気付いたんじゃない。どこかの熱血バカ
に気付かされたんだよ」
「なるほど。熱血レスキューバカにか」
「? なぜ俺の顔を見るんだ。俺はバカじゃないだろう」
 驚くバルドルに、剛馬とマルコを顔を見合わせて苦笑する。
「やれやれ。マルコ君、自覚が無いバカというのは手に負えんな」
「そうですね、不動先生。これこそが本当のおバカさんというものなのかもしれません
ねえ」
「お前達、俺の事をバカにしてるな。まあいい、レスキュー隊を結成したら、二人とも
こき使ってやる」
「ちょっと待て。マルコだけでなく、俺もスカウトするつもりなのか? 俺はMSには
乗れないんだぞ」
「心配するな。人手不足だから、MSに乗れなくても仕事はたくさんある。イノリ君と
一緒にデスクワークで頑張ってもらうぞ。マルコ君は俺やレオ君と一緒に現場で働くん
だ。子供だからといって、手加減はしないぞ。ビシビシ鍛えてやる」
「いや、俺も入るとは言ってないんだけど。レオとイノリはそれでいいのか?」
「良くないですよ。勝手に決めないでください!」
「私は構わない。バルドルさんは面白い人だし、仕事も面白そうだし」
「イノリがやるならマゴットもやりたい。人を助けるって、マゴット、やった事が無い
けど、それって楽しいの、バルドル?」
「楽しいかどうか、それは俺にも分からん。それを知る為にも、俺は人を助けたいんだ
よ。おかしいかな?」
「ガウ、ガウガウ」
「ゴルドは、楽しいかもしれないって言ってる」
「ほう。ロボットにしては頭が良いな。それに熱い魂を感じる。よし、ゴルド君、君は
俺のレスキュー隊の特別隊員に任命しよう」
「いい加減にしろ、このレスキューバカ。手当たり次第にスカウトするんじゃない」
「ははははは、いやあ、済まん済まん。気持ちのいい連中に会えて嬉しくてな、ちょっ
とテンションが上がってしまった」
 浮かれるバルドルだったが、すぐに真剣な表情になり、モニターを見る。巨大なモニ
ターには第四試合の出場者と入れ替わるように運び出される紅のストライクダガーと、
鬼一口が映っていた。
「苦しんでいるな、彼女は。マルコ君、ああいう女を見たら、男は何があっても助けな
きゃならん。人の心を救う事もレスキューみたいなものだ」
「そう、なのか……?」
 マルコは二年前の事を思い出した。アキと初めて会った時、虐待と辛い記憶で心を失
っていた彼女を助けた自分が、少しだけ誇らしくなった。
 バルドルは二年前の自分と同じ事をやろうとしているのだろうか? だとしたら、俺
は彼を手伝いたい。
『…………えっ? 本気か、俺?』
 とんでもない夢想をした自分に、マルコは驚いた。少し恥ずかしくなったが、嫌な気
分ではなかった。



 ベスト8最後の試合は、トロヤ・ノワレvsアッグ。『密林のファイヤーボール』と
呼ばれる東アジアのゲリラの少年と、マティス配下の仮面の戦士に架せられた『首輪』
は、特殊合金製の鎖だった。
 鎖によって繋がれた二機のMS。トロヤのアストレイ・グリーンフレームと、アッグ
のNダガーNの試合は、チェーンデスマッチだった。
 鎖はMSの力でも簡単には千切れない。ビームの熱には耐えられないが、鎖を切断し
た場合、切断した方の負けとなる。
 鎖の長さは20メートル程度。標準的なMSの身長と、ほぼ同じ長さである。決して
長くない鎖で結ばれたグリーンフレームとNダガーNの戦いは、意外にも一方的な展開
になっていた。
「………………」
 沈黙と共にアッグはミラージュコロイドを起動させ、NダガーNの姿を消す。前大戦
でニコル・アマルフィの愛機として活躍したブリッツの機能を盛り込んだこのMSは、
Nジャマーキャンセラーも搭載しており、核動力によってブリッツよりも長時間、ミラ
ージュコロイドを使用できる。NダガーNの『N』は核を意味するものであり、その力
で姿を隠して敵を探り、撃つという忍者(NINJA)的な戦い方で予選を勝ち抜いて
きた。この試合でも姿を隠そうとするのは当然だ。
 だが、
「へっ、悪いが、その手は通用しないぜ!」
 トロヤのグリーンフレームは、腕に繋がれた鎖を引っ張る。鎖の先には姿を消してい
るNダガーNがいる。
「そこだ!」
 グリーンフレームは《ツインソードライフル》を使う。これはかつてトロヤのゲリラ
と接触したロウ・ギュールによって作られた武器で、ビームライフルの銃身の上下にス
ライド展開式のビームサーベルを二振り取り付け、銃尻には斧状のブレードが設置され
た、遠近両方で使える優れ物だ。もっとも、使いこなすにはかなりの腕が必要だが、
「『あの人』の特訓はキツかったけど、おかげでこいつもバッチリ使いこなせるように
なったぜ!」
 トロヤは《ツインソードライフル》をライフルモードにして連射。鎖の先にいるはず
のNダガーNを狙い撃つ。
 狙いは命中。ビームはシールドで防がれたが、NダガーNはミラージュコロイドを解
除して、その姿を現した。
「この鎖がある限り、かくれんぼは無理だぜ。こそこそ隠れてないで、正々堂々勝負し
ようぜ!」
 トロヤの言うとおり、鎖によって繋がれているこの状態では、NダガーNが身を隠し
ても、すぐに居場所が分かってしまう。
「これでは、どうにもなりませんね。マティス様、ロマノフはアッグを負けさせる為に
こんなルールにしたのでしょうか?」
 イルドがそう疑うのも無理は無い。とにかくこのルールは、アッグとNダガーNには
不利すぎる。このチェーンデスマッチをやらせている男は、アッグに勝たせたくないら
しい。
「さあ、それはどうかしら。アッグのNダガーNは強い。まともに戦えば、あの緑のア
ストレイに勝ち目は無いわ。ハンデとして試合を盛り上げるには、チェーンデスマッチ
はちょうどいいと思うわよ」
「では、ロマノフに我々を陥れる意図は無いと?」
「それは分からないわ。彼にその気が無くても、彼のボスはそういうつもりかもしれな
いし」
「それは崑崙党の事ですか? それとも…」
「余計な事は言わない方がいいわよ。ここは敵の陣地なんだから」
 イルドにそう注意するマティスだったが、彼女の顔に不安や心配の色は無い。この状
況を楽しんでいるようだった。
「このイベント、まだまだ楽しめそうね。明日の準決勝も楽しめるようにしないと。そ
れにアッグには次の『仕事』もあるし」
 マティスは懐から小さな機械を取り出し、そのスイッチを押した。微弱な電波がNダ
ガーNに伝わり、操縦するアッグに簡単な指令を下す。
「……了解。指示に従います」
 スー以上に感情の感じられない声を発し、アッグは指令どおりの行動をした。
「ギブアップだ。この試合、棄権する」



「あらあら。ベスト8の最後の試合にしては、呆気ない幕切れね」
 桜道灯の言うとおりであり、そう思ったのは彼女だけではないようだ。一般の観客席
からだけでなく、灯がいるV・I・P席からも不満の声が発せられている。
「みんな、もっと血沸き肉踊る残虐ファイトが見たかったみたい。ホント、ここの観客
って最低の連中ね」
 エレアは観客達の身勝手さに呆れていた。彼女の後ろに立つラグナスも、こっくりと
頷く。
「とにかく、これで今日の試合は終了。明日は準決勝と決勝ね」
「ええ。準決勝第一試合はマルコ・フィオーレと七華さん、第二試合は鬼一口とトロ
ヤ・ノワレです」
「七華は厳しい戦いになりそうね。リトルフレームの調子はどうなの?」
「さっきロウから連絡がありました。修理は夜までには終わるそうです」
「さすがね。あと問題なのは……」
「七華さんですね」
「ええ。明日の試合で、あの子にもそろそろ吹っ切ってもらわないと。このままだと、
見ているこっちの方が辛くなるわ」
 妹の身を案じる灯。憂いに満ちたその顔は、崑崙党と互角に渡り合う程の女傑とは思
えない。
 裏の世界に身を置きながら、それでも優しい心を失わないこの女組長を、エレアもラ
グナスも尊敬しており、慕っていた。だからこの二年間、二人は灯に協力して、崑崙党
の魔手から日本地区を守ってきたのだ。
『でも、それもそろそろ終わりかもしれないわね。ルキーニが送ってくれた情報が確か
なら、明日は……』
 エレアはラグナスの顔を見る。機械で作られた彼の顔には、感情は浮かばない。しか
し二人の心は通じ合っており、共に悲痛な決意を抱いていた。



 深夜、香港のとある場所。
「兄さん、トロヤから連絡が入ったわ。彼、明日の準決勝まで勝ち進んだそうよ」
「ふーん。あいつの腕じゃ、途中で負けると思っていたんだけど、ハズレか。短期間と
はいえ、『先生』の指導を受けただけの事はあるか」
「これでこっちもやり易くなったわね。手筈どおりに進めていいの?」
「ああ、やってくれ。あの連中にも、予定通りだと連絡してくれ。タイミングはこっち
に合わせろともな」
「分かったわ」
「お前もしくじるなよ。この作戦、失敗は絶対に許されない」
「分かっているわよ、兄さん。明日はこの香港の、いえ、東アジアの大掃除。絶対に失
敗はしない。悪党どもにこの世界の正義を教えてあげるわ」
「そうだ。正義は私達にこそある。薄汚いナチュラルや、弱腰のプラント政府に正義は
無い。私達こそが正義だ。なぜなら私達は……」
 香港の月明かりが二人の顔を照らす。共に緑色の髪を生やし、良く似た顔立ちをした
男女は、お互いを見詰め合う。
「私達は二年前、世界を滅ぼそうとした邪神を倒した正義の戦士!」
「そうよ、兄さん。私達が正義なのだから、私達と戦う者は全て悪。悪は滅ぼすべきな
のよ。徹底的に!」
 二人の目は眩しい光を宿していた。それは鬼一口が、その本能を解き放った時の目の
輝きに似ていた。殺人鬼の目に、とても良く似ていた。

(2008・12/6、前半掲載 12/13、後半掲載)

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