第42章
 月は地獄か天国か

「ねえ、ノーフェイス。『本気』と『遊び』の違いって、分かるかい?」
 銀色の仮面で顔を隠した男は、主に唐突に問われて迷った。どう答えれば、主の意思
に沿うのか。少し悩んだ末、自分の考えを素直に述べる。
「その物事に真剣に取り組むか否か、ではないでしょうか」
 部下の模範的な解答に、メレア・アルストルはニヤリと笑った。そして、自分の意見
を語る。それこそが主の望み。ノーフェイスの答えは『正解』だったという事だ。ノー
フェイスは主の反論を、満足しながら聞く。
「ノーフェイス、君の答えは間違ってはいない。けど、僕はこう考えているんだ。『本
気』とは、命を賭けて挑む事。『遊び』とは、絶対に安全な場所から挑む事。そして
『本気』でやるのが正しくて、『遊び』でやるのはいけないというのは間違っている」
「そうなのですか?」
「ああ、そうだよ。どんな事でも『本気』でやるなら、その度に命を賭けないといけな
い。それじゃあ疲れるし、その内本当に死んじゃうよ。本当に賢い奴っていうのは力を
抜いて、『遊び』でやるようにするのさ。もちろん、仕事には手を抜かない。『遊び』
で完璧な仕事をやる。これこそが理想だね」
「メレア様は、その理想を目指していると?」
「いいや、僕はもうその理想を叶えているよ。これから何があっても、どんな事が起き
ても、僕は絶対に安全だ。誰も僕を殺せないし、終わらせる事も出来ない。そうだろ
う?」
 そのとおりだ。メレア・アルストルは、単なる人間ではない。数多の肉体を持ち、そ
の記憶を完璧に伝える手段もある。目の前にいるこの一体が殺されても、すぐに別の肉
体が目覚めて、メレア・アルストルという人物は再生する。二百年もの間、その繰り返
しによって生きてきた男は、人間の域を超えた怪物となっている。そしてその思考も、
「僕にとって、この世の全ては『遊び』なんだ。だからより面白く、より楽しく、より
盛り上がる事を願っているのさ。僕の意に反する事が起きても、それで事が盛り上がっ
て面白くなれば、それで良いんだ」
「それはブレイク・ザ・ワールドの事ですか? それともダブルZの…」
「両方だよ。マティスの裏切りや、マティアスが余計な事を喋った事も、それでゲーム
が面白くなるのなら見逃してあげよう。もちろん、後始末はするけどね」
 メレアにとってゲームが面白くなる事と、自分を不愉快にさせた事は、別の問題らし
い。自分勝手な考えだが、その考えを貫くだけの力をこの男は持っている。
「それで、マルコ達の行方は掴めたの?」
「残念ながら……。宇宙に上がったのは間違いないのですが、そこから先の行方は全く
掴めません。アークロイヤルとユニコルンの発信機の電波は途絶えたまま、艦内に隠し
て配備していたアルゴス・アイも、全て排除されたようです」
「マティアスの入れ知恵か。まったく、余計な事をしてくれるよね。これじゃあライブ
中継を楽しめないじゃないか。まあいい、世界各地に放ったアルゴス・アイを使えば、
いずれどこかで見つかるだろう。行方を眩ましたつもりの馬鹿どもを探し出す。新しい
ゲームとして、楽しもうじゃないか」
「はっ。ですが、マルコ達をこのままにしておいていいのですか? フィオーレ家の一
件は彼らにとって、かなりのショックだと思われます。メレア様への忠誠心が、そのま
ま反抗心に裏返る恐れが…」
「いいんだよ。どうせこのゲームが終わったら、バラすつもりだったし。あの親子がシ
ョックを受ける姿を、目の前で見たかったんだ」
「メレア様……」
 ノーフェイスは、メレアの『遊び』を求める心に嘆息する。この男にとって、全ては
ゲームであり、『遊び』でしかないのだ。長年に渡って欺かれていた事を知り、怒りを
燃やす少年の心も、不死とも言えるメレアにとってはゲームを盛り上げる為の小道具、
玩具に過ぎない。
「カテリーナ・フィオーレか。刷り込みをしたデザインヒューマンの中では、一番優秀
だったね。『名家の出身』という条件は彼女に高いプライドを持たせて、その才能を如
何なく発揮させた。フィオーレ家の経歴を作るのは手間だったけど、その甲斐はあった
かな。今度はもっとプライドの高い個体を作ってみようか?」
 鼻歌を歌うように、人の人生を弄ぶ事を考える主に対し、ノーフェイスはいつもどお
りの言葉を放つ。
「ご随意に。全ては大総裁メレア・アルストルのお望みのままに」
 死を持たないこの男は、恐れを知らない。そんな弱い心は忘れてしまった。それ故に
何者も恐れないし、運命も恐れない。自分の運命をその手で作るだけでなく、他人の運
命までも作り、それを使って遊ぶ。
 絶対に安全な場所から、世界を、人類を弄ぶ男、メレア・アルストル。誰もこの男を
殺す事は出来ない。諭す事も出来ない。決して死なない怪物は、己の退屈を紛らわせる
為に、今日も世界を歪める。



 ノーフェイスの言ったとおり、マルコ達は宇宙に上がっていた。マティアスに手を回
してもらい、偽の名義を使ってマスドライバーを利用して、二隻の艦を宇宙に打ち上げ
た後はミラージュコロイドを展開して航行。行先は、
「月か。そこにダブルZがいるんだな。そして師匠、いや、マクシー・ミガゲノも…」
 廊下の窓から宇宙を眺めつつ、自分を教え、しかし捨て石にしようとした男の顔を思
い浮かべたトロヤは苦悩する。だが、臆したりはしない。東アジアのジャングルから宇
宙にまで来たのは、あの男の真意を確かめる為。場合によっては、
「坊や。ほんの少しでも迷っているのなら、戦うのは止めた方がいいわよ」
 女傭兵フィア・スカーレットが、トロヤに声をかけてきた。MSの整備を終えた後ら
しく、顔に黒い油が付いている。
「迷いは焦りを生み、焦りは死を呼ぶ。戦いたくない相手と無理に戦う必要は無いわ」
「そんなの、間違ってる。それに俺は迷っても、焦ってもいない!」
「強がってるんじゃないわよ。焦りを自覚していないのなら、ますます戦うべきじゃな
いわね。足手まといになるだけだわ」
「なっ…」
「フィア、その辺にしておけ」
 通りがかった不動剛馬が、二人の口論を止める。
「だが、フィアの言うとおりだ。トロヤ、マクシーと戦いたくなければ、戦わなくても
いいぞ。あいつも君と戦うつもりは無いだろう。あいつの狙いは俺のはずだ」
 穏やかな表情でそう言う剛馬に、トロヤは凄みを感じた。表情も口調も落ち着いた感
じだが、一歩も引かない強い意志が伝わってきたのだ。
「剛馬さん、師匠、いやミガゲノの奴からあんたの事は聞いてます。親友だったけど
色々あって別れたって。今、あなた達二人は敵味方に別れて、戦おうとしている。あな
た達に何があったんですか?」
「坊や。男の過去を根掘り葉掘り聞くもんじゃないわよ」
 傭兵であるフィアは、重い過去を背負った人間を多く見てきた。フィア本人も語りた
くない過去を持っている。だからフィアは他人の過去に興味は持たないし、詮索もしな
い。それが傭兵の礼儀だと考えている。
 フィアはトロヤを、傭兵としての礼儀を知らない坊やだと思った。だから止めようと
したのだが、
「いいさ、別に。隠すような事でもないからな」
 剛馬はあっさり受け入れた。そして、淡々と昔話を語る。かつての主に見捨てられた
後、友と過ごした日々、そして壮絶な悲劇と、別れの時を。



 ユニコルンの艦橋では、マルコ達が航路の確認をしていた。後に続くアークロイヤル
にいるプロフェッサーから通信が入る。
「航路に間違いは無いわよね? ちゃんと月に向かっているの?」
「間違いない。このまま進めば、あと二十時間で月のコペルニクス市に到着する。余計
な邪魔が入らず、マティアスさんの用意してくれた偽造パスポートが見破られなければ
の話だが」
「大丈夫よ。彼のやる事にミスは無いわ」
 確かに、とマルコも頷いた。宇宙に上がる際の手続きにはかなり苦労すると思ったの
だが、マティアスが手を回してくれたおかげで、サードユニオンにも見つからずに宇宙
に行く事が出来た。あの男の情報管理能力は、サードユニオンより上かもしれない。
 もっとも、あの男の言った事のせいで、マルコの母は未だに自室に閉じこもっている
のだ。そう考えると、マルコはマティアスに心から感謝する事は出来ない。
「君もなかなかのマザコンね。アキちゃんは苦労しそうだわ」
「? どういう意味ですか、それは」
「分からないなら別にいいのよ。君も随分成長したみたいだけど、そっちについてはま
だまだみたいね。いえ、それでいいのかしら?」
 プロフェッサーの言葉に、マルコはますます首を傾げる。その様子を見た夏やシュウ
達は苦笑する。子供っぽさを失っていないマルコが、妙に可愛かった。
「でも、本当にダブルZは月にいるのか? 月には地球軍のアルザッヘル基地やダイダ
ロス基地があるし、ディプレクターの支部もある。すぐに見つかると思うんだけど…」
「甘いな、シュウ。二年前のダブルGは、プトレマイオス基地の真下にアジトを作って
いた。地球軍の目なんて、簡単に誤魔化せるさ。ディプレクターの月支部も、支部長の
ジャン・キャリーは優秀だが、人員不足らしいからな」
 ジョナサン・アーケンスの言うとおりだろう。それに月の情勢は表向きは平穏だが、
裏では様々な勢力が動いているらしい。その混乱に乗じて月に入り込み、かつてのよう
に拠点を築く事など、邪神の後継者にとっては容易い事だろう。
「あちらにはマティアス氏の妹や、崑崙党で名を馳せたアンドレイ・ロマノフもいる。
情報戦はお手の物、身を隠すなんて児戯にも等しいだろう」
「だとしたら、見つけるのは難しいでござるな。アキ殿は大丈夫でござろうか?」
 友人の身を案じる夏に、ジョナサンが考えを述べる。
「殺すつもりなら、連れ去ったりはしないだろう。ライブフレームの情報も聞き出した
いだろうし、他にも何かやらせるつもりなのかもしれん」
「やらせるとは、アキ殿に何をさせるつもりなのでござるか?」
「それは分からん。まあロクでもない事は確かだろう。やっぱり早く助けるに越した事
は無いだろうが、難しいだろうな……」
 ジョナサンはため息を付く。地球を出る前にマティアスが教えてくれた月の状況と、
ある男の動向。厄介事に巻き込まれそうな予感しかしないのは、考え過ぎだろうか?
『考え過ぎ、じゃないだろうな。まあそれを承知で俺達は行くんだが』
 身を隠しながら、月に向かうユニコルンとアークロイヤル。彼らが向かう地は、静か
な混迷の時の中にあった。



 地球連合とプラントが再び戦いを始めた直後、連合の基地がある月は緊迫した空気に
包まれた。基地からは毎日のようにプラントを牽制する部隊が出撃し、それを目障りに
思うザフトの部隊が、月を攻撃してこないとは限らない。月の人々は戦乱に巻き込まれ
る事を恐れ、警戒した。
 幸いにもプラントのデュランダル議長は、月に軍事進出をしない事を宣言。地球連合
も月で戦火を広げるつもりは無い事を表明し、緊迫した空気は解かれた。
 だが、戦争が終わった訳ではないし、戦況によっては両陣営は先の発言を撤回し、月
の基地を巡って戦うだろう。戦火は遠ざかってはいないのだ。
 月の人々は静かに怯え、その怯えと恐れは自分達を守ってくれる力を求めた。そして
今、その願いに応える男が現れようとしている。
「そいつの名はゼノン・マグナルド。彼は月の王様になろうとしているわ」
 宇宙に飛び立つ少し前、マティアスはマルコ達に月の状況と、ある男の情報を連絡し
てきた。ゼノンの名はマルコも知っている。フェイクGの一機ヘルサターンの操縦者
で、メレアが最も警戒していた男。地球に戻ってきたとは聞いていたが、
「彼とは懇意にしているの。色々と情報を流してあげたわ」
 マティアスとゼノンの意外な繋がり。二人が何処で知り合ったのかは語られなかった
が、マティアスがゼノンを高く評価しているのは分かった。
「彼は英雄になれる器の持ち主よ。つまり自分の目的の為なら、何千何万、いいえ、何
億という命が失われても平然としていられる人間。これは比喩じゃないわ。本当に彼は
大勢の人間を殺している。世界を壊しちゃったのよ」
 ブレイク・ザ・ワールド。数え切れない程の人命が失われたあのユニウスセブン落下
事件は、ゼノンが企んだ事らしい。
「私も、あれはどうかと思うわ。彼に情報を提供して、リ・ザフトの過激派を紹介した
事を後悔もした。でも、ゼノンは私が止めても聞かなかったでしょうね。そういう男な
のよ、あいつは」
 人殺しではあるが、しかし悪人ではない。それがマティアスの、ゼノンに対する評価
だった。
「一部の人間だけが時代を、世界を動かす。そういう考えは好きじゃないけど、ゼノン
やメレア達の思惑どおりに世界が動いているのは事実だわ。だから私達は見極めなけれ
ばならない。彼らが何をしようとしているのか、それが本当に正しい事なのか、をね」
 その意見には、マルコも同感だった。
「あんたは俺達に月に行け、と言う。月で色々やっているゼノン達を止めさせるつもり
なのか?」
「いいえ。私はゼノンの邪魔をするつもりは無いし、あなた達はダブルZの相手をする
だけで精一杯でしょう。だけど、もし余裕があるなら、ゼノン・マグナルドという男に
会ってほしいの。彼が何を見て、何を考え、そして何をやろうとしているのか。それを
見た上で判断して」
 月にいる以上、ゼノンの影響からは逃れられないだろう。ならば巻き込まれる前に飛
び込み、真実を見るべきだ。マティアスの提案は、マルコ達にそう促していた。
「世界は壊れたけど、再生しつつある。新しい何かが始まろうとしている。その何かが
人類にとって災いであるのなら、芽が小さい内に潰すべきだわ。でも…」
 その芽が人類にとって悪でないのなら、見守るべきだ。マティアスはマルコ達を通じ
て、それを判断しようとしているのだ。
「どうしてそこまで、俺達に期待するんだ? 余計な事を教えたのも、俺達を利用する
為なのか?」
「あら、フィオーレ家の真実を教えたのは余計な事だったのかしら?」
 そう言われると、マルコは反論できない。母カテリーナはショックを受けて寝込んで
しまったが、マルコはそうでもなかった。作られた名家も、偽りの伝統も、メレア・ア
ルストルという男を冷静に観察していたからか、むしろ当然の事だと思ったのだ。
「あんな人格破綻者に、何百年も仕えていられる家なんてある訳ない」
「言うわねえ。まあ実際、そのとおりなんだけど」
 メレアは大総裁の地位を継いだ際、それまで組織に仕えてきた家を全て廃した。家や
伝統というものをまったく信じず、部下は一代限りとし、秘密を徹底厳守させた。
「あの男は誰も信じていない。人間は全て、自分を楽しませる為の玩具だと思っている
のよ。部下も含めてね」
 マティアスの指摘に、黙って頷くマルコ。昔だったら「そんな事は無い。メレア様は
偉大な御方だ」と反論しただろうが、本当に偉大な、凄い人々を見てきた今はそんな気
になれない。
「ふふっ、あなた、いい方向に成長したみたいね。大総裁の悪口を言われても、顔色一
つ変えないなんて。私の見込みは間違いなかったわ」
 マルコを褒めるマティアス。マルコも、マティアスという不思議な人物に好感を持ち
始めていた。褒められたからではない。この人は自分を隠していない、正直な人間だと
思ったからだ。
 マティアスはゼノンに協力していた事を隠さなかった。ゼノンの悪行を知りつつ、そ
れでも彼に惹かれている自分を誤魔化さなかった。こういう人間は、その思惑がどうあ
れ信頼できる。
 それに、ダブルZは倒さなければならない。アキを助けて、ネメシスを倒す。それが
彼女を組織に入れてしまい、こんな戦いに巻き込んでしまった自分の責務だ。
「分かった。俺は月に行く」
 その短い返事に込められた熱い思いを、マティアスも感じ取った。だから、
「ありがとう」
 と感謝した。短い時間の通信だったが、二人の間には小さな友情が生まれていた。



 二十時間後、コペルニクス市に到着した一行は、それぞれの目的の為に一旦別れた。
 マルコと夏とフィアは、トロヤを連れてコペルニクスの市内に向かう。マティアスが
紹介してくれた情報屋から、ダブルZの情報を得る為だ。
 シュウとジョナサンは定期連絡の為、ディプレクターの月支部へ行く。ダブルZやゼ
ノンの件は確たる証拠がある訳ではなく、またディプレクター内にいるサードユニオン
のスパイの目を誤魔化す為、報告しない事にした。
「それでも、これは立派な裏切り行為だよなあ。シュウ、俺達は再就職先を探した方が
いいかもしれんぞ」
「そうですね。あーあ、どうしてこんな事になったんだろう……」
 ため息を付いてはいるが、シュウも秘密厳守の件は承知している。戦争の件だけでも
手一杯のディプレクターの戦力を、これ以上裂く訳にはいかない。出来る事なら、自分
達だけで解決したいのだ。
 他のメンバーは艦に残った。レオと剛馬はMSの操縦の訓練。剛馬はベルゼルガの操
縦者に復帰し、レオはジョナサンから譲ってもらったウィンダムの調整を行なう。
 エレアとラグナスは、いつの間にか消えていた。月に着くまでは艦内にいたのだが、
そういえばエレアの表情は少し暗かった。月は彼女にとって、あまりいい場所ではない
らしい。だが、一体何処へ? ラグナスも一緒なら、心配する必要は無いだろうが。
 イノリはロウとユナ、プロフェッサーと樹里を手伝い、MSの整備を行なう。オーバ
ーデスフレームの調整はまだまだ完璧ではなく、鬼一口との戦いで損傷したライゴウの
修理も終わっていない。人手は幾らあっても足りないのだ。
 それに、体を動かしていた方が気が紛れる。イノリはカプセルには入らず、汚れた空
気を吸いながら走り回る。
「強くなる、私は、強くなってみせる。あの女に負けないくらい、強く…!」
 勝手に生きて、勝手に殺して、勝手に死んだ殺人鬼。殺す事も出来ない相手への憎し
みと怒りを募らせながら、イノリは心身を強くしようとする。
 それぞれの道を行く面々を、アニー・コーネリアは冷たい眼で眺めていた。彼女はマ
ルコ達と馴れ合うつもりは無い。ダブルZがいる所に兄もいるはずだ。兄と会い、そし
て、それから、
『それから、私は何をすればいいんだろう? 何をしたいんだろう? 私は、お兄様を
……』
 許したいのか、憎みたいのか。兄を愛しすぎてしまった女は、そんな事さえ分からな
かった。



 一台の高級車が、コペルニクス市最大のテレビ局を離れていく。忠実な運転手は、収
録を終えたばかりの主人に声をかける。
「先生、お疲れ様でした」
「ああ、まったく、本当に疲れたよ。局の連中はバカばかりだし、司会者も出演者もバ
カばかりだ」
 後部座席に座るキョウシガ・ヌリボトケは、収録の様子を思い出して腹を立てた。ま
ったく不愉快な仕事だった。
「あのバカタレントめ、私の本を読んだ事が無いのか? 教養が無さすぎる。言ってい
る事も大手のマスコミの受け売りばかりで、自分の考えというものがまったく無い。あ
あいう奴ばかりだから、政治家もバカばかりが選ばれて、ディプレクターのような危険
な集団がはびこる事になるんだ。戦争が続くこの状況は、自分達の無知が招いたものだ
と反省しろ!」
 毒舌と過激な意見が売りのこの高名な小説家は、テレビにも顔を出し、激論を交わし
ている。大手マスコミや政府も恐れず、己の考えを堂々と述べるその態度は傲慢とも思
われ、賛否両論がある。しかし運転手は長年の付き合いで、キョウシガが世間で言われ
ている程、悪い人間で無い事を知っているし、毒舌にも慣れている。
「ははははは。仕方ないですよ、みんながみんな先生のように賢くはなれません。先生
だってそう思っているから、テレビなんかにも出て、自分の考えをみんなに伝えている
んでしょう?」
 気難しい先生を褒める運転手。意外と単純なキョウシガは不満を収め、
「うむ。いや、人類全てがバカだとは思っていない。それでもバカは多いがな。オーブ
のセイラン家の小坊主は、バカの極みだな。そして、そのバカを利用する者も多い。特
にプラントの議長、あのデュランダルという男は油断ならん。ああいう耳障りのいい事
しか言わない政治家は危険だ。奴は何か隠しているような気がするのだ。あの男に比べ
たら、ラクス・クラインはまだ素直な方だな。油断ならん人物なのは変わらんが…」
 と、自分の考えに没頭する。
 これでしばらくは静かになるだろう。運転手はアクセルを踏み、目的地に向かう。新
聞のインタビューを受ける為、ケプラー市にある社に向かわなければならないのだが、
収録が押してしまい、スケジュールは少し遅れている。急がなければ。
 車は町を抜けて、郊外の森に入った。他に走っている車は無い寂しい道だが、他車を
気にする必要が無くなり、運転手は車のスピードを上げた。
 とその時、曲がり角から一台のトラックが現れた!
「!」
 運転手は急ブレーキを力いっぱい踏む。
「うおっ!」
 後ろに座っていたキョウシガが、前に倒れる。シートベルトを着けていたので、前の
座席に頭はぶつけなかった。
「うむ。備えあれば憂いなし、シートベルトは忘れずに。っと、おい、何があった?」
「は、はい、先生。いきなりあのトラックが…」
 運転手が説明しようとしたその時、車の前部ガラスにヒビが入った。ガラスに小さな
穴が開き、そこから飛び込んできた弾丸が、運転手の頭を撃ち貫いた。
「!……」
 長年自分に尽くしてきてくれた男の呆気ない死に、豪胆なキョウシガも動揺する。そ
の間にも異変は続く。幌が被されたトラックの荷台から銃を持った連中が降りて、キョ
ウシガの乗る車に銃口を向ける。
「これは……ふん、ついに来るべきものが来たという事か」
 動揺したキョウシガだったが、銃を向けられた事で逆に落ち着いた。反骨の精神が目
を出し、殺せるものなら殺してみろという気持ちが膨れ上がる。
 過激な言葉や文章で相手を不快にさせて、飯を食っているのだ。ロクな最期は迎えら
れないだろうし、いつか殺されるかもしれないと言われ続けてきた。凶刃にかかる覚悟
は出来ている。
『もっとも、すんなりと殺されるつもりは無いがな。私を殺すという大罪を犯す者を一
人でも道連れにしてやる』
 キョウシガはズボンのポケットの中に手を入れる。ポケットにはこの車の自爆スイッ
チが入っている。遊び半分と、車が盗まれた時の為に仕掛けたものだが、
『こんな事の為に使うとは。まあいい、さあ、もっと近づいて来い!』
 命を賭けて襲撃者に挑もうとするキョウシガに対し、敵はなかなか近づいてこなかっ
た。銃口を向けるだけで、車からは少し離れている。
 不気味な睨み合いの中、ようやく襲撃者の一人が足を前に出した。車に近づき、キョ
ウシガに一礼する。
「キョウシガ・ヌリボトケ先生ですね? ご無礼をいたしました事、そしてご友人を殺
してしまった事、深くお詫びいたします。しかしこれは全て、我々の大願成就の為。ど
うかご理解いただきたい。そして、出来る事なら私達にご協力していただきたいので
す」
「……………………」
 キョウシガは、この丁寧な若者に興味を持った。小説家としての本能と習性が、謎の
若者を知りたいという欲求となり、彼の話を聞きたがる。
「ふん、まあいいだろう。無礼の代償は大きいだか、話だけでも聞いてやる。貴様の名
と所属組織は?」
「私の名はロベール・ユイレ。偽名ではありません、本名です。ジャック・スカーツ様
の亡き後、リ・ザフトをまとめている者です。以後、お見知りおきを」
 若者はそう名乗り、車内のキョウシガに頭を下げた。丁重すぎる態度だった。



 車から連れ出されたキョウシガは目隠しをさせられ、襲撃者達の車に乗せられた。し
ばらく走ると車は止まり、キョウシガは何者に手を掴まれ歩かされた。
 扉を開ける音がした後、背中を軽く押される。不愉快だが、指示されたとおり前に歩
く。
「もう良いですよ。目隠しを取ってください」
 ロベールの声がキョウシガを闇から救い出す。目隠しを取ったキョウシガの眼に飛び
込んできた光景は、予想外のものだった。
 テロリストのアジトに連れ込まれたのだ。武装した兵士とか、自分を従わせる為の拷
問器具などを見せられると思っていたのだが、広い部屋の中にいたのは負傷した人々だ
った。傷付き、倒れたその姿は、実に痛々しい。
 床に隙間も無いくらい敷き詰められているケガ人達。彼らを看病しているのは女子供
ばかりだ。誰の表情も疲れ切っており、看病している方が倒れるのではと心配になって
くる。
「ヌリボトケ先生、これが今のリ・ザフトの現状です」
 ロベールが語りかけてきた。傷付いた仲間達を見る彼の視線は、暖かくも寂しそうだ
った。何か大切なものを失って、それでも生きようとしている者の目。
「先日のディプレクターとの戦いに敗れたリ・ザフトは、メンバーの大半が投降しまし
た。ディプレクターもザフトも投降した者には寛大な対応をしてくれており、その点で
は感謝しています」
 だが、投降を拒む者も少なくなかったのだ。特に過激派と呼ばれ、ジャック・スカー
ツに従ってきた面々は、スカーツの部下の中で唯一人生き残ったロベールをリーダーに
して、月に逃れた。
「投降しない我々に、ザフトは追撃部隊を送り込んできました。政府としては当然の対
応ですね」
 追撃部隊との戦闘には何とか勝利したが、この戦いでまたしても多くのメンバーが倒
れ、生き残った者もケガ人だらけ。一緒に逃れてきた家族や子供達は人手不足という事
もあり、徹夜で看病している。
「しかしお金も薬も食料も不足しているんです。病院に行けば治せるケガも、我々には
治せない。このままではここにいる人達は全員死ぬでしょうね」
「……お前達の窮地は分かった。それで、俺にどうしろと言うんだ?」
 キョウシガは話を変えさせたかった。どうにも気分が悪い。
「先生には私達のサポーターになってもらいたいんです」
「サポーターだと?」
「ええ。先生に私達の現状をテレビで語っていただきたい。そして救援物資を集めてほ
しいんです」
「馬鹿を言うな。何で私がそんな事をしなければならないんだ。お前達が苦しいのは分
かったが、だからと言ってテロリストに手を貸すつもりは無い」
「ええ、そう言うと思っていました。政府の圧力にも、世間の風潮にも、卑劣なテロに
も屈せず、己の信じる道を語る。それがキョウシガ・ヌリボトケという御方だと分かっ
ています」
 何者も恐れず、誰にも従わないキョウシガは各国政府や多くの組織から嫌われている
が、その堂々とした態度と言動を支持する者も多い。特にこの月では、地球連合にもプ
ラントにも従わず独自の道を行くべし、というキョウシガの言葉に共感する者が多く、
色々な意味で人気を集めている。
「この月で、あなたの発言は市長よりも影響力がある。そんなあなたが私達を支持して
くれれば、ここにいるケガ人は助かるかもしれないんです」
「そうかもしれんな。それでも、私はお前達を支持しない」
「我々がテロリストだからですか?」
「それもある。が、一番の理由は、お前達を助ける言葉は、私の意志から生まれた言葉
ではないからだ。私は誰かの為に語る事はしない」
 キョウシガは自分の言葉が人の心を動かすものだと知っている。作家という言葉作り
のプロだからこそ、言葉の重みというものをよく理解しているのだ。
 彼は誰かを支持したり、応援したりはしない。ただ事実を語り、自分が思った事を言
うだけだ。
「私は自分の言った事に責任を取る覚悟がある。私が非難した者に殺されるのも仕方が
無いと思っている。好き放題に語り、生きているのだからな。だからこそ、私は自分が
語るべき事は自分で決める。殺されても屈しないぞ」
 捕虜とは思えない程、キョウシガは堂々としていた。覚悟がある、という言葉は嘘偽
りではない。この男はどんなに苛烈な拷問を受けても、自分の意を変えないだろう。
 ロベールは、キョウシガの意志の強固さに少し驚いた。予想以上に強い男だ。だが、
だからこそこの男に語らせる必要がある。
「分かりました。では、こちらも別の方法で我々の窮地を世間の人達に知ってもらいま
しょう」
「? 貴様ら、何をするつもりだ」
「ゴミを捨てに行くだけですよ。コペルニクス市にある公園のゴミ箱に、配線の処理に
失敗した爆弾を、ポイッと」
「!」
「ええ、本当にただゴミを捨てるだけです。コペルニクス市の条例では公共のゴミ箱に
金属ゴミを捨ててはいけないんですが、我々はテロ組織なんだから、法に従う必要はあ
りませんよね?」
「貴様……!」
 キョウシガは目の前にいる青年が、憎らしくなった。そう、ケガ人の群れや丁寧な対
応に黙されていたが、こいつ等はテロリストだ。目的の為なら平然と人を殺す、キョウ
シガの友人だった運転手も殺した憎むべき連中なのだ。
「先生、明日の午後6時からコペルニクス市の公営放送のニュースに生出演するそうで
すね。そこで私達の事を語っていただけませんか? そうすれば我々も、金属ゴミを捨
てて回収業者さんを困らせる事にはならないと思います。如何ですか?」
 ニッコリ笑うロベール。殴り飛ばしたくなる程に爽やかな笑顔だった。



 剛馬とのMS操縦訓練を終えたレオはシャワーを浴びて、汗を流した。さっぱりした
彼の前に現れたのは、イノリだった。少し汗臭い。
「どいて。お風呂に入りたいの」
「あ、ああ」
 冷たく言われても、レオは気にしなかった。鬼一口が死んでから、イノリが頑張って
いるのを誰よりも見て、知っているから。それでも一つだけ、気になる事がある。
「なあ、イノリ。お前はこのままマルコと一緒に行くつもりなのか?」
 風呂に向かっていたイノリは、足を止めて、
「……ええ」
 と短く返事をした。
「いいのか? マルコはメレア・アルストルと別れるつもりだぞ。お前、大総裁の事を
慕っていたんじゃないのか?」
 レオの言うとおり、イノリはメレアを慕っていた。崇拝、と言ってもいい程に信じて
いた。
 イノリは地球連合によって作り出されたエクステンデッドだ。彼女は連合の実験施設
で生まれ育った。
 カプセルの外にも出れない程に貧弱な肉体と、コンピューターをも上回る頭脳を持つ
イノリは、研究者達から見れば『面白い』存在だった。だから研究員達からは丁重に扱
われ、生活に不満は感じなかった。
 だが、実験ばかりの日々に退屈してもいた。いつかこの狭い世界から、自分を連れ出
してくれる人が現れないだろうか。イノリは自分を救い出してくれる素敵な『王子様』
を待っていた。
 イノリのそんな夢を叶えてくれたのが、メレア・アルストルだった。施設からイノリ
を引き取り、組織の末席に加えたのだ。
 もちろん親切心からした事ではない。イノリの能力を眼を付け、役に立つかもしれな
いと思って引き取ったのだ。しかしイノリは喜び、メレアに感謝した。彼こそが自分の
求めていた『王子様』だと思い、言われた事に従った。個人的にはあまり好きではない
レオ・ゲルツェンと行動を共にしていたのも、メレアの命令だったからだ。
「メレア様の事は好き。大好き。今でも好きよ」
 しつこいくらい『好き』と連発するイノリ。レオの心がわずかに傷付く。
「でも、バルドルの事も好きだった。鬼一口の事は嫌いだけど、それでも忘れられない
人なの」
 バルドル・カッフェと鬼一口。イノリの心に愛と憎しみを植え付けた二人。この二人
を知った事で、夢見る少女は現実を知り、触れるようになった。
「バルドルは助けられなかった。鬼一口は私が殺す前に勝手に死んだ。もう嫌。大切な
人が殺されるのも、嫌いな奴が勝手に死ぬのも嫌。だから私は行くのよ。あの子の所へ
行って、助けたいの」
 イノリの心に浮かぶのは、香港で出会った少女の顔。ほんの短い間だったが、イノリ
と友情を結んだ少女。空ろな目をして危険な雰囲気を漂わせているが、少し儚さも感じ
させる不思議な女の子。
「マゴットか。お前はあの子を助けたいのか。けど、あの子はダブルZの…」
「そうよ。助けるのが難しい事は分かっている。だから誰にもお願いしない。誰の手も
借りない。私が勝手に、この手で助けるの。だから鍛えているのよ」
 不器用な友情だとレオは思った。大切な人と憎い仇を失った喪失感が、イノリの心を
強くしたのだろう。だがその強さは孤独を求め、他人を拒み、イノリを破滅へと誘って
いるような気がした。
「そうか。だったら俺もあの子を助けよう」
「は? あなた、私の話を聞いていたの? あの子は私が勝手に…」
「ああ、お前は勝手にやればいい。だから俺も勝手にやる。お前の意志など関係なく、
俺はあの子を、ミステリウス・マゴットを助ける」
 レオにはイノリを放っておけなかった。かつてレオも大切な人を失い、その喪失感を
別の気持ちで埋めようとした。だからこそ知っているのだ。そんな事は何の解決にもな
らない、むしろ自分を苦しめるだけだ。
 だが、イノリはまだ間に合う。助けたい。気付いてほしい。彼女は決して孤独ではな
いのだ。
「ああ、そうだ。マルコ達が帰って来たら、マゴットの事を相談してみよう。今のあい
つなら助けてくれるかもしれない。人手は多い方がいいな、うん」
「ちょっ、ちょっと待ちなさい、レオ!」
 頷きながら去っていくレオを追うイノリ。疲れた体の汗を湯で流すより、この男の口
を塞ぐ方が先だ。まったく、どうしてこの男は私を苛立たせるのだろう。女性恐怖症も
治っていないくせに、私に対しては強気なのだ。おかしな男だ。
 ああ、本当の意味で私を救ってくれる、妄想ではない本当の『王子様』はいないのだ
ろうか? そんなイノリの悩みが解決する日は、まだ遠い。



 コペルニクス市の一角に、寂れた地域がある。ここは月の開拓初期に作られた居住区
なのだが、施設が旧式化した上、より快適な居住区が次々と作られた為、今では住人は
ほとんどいない。完全なゴーストタウンである。
 人の気配がほとんどしないこの地域に、マルコ達四人はレンタカーを借りてやって来
た。
「ここは本当に月の都市なのか? アジアのスラム街みたいだぞ」
 トロヤがそう言うのも無理はない。ひび割れた家やマンションが立ち並ぶこの地域か
らは危険な空気が漂っている。ここに来る前に通って来た賑やかなコペルニクス市の中
心街とは、まったく違う世界だ。
「うむ。確かに、用心した方がよさそうでござるな」
「そうね。油断と過信は禁物よ」
 夏は腰に下げた刀を握り、フィアは懐に収めた銃に手を伸ばす。同時に町中から殺気
と警戒心が立ち上ったような気配がする。
 この寂しすぎる町には、市内では暮らせない不法居住者が隠れ住んでいるという噂が
ある。ここは中立都市として月で最も栄えている町・コペルニクス市の影であり、町の
不浄が集まっている場所なのだ。
「危ない場所なのは分かっている。気を付けて行くぞ」
 大人も恐れ、警察でさえ滅多な事では近づかない危険地帯を、マルコ・フィオーレは
堂々と歩く。十三歳の少年とは思えない勇ましさだ。
『ふうむ。男子三日会わざるば、と言うが、確かにマルコ殿は立派になったでござる。
カテリーナ殿が見たら、泣いて喜ぶでござろうな』
 マルコの成長に感心した夏は、フィオーレ家の真実を知ってショックを受け、未だ自
室から出てこないマルコの母の顔を思い出す。短い間ではあるが、カテリーナとは苦楽
を共にした仲だ。早く立ち直ってほしい。
 少年二人と美女二人は、辺りを警戒しながら町を進む。無人であるはずの町の空気は
ますます煮詰まり、嫌な気配を増していった。
「こ、これはちょっとヤバいんじゃないのか?」
 ゲリラとして幾多の戦いを行なってきたトロヤが、少し弱気になる。それ程にこの町
の空気は異常だった。夏とフィアも、その美しい顔から余裕の色が消えている。
「フィア殿、万が一の時は…」
「分かっているわ。援護は完璧にしてあげる」
 と、戦闘のプロである三人が緊張しているのに、マルコは平然としていた。
「おい、何をしているんだ。もたもたしていたら日が暮れるぞ。月の人工都市にも昼と
か夜とかあるんだ。グズグズするな」
 マルコの足は止まらなかった。殺気が漂う都市を、まるで散歩でもしているかのよう
に普通に歩く。彼の堂々とした姿を見ていると、必要以上に警戒している自分達が馬鹿
に思える。
「うむ。マルコ殿の言うとおりでござるな。拙者達は気負いすぎていたようでござる」
「そうね。私も久しぶりの宇宙だから、少し気が逸っていたみたい」
「俺も、ちょっとヒートアップしていた。初めての宇宙だからかな。反省、反省」
 警戒心を緩める三人。すると、町に漂っていた異常な殺気も和らいだように感じた。
「あら。どうやら私達を受け入れてくれるみたいね」
「こちらが敵意を持てば敵意で返し、普通に接すれば普通に返すのでござるか。まるで
鏡のような町でござるな」
「ああ。誰が仕切っているのかは知らないが、この町のリーダーはなかなかの奴みたい
だな」
 注意深く気配を探れば、町のあちこちに人影が見られる。こちらを警戒し、様子を見
ているのだ。
 殺気を放っていたのは彼らだろう。秘密の見張りが気配を放つとは矛盾しているが、
それはこの町に人を近づけさせない為でもあるのだろう。町に危害を加える者、町に敵
意を持って近づく者には同じように敵意を持ち、それ以外の者は警戒もしないし、何の
感情も向けない。町を守ろうとする強い意志を感じさせる。
 彼らにそれだけの事をさせる何かが、このゴーストタウンにはあるのだろうか。だと
したらそれは何なのか? 物なのか、それとも、人?
「着いたぞ。ここだな」
 マルコが立ち止まったのは、この古い町で最初に建てられたビルだった。今にも崩れ
そうなこのビルの地下三階。マティアスが紹介してくれた情報屋は、そこにある一室で
マルコ達を待っていた。
「君がマルコ・フィオーレか。直接会うのはこれが初めてだね。よろしく頼む」
 薄明かりが点けられた部屋で待っていた男はそう言って、マルコに握手を求めてき
た。少しためらった後、マルコは彼の手を握る。
「余計な話をするつもりは無い。教えてもらおうか、ケナフ・ルキーニ。俺達の敵、ダ
ブルZの居場所を」
 答えを求める少年に対し、ルキーニは妖しげな笑みを見せる。この世界でトップクラ
スの情報屋であり、それ故に敵も多いこの男は、その本心を簡単には見せない。情報も
例外ではなく、あっさりとは教えてくれない。
「その前についさっきなんだが、面白い情報を手に入れた。リ・ザフトの生き残りが無
差別テロを企んでいるらしい。場所はこの月、コペルニクスだ」
「なっ!」
 正義感の強い夏が驚く。市民を巻き込む無差別テロは、彼女が最も嫌うものだ。
「地球とプラントの戦争がこう着状態になっている今、テロなどをやられたら月が世界
中から注目されて、騒がしくなる。そうなれば私も月から出ないと。色々な連中から追
われている身なのでね」
 ルキーニが追われる身なのは、マルコ達も知っている。実はメレアの組織もルキーニ
を追っており、マルコにも見つけたら報せるよう、命令が下っていた。
 しかし今となっては、メレアに吉報を報せるつもりは無い。この優秀すぎる情報屋を
上手く利用して、ダブルZの居場所を突き止めるのだ。
 もっとも、ルキーニも百戦錬磨の強者。マルコの目的など既に見抜いており、その上
で彼を利用しようとしている。まさに、キツネとタヌキの化かし合いである。
「これは取引だ。リ・ザフトの無差別テロを阻止してくれたら、君達の求める情報を無
料で提供しよう。どうかね? 悪い事をするのではないし、君達なら出来ると思うのだ
が」
 マルコをその気にさせようと挑発するルキーニ。だが、それは余計な行為だった。ル
キーニにそう言われる前に、マルコは決断していた。
「分かった、やろう。テロに関する情報をくれ」
「ふむ、さすがはマティアス殿が推挙された方々。迅速かつ人道的な決断、このケナ
フ・ルキーニ、感心しました」
 恭しく頭を下げるルキーニ。もちろん本心ではない。
「いいから情報を教えろ。そのテロに関してお前の知っている事、全てだ」
「そうだな。こちらにもその情報を頂こうか」
「!」
 マルコ達のものではない、新たな人物の声。それはルキーニの後ろから放たれた。
 薄明かりの向こうにある闇の中から、男が一人、現れた。金色に輝く鋭い瞳に、俳優
のような整った顔立ち。そして、圧倒的なまでの威圧感。先程まではこの男の存在も含
めてまったく何も感じられなかったのに、男が姿を現した途端、濁流のように押し寄せ
てくる。
「こちらも今、月で事件を起こされるのは困る。リ・ザフトの鼠どもめ、我が大望を邪
魔すると言うのなら叩き潰すまでだ」
「分かりました。私はテロを防いでくれるのなら、どちらでも構いません。マルコ、君
達もそれでいいかな?」
「………………」
 黙るマルコ。何か言おうとしても、男から発せられる威圧感に押されて、口が開いて
くれない。こんな人間に会うのは初めてだ。この男、一体何者?
 いや、マルコは知っている。この男の顔は以前、写真で見た事がある。
「ああ、ご紹介しましょう。こちらの方はゼノン・マグナルド。月での私のお得意様の
一人です。ゼノン殿、この少年は…」
「マルコ・フィオーレだな。知っている。フィオーレ家の当主で、あの大総裁のお気に
入り、だった小僧だ」
 かつて同じ組織に所属していた二人。だが、今は二人とも組織から離れて、それぞれ
の道を歩こうとしている。似ているようで似ていないような、そうでもないような男達
の、これが初邂逅だった。

(2009・3/11、前半掲載 3/25、後半掲載)

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