第38章
 大崩壊

 機動闘技場に訪れた、ひと時の静寂。だが、それは本当に『ひと時』のものに過ぎな
かった。無粋な乱入者がもたらした静寂は、本人達によって崩される。
「物分かりの悪いナチュラルどもの為に、もう一度だけ説明してやる。我が名はダリウ
ス・コーネリア。妹のアニー・コーネリアと共に、ディプレクター上海支部の名に置い
て、この場にいる全員を拘束する! 無駄な抵抗はしない方がいいぞ。早死にする事に
なる」
「まあ、お兄様ったら、愚劣なナチュラルに忠告してあげるなんて、何て寛大な……。
能力だけでなく、精神も素晴らしい御方ですわ」
 兄ダリウスを絶賛するアニーだが、彼女以外の誰もそうは思わなかった。ダリウスの
発言には相手を見下す感が、嫌味なまでに詰まっていたからだ。彼はここにいる者の抵
抗を望んでいる。挑発に乗った愚か者と戦って、相手を合法的に殺す為に。
 ダリウスの魂胆を察したマルコは、ため息を付いた。正義の組織と言われているディ
プレクターにも、こんな奴らがいるとは。
「清濁合わせ飲むと言えば聞こえはいいが、こういう問題児はちゃんと管理してほしい
な。桜道七華、お前はどうするもつもりだ? 奴らの言うとおりにして、大人しく捕ま
るつもりか?」
「……………………」
 七華は答えなかった。返事は言うまでもないし、聞く必要の無い質問だった。マルコ
は、くだらない質問をした自分に苦笑した。
 ソードストライカーを装備したストライクEが、マルコ達の方を見る。このストライ
クEはダリウスの乗機だ。
「さて、まずはそこの二機。パイロットは速やかに降りて、手を頭の後ろに乗せて、地
に伏せたまえ。安心しろ、愚劣で汚らわしいナチュラルと言えど、降伏した者をなぶり
殺す趣味は無い」
「まあ、何て寛大なお兄様。アニーはお兄様の事を心から尊敬いたしますわ」
「アニー。私は当然の事をしているだけだよ。無力な存在に哀れみをかけるのは、強者
の義務だ。大人が子供のイタズラを笑って見逃すように、優れたコーディネイターは自
分達よりも遥かに劣るナチュラルに対して、寛容でなければならん。最近はそれが分か
っていない、心の狭いコーディネイターが多い。嘆かわしい事だ」
「そうですわね。二年前の戦争でナチュラルを滅ぼそうとしたパトリック・ザラはその
典型ですわね。あの愚か者には、お兄様の爪の垢を煎じて飲ませたかったですわ」
「うむ。そうすれば彼も自分の心の狭さを知り、改心しただろうな。はっはっはっは」
 自画自賛するコーネリア兄妹。傍で聞いてる者達は、全員頭が痛くなってきた。
「ちょっと、そこのバカ兄妹」
 溜まりかねた七華が、ついに口火を開いた。
「あんた達、私達を捕まえに来たんじゃないの? つまらない漫才やってないで、さっ
さと仕事しなさいよ。ま、私もこっちのバカも、あんた達みたいな大バカなんかには捕
まらないけど」
 七華のリトルフレームは、マルコのデスフレームを指差しながら、コーネリア兄妹を
挑発した。その効果は、
「…………お兄様、私の耳がおかしくなったのかしら? このチビMSのパイロット、
私とお兄様を『バカ』と言ったように聞こえたのですけど」
「アニー、お前の耳はおかしくなっていないぞ。私にもそう聞こえた。正確には『バ
カ』ではなく『大バカ』だが」
「そうですか。では、殺すしかありませんね」
「ああ、殺そう。今すぐ殺そう。私達の慈悲を理解しない者に生きる資格は無い」
 挑発は大成功。コーネリア兄妹は殺気を漲らせて、マルコと七華に狙いを定める。
「ふん、単純な奴ら。マルコ、一人よろしく」
「やれやれ。まあそのつもりだったから、別にいいけど」
 対峙する四機のMS。それと同時に闘技場が騒がしくなった。ディプレクターを名乗
る二人の乱入に戸惑っていた観客達が、我先に逃げ出したのだ。
 闘技場の出口はあっという間に人で詰まった。それはこの裏カジノそのものの出口も
例外ではなく、各所で混乱が起きていた。
 だが、V・I・P席にいる者達は、ほとんど動かなかった。崑崙党のボスである『大
仙』王 龍も、桜道会会長を務める桜道灯も、マティスも椅子に座り、間もなく始まる
戦いを待っていた。
「ふむ。面白い事になってきたのう。ディプレクターの上海支部がとんでもない事にな
っているとは聞いてはいたが、まさかこの香港にまで飛び火するとは。まったく、人生
何が起こるか分からんものじゃ」
「大仙、早く避難をなされた方が…」
「慌てずとも良い。それよりロマノフはどうした? 姿が見えぬようだが」
「探させていますが、この混乱の中では……」
「見つからぬか。ふん、あやつめ、いよいよ尻尾を出し始めたか。この混乱に乗じて何
をするつもりじゃ?」
 本心を見せぬ部下の動向を警戒する王 龍。ディプレクターよりそちらの方が、彼に
とっては危険な存在らしい。
 一方、桜道灯は側にいたエレアとラグナスに確認する。
「これは私達にとってチャンスなのかしら? それともアクシデント?」
「まだ分かりません。ですが、灯さんは必ず無事に日本にお送りします。ラグナスもそ
のつもりよね?」
「もちろんです。けど今は状況不明すぎる。まだ動かない方がいい」
「そうね。あの子の事も気になるし……」
 灯は、リトルフレームに乗る妹の身を案じた。マルコとの戦いで疲労しているのに、
新たな敵と戦おうとしている。大丈夫なのだろうか?
 そしてマティスは、悠々と紅茶を飲んでいた。コーネリア兄妹の乱入も、彼女は予測
していた。
「ディプレクター上海支部長、劉建光が死んだ今、あの二人を抑える術は上海支部には
ありませんわ。あの二人は以前からこの闘技場に踏み込もうとしていましたし。そんな
事をすれば東アジアの裏社会のパワーバランスが崩れて大変な事になるのは、子供でも
分かる事なのに、あの二人、本当にナチュラルが嫌いなのね。滑稽だわ」
 コーネリア兄妹の短絡さを嘲笑うマティス。彼女は一人だった。常に彼女の傍らにい
たイルドの姿が消えている。
「この面白いイベント、有効的に使わせていただきましょう。新しい駒の候補と、苦労
して持ち出した新型MSの組み合わせ、さて、どういう結末を作ってくれるのかしら。
楽しみだわ。ふふふふふ……」
 東アジアのパワーバランスを握る三人とその部下達が見守る中、混沌のタッグバトル
が始まった。マルコと七華の急造コンビに、息の合った連携を繰り出すコーネリア兄妹
が襲い掛かる。



 闘技場の様子は、地下格納庫にも中継されていた。格納庫のあちこちで、悲鳴にも似
た声が響く。
「お、おい、ディプレクターだってよ。どうするんだ?」
「どうするって、逃げるしかないだろ! このカジノももう終わりだ。いや、下手した
ら崑崙党そのものがヤバいかもしれないぞ!」
「沈む船に乗り続ける義理はねえ。逃げようぜ!」
「お、おーい、待ってくれ! 置いてかないでくれよー!」
 次々と逃げ出す無法者達。警察さえ恐れない連中も、ディプレクターは別らしい。慌
てふためく連中を見たレオは、軽蔑の表情を浮かべた。
「情けない奴らだ。ディプレクターなんかに尻尾を巻いて逃げるなんて。戦おうって気
合のある奴はいないのか?」
 ディプレクターを嫌っているレオだったが、それ以上に戦う前から臆病風に吹かれた
連中が嫌いになった。そんな勇ましいレオを剛馬は苦笑して、
「そう言うな。ブルーコスモスもリ・ザフトも壊滅状態。世界各地の犯罪組織に対して
も、硬軟合わせた対応で見事に対処して、悪党どもを捕まえている。連中にとってディ
プレクターは、警察より厄介で怖い組織だ。戦っても監獄送りになるだけだ」
「負ける戦いはしない。臆病かもしれないが、それもまた正しい判断だ。戦場でもレス
キューの現場でも、臆病な奴は生き残る可能性が高い」
 バルドルがそう語ると、カプセルに入ったイノリが、
「でも、生き残っても何もしないんだったら、死んだ方がマシよ。威勢だけのスケベレ
オみたいな奴とか」
「ぐっ。お、お前、まだ根に持っているのか……」
「女に借りを作ると怖いぞ。ある意味、ディプレクターより厄介だ」
 再び苦笑する剛馬。話をしながら、彼は何をするべきか考えていた。そして、
「ユニコルンに引き上げるぞ。デスフレームを収容したら、香港から逃げる」
 と、簡潔な答えを出した。簡潔すぎて、誰も異論を挟めない。
「決まりだな。問題は空の上にいるユニコルンに、どうやって戻るかだが……」
 地上への出口は人ごみで塞がれている。それにディプレクターの別働隊が待ち受けて
いる可能性が高い。
「仕方が無い。この闘技場のルールを破る事になるが、幹部用の脱出ルートを使うか。
レオ、イノリとマゴットを連れて、俺に付いて来い」
「分かりました。けどそんなルート、よく知っていますね」
「昔、ここで暴れていた時に調べたのさ。俺の相棒が、だけどな」
 剛馬は、オカマっぽい言葉遣いをょした男の顔を思い浮かべる。だが、その男がすぐ
近くまで来ているとは考えもしなかった。
「バルドル、あんたには頼みがある」
「言われるまでもない。こっちもそのつもりだ」
 バルドルは軽く笑って、巨大モニターの向こうで戦っているデスフレームを見る。
「あいつは絶対、俺のレスキューチームの要になる男だ。こんな所で死なせるものか」
「頼む。だが、無茶はするな。人を助ける為にお前が死んだら、話にならん」
「それこそ、言われるまでもないぜ。俺にはやるべき事が山のようにあるからな」
 そう答えたバルドルは、修理を終えたばかりのレスキュージンに乗る為に走る。昨日
敗れて出番の無いはずのこの機体を今日、ここに持ち込んだのは、デスフレームが負け
て相手に殺されそうになった際、助ける為だった。万が一の為の準備が、意外な形で役
に立つ事になった。
「喜んでいいのかねえ。まあいいさ、バルドル・カッフェ、レスキュージン、出る!」
 歩き出したレスキュージン。そして、そのまま闘技場へと上がるMS用のエレベータ
ーに向かう。
 この人を救う為に作られたMSの後ろ姿を見たゴルドは、
「ガウ……」
 と、微妙な声を上げた。それを聞いたマゴットの表情も、強張ったものになる。
「虫が飛ぶ。光に向かって飛ぶ。それは虫の習性。どうにもならない事。そして虫は、
光に焼かれる。それもどうにもならない事。マゴットにも、どうにもならない事。それ
が運命」
「………………」
 少女と虎型のロボットは、お互いを見つめ合う。そして、剛馬とレオ、イノリ達の後
には続かず、別の方へ走る。
「呼んでいる。マゴットを呼んでいる。みんなが、呼んでいる」
 頭の中に響く、自分を呼ぶ声に従うマゴット。一瞬、イノリ達の顔が浮かんだが、す
ぐに消えてしまった。マゴットを従わせる運命は、生半可な友情など消し飛ばす程に強
く、重い。



 ダリウス・コーネリアとアニー・コーネリア。ナチュラルへの差別意識が激しいこの
兄妹は、プラントでも屈指の名家に生まれた。幼い頃から英才教育を施され、それに相
応しい成績を示したこの二人は、いずれはプラントの重職に就くだろうと思われた。
 だが、兄ダリウスが十三歳の時、ブルーコスモスのテロに巻き込まれ、兄妹の両親が
死亡。コーネリア家の財産は強欲な親族達によって全て奪われ、兄妹はたった二人で生
きていく事になった。
 まだ幼いダリウスだったが、それでも懸命に働き、妹のアニーを育てた。自分を育て
てくれた兄を妹は尊敬し、感謝し、兄の為なら何でもする。戦場で命を賭けて戦う事も
例外ではない。
「お兄様を侮辱した奴、死ね!」
 アニーが乗るランチャーストライクEの背部にある350oガンランチャーが、デス
フレームを狙う。しかしマルコはこれをかわして、ランチャーストライクEに接近。デ
スフレームの拳を振るう。
 接近戦を不得手とするランチャーを狙ったマルコは、間違ってはいない。しかし、そ
の狙いはコーネリア兄妹に読まれていた。
「お兄様!」
「うむ」
 軽く頷いたダリウスは、ソードストライクEに巨大な対艦刀《シュベルトゲベール》
を持たせて、それを横に振るう。狙いはデスフレームだ。だが、このまま振るわれたら
デスフレームだけでなく、ランチャーストライクEも切り裂いてしまう。しかし、ソー
ドストライクEの腕は止まらない。
「こいつ、妹ごと俺を!?」
 驚いたマルコは反応が鈍り、《シュベルトゲベール》の刃をかわせない。このままで
はアニーと共に刃の餌食となる。
「何やってるのよ、バカマルコ!」
 リトルフレームの飛び蹴りが、デスフレームの頭部に炸裂。小柄な体から繰り出した
とは思えない強い蹴りで、デスフレームをぶっ飛ばした。
 何とも乱暴なやり方だが、この蹴りのおかげでデスフレームは窮地を脱した。獲物を
失ったダリウスのストライクEの攻撃も、アニーのストライクEに当たる寸前で止まっ
た。
 殺されかけたアニーだが、その心に動揺は無い。むしろ、兄の役に立てなかった事を
恥じている。
「ごめんなさい、お兄様。折角のチャンスだったのに……」
「構わん。あの程度の相手なら、仕留めるチャンスはいくらでもある。お前の命の使い
時は、もう少し先になりそうだな。それまではきっちり働いてもらうぞ」
「はい、お兄様。私の身も心も、そして命も全て、お兄様の為に」
 狂信的とも言える、アニーの敬愛。それを受けるダリウスは、意外な程に平然として
いる。彼にとって妹の愛情は、空気と同じようなもの。アニーを育てたのは自分だ。な
らばアニーは自分の為に働いて当然であり、彼女の命もその為に使われるべき。
「私達の兄妹愛は絶対無敵。身の程知らずのナチュラルも、礼儀を知らぬコーディネイ
ターも、全て私達の前にひれ伏すのだ。そうだろう、アニー?」
「お兄様のおっしゃるとおり。お兄様にひれ伏さぬ者はこの私が、あの忌々しい劉支部
長のように、切り刻んで殺してあげましょう」
 殺気と狂気を漲らせるコーネリア兄妹。MSの性能も高く、侮れない強敵だ。
「しっかりしなさいよ、マルコ。気を抜いたら殺られるわよ」
 七華に言われるまでもない。マルコは呼吸を整え、敵機を睨む。
「分かっている。そっちこそ油断するなよ。さっきの借りがあるから、ピンチになった
ら一回だけ助けてやるけど、二度は助けないからな」
「ふん。ピンチの女の子を助けないなんて、最低ね。影太郎とは正反対だわ」
「ありがとう。俺にとっては最高の褒め言葉だ」
 息が全く合っていない上、刺々しい雰囲気を出す二人。タッグとしては最悪の組み合
わせだったようだ。
「クーン……」
【そんなに不安がらないでくれ、レウ。コンピューターの私でさえ不安になってくる】
 七華の頭の上にいるレウも、リトルフレームの姿勢制御を行なっている8(ハチ)も
落ち着かなかった。敵の敵は味方と言うが、マルコと七華はそうではないらしい。敵の
前でケンカを始めてもおかしくない。
【さすがに二人とも、そこまでバカではないと思うが……ん? 上空から新たな反応、
数は…………十、いや、それ以上か!?】
「ワン、ワンワンワンワン!」
 レウの吠える声と共に、新たな機影が闘技場に降り立った。広い闘技場がMSの大部
隊で埋め尽くされる。
「ようやくお出ましか。待ちくたびれたぞ」
「ええ、本当に。私とお兄様だけ戦わせて、高見の見物をなさっているのかと思いまし
たわ。まったく、これだからナチュラルは…」
 コーネリア兄妹の文句は聞かず、謎のMS部隊は行動を開始する。ジンにダガー、ゲ
イツなどによって構成された部隊は、観客席に銃を向けた。
「なっ!?」
 驚くマルコの眼前で、観客席と闘技場を遮断していた超硬質ガラスが消えた。いや、
闘技場の中に収納されてしまったのだ。
 コーネリア兄妹の乱入時に天井部分が割られたとはいえ、他の部分のガラスは健在だ
った。逃げようとする観客達を守っていたのに、それが無くなってしまった。これでは
観客達は射的の的だ。
「手筈どおりだな。愚劣なナチュラルでも、この程度の事は出来るらしい」
 ニヤリと笑うダリウス。そして、新手の部隊に命令を下す。
「こいつ等は大人しくする気は無いようだ。逮捕は諦めた。全員、射殺しろ」
 虐殺許可の合図。MSの銃火器類が、無防備な観客達に向けて放たれ、その体をズタ
ズタにしていく。
 血が舞い、肉が飛び散り、観客席を真紅に染め上げる。豪華な服も、札束とクレジッ
トカードが詰まったワニ皮の財布も、MSの装甲さえ貫く巨大な銃弾の前では紙屑も同
然。我先に逃げようとした者達は、次々と肉片になっていった。
「…………………………」
 マルコの心に何かが湧き上がってくる。マルコはこの闘技場の観客達が嫌いだった。
必死に戦っている自分達を賭けの対象とするだけでなく、時に嘲笑い、時にその死を望
み、殺せだの負けろだの好き勝手言う。金は持っているが、最低の連中だった。
 そんな連中を助ける義理も理由も無い。その死に思う事も無い。無残に殺されて、む
しろ清々する、
「何を、何をやっているのよ、あんた達は!」
 はずがなかった。桜道七華はこんな惨劇を見過ごせる人間ではなかった。だから彼女
は叫んだ。そしてマルコも、
「……やめろ。こんな事、人としてやっちゃいけない事だろ! そんな事も分からない
のか、お前達は!」
 彼らしくもなく、大きな声で叫んだ。大声で感情を露にするなど、組織の幹部候補生
としては失格だ。だから彼は、常に冷静であり続けようとした。それが優しい母の願い
に応える事であり、フィオーレ家の当主としての振舞いと信じていた。
 だが、今は叫ばずにはいられなかった。この闘技場に来る前のマルコと、今のマルコ
の心は少しだけだが、違うものになっていた。
「銃を持っていない奴に銃を向けるな! 何もしていない奴を殺すな! そんな簡単な
事が何で出来ないんだ、お前等は!」
 デスフレームの拳が、観客に銃を向けていたゲイツの顔にめり込む。この程度のMS
ならば《ホクト》を使うまでもない。デスフレーム本体のパワーだけで殴り飛ばして、
破壊できる。
 デスフレームの攻撃で、敵部隊の動きは止まった。彼らの銃口は観客達ではなく、デ
スフレームに向けられる。
「やるじゃない。ちょっと出遅れちゃったわ」
 マルコを認める七華。彼女も残虐な敵と戦うつもりだ。
【七華の精神が落ち着いている。さっきまでは仲違い寸前だったのに、なぜだ? 人間
の心理はまだ分からない事が多いな】
「ワン!」
 勇ましく吠えるレウ。この犬も、二人と同じ気持ちらしい。
 闘志を燃やす一同の耳に、新たな声が飛び込んだ来た。
「そこまでよ。ダリウス、アニー、他の人達も手を引きなさい」
 声と共に上空から現れたのは、MSの部隊だった。数は三。その内の一機は、デスフ
レームとほぼ同じ姿をしている。
「ライブ、フレーム……!」
 今日で何度目の驚きだろうか? 驚くばかりの自分に呆れつつ、それでもマルコは驚
かずにはいられなかった。このMSがなぜ、この闘技場に? なぜディプレクターを名
乗るこの連中と一緒に?
 動揺するマルコの耳に、アキ・ミツルギからのメッセージが届く。
「こんな所で会うとは思わなかったわ、マルコ。今日の私の目的はあなたじゃないけれ
ど、お望みならここで第二の試練を始めましょうか?」
 不敵な事を言うアキ。彼女を乗せたライブフレームの隣には、黒いストライクと青い
バスター・ダガーが立ち、アキの指示を待つ。
 緊張感に満ちた状況の中、新たなMSが現れた。今度は上空からではなく横、闘技場
の壁を破り、二機のMSが姿を見せる。
 一機は、コーネリア兄妹と同じストライクE。こちらはエールストライカーを装備し
ている。もう一機は新型のMSだったが、マルコは組織の資料で見た事がある。地球連
合軍のダガーLの後継機となる量産型MS、ウィンダムだ。
「見つけたぞ、ダリウス、アニー! お前達、よくも劉支部長を!」
 ストライクEのパイロットが怒鳴る。少年らしく若いが怒りに満ちたその声からは、
コーネリア兄妹への並々ならぬ敵意が伝わってくる。
「落ち着け、シュウ。冷静さを失ったら勝てる相手にも勝てないぞ」
 ウィンダムのパイロットが、若いストライクEのパイロットを諭す。こちらは大人の
男の声だった。
 二人の声を聞いたアニーは、軽蔑と悪意を込めて、顔を醜く歪める。
「あらあら、誰かと思えば、劉支部長を守れなかった役立たずの護衛どもじゃないの。
上海支部を放り出して、私達を追って来たの? ご苦労様。特にシュウ・スメラギ、あ
んたは…」
「黙れ、この魔女め! よくも俺を、俺達を騙してくれたな! 支部長を殺し、MSを
盗んで、挙句の果てにこんな事まで! ディプレクターの名に泥を被せたお前達を、俺
は絶対に許さない!」
「ふん。相変わらずディプレクター命、か。成長しないな、シュウ。そんな未熟者だか
ら妹に捨てられるのだ。もっとも、アニーが承知しても俺が許さんがな。薄汚いナチュ
ラルの小僧に、大切な妹をくれてやる訳にはいかん」
「その言葉、兄として妹を思っての台詞なのか? それとも、まだ使い道がある道具を
捨てたくないというクズ野郎としての台詞なのか?」
 ウィンダムのパイロットにそう問われたダリウスの表情が変わる。高貴な家の者らし
い余裕に満ちた表情から、怒りを宿した鬼のような顔になった。
「その言葉、ダリウス・コーネリアへの最大級の侮辱だと判断する。与える罰は死ある
のみ。覚悟はいいな、ジョナサン・アーケンス!」
「覚悟はあるさ。お前達の本心を見抜けなかった俺のバカっぷりにケジメをつける覚
悟、お前達を殺す覚悟はな!」
 二年前は大西洋連邦のエースパイロットとして活躍した男、ジョナサン・アーケン
ス。戦後は新天地・上海でディプレクターの一員として新たな人生を歩んでいたが、天
はこの男を再び戦場に呼び戻した。 



 闘技場の出場選手の控え室。鬼一口が待機していたこの部屋にも、戦いの余波は伝わ
っていた。
 揺れる部屋。倒れる家具。何が起こっているのか分からない。人を呼んでも誰も来な
い。鬼一口の弱い心は、不安と恐怖のみに染まろうとしていた。
「何が、何が起きているの? もうすぐ私の試合じゃないの? 私の試合は始まらない
の? それはダメ、それじゃあ私は戦えない。戦わなかったら私に生きる価値は無い。
殺される。嫌、それは嫌。死にたくない、死にたくない……」
 震える彼女に、声をかける者が現れた。部屋の扉を開いて現れたのは、若い男だっ
た。彼は鬼一口の方に手を乗せて、
「大丈夫です。貴方が生きる術はあります。その為の力も、用意してあります」
「あ、あなたは、誰? 誰なの?」
「私は主に仕える者。主は貴方の戦いを見たいと仰られています。戦ってください。我
が主の為に、そして、貴方自身の為に」
 殺人鬼と呼ばれる女に、優しく語り掛けるイルド・ジョラール。彼はマティスの命令
を忠実に果たした。コーネリア兄妹の襲撃に紛れて、鬼一口の護衛を全て殺害し、不安
に陥った彼女と難無く接触。マティスが考えた鬼一口への励ましの言葉も、間違えなか
った。
 トラブル続きの本日だが、ほぼ全てマティスの予想どおりに進んでいた。そして、こ
れから始まる壮絶な戦いも。



 多数のMSが立ち並ぶ闘技場の様子に、七華は呆れた。
「まったく、次から次にお客さんが来るわね。で、あんた達は私達の敵なの? 味方な
の?」
 七華に問われたジョナサンは少し考えてから、
「お前達がコーネリア兄妹の仲間なら俺達は敵、そうじゃないなら味方だな。で、お嬢
さんはどこの誰なんだ?」
「ここで試合をしていたけど、このバカ兄妹のせいで何もかもメチャクチャにされて怒
っている女よ。名前は桜道七華」
「ほう、桜道会の会長の妹さんか。噂は聞いている。美人のお姉さんには、よろしく言
っておいてくれ」
「嫌よ。言いたい事は自分の口で言いなさい」
「厳しいな。で、そっちのあんたは誰だ?」
「え……」
 質問されたマルコは、名乗るべきかどうか迷った。先のコーネリア兄妹との会話から
推測すると、あの兄妹はディプレクターの支部長を殺した上にMSを盗んで逃走した極
悪人で、ジョナサン達はそれを追ってきた。つまり、ジョナサンは正式なディプレクタ
ーのメンバーだ。素性を明かすのはマズい。
 と考えている間に、
「そいつはマルコよ。マルコ・フィオーレ。MSの方は、アストレイ・デスフレームで
すって。ダサい名前よね」
 七華が勝手に紹介してしまった。マルコは七華への怒りを新たにした。やはりこの女
とは気が合わない。
「そうか。よろしくな、マルコ。さて、こちらの自己紹介が終わったところで……」
 ジョナサンはウィンダムのカメラアイで周囲を見回す。コーネリア兄妹だけを追って
来たのに、いつの間にやら兄妹の周りには多くのMSがいる。
「随分と味方を増やしたみたいじゃないか。ディプレクターにいた頃のように、猿芝居
でみんなを騙したのか?」
「ふっ。その猿芝居を見抜けなかったバカに言われたくないな」
 ジョナサンを嘲笑するダリウス。アニーも、
「お兄様、そいつよりもっとバカな男がいますわ。甘い言葉を間に受けて、私を愛して
いるなんて言った、おバカで哀れなナチュラルの坊やが。お人好しのラクス・クライン
が率いる組織には相応しいのかもしれませんけど」
「アニー、貴様……!」
 シュウ・スメラギの頭に血が上る。この女だけは許せなかった。自分の愛を裏切り、
尊敬していた支部長を殺して、ディプレクターという組織そのものを愚弄する、このア
ニー・コーネリアだけは、
「貴様だけは、俺がこの手で殺してやる! 覚悟しろ!」
 シュウのエールストライクEがビームサーベルを抜いた。アニーのランチャーストラ
イクEも身構える。
 一方、マルコはアキのライブフレームと睨み合っていた。
「アキ、どうしてお前達がここにいる? どうしてこんな奴らと一緒に…」
 コーネリア兄妹とアキが一緒に行動している事に、納得がいかないマルコ。彼が知っ
ているアキ・ミツルギという少女は、あんなゲスな連中を最も嫌っているはずだ。それ
なのに、なぜ?
 マルコの疑問に対するアキの返答は、実にシンプルなものだった。
「全ては勝利の為です。そう、次のゲームで貴方に勝つ為」
「次のゲームだと? お前は次の試練の内容を知っているのか?」
「勝利者への優遇処置という事で、大総裁から聞かされています。貴方にも、もうすぐ
伝えられるはずです。早くユニコルンに戻っては?」
 そう促すアキからは、戦う意志が感じられない。ライブフレームの両隣にいるストラ
イク撃影とバスター・B・ダガーも同様だ。夏もフィアも、この闘技場でマルコと戦う
つもりは無いらしい。
 それはダリウス・コーネリアや、彼が率いる傭兵達も同様だった。積極的に戦おうと
はせず、こちらの様子を伺っている。撤退するタイミングを見計らっているようだ。
 唯一人、アニーだけはシュウに闘志を見せている。だが、兄が命令すればその闘志を
押さえ込み、すぐに引き上げるだろう。アニー・コーネリアとはそういう女だ。
『こいつ等は戦いに来たんじゃない。だとしたら、一体何をしに…』
 敵の目的を読もうとしたマルコだったが、それは出来なかった。
 突然の轟音。ひび割れ、崩れ落ちる壁。またも大穴が開き、新たなMSが闘技場に現
れた。
「!」
「あれは……!」
 そのMSを見たシュウとジョナサンが絶句する。二人はこの機体を見た事があった。
一週間前、日本地区にある軍事企業フジヤマ社にMSの部品の発注に行った際、工場で
見たフジヤマ社初のオリジナルMS。ストライクの技術をフィードバックして開発され
たそのMSの名は、
「バカな。ライゴウが、なぜこんな所に?」
 ジョナサンは知らなかった。つい先日、このMSがフジヤマ社の施設から何者に盗み
出された事を。フジヤマ社はこの事実を隠蔽し、現在必死の捜索を行なっている事を。
ライゴウを盗んだのがマティスの一族であり、その操縦席にはマティスが見込んだ人物
が乗っている事を。
「戦う、戦う、戦う。私が生きる為に、生きる為に、生きる為に。敵を殺す、殺す、殺
す!」
 突如現れた最新MSは殺人鬼を乗せて、その名の如く、闘技場に雷を轟かせる。破壊
という名の雷を。



 闘技場のV・I・P席には、マティス一人しかいない。王龍も桜道灯も、いつの間に
か姿を消している。
「うふふ。お二人とも、さすが犯罪組織のボス。度胸の良さだけでなく、逃げ足の速さ
も素晴らしいレベルですわ」
 滅多な事では動じない心の強さと、いざとなったら即座に逃げる決断の早さ。非合法
の組織を率いる者には、どらちも必要不可欠なものだ。
「でも私には、どちらも必要ありませんわ。私の『一族』は小汚い犯罪組織などではな
いのですから」
 マティスは自分の組織を、世界を正しく導く為にあるのだと思っている。その為に最
新の情報を手に入れ、それを利用して世論をコントロールし、国家の権力者達を自在に
操る。メレアの組織を手を組んだのも、この世界を正しい道に誘う為の力を求めての事
だ。マティスの信念に揺らぎは無い。
「ええ、私には力が必要です。この世界をコントロールして、いずれはメレアの組織を
倒せるだけの力が。見せてもらいますよ、鬼一口。あなたが私の力になれるかどうか、
存分に暴れて、その力を示してください」
 椅子に座ったまま、優雅に微笑むマティス。だが闘技場から戦いの振動が伝わると、
その姿がわずかに揺らぎ、乱れる。



 MS用のエレベーターを使って、闘技場にやって来たレスキュージン。その操縦席に
座るバルドルは、眼前の光景に絶句した。
「な、何だよ、これは……」
 彼が驚くのも無理は無い。それ程、異常な光景だった。
 広い闘技場はMSの残骸によって埋め尽くされており、足の踏み場も無い。
 破壊されたMSは、ジンやストライクダガー、ゲイツなど多種多彩だ。両腕を切り落
とされたエールストライクEと、上半身と下半身を両断されたウィンダムもいる。パイ
ロットは無事なのだろうか?
 原形を留めているMSは、マルコのデスフレームと七華のリトルフレームのみ。しか
しどちらも傷付き、倒れている。
「マルコ! おい、一体何があったんだ!」
 デスフレームに駆け寄ろうとしたバルドルだったが、瞬間、背後から凄まじい殺気を
感じた。戦場でも感じた事が無い、異常とも言えるレベルの殺気だった。
 何かを考える前に、バルドルの体が動いた。操縦桿を素早く動かし、その場から飛び
退く。間一髪、殺気の主が放ったビームサーベルによる斬撃をかわす事が出来た。
「ふう、あ、危なかった。この有り様は、こいつの仕業か」
 バルドルは敵の姿を確認する。見た目は少しアストレイに似ているが、使われている
部品は見えている部分だけでもかなり上質な物で、機体の高性能さを物語っている。
 手にはビールサーベルを持ち、背部にはエールストライカーに似たパックを装備して
いる。
「アストレイよりストライクに似ているな。バージョンアップ機か?」
 当たらずとも遠からずだ。バルドルと対峙しているこの機体、ライゴウはストライク
を研究し、その究極系として開発されたMSである。エール、ソード、ランチャーをモ
デルとした三種の専用パックを使い分けて、あらゆる戦場で活躍する事を目的として作
られた、究極の汎用MS。
「なるほど、かなりの強敵らしい。マルコ達がやられたのも分かる」
「勝手に……殺さないで、ください。俺も、七華も、まだ生きています」
「おお、マルコか。良かった、死んだ奴をレスキューしても意味が無いからな」
 デスフレームからの通信は弱々しい声だったが、マルコは何とか無事なようだ。喜ぶ
バルドルは、改めてライゴウを見る。
 が、その時、ライゴウの姿が消えた。違う、動いたのだ。恐ろしく速く!
 エールストライカーと同じ高機動戦闘用のパックであるスペキュラムストライカーを
装備したライゴウの速度は、地上でも飛行MS並に速い。しかも乗り手は、
「殺す、殺す、殺す。生きる、生きる、生きる。私は、生きる!」
 死を恐れる余り、戦う事に執着する殺人鬼、鬼一口こと柚木良子。最高のMSに、最
悪のパイロットが乗ってしまったのだ。
「こいつは厄介だな。けど、助けを待っている奴がいるのに、逃げ出すわけには行かな
いだろ!」
 レスキューを目指す者として、バルドルは誇りを胸にライゴウに挑む。だが、機体の
性能差は歴然。バルドルに万に一つの勝ち目も無い。
「逃げろ、バルドル! 殺されるぞ!」
 バルドルと戦い、彼の実力を良く知っているマルコだったが、だからこそバルドルが
勝てない事も分かる。彼を死なせたくない。必死に止めるマルコだったが、
「悪いな、マルコ。それは出来ないんだよ!」
 バルドルは逃げなかった。高速で迫るライゴウに対して、レスキュージンの速度を最
高値にまで上げて、スピードで対抗する。
「ちょっ、ちょっと、幾ら何でも、それは……」
【無茶だ! レスキュージンのスピードでは、あのMSには追い付けない!】
「クーン」
 リトルフレームの七華と8(ハチ)、レウもバルドルの敗北を予感した。マルコやデ
ィプレクターのシュウとジョナサン、そして自分達でさえ手も足も出なかった相手なの
だ。たかがジンの改造機、しかも戦闘用ではなくレスキュー用のMSが勝てるはずが無
い。
 コーネリア兄妹とアキ達は、戦わずに逃げていった。逃げ遅れた傭兵達は全て切り刻
まれ、闘技場の土と化した。やがて自分達も、彼らの仲間入りをするだろう。早いか遅
いかの違いだ。
 強気な七華がそう思う程、ライゴウと鬼一口の力は圧倒的だった。バルドルのレスキ
ュージンも、自分達の上に屍を重ねるだけだと、そう思った。
 だが、その予想は見事に外れた。
「えっ!?」
【な、何と?】
「ワウ!?」
 驚く一人と一機と一匹の目の前で、レスキュージンはライゴウに追い付き、その顔に
拳を叩き込んだ。倒れるライゴウ。勝ち誇るように立つレスキュージン。
「ど、どどどどどうなっているのよ!? 何であんな旧式のMSで、あいつに勝っちゃ
うわけ?」
【わ、分からない。データ不足で不明、不明。あのジンには、まだ何か秘密の機能があ
ったのか?】
「簡単な話さ。あのバルドルって人は、あのMSの性能を極限まで引き出しているんだ
よ」
「ロウ!」
 リトルフレームに、ロウからの通信が入る。彼と樹里は地下から逃げる途中、剛馬や
レオ達と出会い、一緒にユニコルンに避難したらしい。
「凄いぜ、この艦。いや、もっと凄いのはあの人か。『ザフトの黒狼』バルドル・カッ
フェ。本当に凄いぜ。MSを作る人間としては、ああいう人に乗ってもらいたいものだ
な」
 ユニコルンから放たれたアルゴス・アイによって、バルドルと鬼一口の戦いはユニコ
ルンの艦橋モニターに映し出されていた。この戦いはロウを興奮させているようだ。
「姿勢制御もバーニアの使い方も完璧。一切の無駄が無い。だから敵の攻撃に対する反
応も早く、意外と無駄が多い敵の動きに着いて行ける。口で言うのは簡単だけど、これ
をやるのは半端じゃない。七華、それにマルコも分かるだろ?」
 ロウの言うとおりだ。バルドルの操縦技術にはまったく無駄が無い、一種の芸術とも
言える域にまで達していた。
 あの域にまで達するには、相当の経験と訓練、そして何より、敵の攻撃に決して崩れ
ぬ強い意志が必要だ。バルドルは、そのいずれをも持ち合わせている。
「凄い……」
 ライゴウの反撃を軽やかにかわして、強烈なキックを入れるレスキュージン。その素
晴らしい動きに、マルコは魅了された。
 この時、マルコはバルドル・カッフェという男に憧れていた。バルドルを尊敬してい
た。メレアへの忠義とも、母カテリーナへの愛情とも違う、素晴らしき力を持つ者への
敬愛の心。それはマルコが初めて抱く感情だった。
 いや、違う。少し昔、こんな感情を抱いた事がある。
 マルコの脳裏で、バルドルとある男の顔が重なる。容姿も年齢もまったく違う二人だ
ったが、その眼はとても良く似ている。
「バルドル、そして、宇流影太郎……」
 二人の名前を並べた瞬間、マルコはついに悟った。自分が影太郎に憧れていた事を。
 ああ、そうだ。俺はあいつに憧れていた。残り少ない命なのに、懸命に生きていたそ
の心の強さに。どんな困難にあっても、決して挫けなかった強い根性に。自分よりも大
きくて強い敵にも、恐れず挑んだその勇気に。リトルフレームやB・I・Gアストレイ
のような、とんでもないMSを作り出すその知恵に、憧れて、尊敬していたのだ。
 だから、その死が許せなかった。認めたくなかった。自分を残して勝手に死んだあい
つを、影太郎を許さなかった。
 自分のMSをデスフレームというアストレイに似たMSにしたのも、影太郎への憧れ
と怒り故。ああ、何てバカバカしい、子供みたいな動機。
 バルドルの夢を冷笑したのも、その相反する二つの心からだ。影太郎に雰囲気が似て
いるあの男が、影太郎が言いそうな夢を語るのが、どうにも許せなかった。そんな心の
狭い自分を認めたくなかった。
 でも、もうそんな事は止めた。これからは素直になろう。心の赴くままに、思った事
を口に出そう。
「頑張れ、バルド…」
 新しき友への声援は、途中で途絶えた。
 マルコの眼に映るのは、腹部をビームサーベルで貫かれたレスキュージン。貫いたの
は、もちろんライゴウ。



「随分と手こずったわね。でも、妥当な結末だわ」
 この闘技場でただ一人の見物客となったマティスは、退屈そうな声を上げた。望んで
いた事とはいえ、あまりにも予想どおりの結果だからだ。
 ライゴウとレスキュージンとでは、性能差があり過ぎる。幾らパイロットの腕で補っ
ても、その差は歴然。例えるならば巨大な恐竜に、棍棒を持った原始人が挑むようなも
の。話にならない。
「バルドル・カッフェの技術は確かに一流、いえ、それ以上でしたわ。でも、彼には致
命的な弱点がある」
 闘技場が、また大きく揺れた。闘技場の各所で爆発が起きている。
「バルドルは人を殺せない。レスキュー志願者なのだから当たり前なのかもしれないけ
ど、殺人鬼の鬼一口に対して、それは甘すぎる考えだわ」
 闘技場が揺れる度に、マティスの姿も揺らぎ、乱れる。
 天井の一部が崩れ、その破片がマティスの頭上に落ちてきた。だが、破片はマティス
の体をすり抜けて、地にたどり着く。破片が当たったはずのマティスには傷一つ無い。
「立体映像装置、こちらから切れないのが残念だわ。私一人だけ残っているなんて、ち
ょっとマヌケな絵だわ」
 彼女の望みを叶える為か、天井の破片が椅子の裏に落ちた。そこに仕掛けられていた
映写機が破片によって潰されると、マティスの姿は闘技場から消えた。
 だが、闘技場の光景は、仕掛けられたアルゴス・アイによって秘密基地にいるマティ
スに伝えられている。本物のマティスは基地で紅茶を飲みながら、戦いの結末を見守
る。
「イルドに連絡して、そろそろ鬼一口を回収させましょう。ライゴウも、まだまだ使え
そうだし……あら?」



 腹部にある操縦席を貫かれたはずのレスキュージンが、再び動き出した。何と更に前
に出て、両腕をライゴウの腰に回して、抱き締めるように押さえ込む。
 激しく動揺する鬼一口。死んだはずなのに、殺したはずなのに、なぜ動く? 何をす
るつもりだ?
「は、放せ、放せ! お前はもう死んだ、私が殺した! だから死んで! お前が死ね
ば私は生きる事が出来る、だから…」
「俺の生き死には、お前とは関係無いだろ」
 バルドルからの通信が入った。まだ生きていたようだ。その声は殺されかけた人間の
ものとは思えない程、しっかりとしている。
「最初はマルコ達を助けに来たんだが、戦っている内に分かった。助けを必要としてい
るのはマルコじゃなくて、あんたの方だ。鬼一口、いや、柚木良子。俺はあんたを助け
る」
「え?」
 意味が分からない。この男は何を言っているのだろう?
「あんたの戦いを見た時から、あんたの事が気になっていた。殺人鬼なんて言われてい
るくせに、あんたの戦い方には残忍さが無い。昔の俺みたいな冷徹さも無い。生きよう
と必死にもがいている、救助を待っている人のような戦い方だった」
 鬼一口が他人を殺すのは、自分が生きる為。ただ、それだけの理由だった。だからこ
そ彼女は純粋なまでに残酷になり、容赦なく敵を殺してきた。
 敵を確実に殺す彼女を、人は恐れ、殺人鬼と呼んだ。だが、バルドルはそうとは思わ
なかったのだ。
 バルドルもまた、パイロットを確実に殺すその戦い方から、人々に恐れられた男だ。
鬼一口と言われ恐れられるこの女性の事を、他人事とは思えなかった。
「あんたの事は剛馬から聞いた。過去に色々あったらしいが、取り合えず、それを全部
忘れろ」
 仲間殺しの大罪を、バルドルは忘れろと言う。こんな事を言われたのは、初めてだっ
た。
「そして、周りを良く見ろ。お前を殺そうとか、傷付けようと考えている奴は、そんな
に多くはないはずだ。そしてお前が手を差し伸べれば、助けてくれる物好きな奴もいる
さ。俺みたいなバカは、あと一人や二人はいると思うぞ」
「あ、あ、ああああ……」
 鬼一口は何か言おうとしたが、言葉にならなかった。この男は、自分を殺そうとした
相手に何を言っているのだ? 死に掛けているくせに、どうして他人の事を気遣ってい
るのだ? 分からない、分からない、この男が分からない。
 でも、何か温かい気持ちになる。この温かさは嫌いじゃない。むしろ、好きだ。ずっ
と温かいままでいたい。
「そういう訳だ、鬼一口。お前さんをレスキューさせてもらうぜ」
 レスキュージンは、ライゴウの体を締め上げる。PS装甲であるライゴウだが、通常
のジンを超えるレスキュージンのパワーに耐え切れず、機体の各所からミシミシという
音を上げている。
「これで、少しは、スピードも、落ちる、だろ。マルコ、後は、任せた、ぞ。こいつ
を、レスキュー、してやって、くれ」
「バ、バルドル……」
「これが、お前のレスキュー隊員としての、最初の、仕事だ。最後の仕事に、なるかど
うかは、お前が、決めろ。頼んだ、ぞ」
 途切れ途切れの台詞が終わると、レスキュージンの動きが止まった。ライゴウを締め
付けたまま、まったく動かない。
「………………分かった、バルドル。あんたのレスキュー、引き受けた」
 立ち上がるデスフレーム。マルコの心に静かな、だが激しい炎が灯された。
【ふっ。面白くなってきたじゃないか】
「……誰だ、お前は。光(コウ)じゃないのか?」
【俺は闇(アン)。光(コウ)の予備みたいなものさ。あいつはまだ昼寝の最中らしく
てな。だから俺が出て来た。お前をサポートしてやるよ】
「分かった。デスフレームの制御を頼む」
【制御だけでいいのか? お前がその気なら、デスフレームの本当の力を教えてやって
もいいんだぜ】
「力の代償は何だ?」
【察しが良いな。まず、お前が死ぬかもしれない。お前の安全より機体の方を優先する
からな。それから…】
「分かった。やってくれ」
【まだ全部説明してないぞ。もういいのか?】
「いい。時間も無いからな」
 マルコの目の前では、ライゴウがレスキュージンの手から逃れようと、必死でもがい
ている。動かなくなったレスキュージンに、ライゴウを抑え続ける事は出来ない。ライ
ゴウが逃れるのは時間の問題だ。
【分かった。それじゃあ行くぜ。デスフレーム、オーバーロード!】
 それがデスフレームの真の力を解き放つ合図だった。いや、解き放ったのは『力』で
はない。それはデスフレームの、闇(アン)という人工知能の『本質』。
 動けないライゴウに対して、デスフレームの拳が叩き込まれる。一発、二発、十、二
十、三十、五十、百。PS装甲である事を無視するかのような猛攻だ。そして拳に込め
られた力は、今までのデスフレームを上回っている。
「きゃあああああああああああああああああああ!!!!」
 柚木良子が悲鳴を上げるが、デスフレームは容赦しない。続いては蹴り。回し蹴りで
ライゴウを、押さえ込んでいるレスキュージン共々に蹴り飛ばす。
 闘技場の壁に叩きつけられるライゴウ。激しい衝撃を中和する為にエネルギーを使い
過ぎたのか、機体の色が灰色になる。PS装甲の効果が切れたのだ。
 デスフレームはビームサーベルを持ち、ライゴウとレスキュージンを切り刻む。ライ
ゴウは両手足を切断され、レスキュージンは体をズタズタに裂かれた。MSとはいえ、
見るに耐えない姿だった。
【どうする、もっとやるか? 敵討ちなら協力するぞ】
 更なる攻撃を望む闇(アン)。マルコの返事は、
「もう、いい」
 という短いものだった。
【了解。だが、俺の力はこんなものじゃない。また何かあったら手を貸してやるよ。じ
ゃあな】
 闇(アン)は去った。残されたマルコはライゴウの操縦席が無事である事を確認する
と、切り刻まれたレスキュージンの操縦席を見る。
 ジンの操縦席には、小さな穴が開いていた。その中を覗くと、
「うっ……」
 覚悟していたとはいえ、その光景はマルコの心を激しく打ちのめした。涙さえ出ない
程の哀しみが、マルコの心を締め付ける。
「バルドル、これがあんたの望んだ結果なのか? そんなにまでして他人を助けたかっ
たのか? バカだ、あんたは大バカだ。バカ野郎だ……」
 大きな哀しみを生み出した機動闘技場は、崩れ去ろうとしていた。そして一人の少年
の心に傷と、怒りと、新たな決意が生まれる。



 サードユニオンの本拠地、メレア・アルストルの城。その玉座に座り、事の一部始終
を見ていたメレアは、大きなアクビをした。
「ふわああああああああ〜〜〜〜〜。退屈な戦いだったなあ。うっとおしいバカが死ん
だのは嬉しいけど、僕的には盛り上がらなかったよ」
 メレアの気分は悪かった。それを払い除ける為、メレアはノーフェイスに新たな指令
を出す。
「マルコに伝えてくれ。第二の試練を開始する。開始時間は三日後。今度の戦いは、ち
ょっとハードなものにするよ。場所は…」
 哀しみを癒す間もなく、マルコは新たな戦いに臨まなければならない。彼の過酷な運
命に、ノーフェイスは少し同情した。



 アキ達の母艦、アークロイヤル。その艦橋にはアキ達以外にも、四人の新たな乗員が
集まっていた。
「なかなかいい艦ですわね、お兄様」
「うむ。仮の住まいとはいえ、私に相応しい艦だ。欲しいな」
 傲岸不遜という言葉がよく似合う、ダリウスとアニーのコーネリア兄妹。
「師匠、あそこまでやる必要があったんですか? いくら師匠の命令でも、俺は…」
「トロヤ、あたし達は何も悪い事はしてないわ。悪いのはあの闘技場にいた、ゲスな連
中ども。あなたも試合に参加して、あいつ等のゲスっぷりは見たんでしょう?」
「それは、そうだけど、でも……」
 悩むトロヤ・ノワレと、それを慰める師匠、両腕を失ったマクシー・ミガゲノ。
 四人の様子を見た宮城夏は、心の中でため息を付いた。
『マクシー殿が集めた傭兵は全滅。こちらの戦力は、大きく減ってしまったでござる。
このメンバーで、第二の試練に挑むのでござるか?』
 ユナとフィアの表情も暗い。艦長席に座るカテリーナは、息子マルコの身を案じてい
るのか顔を付して何か祈ったままだし、リーダーであるアキは何も言わず、窓の外の空
を見つめている。
『不安でござる。アキ殿の考えは聞かされてはいるでござるが……』



 とある場所にある、闇の世界。そこに一人の男が、続いて空ろな目をした少女と、ラ
イオン型のロボットが現れた。
「戻ったか、ミステリウス・マゴット」
 ナイン・ソキウスが感情無き声で尋ねると、マゴットは黙って頷いた。
「香港はどうだった? 楽しかった?」
 クロナ・ギウムがそう尋ねると、マゴットは再び黙って頷いた。
「それは重畳。お前が『楽』を覚えれば、私という存在は完成に近づく」
 エウテルペ・テレプシコーラもまた、感情の感じられない声でそう言うと、マゴット
も三回目の頷きで応える。
 マゴットを連れて来た男、アンドレイ・ロマノフは三人に頭を下げる。
「ネメシスの修復は完了しました。もう崑崙党にいる必要も無いので、私も本来の役目
に戻ります。我が主ダブルZ、何なりとご命令を」
「なら命令する。お前が連れて来た客の素性を言え」
「えっ?」
 ロマノフが振り返ると、そこには金色の仮面を付けた男がいた。そして男の後ろから
小柄な少女が現れる。
「初めまして、ダブルZ。私はマティス。本日は貴方達に、素敵な情報を持って来まし
た」
 ダブルZである四人とロマノフに、ニッコリと微笑むマティス。だが、誰もその微笑
を信じなかった。ロボットであるゴルドも、マティスの護衛であるスーさえも、彼女を
信じなかった。
 だが、それはマティスも承知しているし、別に気にしてはいない。死に損ないの悪魔
との化かしあいは、まだ始まったばかり。

(2009・1/10、前半掲載 1/17、後半掲載)

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