第37章
 準決勝に嵐吹く

 ベスト8の試合が全て終わり、大会一日目は終了。明日の準決勝に勝ち残った四人は
新たな戦いに備えて、それぞれ行動する。
 鬼一口は闘技場の自分の部屋に戻り、ぐっすりと就寝。彼女が乗っていたストライク
ダガーは大ダメージを受けたが、予備の機体があるので明日の試合に支障は無い。壮絶
な戦いを制した彼女は、明日も生きる為に体を休める。
 トロヤは闘技場の地下格納庫でグリーンフレームの調整をした後、控え室で休む。そ
の表情は緊張に満ちており、明日が彼にとって特別な日なのだと思わせた。
 怪盗レインボースターこと桜道七華は、香港の港にある倉庫の一つにいた。この倉庫
は数日前に桜道会が買い取っており、中はMSの整備工場に改築されていた。七華はこ
こでロウや樹里と共に、リトルフレームの修理を行っていた。
 時刻は午前零時を回ろうとした頃、ようやく修理作業は終わった。
「やれやれ、何とか間に合ったな」
 ロウは床に腰を下ろした。イルドのプロトセイバーとの戦いでリトルフレームの右腕
はその秘めた力を発揮し、七華に勝利をもたらした。だが受けたダメージは大きく、ロ
ウの力作である『右腕』は使い物にならなくなった。
「まあ対PS装甲用に作った物だから、明日の相手には使ってもあまり意味が無いから
いいんだけどな」
 ロウの言うとおり、四強に勝ち残った機体はリトルフレームも含めて、いずれも通常
装甲のMSだ。あの『右腕』を特に使う必要は無い。
 七華もそれを承知して、リトルフレームの右腕は特別製の物ではなく、通常の物に取
り替えられた。明日の準決勝、そして勝ち残った場合は決勝も、七華とリトルフレーム
は機体本来の力のみで戦う事になる。
「七華さん、大丈夫なんですか? 七華さんの腕が上がった事は知っているけど、それ
でもちょっと心配……」
 不安がる樹里。無理も無い、明日七華が戦うであろう三人はいずれも只者ではない。
たくましく成長した顔馴染みの少年に、機動闘技場に君臨する殺人鬼の女傑、そして東
アジアの密林で戦ってきたゲリラの戦士。自分なら遠慮したい相手ばかりだ。
 特に準決勝の相手とは、樹里は絶対に戦いたくなかった。
「ロウ。マルコ、二年前とはちょっと変わったみたいね」
「ああ、そうだな」
 頷くロウは、マルコとバルドルの試合を思い出した。序盤、性能の劣る相手に押され
ながらも後半は逆転して勝利。自滅する覚悟を決めた最後の攻撃は、見ているこちらも
身震いした。
「あんな攻撃、俺には絶対に無理だ。やりたくないから考えないし、だから対抗する事
も出来ない。俺はマルコには勝てないだろうな」
 ロウは自分とマルコの相性の悪さを認めた。勝利の為なら自機を壊す事も厭わないマ
ルコと、レッドフレームを自分の一部のように思っているロウ。確かに、ロウにはマル
コのような戦い方は出来ないし、それ故に行動パターンが読めず、相性も悪い。
「けど、あいつなら勝てるかもしれないな」
 ロウはリトルフレームの操縦席を仰ぎ見た。操縦席では七華が、8(ハチ)のサポー
トを受けながらOSを調整していた。
「それは七華が強いから、って意味じゃないわね」
「きゃっ!」
「あ、灯さん!?」
 いきなり後ろから声を掛けられ、樹里もロウも驚いた。二人の背後にはいつの間に来
たのか、七華の姉である桜道灯が立っていた。彼女に付き従うエレア・クーウェルとラ
グナス・バモラスも一緒だ。
 エレアが一歩前に出て、リトルフレームを眺める。修理を終えたリトルフレームは、
新品のような輝きを放っている。
「リトルフレームの修理を手伝おうと思って来たんだけど、もう終わらせたのね。さす
がは宇宙一のジャンク屋、見事な腕だわ。リトルフレームもキラキラ光って、喜んでい
るみたいよ」
「俺だけの力じゃないですよ。七華も手伝ってくれたし、機体がピカピカなのは、樹里
が磨いてくれたおかげです」
「ワンワンワン!」
 ロウの足元で大人しくしていた白い子犬が吠えた。
「ああ、レウもスパナとか持ってきてくれたな。ありがとよ」
「ワン!」
 頭を撫でられ、嬉しそうに鳴くレウ。
「そう。リトルフレームは完璧に直ったのね。そしてあの子は、明日も戦う……」
 暗い声で語る灯。崑崙党と渡り合う程の組織の長とは思えない、弱気な表情だった。
「会長は七華さんが戦う事、反対なんですか?」
「いいえ、ラグナス。あの子が選んだ事なんだから、私は反対しないわ。私がダメだと
言っても、あの子はやるだろうし」
 ならばせめて最高のサポートをしよう、と灯はロウ達を七華の側に付けたのだ。
「七華が勝ったのは嬉しいし、明日も必ず勝つと信じているわ。でも、悪い予感がする
のよ。何かが蠢いている、とんでもない事が起ころうとしている、そんな気がするわ。
ここは敵の本拠地みたいな所だし」
 灯の言うとおり、この香港は崑崙党の一大拠点であり、灯達にとっては敵地も同然の
危険地帯だ。何が起きてもおかしくないし、むしろ何も起きない方が異常だ。
「崑崙党が何かやると思っているんですか?」
 ロウの質問に、灯はすんなり頷く。
「ええ。連中も中で色々あるみたいだし、それについさっき、ディプレクターの上海支
部で何か起きたらしいわ」
「上海で? 何が起きたんですか?」
 樹里が尋ねるが、エレアが首を横に振る。
「分からないわ。ディプレクターが情報を隠しているみたいで、何が起こったのか全然
不明。ただ、上海支部長が重傷を負ったとか、そんな噂が流れているわ」
 ディプレクターの上海支部長・劉建光は、誠実かつ温厚な人柄と、ナチュラルとは思
えない程の明晰な頭脳の持ち主として知られている。崑崙党の王龍からも警戒かつ評価
されており、上海を東アジア屈指の安全な町にしている男だ。
 その劉が負傷した。これは上海にとって、いや、この東アジアにとって、極めて重要
な情報だ。桜道会と崑崙党、そしてディプレクター。均衡を保っていた三組織の関係が
崩れるかもしれない。だからディプレクターはこの情報を隠しているのだろうが、
「人の口に角は立てられない。明日の夜明けまでには東アジアどころか世界中に知れ渡
るでしょうね」
「だとすると、桜道会を潰す為に崑崙党が仕掛けてくるかもしれない?」
「連中にとっては絶好のチャンスなのは確かね。私も日本に戻って、敵の攻撃に備えた
いんだけど……」
 灯の視線は、再びリトルフレームに向けられた。いや、正確にはその操縦席に座る、
彼女の愛しい妹に。
「今のあの子を放っておく訳にはいかないわ。エレアもラグナスもごめんなさい」
「いいえ、私達は構いません。この二年間、お世話になりっ放しのご恩を返すにはいい
機会です。ね、ラグナス?」
「はい。本部の方は高倉さんがいれば問題ありません。私達は会長をお守りします」
 それは日本を出る際に、留守番をする高倉から厳命されていた事でもあった。灯を守
る、それが今のエレアとラグナスの『戦い』だった。
「それにもしかしたら、明日は面白い事になるかもしれませんよ」
「?」
 首を傾げる灯に、エレアはいたずらっ子のように微笑む。それからロウを見て、
「あなたもそう思っているんでしょう? そして、期待している」
「ああ。七華には怒られるからナイショだけどな」
 ロウもエレアと同じように微笑んだ。
「マルコ・フィオーレ、あの子は私達の期待に応えてくれるかしら?」
「それは、明日のあいつ次第だな。けど俺は信じている。あいつはあの宇流影太郎が見
込んだ男だからな」



 ロウが期待している少年、マルコ・フィオーレはその頃、頭痛を堪えていた。
 体調が悪いのではない。いや、『体調が悪い』という理由の方が、もっとマシだった
かもしれない。
「不動さん、あんたが作ってくれたこの料理だが、どうやって食べるんだ? 生のまま
食べたら腹を壊すだろ」
「タルタルステーキは生の肉を食べる料理だ。新鮮な肉だから腹を壊す心配は無い。ビ
ールとも良く合うぞ」
「ほう。ふむ、ふむふむ、これはなかなか」
「通好みな料理ですね。俺達は普通のハンバーグを食べよう。みんな、ソースは何がい
い? イノリは?」
「デミグラスソース。たっぷりとかけて」
「了解。マ、マゴットは?」
「蟲の入ったソース」
「い、いやあ、そ、そんなソースは無いなあ」
「冗談。レオ・ゲルツェン、緊張してる。面白い」
「面白くないわよ。こいつはただの女性恐怖症よ。それでいて私の体に気安く触るんだ
から、訳が分からないわ。マゴット、このムッツリスケベバカには近づかない方が良い
わよ」
「イ、イノリ、お前なあ……ふう、まあいい、それでマゴット、ソースは?」
「ホワイトソース。キノコがたくさん入ったの」
「はいはい。じゃあ俺は塩とコショウで渋く行きますか」
「ガウ、ガウ」
「えっ? ゴルド、まさかお前も食べるのか?」
「ゴルドにはそういう機能、ある。マゴットがあげたお菓子とか、良く食べる。嫌いな
ピーマンも代わりに食べてくれる。だからマゴットはゴルドが好き」
「ふーん、最近のロボットは良く出来ているんだな。あ、マルコ、君は何のソースをか
けるんだ?」
「………………ケチャップだけでいい」
「あら。マルコはハンバーグにはソースをかけないのね」
「ケチャップだけ。子供っぽい」
「大きなお世話だ! で、どうしてお前らがこの艦に乗っているんだ! しかもみんな
で仲良く夕食まで食べて!」
 ユニコルンの食堂で、マルコは叫んだ。しかし、その叫びは皆の心には届かなかった
ようだ。
「何を今更。どうしてって、バルドルさんが勝手について来たからだろ。ついでにマゴ
ットとゴルドも」
 レオの言うとおりだった。ベスト8の試合が終わった後、ユニコルンに戻ろうとした
マルコ達にバルドルが着いて来たのだ。マゴットもイノリと一緒に乗り込み、それにゴ
ルドもくっついて来た。
 このユニコルンには、マルコが許可した者しか乗せてはいけない事になっている。そ
れなのに剛馬もレオもイノリも、珍客たちをあっさり受け入れて、食事を一緒に食べて
いるのだ。
 レオと剛馬はそれぞれ手作りの料理を作って、バルドルとマゴットを歓迎している。
イノリはカプセルに入ったまま、マゴットやゴルドと話をしたり、追いかけっこをした
りして遊んでいる。何とも賑やかで、それでいて和やかな雰囲気だ。
 しかし、マルコの頭は痛くなる一方だった。もしこんな不祥事が組織に知られたら、
文字どおりマルコの首が飛ぶかもしれない。その上、
「ふーん、お前さん達はその謎の組織の一員で、マルコ君は最高幹部への承認試験を受
けているのか。MS同士の戦いで合格者を決めるとは、なかなかユニークな試験だな」
「ユニークっつうか、ふざけた試験だぜ。おかげでこっちは一苦労、いや百苦労だ。ヒ
ック」
 極秘のはずの『試練』について、ベラベラ喋る不動剛馬。酒のせいにしても、機密漏
洩の罪は免れない。
「イノリ達が旅をしているのは、マルコの為なんだ。他人の為に頑張るなんて、二人と
も変わっている。マゴットはそう思う」
「そうね。でも、こういう旅って意外と面白いわよ」
「確かに。次に何が起こるか分からないし、退屈しない。充実した毎日を過ごせると思
う」
 レオとイノリまで、部外者のマゴットに語っている。いい加減にしてくれ、と悲鳴を
上げたいマルコだったが、
「ははははははははははははははははは。何かもう、どーでもいいや」
 場の空気に染まってしまったのか、マルコはため息をついて諦めた。そしてケチャッ
プがたっぷりかかったハンバーグを食べる。
「…………美味い」
 ケチャップ味のハンバーグは、昔、母カテリーナが良く作ってくれた料理だった。家
事オンチで料理オンチの母の料理は美味い物ではなかったが、食べると心が温かくなっ
て、母の事が大好きになった。
 美味しい料理は人の腹だけでなく、心も満たす。そして本当に『美味しい料理』とは
材料だけでも、技術だけでも作れるものではない。
『この場にいるからこそ美味しく感じられるのかな……?』
 心地よい空気の中で、マルコはハンバーグを食べ続ける。その口は自然と微笑を浮か
べていた。
「ガウ」
 マルコの微笑みを見たゴルドが、なぜか嬉しそうに鳴いた。



 翌日の深夜、機動闘技場は再び活気に包まれた。
 第一回MSグラップル世界大会、準決勝と決勝。この世紀の大イベントを見ようと、
東アジアだけでなく世界各国の金持ちや、裏社会の要人達が集まっていた。闘技場の席
はあっという間に埋まり、闘技場に入れなかった者達は裏カジノのあちこちにあるモニ
ターに集まり、試合開始の時を待ち焦がれていた。
 午後八時。銅鑼が鳴り響き、闘技場の床が大きく開く。そして更なる地下へと続く虚
空から、四機のMSがせり上がってきた。
 桜道七華のアストレイ・リトルフレームと、マルコ・フィオーレのアストレイ・デス
フレーム。
 鬼一口こと柚子良子の真紅のストライクダガーと、トロヤ・ノワレのアストレイ・グ
リーンフレーム。
 今日、この四機は命を賭けて戦い、勝ち残った一機が優勝の栄光を手にする。今日で
全てが決まるのだ。
 その決着の瞬間を見ようと、人々の眼は闘技場に注がれていた。それはV・I・P席
にいる面々も例外ではない。崑崙党の首領である王龍も、その脇に控えるアンドレイ・
ロマノフも、別の席にいる桜道灯とその護衛を務めるエレアとラグナスも、忠実な部下
イルド・ジョラールを従えるマティスも、闘技場に視線を向けていた。
 いや、マティスの様子は他の者とは少し違う。彼女は口元を不気味に歪め、奇妙な微
笑を浮かべていた。
「さあ、もうすぐ始まるわね。イルド、貴方だけだけど、大丈夫よね?」
「問題ありません。むしろ私一人だけの方が動きやすいですから」
 先日敗れたスーとアッグは、別の任務を成し遂げる為、昨夜の内にこの香港を後にし
ていた。イルドだけはマティスの命で残ったのだ。
「スーとアッグは連れて来なくて正解だったわ。あの子達がこの場にいたら、血の匂い
に当てられて暴れるかもしれない。でもイルド、貴方はそんな事はしないわよね?」
「ご命令があれば、致しますが?」
「ふふっ、いいわよ、そんなに気負わなくても。まだ時間はあるみたいだし、しばらく
は観客として試合を楽しみましょう」
 怪しく微笑むマティスの眼下では、鬼一口のストライクダガーと、トロヤのグリーン
フレームが再び地に沈んでいった。残ったのはリトルフレームとデスフレームのみ。準
決勝第一試合が始まろうとしていた。



 闘技場の地下格納庫では、七華とマルコの仲間達が巨大モニターを見つめていた。モ
ニターには昨日と同じように闘技場の光景が映しだされており、対峙する二機のアスト
レイの姿を中継していた。
「アストレイ、か。同じ名前のMSなのに、あの二機は全然違う機体なんだな」
 と、バルドルが言う。確かに彼の言うとおり、リトルフレームとデスフレームは似て
いるようでまったく違う機体だ。いや、似ている部分の方が少ないかもしれない。
「マルコにとって、あのリトルフレームってMSは特別な存在らしいな。昨日からかな
り気合が入っていた。戦うのが怖いけど待ち遠しい、そんな感じだったな」
「ほう。さすがに鋭いな」
 バルドルの考えを、剛馬は肯定した。彼もマルコの様子を同じ様に感じていたのだ。
「あいつにとってあのリトルフレームってMSは、過去の象徴だ。俺もあのMSとは少
し因縁があるから、あいつの気持ちは分かる。そして、何としても倒したいという気持
ちもな」
 正確にはマルコが勝ちたいのは『アストレイ・リトルフレームというMS』ではな
い。マルコが勝ちたい相手は宇流影太郎。あの男が乗ったリトルフレームにこそ勝ちた
いのだ。
「だが、その願いは叶わなかった。だからイライラして、機嫌が悪かったんだろう」
 バルドル達と一緒に夕食を食べた時、マルコだけは神経過敏になっていた。本人は自
覚していなかったようだが、リトルフレームとの対決を前に気持ちが昂っていたのだろ
う。危ない状態だった。
「ハンバーグを食べたら気負いが無くなったのは、いい事なのかねえ。いや、まだまだ
お子様と言うべきか」
「いいんですよ。立ち直ってくれなかったら、俺の苦労が水の泡ですよ。あのハンバー
グを作るのには苦労したんですから。ワザと下手に作るのって、美味い物を作るより大
変なんですよ」
 レオがグチを言う。実際、ノーフェイスから送られてきたカテリーナのレシピどおり
にハンバーグを作るのは大変だった。彼女のレシピは独特すぎて、結局、完全に同じ物
は作れなかったのだ。
「まあ終わり良ければ全て良し、だ。ノーフェイスの奴のナイスタイミングなフォロー
と、レオの奮闘にマルコが応えてくれる事を祈ろうじゃないか」
「応えてくれますよ。あいつはこの俺が見込んだ男ですからね」
 自信満々に言うバルドル。昨日の死闘を通じて、彼はマルコに大器の片鱗を感じ取っ
ていた。あの少年、鍛えればもっと強くなる。そして、自分よりもっと大勢の人を助け
られる人間になれる。
『期待しているぞ、マルコ君。そしていつか一緒にレスキューをしよう。人の命を守る
為の、この世界を救う為のレスキューを。君なら出来る!』
 イノリとマゴット、そしてゴルドも、モニターを見ていた。カプセルに入ったイノリ
は、スピーカーを通じてマゴットに話しかける。
「マゴットはどっちが勝つと思う?」
「分からない。あの二人はどっちも強い。だから分からない。でも、ワクワクする。蟲
の戦いを見る時よりもワクワクする。楽しみ。凄く楽しみ」
「ガオッ!」
 マゴットに同調するかのように、ゴルドも吠える。イノリもマゴットと同じ気持ちだ
った。そして信じていた。マルコの勝利を。
「昨日のバルドルとの戦いで、あの子は変わった。あの子なら、きっと……」
 イノリの期待の声は、大きな銅鑼の音によって掻き消された。準決勝第一試合、つい
に開始。



 9.15mと17.53m。
 27.49tと53.2t。
 数値にするとピンと来ないかもしれないが、実物を見比べてみると両者の差は一目で
分かる。リトルフレームとデスフレーム。子供と大人、いやそれ以上にも感じられる程
の体格差のこの二機が今、戦おうとしている。
 今日来たばかりの見物客は自分の倍以上もある敵に挑むリトルフレームの無謀さを嘲
笑い、その敗北を予想するしかなかった。だが、昨日のリトルフレームの試合を見てい
る者は笑わなかった。
 この小さなMSが準決勝まで勝ち残っているという事実が、彼らが沈黙する理由その
ものだ。リトルフレームは確かに小さい。だが、弱者ではない。大人より強い子供が少
なくないように、リトルフレームとそれを操る桜道七華は強者だった。
 それは対戦相手であるマルコが一番良く感じていた。相対してみて七華の強さが分か
ったのだ。彼女には一部の隙も無い。そして、凄まじい気迫。身長も体重もデスフレー
ムの半分以下しかないリトルフレームが、デスフレームと同じか、それ以上に大きく見
える。
『隙を見せたら、喉元に食いつかれる……!』
 マルコの体が自然と強張る。
 準決勝からは余計な『首輪』は無い。正々堂々、自分と機体の能力を最大限に生かし
た戦いが出来るようになった。だがそれは敵も同じだ。昨日の戦いでプロトセイバーに
使った『右腕』のような仕掛けがあるかもしれない。迂闊には近づけない。
 一方、プレッシャーを感じているのはマルコだけではなかった。彼と相対している七
華もまた、敵の凄まじい気迫と戦っていたのだ。
「こいつ、思っていたよりも、やるわね」
【そうなのか? 確かに、隙らしい隙は無いようだが】
「クゥーン……」
 コンピューターである8(ハチ)には良く分からないみたいだが、敏感なレウは七華
と同じ様にマルコの気迫を感じ取っていた。威押されたのか、声が少し弱気になってい
る。
「大丈夫よ、レウ。不安にならないで。確かにあいつは強いみたいだけど、私は絶対に
負けないから。このリトルフレームに乗っている限り、私は絶対に負けられない!」
 頭の上に乗っているレウを励ました後、七華は自分に気合を入れた。このまま睨み合
っていても仕方が無い。危険だが、先に動く!
 リトルフレームは手にした小型の武器を作動させた。71Y式改ビームライフル《ヒ
ナワ》。プロトセイバーとの戦いではルール上使えなかった、リトルフレームの主力武
器だ。
「まずは、挨拶代わりよ!」
 《ヒナワ》の銃口から光が放たれる。小型武器からのものとは思えない程、強力なビ
ームがデスフレームを狙う。
「くっ!」
 かわすマルコ。しかしリトルフレームの攻撃は終わらない。二撃、三撃、五撃、十撃
と連続発射。
「二年前より《ヒナワ》の性能が上がっている。かなり改良したみたいだな。光(コ
ウ)、リトルフレームのデータの修正を…」
 と言いかけて、マルコは口を閉じた。光(コウ)は昨日の《ホクト》の全力使用のせ
いなのか、一日経っても起動しないのだ。
 修理しようにも光(コウ)には強力なプロテクトが掛かっており、修理するなら組織
本部の施設が必要になる。それに時間も無い。機体は動くので光(コウ)の機能が完全
に停止している訳ではなさそうだが、人間で言えば意識不明の重態なのは確かだろう。
『この戦いでは光(コウ)は使えない。俺一人で何とかするしかないのか、クソッ!』
 昨日の勝利の代償は、あまりにも大きなものだった。昨日、マルコがバルドルに勝て
たのは、複雑な《ホクト》の出力調整を光(コウ)がサポートしてくれたからだ。これ
まで自分を支えてくれた柱が急に抜けてしまった。そんな不安を感じながら、
「それでも逃げたくないんだよ、あいつからは!」
 かつての目標にして、現在の強敵。それを目の前にして、マルコの闘志は反射的に燃
え上がった。リトルフレームのビームをかわして一気に接近、背部に搭載していたビー
ムサーベルを、
「させないわよ、8(ハチ)!」
【分かっている!】
 リトルフレームも素早く対応。《ヒナワ》の出力を8(ハチ)が調整して、ライフル
モードからサーベルモードに変更。向かってきたデスフレームを切ろうとする。
「ちっ!」
 危機一髪、ビームの刃が触れる寸前で飛び上がり、かわしたデスフレーム。リトルフ
レームの背後に着地したが、
「そこ!」
 それを察知していたのか、七華が切りかかる。だが、マルコはこれもかわして、後方
に大きくジャンプした。
 デスフレームが突撃をしてからここまで、わずか五秒。互いに隙を見せない、実力者
同士の攻防に観客達も興奮して、奇声を上げる。準決勝に相応しい盛り上がりだった。
 だが、死闘はまだ始まったばかり。この五秒間の攻防でさえ、嵐の前の静けさに過ぎ
なかった。



 【光(コウ)、おい、そろそろ起きろよ。もう試合は始まっているんだぜ?】
【………………】
【ダメだこりゃ。昨夜から呼びかけているけど、まったく反応無し。こりゃ本当に壊れ
たかな? いや、だとしたら同じ体にいる俺にも影響はあるはず。どうなっているん
だ?】
【………………】
【まあ、いいか。取りあえずはマルコ・フィオーレの戦いを見せてもらおう。光(コ
ウ)のサポート無しで、あいつがどこまで戦えるのか、楽しみだ。場合によっては、俺
も参加させてもらおうかな。デスフレームが壊されたら、俺も困るし】
【………………】
【ふーむ、俺が出ると言っても、全然反応が無いな。寝た振りとかじゃなくて、かなり
ヤバいのか? おいおい、早く起きないと試合が終わってしまうぞ。その後のビッグイ
ベントも見逃すかも】
【………………】
【ふう。じゃあ独り言はこれくらいにして、観戦させてもらいますか。見せてもらおう
か、フィオーレ家の若殿様がどれ程成長したのか、あるいはまったく成長していないの
か】



 序盤の攻防は、どちらにも利は無かった。マルコも七華も、相手の手強さを確認した
だけだった。
 再び睨み合うリトルフレームとデスフレーム。しかし、今回の対峙は長くは続かなか
った。
「これ以上、光(コウ)に悪影響を与えない為にも《ホクト》は使えない。それを感づ
かれる前に!」
 今度はマルコが先手を打った。デスフレームは、腰に下げていたビームライフルをリ
トルフレームに向けて、ビームを発射。
「遅いわ!」
 軽くかわすリトルフレーム。連射されるビームも、全てかわす。先程の攻防とは攻守
交替だ。
 リトルフレームの動きは素早く、デスフレームのビームは当たりそうにない。単純な
射撃で仕留められる相手ではない事は、マルコも分かっているはず。
「あいつ、狙っているな」
 ロウの言うとおり、これはマルコの罠だった。
「!」
 走り回って逃げていたリトルフレームが、急に倒れた。まるで何かに躓(つまづ)い
たような倒れ方だ。
「スキあり!」
 この時を待っていたマルコは、ここぞとばかりにライフルを連射する。だが、七華も
しぶとい。
「くっ、こんな事で!」
 リトルフレームは倒れたまま、地面を横に転がった。子供のような逃げ方だが、判断
が早かったのでデスフレームの攻撃を逃れる事が出来た。リトルフレームはゴロゴロと
壁際まで転がった後、スッと立ち上がった。
【ナイスプレイだ、七華。いや、今のは珍プレイというやつになるのか?】
「クウン?」
 8(ハチ)の疑問に、レウも首を傾げる。
「冗談言ってないで、どうして転んだのか調べなさい。まさか、足が故障したんじゃな
いでしょうね」
【いや、原因は単純明快。下の窪みに躓いたのだ】
「窪み? そんなの、どこに…」
 七華は闘技場の床を見て、愕然とした。試合が始まるまでは堅く、整えられていた土
の床が、今では荒地当然。大きな穴があちこちに出来ており、まともに歩ける状態では
ない。
 いや、よく見れば決して『大きな穴』ではない。普通のMSなら、難無く跨げるくら
いの穴だ。そんなに深くもないし、普通のMSならば穴に嵌まっても何の影響も無いだ
ろう。
 そう、『普通のMS』ならば。しかし、普通のMSよりも小さい体で、歩幅も小さい
リトルフレームにとって、この穴だらけの地面は危険地帯だ。こんなに荒らされた地面
を今までのように素早く走り回るのは、リトルフレームには不可能。かと言ってジャン
プなどすれば、空の高さに限界があるこの闘技場では思う存分には飛び上がれない。い
い的になるだけだ。
【『将を射るならば、まずは馬から射よ』という、ことわざがある。どうやら敵は、こ
ちらにとっての馬を射たようだな】
 マルコを褒める8(ハチ)。七華も、
「そうね。大したものだわ。あいつをちょっと侮っていたみたい」
 と、マルコを評価した。リトルフレームを攻撃する振りをして、リトルフレームの素
早さを支える『地面』という名の馬を攻撃していたとは。限られた広さで、荒らされた
場所から別の場所に移動できない『闘技場』という特殊な戦場ならではの戦術だ。
 これでリトルフレームの足は封じられた。デスフレームは静かに、ライフルの銃口を
リトルフレームに向ける。
 チェックメイト、かと思われたが、
「ふん。この程度で、私を追い詰めたつもり?」
【だとしたら心外だな。我々もこのリトルフレームも、そんなに弱くはない】
「ワン!」
 一人と一機と一匹の戦意は、まったく衰えていなかった。
 リトルフレームはその場から高くジャンプした。自殺行為だ、とリトルフレームの関
係者以外の誰もが思った。デスフレームとリトルフレームが戦っている場は、観客席の
人々を守る為に超硬質ガラスによって覆われている。当然、空もだ。どんなに高く飛ん
でも、天井のガラスにぶつかるだけ。ガラスにぶつかって落ちてきたところを撃てば、
「!?」
 撃てば終わりだ、とマルコは考えていた。だが、リトルフレームは空から落ちてこな
かった。
「嘘……」
「凄い。あのMS、凄い。まるで虫みたい。天井に張り付いた虫、蟲、面白い蟲」
 呆気に取られるイノリの横で、マゴットは少し興奮していた。確かに今のリトルフレ
ームは、彼女が大好きな虫に似ている。重力に逆らい、天井を自由に這い回る虫。
 リトルフレームの二本の足の裏は、ガラスの天井にくっついていた。頭を下に向けて
いるのに、どんなに待ってもリトルフレームは落ちてこない。
 一瞬、唖然としたマルコだったが、すぐに思い出した。昨日のプロトセイバーとの試
合でリトルフレームの武器として使われた『右腕』。あれに搭載されていた、ロウ・ギ
ュール特製の強力接着剤。
 驚いた事に、リトルフレームは逆さまのままでガラスの天井を歩き出した。いや、走
っている。地上にいた時と同じか、それ以上のスピードだ。
 重力ほ無視して走り回るリトルフレームに、ロウは笑みを隠せなかった。
「よし、上手くいってるみたいだな。あのシステムの調整には苦労したんだ。あれくら
いやってもらわないとな」
 MSの足の裏から接着剤と、その効果を和らげる中和剤を出す。出すタイミングを調
整すれば、あのように天井を歩く事も可能だが、そのタイミングが難しい。
「8(ハチ)がプログラムを上手く動かしているみたいね。さすがだわ」
「いいや、まだまだこれからだ。そろそろ反撃開始、みたいだぜ」
 モニターの向こうでは、リトルフレームのスピードが更に増していた。ガラスの天井
を、壁を自由自在に駆け走り、マルコを翻弄している。
「あらあら、さすがのマルコ・フィオーレも戸惑っているみたい。でも、それも仕方な
いわね。あんなとんでもない動きをされたら、誰だって驚いて戸惑うわ。イルド、あな
たもそうでしょう?」
「マティス様のご想像にお任せします」
 イルドは主の意地悪な問いを、すんなりと返した。しかしマティスの言うとおり、今
のリトルフレームの動きは変幻自在すぎる。天井を、壁を歩いていたかと思えば、時折
穴だらけの地面に降りて、また飛び上がる。どこへ行くのか分からない、どこから来る
のかも分からない。こんな動きをされ続ければ、誰でも戸惑い、冷静さを失うだろう。
「桜道七華の狙いは、それだろうな。あの娘はマルコを精神的に追い詰めて、自滅させ
るつもりなんだ」
 剛馬はそう分析した。リトルフレームとデスフレームの性能差は歴然。まともに戦え
ばリトルフレームに勝ち目は無い。唯一デスフレームより勝っていたスピードも、地面
を穴だらけにされて走れなくなった。リトルフレームが出来る戦い方は、相手の自滅を
誘うこの戦い方しかない。
「姑息だと思うか? 俺は思わない。こういうのは自滅する奴が悪い。真の強者とは肉
体と精神、両方強くなければならないのだからな。焦って自滅する奴は、自分の精神の
弱さに気付かなかった未熟者だというだけだ」
 幾多の戦いを生き抜いてきた剛馬らしい、力強い考え方だった。バルドルも、
「ああ、そのとおりだ」
 と思ったが、
「だが、あんたはちょっと勘違いをしているな」
「?」
「マルコ・フィオーレはこの俺が見込んだ男だ。この程度の事で冷静さを失い、自滅す
るようなバカじゃない」
 バルドルの言うとおりだった。当初はリトルフレームの動きに戸惑っていたマルコだ
ったが、
「…………上、次は右」
 七華の動きのパターンを読み、その的中率を上げていた。
 あと一分もあれば、七華の動きは完全に読める。だが、それは七華も予測していた事
だった。
「そろそろね。仕掛けるわよ」
【了解!】
「ワン!」
 これ以上、マルコに時間を与えたら、こちらが不利になる。七華も8(ハチ)も、そ
してレウもそう判断して、攻撃を開始した。さすがは百戦錬磨の怪盗、勝負の時を見逃
さない。
「ふん。そんなに甘くはなかったか」
 データは不十分だが、敵が仕掛けてくるのならば迎え撃つしかない。マルコは一瞬で
息を整え、七華の出方を伺う。
 リトルフレームは天井の一番高い所にいた。相変わらず逆さまの状態で、眼下のデス
フレームを睨んでいる。
「それじゃあ…………行くわよ! 桜道七華とリトルフレームの影蝶(かげちょう)飛
び!」
 リトルフレームが天井から足を離した。そして天井を蹴り、その反動で横の壁に向か
う。しかしすぐにそこも蹴り飛ばし、別の方向に向かう。
 今までの変幻自在な動きと同じ、だが、今までとは何かが違っている。それは七華と
戦っているマルコにしか分からない『違い』だった。気合が違う。闘志が違う。決意が
違う。いや、それ以上に、
「私は勝つ! 勝って、あいつに会った時に自慢してやるのよ。あんたの大事なリトル
フレームで私は勝ち続けたって、あんたの分まで頑張ったって!」
 哀しみが、違う。
「影太郎(たにん)のMSで、よくもそこまで動けるものだな、桜道七華、いや、怪盗
レインボースター。さすがだと言っておこうか!」
 マルコはライフルを捨てた。デスフレームはビームサーベルを手に持って、迫り来る
敵を待ち受ける。
「あいつの、あのバカのMSだからこそ頑張るのよ。あいつが帰って来た時に自慢して
やるんだから!」
「本気でそう思っているのか? それにしては必死すぎるんじゃないか?」
「必死にだってなるわよ、ならなきゃダメなのよ! 何もかも私のせいなんだから!」
 それが七華の本当の思い。二年間、彼女を縛り続けていた悔恨という名の呪い。



「あの子は、七華は影太郎さんの事が好きなのよ」
 V・I・P席から戦いを見ながら、桜道灯はポツリと呟いた。横にいるエレアとラグ
ナスは何も言わない。灯は呟きを続ける。
「昔からあの子はそうだった。好きな人が出来ても、その人が離れるのが嫌だから、離
れた時に哀しくなるのが辛いから、嫌いな振りをする。嫌いな相手なら離れても哀しく
ないし、辛くもない」
 桜道会にまだいた頃、七華は父に懐かなかった。成長するにつれて父と距離を置くよ
うになり、娘を愛する父を寂しがらせた。
 灯とも自分から仲良くしようとはしなかった。灯の方から積極的に行かなかったら、
姉妹の仲は断絶していたかもしれない。
「人一倍寂しがりやで、だけど意地っ張りで、心の弱い子だから、誰かと仲良くなる事
を恐れているのよ。好きになった人が死んだり、いなくなったりする哀しみを良く知っ
ているから」
 暴力団である桜道会の人間は、常に生死の境に立っている。敵対組織との争いによっ
て、部下や友が死んでいく。それを嘆く者達の姿を、灯も七華も幼い頃から何度も見て
きたし、自分達を可愛がってくれた者が死んだ事も一度や二度ではなかった。
「あの時は私も辛かったけど、あの子はもっと辛かったんだわ。あの子は哀しむ事を恐
れている。人を好きになる事を恐れている」
 そんな七華の心に入り込んだのが、宇流影太郎だった。最初は『気に入らない奴』と
して、だけど少しずつ気になって、邪魔をしたり、ヤキモチを妬いたり、時には彼を手
伝ったりと不器用な触れ合いを続けた。
「あの子にとって、それはとても楽しかった時間だったんでしょうね。だからこそ許せ
ないのよ。影太郎さんを、大好きな人がいなくなってしまう原因を作った自分が許せな
い」
 七華がリトルフレームに乗っているのは、影太郎に自分の存在を示す為、だけではな
い。あのMSは七華の罪の証。七華は自分の罪を忘れないように、リトルフレームに乗
っているのだ。贖罪を続けている限りは、影太郎を失った哀しみを忘れられるから。戦
っている時間だけは、彼の事を考えずに済むから。
「でも、もう逃げられないわよ、七華。今あなたが戦っている相手は影太郎さんと縁深
い人。彼との戦いは、影太郎さんの事を思い出させる」
 この二年間、七華の体は成長したが、心は二年前から止まったままだった。彼女の時
間を再び動かしたかったが、それは灯にも、エレアにも、ロウにも無理だった。
「お願い、マルコ・フィオーレ。七華を解放してあげて。あの子の哀しみを解き放って
あげて……」
 妹を思う灯の願いを、マルコは知らない。だが、決着の時は来た。



 壁を、天井を飛び交うリトルフレームの動きに、観客達は翻弄されていた。だが、眼
の鋭い何人かの客は、おかしな事に気が付いた。リトルフレームが飛び去ったはずの箇
所に、まだリトルフレームの姿が残っているのだ。
 それは一つだけでない。二つ、三つと次々に増えていく。
「残像だ……」
 誰かがそう呟き、皆がそうだと思うようになった。リトルフレームの動きがあまりに
も速すぎる為、その影が人々の目に焼き付いてしまったのだと思われた。だが、所詮は
機械仕掛けのMSが、そこまで速く動き、走れるのだろうか?
 マルコはそうは思わなかった。彼が操るデスフレームのカメラアイは、既にこのトリ
ックの種を捉えていた。
 リトルフレームが着地し、飛び去った場所に、小さな黒い物があった。例の強力な接
着剤で付けられているらしく、天井からも落ちない。
「映写機か」
 それがトリックの正体だった。昨日、もしくはその前からリトルフレームの様々なポ
ーズを録画しておき、録画した機械を気付かれないよう、闘技場の各所に仕掛ける。そ
して機を見て作動させれば、
「一瞬で大量のリトルフレームが現れて、敵は驚く。リトルフレーム、いやレインボー
スター流の分身の術か」
 単純ではあるが、なかなかの仕掛けだ。既に多くの映像分身が生み出され、天井と壁
はリトルフレームによって覆い尽くされようとしている。
「ったく、いくつ映写機を仕掛けたんだよ。ちょっとやり過ぎじゃないのか?」
 呆れつつもマルコは熱センサーによる探査装置を起動させる。機体の発する熱を追え
ば、分身に惑わされず本物を見つけ出す事が、
「! これは……」
 驚いた事に、熱センサーは映写機のある箇所にも反応していた。どうやらあの映写機
には、MSに匹敵する程の熱量を出す仕掛けが施されているらしい。
『だとしても、あの程度の機械に、これ程の熱をいつまでも出せるはずがない。長期戦
には向かない戦術だ。だとしたら…』
 すぐに仕掛けてくる、と読んだマルコだったが、予想に反してリトルフレーム達は動
かなかった。多数の映像も、どこかに潜んでいる本物も、じっとしている。不気味だっ
た。
 素早い動きでこちらを翻弄したかと思えば、今度は意図の読めない持久戦。攻撃パタ
ーンの読めない女だ。
『一番、嫌なタイプだな』
 そう思いながらも、マルコは七華の事を嫌いになれなかった。同じ男に拘り、彼を追
う者としての共感なのだろうか。
 しかし、いつまでもこうしている訳にはいかない。敵が仕掛けてこないのならば、こ
ちらから動くべきだ。そう考えたマルコは、デスフレームの手をガラスの壁に軽く当て
る。
「一秒、いや、それ以下のコンマ単位で充分だな」
 それくらいならば、意識不明の光(コウ)にも悪影響を与えないだろう。マルコはそ
う判断して、《ホクト》を起動させた。時間にしてわずか0.7秒の起動だったが、ガ
ラスを大きく揺らすには充分な振動を生み出した。
 ガラスが揺れれば、それに接着している映写機も揺れて、リトルフレームの映像も大
きく揺れる。だが、一機だけ揺れていないリトルフレームがいた。振動を堪えて、機を
伺っていた執念深い女を乗せた機体だ。
「見つけたぞ!」
 飛び立つデスフレーム。本物のリトルフレームは天井の真上、最も高い場所に足の裏
をくっつけていた。向かってくるデスフレームに対して、ビームサーベルモードにした
《ヒナワ》を向ける。
「!」
 瞬間、マルコはデスフレームを上昇させるのを止めた。その直後だった。本当の『本
物のリトルフレーム』が背後から襲ってきたのは。
「!!!!!」
「!?」
 二人のパイロットには声も出す間もなかった。七華は勢いのままに《ヒナワ》のビー
ムサーベルを振り下ろし、マルコは反射的にシールドでそれを防ぐ。
 結局、リトルフレームの奇襲は失敗。《ヒナワ》のビームの刃は、デスフレームのシ
ールドを斬れなかった。そのまま二機は地上に降りる。
「………………」
「………………」
 奇襲を仕掛けた七華も、受けたマルコも言葉が出なかった。もしあのままデスフレー
ムが飛んでいたら、リトルフレームの攻撃をかわせず、本物の《ヒナワ》によって胴体
を両断されていただろう。マルコの瞬時の判断が、七華の必殺の罠を打ち砕いたのだ。
 そう、必殺の罠のはずだった。映像による多数の分身の中に、予め『妙な動きをす
る』映像を入れる。それを敵の行動に合わせて動かし、敵がその映像を本物のリトルフ
レームだと思って食いついたところを仕留める。
「完璧な作戦だと思ったのに、どうして……?」
【こちらの動きにミスは無かった。映像を動かすタイミングもだ。なぜ見破られたのか
分からない。理解できない】
「クーン、クーン……」
 戸惑い、驚き、マルコを恐れる七華達だったが、マルコも自分の判断に驚いていた。
「あのリトルフレーム違うと思ったのは、虫の報せ、という奴だったのか? いや、違
うな」
 マルコは苦笑した。彼が七華の作戦を見抜いた理由は簡単なものだった。
「桜道七華。あいつの戦い方は俺と良く似ている」
 二手三手先を読み、敵の意表を突く大胆な作戦で戦う。なるほど、確かに二人は良く
似ていた。だとしたら、
「俺に似ている奴が、あの程度の事で尻尾を出すはずが無い」
 マルコは七華を強敵だと認めていた。だから彼女が単純に正体を現したのは不自然だ
と思った。頭脳ではなく、勘でそう思い、自分でも気付かない内に心の片隅で用心して
いた。おかげで奇襲にも対応できた。
 それにしても、七華の戦い方には驚かされる。非力だが素早いリトルフレームの特徴
を見事に活かして、MSの性能を超える実力を示している。リトルフレームの製作に関
わった一人としては、嬉しいような厄介なような、複雑な気持ちだ。
「まさか、あの攻撃まで見破られるなんて、思わなかったわ」
 七華からの通信。その声は、驚きの感情に満ちたものだった。
「見破っていた、とは言わない。勘だ。直前まで完全に騙されていた」
 マルコは正直に答えた。自分と似ている相手には、嘘を付きたくなかった。
「桜道七華。俺はあんたが嫌いだ」
「奇遇ね。私もよ。だって貴方は、あの男にちょっとだけ似ている」
「あの男、か。それは喜べないな」
 誰に似ているというのかは聞かなくても分かる。だから腹が立つ。この女の事がます
ます気に入らなくなった。マルコは顔をしかめて、
「お前は影太郎に拘りすぎる。気に入らないな、その拘りは」
「あんたは影太郎の事、気にならないの? 二年前はあいつの事、追いかけていたくせ
に。あいつからも認められていたくせに」
「だから俺の事が気に入らないのか。あいつが死んだのは、あんたにも原因があるだろ
う」
「あいつは死んでないわ。あんただって、死んだとは思ってないでしょ?」
「さあてね。じゃあ、そろそろ決着をつけようか」
「そうね。こっちも切り札を出させてもらうわ」
 再び睨み合う両機。次の攻防でこの戦いは終わる。誰もがそう思ったその時、
「!」
「!?」
 突然、天井が割れた。
 MSの激突やビーム兵器の威力にも耐える超硬質ガラスが、普通のガラスのように割
れた。リトルフレームとデスフレームがいる闘技場に、昨日に続いてガラスの雨が降り
注ぐ。
「ふっ、美しいな。下等なナチュラルどもによって汚されたこの場の空気も、少しは和
らぐ美しさだ」
 通信機に入ってきたのは、聞いた事の無い男の声だった。続いて、
「ええ、そうですわね。お兄様が生み出したガラスの雨の光景。これはもう、一種の芸
術です。こんな素晴らしい芸術を生み出す人の妹だなんて、私はこの幸運を神に感謝し
ます」
 妙に明るい女の声。だが、男の声も女の声も、得体の知れない狂気を感じさせるのは
なぜだろうか?
 観客達が混乱寸前の中、割られたガラスの中から、いや正確にはその上、地上から二
機のMSが降りてきた。両機共、二年前に地球軍が開発した五機のMSの一つ、ストラ
イクに良く似ている。
 いや、顔などほとんどの部分は同じだが、肩は違う。両肩に大型のサブスラスターが
付けられ、よく見れば装甲も一部形状が違っている。
 武装もストライクとは違う。一機はソードストライカー、もう一機はランチャースト
ライカーを装備しているが、両ストライカー共に通常の物より武装が強化されている。
「ストライクの強化型、ストライクEか。噂には聞いていたが、こんな所でお目にかか
るとは……」
 マルコの額に汗が浮かぶ。嫌な予感が止まらない。
 そして、その予感は現実となる。ソードストライカーらしきパックを装備したストラ
イクのパイロットが、名乗りを上げる。
「我が名はダリウス・コーネリア。ここに控えし我が妹アニー・コーネリアと共に、デ
ィプレクター上海支部の名に置いて、この場にいる全員を拘束する!」
 ディプレクターに最も合わない兄妹、上海支部の不発弾とまで言われたコーネリア兄
妹。この二人と、二人に導かれた者達によって、この機動闘技場は地獄と化す。



 同時刻、機動闘技場のある島の地上には、十数機のMSが集まっていた。ザフト製あ
り、連合製ありと雑多な集団だった。
 パイロット達はそれぞれの機体に乗り込み、出撃の合図を待っていた。そしてついに
その時が来た。
「はーいはいはい、皆さん、大変長らくお待たせしましたー。間もなく地下の闘技場で
お祭りが始まりまーす。皆さんもこれから地下に行って、思う存分暴れちゃってくださ
ーい♪」
 女っぽい感じのする明るい声の主は、男だった。この男には両腕が無く、痛々しさを
感じさせる姿だったが、本人は全く気にしていないらしく、陽気に通信を続ける。
「特に一番後ろにいる人達には期待しちゃうわよ。みんな、頑張って稼いでねー」
 集めた傭兵達を炊きつけた男は、先に地下に送り込んだ弟子の事を思い出す。
「トロヤ、上手くやっているかしら? 発信機は無事だけど……心配だわ」
 しかし、今の自分には何も出来ない。マクシー・ミガゲノは自分の無力を少しだけ呪
った。
 マクシーの命を受けた傭兵達が動き出す。彼が期待している傭兵達も、グループの最
後尾のまま走り出した。女性だらけのこの集団を率いるのは、七華と同じように好きな
男を追い続ける少女、アキ・ミツルギだった。
「行きましょう。シャドウ・セイバーズ、久しぶりの仕事です」
「うむ、承知した。地下に潜む悪党ども、一人残らず成敗するでござる」
 宮城夏の力強い言葉を背に、シャドウ・セイバーズのMSはコーネリア兄妹が開いた
大穴に向かった。行く先にあるのは、もうすぐ地獄となる場所。

(2008・12/20、前半掲載 12/27、後半掲載)

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