第43章
 マルコとゼノン

 月に到着すると同時に姿を消していたのは、エレアとラグナスだけではなかった。コ
ペルニクスの町の裏路地を歩くエレア達の遥か後ろに、クンクンと匂いを嗅ぎながら歩
く子犬と、その後に続く少女。どちらもエレア達の仲間のはずなのだが、見つからない
ように後を付けている。
「レウ、見失わないでよ。あんたの鼻、頼りにしているんだから」
「ワン!」
 吠えながらも地面から鼻を離さないレウ。エレアとラグナスの臭いを辿り、その後を
正確に付ける。
 コーディネイター犬とも言えるレウの能力は、普通の犬を超えている。臭いを嗅ぐ能
力も例外ではない。専門の訓練を受けていないにも拘らず、警察犬以上の探知能力を発
揮する。
 頼りになる愛犬に姉の部下を付けさせる桜道七華。月に着く直前から様子がおかしか
ったエレアとラグナスに注意していたのだが、案の定、二人とも月に着くと同時に誰に
も知られないように艦から降りて、町の中に姿を消した。見張っていなかったら、七華
も気付かなかっただろう。
「あの二人、コソコソとどこに行くつもりなのよ。まさかとは思うけど…」
 エレアもラグナスも、この二年間、桜道会の為に頑張ってくれた。姉の灯を支えてく
れて、自分も助けられた。心から信頼している二人を疑いたくはない。
 だが、この月はダブルZの本拠地と言える地だ。何が潜んでいるのか分からないし、
何が起きてもおかしくない。誰が裏切っても、
「ううん、そんな事無い。あるはずが無い、あの二人に限って、そんな事は絶対に!」
 力を込めて呟く七華。確固たる証拠がある訳では無い。ただ、そう信じたかった。
「ワン!」
 レウが吠えた。七華は気を取り直して、尾行を続ける。エレアとラグナスは車をレン
タルして、コペルニクスの町から出ようとしていた。
「逃がさないわよ。信じているからこそ、確かめたいの!」
 七華は懐から偽造免許証を取り出し、車を借りに行く。非合法な方法でも、それが適
切ならば躊躇しない。彼女はまだまだ『怪盗レインボースター』だった。



 ケナフ・ルキーニは目の前の光景に、軽く興奮していた。彼は情報を操作し、その情
報によって人々と世界が動く事を好んでいる。ルキーニが演出したマルコとゼノンの出
会いは月を、世界を動かすだろう。そう思うと顔が自然ににやける。
 何とか喜びを堪えて、ルキーニは冷静に振舞う。この男達の出会いを邪魔してはなら
ない。自分は演出と紹介役に徹するべきだ。
「ゼノン殿は彼らの事をご存知でしたか。さすがですね」
「情報収集は戦略の基本だ。お前にばかり任せてはいない。他人に全てを委ねる程、私
は愚かではない」
 ルキーニの事を信じてはいない、とゼノンは堂々と言う。あまりにも堂々と言い切っ
たので、言われたルキーニも不快には思わない。むしろゼノンらしい、と思った。
「では、改めて貴方達にお願いいたします。リ・ザフトの残党どもを片付けていただけ
ますか?」
「やると言ったはずだ。何度も言わせるな。小僧、貴様らは私に着いて来い。足手まと
いにはなるなよ」
 マルコの顔を見たゼノンは、ニヤリと笑いながらそう言った。無礼な言動に、短気な
トロヤが怒る。
「おいお前、さっきから聞いていれば、何なんだよ。俺達と手を組む気があるのか?」
「手を組む? そんなつもりは無い。お前達には私の手伝いをさせてやる、と言ってい
るのだ。光栄に思え」
「なっ…!」
 怒りが沸点に達したトロヤは、ゼノンに殴りかかろうとした。だが、
「やめろ、トロヤ」
 マルコの静かな声に止められた。幼さを残しながらも鋭い眼光を放つ少年は、ゼノン
の眼をじっと見る。ゼノンも退かず、マルコの眼を睨む。
「……………………」
「……………………」
 少し長い沈黙。見ている方の息が詰まる、一触即発な空気が漂う。
「フィア殿」
「ええ、分かっているわ」
 夏とフィアは、それぞれの武器に手を伸ばす。ゼノンが妙な動きをしたら、こちらも
相応の対応を、
「そこの女ども、無駄な事は止めておけ」
「!」
「!」
 ゼノンの落ち着いた声が、狭い部屋に響く。彼の視線はマルコの方に向けられたまま
だが、声だけで二人の女戦士を制止させた。それ程までに威圧感に溢れた声だった。
「私は女だからと言って、差別はしない。私に刃向う者や、私の期待に応えられない者
は全て潰す。死を望むのならば相手をしてやってもいいが、どうする?」
 ゼノンから放たれる重圧。それはこの寂れた町に入ってから、ずっと感じていた気配
に似ていた。町のあちこちから放たれているように感じていたが、あれは全てこの男一
人のものだったのか?
「お前達の事は月に着いてから、アルゴス・アイで観察していた。面白いMSを持って
いるな。だが、乗り手であるお前達自身の力は、まだまだ未熟。その程度では四人がか
りでも私には勝てないぞ」
 四対一という状況なのに、ゼノンはマルコ達を恐れていない。逆に完全に見下してい
る。だが、それだけの力を持っているのは、素人にも分かる。
『この男、一部の隙も無いでござる……。世界は広い、まだこれ程の強者が潜んでいた
とは』
 夏の額に冷や汗が流れる。ゼノンと戦うのならば四人がかりで互角、もしくは、
「分かった、あんたに従おう」
「! お、おい、マルコ、こんな奴の言いなりになるつもりかよ!」
 不満を口にするトロヤだったが、彼も素人ではない。気配のみでこちらを圧倒するゼ
ノンの恐ろしさは、充分に理解していた。心の中では分かっているトロヤにマルコは、
「ああ。けど、この男の手下になるつもりは無い。この男の指示が正しければ従う。間
違っていたら逆らう。それだけだ」
 シンプルな答えだった。ゼノンはフッと微笑んで頷き、
「それでいい。お前達には道を指し示す者を選ぶ権利がある。それは王と言えど侵害で
きない、弱者の最大の権利だ。着いて来い。この私がお前達の上に立てる男かどうか、
その眼と魂で見極めるがいい」
「ああ。そうさせてもらう」
 地獄の王とも呼ばれるゼノン・マグナルドに、一歩も退かないマルコ。若い少年とは
思えない頼もしさだ。その雄姿を見たルキーニは、心の中で興奮する。
『素晴らしい。この二人が組めば、世界はもっと面白くなるだろう。月には役者が揃い
つつある。もう少し留まってみるのも面白いな』
 だからこそ、月の治安を乱すテロは防がなければならない。ルキーニは自分の楽しみ
を邪魔する者を排除する為、マルコとゼノンを利用する。他人の人生を操り、自分の為
に利用する。それもまた彼の楽しみの一つなのだ。



 建物を出たゼノンの前に、一人の男が現れた。若い男はゼノンの前で膝を付き、主と
仰ぐ男に頭を下げる。
「ルーヴェか。リ・ザフトが動いたのか?」
「はい。三時間ほど前、連中はキョウシガ・ヌリボトケを拉致し、アジトに連れ込みま
した」
「あの口うるさい男をか。目的は?」
「コートニーの考えでは、月の上層部にも支持者が多いヌリボトケ氏を人質にして、何
かを要求するのではないかと」
「くだらん計画だ。今のリ・ザフトのリーダーは、そんなに単純な奴なのか?」
「ロベール・ユイレについての情報は少なく、彼の意の推測は困難です。ジャック・ス
カーツの側近だった頃は裏方に徹していましたので…」
「その裏方が、負け犬どもの集まりとはいえ、リ・ザフトの新しいリーダーになったの
か。余程の人材不足なのか、そのロベールとかいう男に何かあるのか。面白いな」
 ゼノンの眼が、妖しく光る。この男は敵や無能な者には非情だが、優秀な人間には興
味を示す。
「連中のアジトは突き止めたのか?」
「はっ。エドワードの部隊が向かっています」
「敵の武器は?」
「銃火器は一応揃えていますが、大した数ではありません。負傷兵も多く、戦闘になっ
ても使える者が不足しています」
「MSは?」
「ジンが三機に、ゲイツが一機。それだけです」
「ほう、月の連中に気付かれずに四機も持ち込んだのか。なかなかやるな。エドには手
は出すなと伝えろ。連中は私達が片付ける」
「了解しました。お気を付けて」
 ルーヴェ・エクトンはそう言い残して、その場を走り去った。
「聞いたな、マルコ・フィオーレ? 貴様のMSを持ってこい。私も出る」
「ヘルサターンを使うのか?」
 愛機の名を言われたゼノンは、楽しそうに微笑んだ。
「ほう。私の機体の事を知っているのか?」
「一応は。同じ組織で作られたMSだからな」
「そうだったな。だが、お前の知っているヘルサターンではない。生まれ変わったヘル
サターンの実戦テストにはちょうどいいだろう」
「あの機体を改造したのか?」
 マルコが知っているヘルサターンは、フェイクGの中でも最強クラスの機体だ。完成
度も非常に高く、並の技術者では改良どころか改悪してしまうだろう。ゼノンもそれは
分かっているから、改造はしていないはずだ。
『それを改造したという事は、それ程に優秀な技術者を手に入れたという事か? この
傲慢な男を満足させる程の技術者なんて、そうはいないはずだ。モルゲンレーテの一流
どころをスカウトしたのか?』
 そういう人材を集めて、この男は何をしようとしているのか。マルコはゼノンに興味
を持った。



 ゼノンの部下が突き止めたリ・ザフトのアジトは、市街地から遠く離れた地にある病
院だった。大きな病院だが数ヶ月前に経営難で閉院しており、人はいない。
「なるほど。隠れ家には最適の場所だな」
 病院の裏にある丘の上から敵陣を見るゼノン。マルコ達はその後ろに控えている。
「エド達も下がったようだな。では、始めるか」
「お前一人でやるつもりか?」
「そのつもりだ。敵が手強ければ、お前達の力を借りるかもしれんがな」
 そう答えるゼノンだったが、そんなつもりはまったく無いのが分かる。この男の強気
と自信は半端ではない。
「拙者達は、ただの見物人でござるか」
「そうみたいね。何の為に苦労して、MSを持ってきたんだか」
 ため息を付き合う夏とフィア。ストライク撃影とバスター・Bダガーももし意志があ
れば、同じようにしたかもしれない。
「ふん。勝手な事ばかり言いやがって」
 トロヤは頬を膨らませていた。ゼノンが危機になっても、助けるつもりはまったく無
いらしい。その証拠に、彼はグリーンフレームを持って来ていない。
 不平不満を口にしている三人と違って、マルコは冷静だった。マルコもゼノンの傍若
無人な態度には少し腹を立てていたが、ゼノン・マグナルドという男を見極めたいとい
う気持ちの方が強かった。
 ゼノンが危険な男という事は、組織の資料や得られた情報等で知っている。地球から
旅立ったコロニー船を襲い、住人に過酷な試練を与えてほとんどの者を殺した事も、ユ
ニウスセブンの一部を落としてブレイク・ザ・ワールドを起こした張本人である事も知
っている。常識で考えれば、許しがたい悪党だ。
『だが、俺はこの男が嫌いじゃない。俺も悪党という事なのかな?』
 そう考えてマルコは苦笑した。悪党とは、影太郎やバルドルとはまったく異なる生き
方だ。影太郎達に憧れる一方でゼノンのような悪党にも引き寄せられる。そんな自分の
節操の無さに、少し呆れた。
「では、やるか」
 空に待機させていたヘルサターンが、その巨体を静かに降ろして来た。その姿はマル
コが知っているヘルサターンとは、確かに違っている。
「このMSで何をするつもりなんだ?」
 マルコの問いに、ゼノンは微笑みを見せて答える。
「奴らの基地であるあの病院を攻撃する。正面から、徹底的にな」
「ちょっと待て。あそこには奴らにさらわれた男もいるんだろ? それに女子供や負傷
兵もいるそうじゃないか」
「そうだな。だが、それがどうした?」
 ゼノンは微笑んだまま、マルコに質問する。その微笑みはあまりにも穏やかで、それ
故に恐ろしかった。
「奴らはテロリストだ。いずれ私が治める月の平穏を乱す敵だ。だから排除する。単純
な理屈だが、不服か?」
「………………」
 マルコは答えられなかった。月が将来ゼノンのものになるかどうかは別にして、テロ
リストを排除するという考えは正しいと思う。だが、傷付いた者や戦う力の無い者まで
殺す必要はあるのだろうか? リ・ザフトの過激な思想を叩き込まれた子供が将来、武
器を手にしてテロリストになる可能性は高いが、だからと言って殺すのは…。
「災いの芽は早めに摘むべし。それが王の義務だ。私に逆らう者を生かしておく理由も
無いだろう」
 傲慢な答えだが、マルコ達はゼノンに反論できなかった。皆殺しはやり過ぎだと言う
のは、テロに関係していない部外者だから言える台詞だ。罪無き人々を巻き込むテロが
許せない以上、それに関わる者は全て排除すべしという考えに行き着くのは当然だし、
テロリストに妥協してはならない。それは正しい。正しいのだが、
「喜べ、お前達。ディベイン・ヘルサターンの初陣をその眼で見られる栄誉をな」
 ゼノンはそう言って、生まれ変わったヘルサターンの操縦席に乗り込む。迷いも躊躇
いも感じさせない、堂々とした背中を見せて。



 返答に詰まったキョウシガを奥の部屋に連れて行った後、ロベールはリ・ザフトの
面々を集めて今後の方針について話し合っていた。そこへ、急を報せるサイレン音が鳴
り響く。
「そんなバカな、ここが見つかったのか!?」
 焦るロベール。敵は恐らく地球連合の治安部隊だろう。疲弊した今のリ・ザフトが勝
てる相手では無い。
「いや、待ってください、総帥。敵は一機だけのようです」
「何だって?」
 部下からの報告に、若い総帥は驚いた。たった一機で敵陣に乗り込んで来たというの
か? こちらをナメているのか、あるいは何かの作戦なのか。
「一機とはいえ油断は出来ない。様子を見よう。MSは全機発進、負傷者や女子供は建
物の中に避難させろ」
「ここから逃がさないのですか?」
「どうせ囲まれているだろう。それに、ここを捨ててどこへ逃げると言うんだ?」
 この廃病院は、リ・ザフト残党にとって最後の拠点だった。他のアジトはディプレク
ターの捜査によって抑えられており、もう逃げ場は無い。ここが見つかる前に新たなア
ジトを見つけたかったのだが、
「これも運命だろう。せめてリ・ザフトの意地を見せよう」
 基地を見つけられた以上、自分達の敗北は明らかだ。それでも、このまま何もせずに
終わりたくはない。残忍なナチュラルにも、奴らに媚を売るコーディネイターにも屈し
たくない。ここにいる者は皆そう思ったから、ディプレクターの降伏勧告にも応じずに
逃げてきたのだ。追い詰められたからといって、敵に素直に従いたくはない。
「意地を張った末のつまらない末路、か……」
 ロベールの呟きは、誰にも聞かれなかった。総帥自らゲイツに乗り込み、部下のジン
と共に出撃する。
 対峙するヘルサターンと、リ・ザフトのMS群。群と言ってもたった四機、しかも旧
式MSばかりだ。それでも数を頼りに、ロベールは高圧的に話をする。
「貴様は誰だ? ここに何しに来た?」
「ふん。何しに来た、だと? 分かり切った事を聞くな。それとも貴様は、いちいち説
明されなければ分からない程の馬鹿なのか?」
 相手は、ロベール以上に高圧的な声で答えた。四対一の状況でこんなにも自信に満ち
た態度をするのは不自然だ。どこかに仲間が潜んでいるのだろうか?
「心配するな。ここにいるのは私だけだ。見物人なら連れて来たがな」
「見物人だと? どうして軍の治安部隊がそんなのを…」
「私は治安部隊ではない。名はゼノン・マグナルド。いずれこの世界の歴史に、王とし
て名を刻む男だ」
「王、だって?」
 妄想としか思えない発言だった。だが、ゼノンという男の声には強い意志が込められ
ている。この男は本気だ。だからこそ危険だ。ロベールの人としての勘が、生存本能が
危機を察知する。
「この月にテロリストは無用だ。よって私の手で貴様らを処断する。覚悟はいいな?」
「何だと? 貴様、こちらには人質が…」
「キョウシガ・ヌリボトケの事か。殺すつもりか? それは無いな。貴様らは奴が必要
だから誘拐して、ここに連れて来たのだろう。殺してしまっては貴様らの目的は果たせ
ないが、それでもいいのか?」
 ゼノンの言うとおりだ。キョウシガは利用するつもりで誘拐したのだ。殺すつもりな
ら、わざわざ誘拐したりしない。
「それにお前達に、奴を殺す暇は無いと思うぞ。既に勝負はついているしな」
「なっ…」
 何か言おうとしたロベールだったが、凄まじい振動が彼を襲った。強烈な爆発音と衝
撃の後、彼の乗ったゲイツが地に倒れた。部下が乗った三機のジンも、同じように倒れ
ていく。
「な、何だ? 一体何が…」
 軽く混乱しながらもロベールは、ゲイツのカメラアイで周囲を見回す。ゲイツの後ろ
に見慣れない小型の機械が浮かんでいた。三日月に似たそのユニットはジン達の後ろに
もあり、同じように浮かんでいる。
「やれやれ、レーダーに探知されないよう低位置から忍び寄らせたとはいえ、攻撃され
るまで気付かないとは。少々買い被り過ぎたか」
 ゼノンの失望と共に、四機の三日月型ユニットは一つに集まり、巨大な円形のユニッ
トになった。そして、ゼノンが乗るヘルサターンの背部に合体する。
「《ヘル・ザ・リング/S(セパレート)》、練習以上によく動くじゃないか。見事に
仕上げたな、ミナ」
 ヘルサターンの新しい武器に満足しつつ、ゼノンは倒した相手を見下す。リングから
放たれたビームは敵MSの操縦席こそ外しているが、手足の動力部分を全て撃ち抜いて
いた。一瞬で数箇所の部分を壊せたのは、ゼノンの操縦技術の賜物である。実戦で初め
て使うはずの武器を、あっさりと手足のように使いこなすこの男の戦闘センス、恐るべ
し。
「残念だが、お前達には私の求める程の能力は無いらしい。死んでもらおう。病院にい
る者達も含めてな」
「くっ……」
「何を悔しそうに言っている、ロベール・ユイレ。それが貴様の目的なのだろう」
「!」
「この事件の話を聞いた時からテロにしては効率が悪すぎると思っていたが、対峙して
はっきりと分かったぞ。貴様は死を望んでいるな。自分自身だけでなく、仲間も含めて
の死を。引き際を誤ったのが、そんなに悔しいのか」
 驚くべき事に、ゼノンはわずかな間にロベールの真意を見抜いていた。ロベールがキ
ョウシガをさらったのは、彼を利用してリ・ザフトの面々を救う為ではない。有名人で
あるキョウシガをさらえば、軍が動くだろう。その戦いによって、自分達リ・ザフトの
悪あがきに幕を下ろしてもらう為だ。
 ナチュラルとコーディネイターの共存を望まない自分達は、これからの時代には不要
な存在だ。そうと分かっていても、自分で自分を殺す勇気は無いし、組織の長として仲
間を殺す訳にはいかない。若く未熟な自分を総帥に選んでくれた仲間達を、裏切りたく
なかった。
 だが、自分達に未来が無いのも事実だ。仲間達に何気なく降伏を提案しても、一斉に
反対された。彼らは死ぬまで戦い続けるつもりなのだ。
 時には退く事も必要なのに、強情な仲間達はそれが分からない。仲間の無知に失望し
たロベールは、自滅への道を歩く事にした。多くのメンバーが傷付き、武器もMSも消
耗したリ・ザフトは、滅亡の運命から逃れられない。ならばその最期は、自分で決めよ
う。組織の長として幕を引こう。
 自分勝手な考えだと思ったが、ロベールには他の道を選べなかった。傷付いた仲間を
救う知恵も、テロを続ける覇気も、彼には無かった。ロベールにあったのは無力で無能
な自分と仲間達への失望と、ヤケクソにも似た自滅の意志のみ。
「つまらない男だな、貴様は。私が知る限り、世界でもトップレベルにつまらない男だ
ぞ。貴様の真意に気付かない仲間どもも含めて、つまらない奴らだ」
 ゼノンにそう言われて、ロベールは納得してしまった。ああ、くだらない男だなんて
言われなくても知っている。だから死ねなかった。戦いを止められなかった。二年前の
大戦で父と兄を失たショックから立ち直れず、戦争の原因がダブルGだと知っても憎し
みを消せず、戦い続けてしまった自分は、何と愚かなのだろう。
 愚か者は愚か者らしく、愚かに幕を引こう。この無慈悲な魔神に殺してもらおう。仲
間達には地獄で詫びよう。
「死を受け入れたか。本当に、つまらない男だ」
 覚悟を決めたロベールのゲイツに、ディベイン・ヘルサターンが迫る。だがその時、
天空から一機のMSが降りて来た。
 アストレイ・オーバーデスフレーム。マルコの機体だ。死を超えるべく生まれたMS
は、恐るべき魔神の前に立つ。
「何のつもりだ、マルコ・フィオーレ。まさかこのテロリストどもを助けようと…」
「違う」
 マルコは明確に否定した。だが、その場から退かなかった。
「俺もオーバーデスフレームの実戦テストをやってみたくなった。だが、このテロリス
トどもは弱すぎて、テストにならないみたいだ。お前もそのMSのテストをしたいんだ
ろう? だったら俺が相手をしてやる。お互いのテストになって、充分だろう」
「……ふむ。面白い提案だ。少なくとも、そこの自殺志願者を殺すよりは面白そうだ。
いいだろう、受けてたとう」
 ゼノンの心から、ロベールへの不満が消えた。その変わりに生まれたのは、マルコ・
フィオーレという少年への関心と、激しい闘志。



 アストレイ・オーバーデスフレームとディベイン・ヘルサターン。総合的な性能では
メレアの組織の総力を挙げて作られたヘルサターンが上回っており、パイロットの技量
でもゼノンの方がマルコより上だ。
 しかしマルコも、今までの戦闘経験から成長しており、オーバーデスフレームも普通
のMSではない。戦い方によっては勝機はある。
「と思っているのではないだろうな、マルコ・フィオーレ。だとしたらそれは私を見く
びった、自殺行為に等しい考えだぞ」
 最初に動いたのはゼノンの方だった。
「一対一の決闘で出遅れるなど、王としては恥だ。敵を恐れず立ち向かってこその王で
あり、ゼノン・マグナルドよ」
 自らの力に絶対の自信を持つが故の先手。ヘルサターンを加速させ、左腕に装備した
小型複合兵装防盾システムからツインビームソードを出して、切りかかる。
「くっ!」
 最初の一撃をかわすオーバーデスフレームだったが、ヘルサターンの攻撃は終わらな
かった。二撃、三撃、四撃と次々と斬撃を繰り出し、オーバーデスフレームを追い詰め
る。
【容赦しないな、こいつ。実戦テストにしては、ちょっと本気を出しすぎだろ】
【闇(アン)、ゼノン・マグナルドのデータを見ていないの? こんな攻撃、彼にとっ
ては全然本気じゃないよ】
 光(コウ)の言うとおりだった。その証拠にゼノンはビームガトリングライフルなど
の銃火器や、《ヘル・ザ・リング/S(セパレート)》や胸部の《ハイコート・クロノ
スサイズ》などの主要武器をまったく使っていない。
【接近戦だけでこっちを倒すつもりなのかよ。ナメられてるな。どうする、マルコ?】
「相手がどんなつもりでも、俺のやるべき事は一つだけ。こいつと戦って、倒す。それ
だけだ!」
【そうこなくっちゃな。こっちはいつでも行けるぜ!】
「よし、行け、《キバ》!」
 マルコのオーバーデスフレームが反撃を開始する。腰に搭載された三機の自立機動兵
器《キバ》が飛び立ち、ヘルサターンをビームバルカンで攻撃する。
 ビームバルカンの威力は高く、並のMSなら数秒で穴だらけにされるだろう。だがヘ
ルサターンには通じなかった。いや、そもそもビームが当たらなかった。
 三機の《キバ》がビームを放った瞬間、ヘルサターンの周囲に銀色の分厚い幕が現れ
た。幕はヘルサターンを守るように立ち、《キバ》のビーム弾を全て遮った。多数のビ
ーム弾は銀の防壁の手前で曲がり、あらぬ方向に消えていく。
【あれはナノマシン! あのMSもナノマシンを使えるのかよ】
【闇(アン)、本当にヘルサターンのデータを見ていないんだね……。あっちのナノマ
シンシステムは、ライブフレームの《デミウルゴス》と同じ時期に作られた、兄弟みた
いなものだよ。そしてあっちのナノマシンは、こっちのよりも厄介なんだ。ビームを偏
向して攻撃を逸らすから、ビームライフルとかの攻撃は当たらない。通常攻撃も、あの
分厚い壁を破るのは難しいだろうね】
【完璧なバリアじゃないか。あの壁がある限り、あいつは無敵かよ、クソッ!】
 確かに、普通のMSではあのナノマシンの壁を破るのは困難だろう。だが、オーバー
デスフレームは『普通のMS』ではない。
「光(コウ)、《ホクト》であの壁を破れるか?」
【出来ると思うよ。でも問題はその後だね。防壁を破壊するまで一秒もかからないだろ
うけど、その一秒でヘルサターンは遠くに逃げちゃうだろうね。あのMSのスピードな
ら、それくらい簡単だよ】
 確かに、防壁を破壊しても、こちらの攻撃が当たらなければ意味は無い。接近戦を絶
対的に有利にしている防壁が破られれば、ヘルサターンは二度とオーバーデスフレーム
には近づかず、遠距離から確実に攻めてくるだろう。そうなっては火力で劣るオーバー
デスフレームに勝ち目は無い。
「《ホクト》は使わない。あれはとどめの一撃用に取っておく。まずはヘルサターンを
捕まえるぞ」
【どうするの?】
「向こうがナノマシンなら、こっちもナノマシンだ!」
 マルコはオーバーデスフレームの切り札を使う。変幻自在装甲《シユウ》。両腕に装
備された、ナノマシンによって構成特殊装甲である。その名のとおり形状を自在に変え
るこの装甲が変わった形は、巨大な剣だった。
「ほう。そのMSもナノマシンを使うのか。興味深いな」
 ヘルサターン以外にもナノマシンを武器とするMSがいた事に、ゼノンは奇妙な共感
を感じた。このオーバーデスフレームというMSは、思ったよりも強いかもしれない。
「だが、パイロットは未熟だな。そんな偽りの刃でディベイン・ヘルサターンの防壁を
破れるとでも思ったのか? だとしたら愚劣すぎるぞ」
 自分を楽しませてくれるかもしれないと思った相手への失望と、わずかばかりの期待
を込めて、ゼノンは切りかかってきたオーバーデスフレームを迎え撃つ。ナノマシンの
刃はビームの刃には耐え切れず、二振りとも瞬く間に四散する。
「くだらん。このまま死ぬか?」
 とどめを刺そうと思ったゼノンだったが、直後に異変に気付いた。ビームの高熱に焼
き尽くされ、散ったはずのオーバーデスフレームのナノマシンの剣が空中で再び集まっ
ている。いや、その形はもう剣ではない。蛇を思わせるその長い姿は、
「鎖だと? 小癪な、このヘルサターンを縛るつもりか!」
 ゼノンの予測どおり、ナノマシンの鎖はヘルサターンを捕らえる為に動き出す。長い
鎖はまるで生きているかのように動き、ヘルサターンの斬撃を見事に避ける。
「何だ、この動きは。まるでナノマシンが意思を持っているような…」
 いや、極小サイズのナノマシンに自己判断能力を持たせるなど、サードユニオンの技
術力を持っても不可能。ゼノンのヘルサターンのナノマシンも、ゼノンの指示と組み込
まれたプログラムによって動いている、操り人形の域を出ない。
 だが、オーバーデスフレームが操るナノマシンの鎖は、生物のように動き、こちらの
攻撃をかわしている。ナノマシンを操作しているコンピューターシステムがヘルサター
ンのものより優れているのか。
「だとしたら、そのシステムは怪物レベルだな。無数のナノマシンをコントロールし
て、ここまで統率の取れた動きをさせるなど、出来る事ではないぞ。メレア・アルスト
ルめ、とんでもないコンピューターを作ったな」
 確かに作ったのはメレアだが、コンピューター光(コウ)と闇(アン)を育て、成長
させたのはメレアではない。マルコとアキと共に感じた様々な経験が、この二重人格の
奇妙なOSを成長させたのだ。
【ほらほら、どうしたどうした! 最強のMSが鎖一本に手も足も出ないのかよ、はは
はははは、笑わせてくれるぜ】
【闇(アン)、油断しちゃダメだよ。向こうもこっちの動きに慣れてきた。ナノマシン
の制御は僕に任せて、君は次の攻撃に…】
【分かってる。やるぞ、マルコ】
「ああ、頼む」
【ようし、行け、ドガ、バシ、ガル!】
 マルコの許可を受け、闇(アン)はナノマシンの鎖を光(コウ)に委ね、再び《キ
バ》をコントロールする。三機の《キバ》はその先端からビームスピアの刃を出して、
ヘルサターンを突き刺そうと三方から襲い掛かる。
「ナノマシンと遠隔操作兵器による二段攻撃か。悪くはない、が私には通じないな」
 ゼノンは再びナノマシンの防壁を作り出す。機体本体からも更に大量のナノマシンを
放出、今までのよりも分厚い防壁を完成させた。
「その小型武器の威力では、この防壁は破れんぞ」
 ゼノンの言うとおりだった。三機の《キバ》は次々と防壁に突き刺さるが、いずれの
刃も壁を貫くには至らなかった。
「しくじったな、マルコ・フィオーレ。今度はこちらの番…」
 攻撃に移ろうとしたゼノンだったが、その前にオーバーデスフレームが作ったナノマ
シンの鎖が姿を変えていた。ナノマシンの集合体は鎖から棒に変わり、そして分裂。多
数の棒が空に浮かぶ。
 棒の大きさは《キバ》とほぼ同じ。その数は三十以上。それぞれ十本ほどの集まりを
形成し、三班に分かれてヘルサターンの防壁に向かう。
「今度は数で勝負するつもりか。だが、その程度の武器では無理だ」
 確かに、たかが棒切れではヘルサターンのナノマシン防壁は破れないだろう。だが、
棒の群れが狙っていたのは防壁ではなかった。狙いは防壁に突き刺さった三機の《キ
バ》の後尾。
 カン、カン、カン!という勢いのいい音を出して、棒が《キバ》を押す。瞬間的に突
き刺さっていく棒の勢いに押され、動きを止めていた《キバ》が壁を突き進み、前へ出
る。
「馬鹿な、こんな単純な方法で!」
 そのとおりだが、単純だからこそ防ぎようが無い。棒たちに押された三機の《キバ》
は分厚い壁をぶち破り、その向こうにいたヘルサターンに襲い掛かる。
「小賢しい!」
 ビームソードが一閃。三機の《キバ》はあっさりと切り落とされた。
 だが、《キバ》が開けた穴はまだ塞がっていなかった。ヘルサターンのナノマシンが
穴を塞ぐ前に、棒となっていたオーバーデスフレームのナノマシンが分解し、壁の向こ
うに雪崩れ込む。
「ちっ、マルコ・フィオーレめ、最初からこれが狙いか」
 ビームも実体攻撃も防ぐ壁を破った、マルコの作戦。単純にして面白いその内容に、
ゼノンは呆れつつも感心した。
 目立つ《キバ》をオトリにして、変幻自在のナノマシンをヘルサターンに近づける作
戦。扱いの難しいナノマシンを見事にコントロールして、使いこなしている。
「ナノマシンの制御に関しては、奴のMSの方が上か。認めたくはないが…」
 そう呟くゼノンの眼前で、敵のナノマシンが新たな形を形成する。
 ヘルサターンの真正面に現れた無数の十字。それは一つに集まり、大きな形となる。
十字の集まりがヘルサターンを覆っていく。
「網だと!? くっ、鎖といい網といい、なかなか面白い物を作る」
 網を防ごうにも防壁となるナノマシンは、防壁を形成したままだ。分厚すぎる防壁を
四散させてこの網を防ぐには、時間が掛かる。守りを固めたのが仇になった。マルコの
作戦に、まんまと引っかかってしまった。
「不覚、だな」
 ナノマシンの網に捕らわれたヘルサターンは、動きを止めた。マルコがその気になれ
ば網を新たな武器にして、捕らえたヘルサターンにとどめを刺す事も出来るだろう。捕
らわれた時点で勝負はついたのだ。
「私の負けだ。見事だ、マルコ・フィオーレ」
「……ありがとう」
 敗北を認めたゼノンに、マルコはほっとして礼を言った。光(コウ)と闇(アン)の
サポートを受けてもナノマシンの操作は重労働で、体力を極度に消耗していたのだ。こ
れ以上戦えば、マルコは途中で倒れていたかもしれない。見た目以上にギリギリの勝利
だった。
「それでも勝ちは勝ちでござるよ。マルコ殿、お見事」
「男の子ってどんどん強くなっていくわね。こっちも負けてられないかも」
「………………」
 この戦いを見ていた夏とフィアは、マルコを心から褒めた。トロヤもマルコの強さを
認めつつ、少しだけ嫉妬した。
『俺も、あいつみたいに強くなれるんだろうか? いや、強くなりたい。もっと、もっ
と!』
 一人の少年の心に火を点け、戦いは終わった。かに見えたのだが、
「こらーーーーーーーーっ!!!!! 何やってるんです、ゼノン!」
 空から突然、女の子の大声が響き渡った。月のドームの青空には、いつの間にか一隻
の空母らしき艦が浮かんでいた。声はあの艦からのものだった。
「勝手にディベインを持ち出して、あー、戦闘までしたんですか? まだナノマシンの
改良も終わってないのに、ああもう! ルーヴェさんやエドさんにもゼノンを止めるよ
う、キツク言っておくべきでした」
「そう怒るな、ミナ。こいつが未完成なのは分かっている。だから実戦テストをしたの
だ。今回の戦闘データはディベイン・ヘルサターンの完成に役に立つはずだ」
「そういう問題じゃないでしょ! 未完成のMSに乗って、ケガでもしたらどうするん
ですか。ゼノンは私達のリーダーなんだから無茶ばかりしないで、もっと慎んだ行動を
してください!」
 ゼノンを叱り飛ばす少女の名は、ミナ・ハルヒノ。数奇な運命の末、ゼノン・マグナ
ルドと共に生きる事を選んだ、優しくも強い女の子である。



 飛行空母ハルヒノ・ファクトリーから降りて来たミナは、一同から事情を聞いた。
「そうですか。つまりまた、ゼノンがご迷惑をおかけしてしまったんですね。本当にす
いませんでした」
「ミナ、私が選んだ女が軽々しく頭を下げるな。あと『また』といいう表現は正しくな
いだろう。私が他人に迷惑をかけた事など無い」
「あります。ありまくりじゃないですか。私がゼノンの仲間になる前はもちろん、なっ
てからも。三従士の人達、『ゼノン様は俺達の忠告なんて全然聞いてくれないんだ』っ
てグチってましたよ」
「誰がグチっていたのか検討はつく。エドワード・ハレルソンめ、戻ったら特訓に付き
合ってもらおうか」
「エドさんの事はどうでもいいです。ゼノンが動くと必ずトラブルが起きて、みんなが
迷惑するんです。だからしばらくじっとしてくださいね、って言ったじゃないですか。
それなのに…」
「お前が改良してくれたヘルサターンを早く動かしたかったのだ。それに、近々私が統
治する事になるこの月でテロなど起こさせる訳にはいかない」
「確かにテロは防ぐべきですけど、そういう事はリーダー自らがしなくてもいいんで
す。エドさんとかコートニーさんとかルーヴェとか、頼りになる人達がいるじゃないで
すか。部下を信頼して仕事を任せるのも、王様の大事な役目ですよ」
「ふむ。それはお前の言うとおりだな。分かった、今後は自重しよう」
「ええ、分かってくれればいいんです」
 満足そうに頷くミナ。ここで彼女は、自分を見つめるマルコ達の視線に気付いた。
「あ、すいません、ほったらかしにして。今回は本当にすいませんでした。ゼノンは人
に頭を下げるのが出来ない人なので、私が代わってお詫びします。マルコ君、でした
ね。トラブルに巻き込んだみたいで、すいません」
「い、いや、いいんだ。実戦テストは俺から申し込んだんだし、別に気にしてない」
 平静を装っていたが、マルコは内心ではかなり驚いていた。彼が知る限りゼノン・マ
グナルドという男は、優秀だが冷酷で傲慢で、他人の言う事などまったく聞かず、逆ら
う者には一切容赦しない危険人物のはずだ。そのゼノンをやり込めてしまうこのミナと
いう少女は、何者なのだろうか?
「ミナ殿はゼノン殿のお仲間でござるか?」
 同じように疑問に思ったらしい夏が、ミナに質問する。この質問にはミナではなく、
ゼノンが答えた。
「仲間、か。確かにそうだが、それ以上にミナは私にとって大事な存在であり、優秀な
パートナーだ」
「ゼ、ゼノン! そんな恥ずかしい事を堂々と言わないで!」
「何が恥ずかしい? 私は当然の事を言っただけだぞ」
「だ、だからそれが、その……」
「あらあら。ご馳走様、って言うべきかしら」
 うろたえるミナを見たフィアが、からかうように言う。
「そんな事より、こいつ等の始末をしないとな」
 顔を赤くするミナを放って、ゼノンは拘束したリ・ザフトの面々を見る。ロベール達
もMSから下ろされ、手足を手錠で繋がれている。
 ゼノンとマルコの戦闘中、リ・ザフトの連中は誰一人この廃病院から逃げなかった。
逃げるチャンスだったにも拘らず逃げなかったのは、他に行き場が無かったから。この
アジトが彼らにとって最後の居場所であり、そこを失った今、リ・ザフトにあるのは滅
びの道のみ。
 捕らえられた人々は、大人も子供も、男も女も、ケガ人も病人も健康な者も、空ろな
目をしていた。全員、抗う気力も失っているらしく、まるで死んでいるかの様だった。
「ふん。気に入らん目だ。生きるつもりが無いのなら、望みどおりにしてやろうか」
 怒りを隠さず、物騒な事を言うゼノン。マルコに負けたぐらいではこの男の心は変わ
らないらしい。
「ゼノン」
 そんな彼を制する事が出来る唯一の人物、ミナ・ハルヒノが口を開く。
「この人達を殺すつもりなの?」
「生きるつもりが無い者を生かしておいても仕方あるまい。それに、引き際を見誤った
テロリストなどに存在価値は無い」
 ゼノンは冷たい眼でロベールを見る。組織もろとも自滅しようとした男は何も言えず
俯くのみ。
「この男も悪いが、こんな愚物を指導者にした奴も同罪だ。ここにいる連中は死すべき
存在だ。それは自分達でも分かっているようだしな」
 ゼノンにこう言われても、人々は言い返そうとしないし、逃げようともしない。覚悟
を決めている? いや、何もかも諦めているだけだ。戦いに傷付き、負け続けた者の末
期症状。
「人生を終わりにしたいのなら、その望みを叶えてやろう。それで愚か者に対する私か
らの、せめてものの慈悲だ」
 再びディベイン・ヘルサターンに乗り込もうとするゼノンだったが、その肩にミナが
手を置く。
「ゼノン、貴方は時々、凄くバカな人になるわね」
「……ほう。バカとは、私にあまり似合わない言葉だなと思うが」
 怒るかと思われたゼノンだったが、そうはならず、ミナの進言に耳を傾ける。噂とは
まったく違う人物ぶりに、マルコはまたも驚いた。
『本当にどうなっているんだ? 組織の情報が間違っているのか?』
 戸惑うマルコの前で、ミナはゼノンと話をする。
「どうして人を簡単に殺そうとするの? どうして人間の価値を、そう簡単に決めてし
まうの? どんな人にも、未知の可能性があるわ。その人がどんな人になるか、これか
ら何をするのかは誰にも分からないのよ」
「そのとおりだ。だから私も試す。戦場から逃げ出す臆病者にも試練を与え、生きる機
会を与える。だが、生きる事を放棄しているこいつ等は、試す価値も無い」
「この人達は諦めているだけ。苦しい事が続きすぎたせいで、生きる事に希望を持てず
にいる。でも、切っ掛けさえ与えてあげれば、みんな生きようとするわ。本当は死にた
くないはずよ。死にたくないから、今まで戦ってきたはず。生きる為に戦ってきたはず
だから」
「テロリストを生かせというのか?」
「あなたなんて、この人達より悪い事をしてるじゃない。お互い様、ううん、あなたの
方が悪党だと思うわ」
「む」
 心当たりがあり過ぎるゼノンは、言い返せなかった。
「この人達は私が預かります。傷付いた人は手当てをして、病気をした人はちゃんと治
してから、この人達に自分の未来を選んでもらいます」
「リ・ザフトに戻って、私達の敵になるかもしれんぞ。それでも助けるのか?」
「助けます。そしてテロリストに戻っても、それがその人がちゃんと考えた上で選んだ
道なら、私は逃げずに戦って、倒します。必ず」
 そう言い切るミナの眼と声には、強い力が感じられた。生きる事を諦めたリ・ザフト
の面々すら引き寄せる程に強く、眩しい輝き。ミナにはそれがあった。
『なるほど。ゼノン・マグナルドはこの力を認めたのか』
 悪鬼、地獄王と呼ばれた男をも変えた少女の力。マルコには、その力が何なのかよく
分かった。それはかつて、彼が影太郎に感じた力と似ていたから。
「ふむ。ミナ殿は彼に似ているでござるな」
「そうね。あの子に会いたくなったわ」
 夏とフィアも、マルコと同じように感じたらしい。懐かしい顔が三人の頭を過ぎる。
「何の話だよ? おーい、俺にも説明してくれよ」
 影太郎を知らないトロヤは取り残されたようで、少し寂しくなった。
「マルコ・フィオーレ。お前もミナと同じ意見なのか?」
 いきなりゼノンが訊いてきた。この男が他人の考えを訊くとは珍しい。自分を負かし
た男なので、一目置いてくれたのだろうか。
「ああ。人を無闇に殺すのは良くないと思う」
「ふうむ。やはりそういうものなのか……」
 マルコの素直な答えに、ゼノンは少し考え込む。自分が今までやってきた事について
思うところがあるようだ。
 ともあれ、リ・ザフトのテロリスト達はミナに保護される事になった。ハルヒノ・フ
ァクトリーに乗り込む彼らの顔は、少しだけ輝きが戻ったようだった。
 ゆっくりではあるが一歩ずつ前に進む皆の姿を見て、ロベールは誰にも聞こえない小
声で呟いた。
「ありがとう…………」



 ハルヒノ・ファクトリーが飛び去り、マルコ達とゼノンも帰る事にした。ヘルサター
ンに戻ろうとするゼノンの背に、マルコが声をかける。
「こうなる事を計算していたのか?」
「………………」
 ゼノンは答えなかったが、この場合、沈黙は肯定の意味だった。
 何もかも計算どおり、ではなかっただろう。マルコが邪魔をした事も、マルコに負け
た事も、ゼノンには予想外のアクシデントだったはずだ。しかしゼノンはそれを利用し
て、こうなるように仕組んだ。
 リ・ザフトの連中は、自分達を殺そうとしたゼノンを恐れ嫌う一方、助けてくれたミ
ナに感謝しているはずだ。今後、彼らはミナ・ハルヒノの命令ならばどんな事にでも従
うだろう。ゼノンを踏み台にする事で、ミナは『忠実な部下』の候補者達を多数、手に
入れたのである。
「本人にそんなつもりは無いだろうし、気付いてもいないようだけどな。ミナ・ハルヒ
ノ、大した奴だと思うよ、本当に」
 だが、分からないのはゼノンだ。彼がミナに惚れているのは確からしいが、自分を当
て馬にしてまでミナの人望を高めたのは何故だ? そんな事をして、ゼノンに何の徳が
ある?
 疑問を口にしたマルコに、ゼノンは振り返らずに答える。
「私はあの女に希望を託している。そして、あの女は私の期待に応えてくれる女だ。私
がいなくても、あの女は大丈夫だろう」
「!」
 マルコは、ゼノンの命が残り少ない事と、自分が死んだ後の事をミナに託そうとして
いるのだと分かった。この男は死の結末を受け入れている。だから生きる事を諦めた連
中が許せず、そんな者達でも助けようとするミナに惹かれているのだ。
「王たる器を磨き、育てるのは面白い。その器が惚れた女ならば、尚更な」
 テロリストを殺せなかった事も、マルコに負けた事も、ゼノンはまったく気にしてい
ない。それ以上にミナが王の資質を見せてくれた事が嬉しいのだ。
「ゼノン、あんた……」
「くだらん話はここまでだ。戻るぞ、マルコ」
 そう言ってMSに戻るゼノン。マルコの名を呼んだ時、その声にはわずかに親しげな
感情が込められていた。それを感じ取ったマルコは、ちょっとだけ嬉しくなった。



 町の外れにある廃工場。近々取り壊される予定の無人の場に、エレアとラグナスは立
っていた。どうやら誰かを待っているらしい。
 二人を付けてきた七華は、レウを抱えて物陰に隠れている。二人から少し離れている
が、声は聞こえるという絶好の位置だ。二人が自分達を裏切っていたら、すぐに分かる
距離、
『ううん、あの二人が裏切っているなんて、そんなのあり得ない。あるはずがないわ』
 自分に言い聞かせるように、心の中で呟く七華。だが、その希望はあっさり裏切られ
た。
「来たわね」
 エレアのその言葉と共に現れたのは、金色に輝く機械の獅子だった。機動闘技場で見
たロボットライオン。名前は確か、ゴルド。ダブルZに従うミステリウス・マゴットと
一緒にいた、つまり自分達の敵。
「ガルルルル……」
 唸り声を上げるゴルドに、エレアとラグナスは近づく。ゴルドは逃げようとせず、そ
の場に留まっている。
 エレアは懐から小さな機械を取り出し、それをゴルドの頭に付けた。機械の中からコ
ードを引き出し、その端をラグナスの頭にくっつける。
「これでいいはずね。調子はどう?」
 エレアがそう言うと、ラグナスは頷き、
「悪くはない。いや、ゴルドの時よりいいかもしれない。さすがはエレアだな」
「そう、良かった」
 嬉しそうに言うエレア。彼女とラグナスの雰囲気が変わっている。エレアはいつもの
主従関係のような感じではなく対等の、旧友にあったかのような態度。そしてラグナス
は、威厳すら感じさせてまるで別人のような、
『こ、この感じ、まさか……』
「クーン、クーン」
 賢いレウが思わず声を漏らす。それ程までに懐かしく、覚えのある雰囲気。
 まさか、そんなはずは無い。そう思い込もうとしていた七華の心は、エレアの次の台
詞によって粉々に粉砕された。
「久しぶりね、影太郎君。元気…じゃないわよね。ごめんなさい、そして、今まで本当
にありがとう」

(2009・4/1、前半掲載 5/6、後半掲載)

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