第3章
 英雄とサムライと夢追人(ゆめおいびと)

 月の地底に築かれた魔宮パンデモニウム。その中心部にある部屋には、巨大な脳髄が
納められたカプセルが置かれている。このカプセルの中にある脳髄こそ、パンデモニウ
ムの主。人類を憎み、その絶滅を企む邪神。
 カプセルの周囲には、この邪神を崇める五人の使徒が集まっていた。使徒の内の三人
には影が無く、立体映像である事が分かる。
「我が忠実なる使徒達よ」
 脳髄からの重厚な音声に、使徒達は膝を折って頭を下げる。
「開戦から間もなく一年が過ぎようとしている。私が考案した世界抹殺計画、オペレー
ション・マサクゥルは新たな段階に突入しなければならない。だが、予定は少し遅れて
いるようだな」
 主の言葉に使徒の一人、白い背広服を着た金髪の男が口を開く。正確にはこの男の立
体映像だが。
「申し訳ございません、ダブルG様。ブルーコスモスの反コーディネイター運動は過激
にやらせているのですが、最近はその過激さに反発する者も多くて…」
「アズラエル殿、言い訳とは見苦しいですぞ」
 国防産業連合の理事の立体映像に対して意見したのは、この部屋に本当にいる二人の
内の一人。黒髪と黒い瞳が特徴的な中年の男性である。
「組織の不始末はリーダーの不始末。ブルーコスモスの活動が停滞しているのは、貴方
のせいではありませんか? 金儲けばかりにうつつを抜かしているようですが、貴方に
は主の使徒たる自覚があるのですか?」
「言ってくれるじゃないですか……。僕がお金を稼いでいるおかげで、この組織は運営
されているんですよ。戦う事しか能の無いどこかのバカと一緒にしないでほしいですね
え、不動剛馬君」
 剛馬は不快感を露にした。同じ主に仕える身ではあるが剛馬はアズラエルを嫌ってお
り、それはアズラエルも同じだった。二人の間に険悪な空気が漂う。
「剛馬よ」
 ダブルGに名を呼ばれ、剛馬は頭を下げた。
「アズラエルと仲良くしろとは言わん。だが、アズラエルの事情も理解してやれ。つま
らない事でもめるな」
「はっ、申し訳ございません」
 剛馬は素直に自分の非を認めた。ダブルGに絶対の忠誠を誓う彼にとって、ダブルG
の言葉は神の言葉。ただ従うのみである。
「リヒター、クルーゼ、お前達の方はどうだ? プラントの和平派は潰せたのか?」
 ダブルGは新たな使徒に報告をさせる。まずザフト特務諜報局第一局長、リヒター・
ハインリッヒが立体映像を通じて、
「はっ。先日のヘリオポリス崩壊事件で地球連合軍がオーブと手を組んでMSを製造し
ていた事が判明し、地球側が和平を求めていない事が分かりました。これによりシーゲ
ル・クライン率いる和平派は立場を失いました。パトリック・ザラの最高評議会議長就
任は間違いないと思われます。これもクルーゼ殿がヘリオポリスを襲撃してくれたおか
げです」
 と報告する。ラウ・ル・クルーゼの立体映像は微笑して、
「私は単に襲撃しただけです。真に褒められるべきなのは、この事件を上手く利用した
ハインリッヒです」
 と同志を褒める。そして、
「ダブルG様、パトリック・ザラは『血のバレンタイン』で妻を失って以来、ナチュラ
ルへの憎しみに凝り固まっています。奴を利用すれば、戦火は更に拡大させる事が出来
るでしょう。その辺りについては私とハインリッヒにお任せを」
「そうか。プラントの方は心配ないようだな。マクシーよ、お前の方はどうなってい
る?」
 ダブルGは、赤い髪をポニーテールでまとめた男に声をかける。マクシーと呼ばれた
その男は剛馬と同じく、立体映像ではなく本人がこの場にいた。彼は男にしては色気が
あり過ぎる笑みを浮かべて、
「ごめんなさーい。連中の動きはさっぱり掴めません。それどころか、またこちらの工
場を一つ、潰されちゃいました」
 と、あまり良くない報告をする。
「そうか。奴らめ、好き勝手やってくれるな」
 ダブルGは悔しそうな声を上げる。人類絶滅と世界の崩壊を望むダブルGは自分の存
在を巧妙に隠しているが、それでも彼には敵が多い。プラントと地球の和平派や、利害
関係で対立している各国の犯罪組織などである。
 こいつ等はダブルGの存在を知らないので、圧倒的にこちらが有利だ。潰そうと思え
ばいつでも潰せる。だが、例外的な組織が一つある。その組織もダブルGの組織同様に
世界の影に隠れているが、ダブルGのように人類の絶滅は望んでいないらしく、こちら
の活動を悉く妨害してくるのだ。奴らのせいで失敗した作戦も一つや二つではない。
 ダブルGはこの謎の組織の正体を暴き、叩き潰そうとしていたが、情報収集に関して
は敵の方が一枚上手だった。ダブルGが情報収集と暗殺用に放った超小型メカ、アルゴ
ス・アイも、連中が作った探知機によって次々と発見され、破壊された。最盛期には世
界のほぼ全土に配備されていたアルゴス・アイも、現在では最盛期の二割程度しか残っ
ていない。
「工場が潰された上、こちらの兵器のデータも持っていかれたか。忌々しいアンノン
め!」
 名前すら分からないこの組織の事を、ダブルGは『アンノン』と呼んでいた。その名
のとおり正体不明な連中である。
「だが奴らとの暗闘に勝利しない限り、我々の計画も成功しない。マクシーよ、何とし
てもアンノン組織の正体と、その本拠地を突き止めるのだ」
「はい、必ず」
 マクシー・ミガゲノは頭を下げて命令を承った。ダブルGは、最後の使徒に声をかけ
る。
「剛馬よ。GGユニットの回収はどうなっている?」
 この言葉に対して、剛馬は平伏して答えた。
「申し訳ございません。GGユニットを入手した盗賊の動きを掴み、亜使徒ミステリウ
ス・マゴットを派遣したのですが、思わぬ抵抗に合い、失敗しました」
 剛馬の報告を聞いたアズラエルが、意地悪そうな笑みを浮かべる。
「おやおや、僕にはあんな事を言っておいて、君は失敗したんですか。やれやれ、使徒
としての自覚が無いのは君の方じゃないんですか?」
「…………」
「だんまりですか。そういえば、さっきこんな事も言ってましたね。『組織の不始末は
リーダーの不始末』。なら、部下の不始末は君の不始末になる。亜使徒の管理も出来な
い無能な奴に、使徒を名乗る資格はあるんですか?」
 亜使徒とは、ダブルG軍団の使徒の下に位置する者達である。使徒のようにダブルG
から直接言葉を賜る事は無く、このパンデモニウムに出入りする資格も無い。人類絶滅
というダブルGの目的も知らされておらず、使徒の命令に従い、それぞれの仕事をこな
している。
「亜使徒の失敗はその上司である使徒の失敗。ダブルG様、今回の失敗については、そ
のマゴットとかいう亜使徒だけでなく、剛馬君にも責任を取らせるべきかと…」
「いや、その必要は無い」
「えっ?」
 アズラエルは自分の耳を疑った。しかしダブルGは、
「確かにGGユニットの回収は重要な任務であり、それに失敗したのは重大なミスだ。
しかしアクシデントが起きたのであれば仕方が無い。今回の事は不問とする。剛馬よ、
マゴットには充分な休息を取るように言ってくれ」
「ははっ。寛大なご配慮に感謝します」
 剛馬の言うとおり、寛大な、いや寛大すぎる処置だった。失敗した者は絶対に許さ
ず、時には死をもって償わせる。それがダブルG軍団の掟であり、事実、この掟に従い
命を落とした亜使徒は数多くいる。
『ふむ。そういえば、あのマゴットとかいう亜使徒は今までにも何度か失敗している
が、責任を問われた事は無いな。なぜだ?』
 クルーゼは疑問を抱いたが、すぐにその疑問を掻き消した。余計な事は考えなくてい
い。人類を滅ぼす為、自分は自分の任務を遂行するだけだ。
「それで剛馬よ。GGユニットの行方は掴めたのか?」
「残念ながら、ユニットを持った盗賊は見失いました。ですが、この盗賊を助けた連中
の動きは掴んでおります」
「そやつらは何者だ? まさかアンノンの一味か?」
「いえ、ただのジャンク屋です。組織的な背景は無いようですが、ヘリオポリスでオー
ブが極秘裏に製造していたMSを回収し、使用しています」
「サハク家が作らせていたMSか。スペックではかなりの高性能だったな」
「はい。マゴットを退けた事といい、ジャンク屋とはいえ侮れません。なので、こちら
もそれなりの戦力を揃えるべきかと」
「でも、今、大部隊を動かすのはマズいわよ。派手な動きをしたらアンノンに付け込ま
れるかもしれないわ」
 マクシーが女らしい口調で意見を述べる。注意するが、彼は立派な『男』である。
「ならば自然な動きをすればいい。幸い、ジャンク屋どもが向かった場所には、ザフト
が大部隊を送り込んでもおかしくない理由があります」
 そう言って剛馬はリヒターに目を向ける。
「かの地にはザフトの『英雄』が潜んでいます。ハインリッヒ殿、理由はこれで充分な
のでは?」
 この発言を聞いたリヒターは一瞬驚いたが、すぐに微笑み、
「分かった。パトリック・ザラを動かして、ザフトの精鋭部隊を派遣させよう」
「あ、ちょっと待って」
 マクシーが声を上げる。
「ザフトから送り込むのなら、私から一人、推薦したいMSパイロットがいるのよ。こ
の前、亜使徒にした奴なんだけど…」



 怪盗レインボースターの一味と別れたロウ達は、とある宙域に向かっていた。そこは
地球連合やザフトの勢力圏から遠く離れた宙域で、廃棄されたコロニーが漂っているだ
けの『宇宙の墓場』と言われている場所だった。
 しかし、実際には廃棄コロニーの一部は今でも稼動しており、その中では戦火から逃
れた人々が世界中から集まり、暮らしていた。戦争を嫌う彼らは中立を宣言した。この
宙域が連合にもザフトにも戦略的な価値が無い事からその宣言は受け入れられ、静かで
平和な世界が築かれたのである。
 しかし、彼らは終わりなき戦乱に喘ぐ地球圏に失望したのか、コロニーそのものを宇
宙船に改造して、地球圏から脱出する計画を打ち立てた。ジャンク屋組合(ギルド)も
この大仕事を手伝う事になり、多くのジャンク屋に招集がかけられた。ロウ達のグルー
プもその一つだったのだが、レインボースターとの一件で到着予定時間をオーバーして
しまった。
 リティリア。廃棄コロニー群の中でも最も大きく、そして最も豊かなコロニーで、こ
のコロニーを宇宙船に改造するのである。ロウ達が到着した頃にはコロニーの改造は六
割まで終わっており、リティリアの後方には巨大なエンジンが取り付けられようとして
いた。
 リティリアに到着したロウ達は、プロフェッサーを残して艦を降りる。そして今回の
計画の責任者の元へ挨拶しに行く。
「やれやれ。あのバカ女のせいで、かなり遅れてしまったみたいだな」
 ため息をつく影太郎に、ロウが明るく答える。
「なあに、遅れた分はこれから取り返せばいいのさ。俺とレッドフレームなら楽勝だ
ぜ!」
「そうだな。俺も何か手伝うよ」
「ワン!」
 一行の先頭を歩くレウが吠える。その姿はリティリアの人々の目を引き付け、子供達
が集まってきた。
「うわー、可愛い!」
「真っ白だー」
「噛み付かないかな?」
「ねえ、撫でてもいい?」
 レウの人気、大爆発。だがレウだけでなくロウ達まで子供達に囲まれ、前に行けなく
なってしまった。
「困ったなあ。レウもホームに残しておくべきだったか」
「後悔先に立たず、ですね」
 苦笑し合う影太郎とリーアム。
【私のデータにも子供は動物が好きだと記されているが、まさかここまでとは。データ
を修正しておこう】
「影太郎も8(ハチ)もリーアムも落ち着いている場合じゃないでしょ! この子供達
を何とかしてよ!」
 子供達に揉みくちゃにされている樹里が助けを求める。影太郎の返事は、
「悪いが、俺は子供には手を出さない事にしているんだ。俺がやったらケンカになる
し、子供を傷つけたり悲しませる奴は人間のクズだ」
「それは私も同じ意見です」
「あ、俺も俺も」
「私もそう思うけど、今はそんな状況じゃないでしょ、この三バカトリオ!」
 ツッコむ樹里に、救助の手が差し伸べられた。
「ほらほらみんな、道を開けて。ワンちゃんと遊ぶのは仕事が終わってからにしなさ
い」
 優しそうな女性の声が、興奮していた子供達の心を静めた。子供達はレウに名残惜し
そうな目を向けて去っていった。
「た、助かった……。どうもありがとうございました」
「いいわよ。知らない仲じゃないし」
 そう言った女性の顔は、影太郎達の見た事のある顔だった。
「また会ったわね。聞いたような犬の声がしたから、まさかと思ったけど」
 傭兵部隊サーペントテールの一員、フィア・スカーレットとの十数日振りの再会であ
った。懐かしい顔は彼女だけではなく、
「おい、フィア。俺に作業を押し付けて何をやって…ああ、お前達は!」
 イライジャ・キールとも十数日ぶりの再会を果たした。もっとも、イライジャはあま
り喜んでいないようだが。



 ヘリオポリスでロウ達と別れた劾は、傭兵としてイライジャ達と共に様々な仕事をこ
なしていった。ブルーフレームを駆る劾は鬼神の如き活躍をし、わずかな間にその名を
高めていった。
 そんな彼の元に、同時に二つの仕事が持ち込まれた。先日、アクシデントを起こして
防衛機能を失った地球軍の宇宙要塞アルテミスの防衛と、このリティリアの警護であ
る。本来なら一方は断るのだが、劾はフィアとイライジャにリティリアの仕事を任せ、
自分はアルテミスに向かった。
 劾がダブルブッキングした依頼を引き受けたのは、フィア達が知る限りではこれが初
めてだった。どうして二つの仕事を引き受けたのか訊いても、
「どちらも重要な仕事だからだ」
 としか答えなかった。それは幾多の戦場を潜り抜けてきた傭兵としてのカンなのだろ
う。そしてそういうカンはよく当たるものだ。そう判断したフィアはイライジャを連れ
て、このリティリアにやって来た。
「劾のカンだけでなく、あんた達まで来たのなら間違いないわね。近いうちにこのコロ
ニーで何か起きるわ」
「どうしてそう言い切るんだよ。何か確証でもあるのか?」
 影太郎のこの質問に対してフィアは、影太郎とロウの顔を見て、
「…………はあ。自覚の無いトラブルメーカーって困ったものね」
 とため息混じりに言う。フィアのその言葉に樹里が力強く頷き、ロウと影太郎は首を
傾げる。
「ま、トラブルメーカーになりそうなのは、あんた達だけじゃないけどね。ここには世
界中から色々な人間が集まっているから」
 フィアの言うとおり、少し見回しただけでも多種多様な人間が集まっている。肌の
色、目の色など外見が違う者だけでなく、敵対しているはずの地球軍やザフトの兵士達
もいる。みんな目を輝かせており、一生懸命働いている。
「ふーん。確かにトラブルが起こりそうだけど、いい場所だな、ここは」
 ロウの言葉に、フィアとイライジャも頷く。
「そうね。だから守りたいのよ。せめてこのコロニーが飛ぶまではね」
「ああ。それが俺達の仕事でもあるからな」
 傭兵としての誇りをイライジャが口にした時、髭を蓄えた大男と、ザフト軍の赤服を
着た少年がやって来た。髭の男はリティリアのリーダーだった。
「よう、ジャンク屋組合からの助っ人さん。俺はこのプロジェクトチームの…」
 そこまで言って髭の男は、口の動きを止めた。彼の目はリーアムの顔を直視してい
た。
「…………お前、まさか、リーアムか?」
「あなたは……シニスト兄さん?」
 ガーフィールド兄弟は、子供の頃以来の再会に衝撃を受けていた。ロウや影太郎も驚
く中、8(ハチ)が音声を出す。
【ロウ、あのザフト兵はグゥド・ヴェイアだ。ザフトの『英雄』と呼ばれ、私のデータ
にも記録されているほどのエースパイロットだぞ】
「!」
 驚くヴェイア。コンピューターに自分の名前を呼ばれるとは思わなかったのだろう。
しかしロウ達も驚いていた。グゥド・ヴェイアと言えば、数々の伝説的な戦果を上げた
ザフトでも最強クラスのMSパイロットだ。それがなぜここにいるのか?
 驚きの感情が絡み合う中、新たな人物がやって来た。和服を着た元気そうな老人と、
剣道の胴着を着て、鉢巻を巻いた紫の髪の若い女性。ついでに犬も一匹。
「おお、シニスト、こんな所に居たのか。探したぞ。ちょっと頼みたい事があるんじゃ
が…」
「し、師匠、シニスト殿はお忙しい身でござる。あまり無茶な事は…」
「無茶な頼みではない。ワシはただ、ワシの剣技を生かせる仕事をさせてほしいだけじ
ゃ。ただ飯ぐらいをするつもりは無い!」
「お気持ちは分かりますが、師匠ももうご老体でござる。お体を労わり、無理をすべき
ではないと思うでござるよ」
「誰がジジイじゃ! ワシはまだまだ元気じゃ!」
「ワンワンワン!」
「ああ、師匠も伝八(でんぱち)殿も落ち着いてください。客人の前ですよ!」
 元気すぎるほどに元気な老人と、鉢巻きをした女性。二人のやり取りに呆れたイライ
ジャが、
「ウン・ノウさんも夏(なつ)も静かにしてくれないか。今は色々と忙しい。後にして
くれ」
 と注意する。夏と呼ばれた女性は顔を赤く染めて、イライジャに頭を下げる。
「も、申し訳ございません、イライジャ殿! 師匠を止められなかったのは拙者の不徳
の致すところ。宮城夏(みやぎ なつ)、まだまだ未熟でござる。恥ずかしすぎて、穴
があったら入りたいでござる。うう……」
「お、おい、何も泣かなくても…」
「やれやれ。女子(おなご)を泣かすとは、イライジャ、貴様、男の風上にも置けぬ奴
よのう」
「ワン!」
「待て。これは俺のせいなのか!?」
 老人達と揉めるイライジャ。静かに対峙するリーアム兄弟。そして、どうすればいい
のか分からなくなっているロウ達とヴェイア。この一同を見てフィアは、
「何て言うか、もう、トラブルメーカー大集合!って感じね」
 と呆れたように言った。そして、これから何か起こりそうだという彼女の『予感』は
『確信』に変わった。



 一騒動の後、リーアムはロウ達と別れ、兄シニストが住んでいる大型テントに入っ
た。そこではシニストの妻と、二人が引き取ったハノンという男の子がいた。二人はリ
ーアムを歓迎し、暖かいコーヒーを出してくれた。
「元気そうだな、リーアム。何年ぶりになるかな?」
「……十二、いえ、十三年ぶりですね」
「そうか。俺が家を飛び出して、もうそんなに経つのか。時が経つのは早いものだ。ヨ
チヨチ歩きをしていたお前が、こんなに大きくなったんだからな」
 再会を喜ぶシニストに対して、リーアムは複雑な表情をする。
 シニストとリーアムは双子の兄弟だが、リーアムは遺伝子を操作されてコーディネイ
ターとして誕生した。これは、息子達にナチュラルとコーディネイター双方の架け橋に
なってほしい、という両親の願いによるもので、リーアムもその願いを受け継ぐつもり
だった。
 しかしシニストは四歳の時、家族の前から姿を消した。時折、連絡はしてきたので生
きている事だけは分かったが、どこにいるのか、何をしているのかはまったく分からな
かった。
「それにしても、お前がジャンク屋になっていたとはな。ガーフィールド家のご子息と
しては、あまり相応しい仕事じゃないんじゃないか?」
「兄さんこそ、こんな所で何をしているんですか? 兄さんがいなくなってから、私や
父さん、母さん達がどれだけ心配したか……」
「心配させた事については謝る。だが、俺は父さんや母さんの人形になるつもりは無
い」
「兄さん!」
「言い方が悪かったな。父さん達の願いは素晴らしいと思うし、俺なりに受け継ぐつも
りだ。だが、あの人達の用意したレールの上を歩くつもりは無い。父さんも母さんも理
想を追い求めるあまり、それを他人に強いる場合があるからな。今もそうじゃないの
か?」
 シニストの言うとおりだった。ガーフィールド夫妻は二人とも素晴らしい人物なのだ
が、理想主義者らしく周りが見えなくなる時がある。特にたった一人の息子になったリ
ーアムには過剰とも言える期待を込めていた。リーアムが実家を離れてジャンク屋にな
ったのは、そんな両親の重圧から逃れる為でもあった。
「人は自分の意志で歩かなきゃならない。それが『生きる』って事だと俺は思ってい
る。だから俺はあの家を飛び出した。ふっ、我ながら、どうしようもない親不孝者だ
な」
 苦笑したシニストの顔は、とても暗いものだった。今まで両親を捨てた事を悔やみ、
苦しんできたのだろう。
「兄さん、そんなに悔やんでいるのなら、一度家に戻りませんか? そうすれば……」
「いや、それは出来ない。あの二人の顔を見たら、決心が鈍るだろうからな」
 シニストはリティリアを改造して、宇宙に飛び出す計画のリーダーである。計画が大
詰めを迎えている今、リティリアを離れる訳にはいかない。
 地球圏を脱出したリティリアは火星、小惑星帯を超え、かつてジョージ・グレンがた
どり着いた木星に向かう。そして、そこでグレンが発見したエヴィデンス−01の力を
借りて、戦いの無い理想郷を作る。それがシニストの立てた計画だった。
「そんな! エヴィデンス−01は化石で発見されたんですよ。生存している個体がい
るとは考えられない。それに、たとえいたとしても人類と意志の疎通が取れるとは…」
「なら、自分達だけで理想郷を作るさ。人が人らしく生きられる世界、ナチュラルとか
コーディネイターとか、そんなくだらない事を気にしなくてもいい世界をな」
 シニストの言葉に迷いは無かった。彼の理想はあまりにも理想過ぎて、現実味が無
い。でも、リティリアの人々はシニストの理想に夢を見て、共に叶えようとしている。
過酷な現実を見たから、途方もない夢に憧れるのだろうか?
 シニストの妻も、彼と同じ夢を見ている一人だった。コーディネイターである彼女を
何の偏見も無く愛してくれたシニストを信じ、共に生きる事にしたのだ。
「リーアム、お前も一緒に来ないか? 強制はしないが、俺達の両親が本当に俺たちに
託そうとしたものが、この旅の中にあるのかもしれないぞ」
「…………」
 リーアムは返事をしなかった。兄の夢をバカにするつもりは無いし、その為に努力し
ている兄を凄い人だと思っている。だが、それが兄についていく理由にはならない気が
したのだ。



 リーアムとシニストが語り合っている頃、ロウ達はイライジャやフィアと共に、リテ
ィリアの外れにある廃屋を訪れていた。
「廃屋などではありません。これは木と紙だけで作られた東洋の家でござる!」
 夏が反論した。彼女の言うとおり、廃屋にしては作りがしっかりしており、庭には雑
草一本生えていない。
 玄関の扉の脇には、小さな木の札が掛けられていた。札には『蘊・奥』という字が刻
み込まれている。
「これは東洋の文字だな。8(ハチ)、樹里、これ、何て読むんだ?」
【古い漢字だな。私のデータには無い字だ】
「う、うーんと、えーと、これは……」
「ウン・ノウだよ」
 悩む樹里に、影太郎が助け舟を出した。自分の名を呼ばれたウン・ノウは驚嘆する。
「ほう、その文字を一目で読むとは、お前さん、よく勉強しておるようじゃのう」
「本当でござるよ。拙者も読めなかったのに……」
 夏も影太郎に感心している。しかし、当の本人はあまり嬉しそうではなかった。
「なあ、爺さん。あんた、アルベリッヒ・バーネットって奴に心当たりは無いか?」
「ん? ああ、昔、グレイブヤードに来たプラントの科学者じゃな。自分の弟子に技術
を教えてほしいと頼んできおった」
「弟子の名前はカイン・メドッソか?」
「そうじゃ。お前、あの二人と知り合いなのか? ん、そういえばお前さんの顔…」
「気のせいだ。さあ、中に入ろうぜ」
 影太郎は家主の許可も無く、勝手に家に入る。ウン・ノウはそれを咎める事無く、首
を傾げていた。
 ウン・ノウの家の中は、木と紙の香りで満ちていた。庭の木々も自然な匂いを放ち、
コロニーの中とは思えないくらい自然な世界が創られている。
「さて。それでは早速、始めるとしようかのう」
「もう始めるのかよ? ここまで歩きっぱなしで疲れてるんだ、少し休ませてくれよ」
「バカもん! 弱音を吐いている力があるならら、その力で足を動かせ!」
 泣き言を言うロウに、ウン・ノウからの活が飛んだ。
「大体、ワシに稽古をつけてほしいと言ってきたのは、お前らの方じゃろうが。だった
ら休む暇も惜しんで稽古せんか!」
「それは、稽古しないと爺さんのジンの刀をくれないって言うから……」
「当たり前じゃ! あの刀はワシの友が作った物。刀の使い方のイロハも知らない小僧
に譲る気は無い。ほれ、さっさと起きんか!」
「ちっ。分かったよ、休憩はここまでだ、やってやるぜ!」
 少し休んで元気を取り戻したのか、ロウは力強く歩き出した。ウン・ノウもその様子
に満足したらしく、
「では、ワシの後について来い。ビシビシ鍛えてやる!」
 厳しくもやる気に満ちた言葉を出してくれた。
 ロウが欲しがっている刀とは、ウン・ノウが操縦しているジンに装備された二本の刀
の内の一振りである。その長刀の名は、ガーベラ・ストレート。先程ウン・ノウが言っ
たとおり、彼の親友である刀鍛冶が、ウン・ノウが乗るジンの武器として作った物だ。
 地球軍とザフトの間に戦火が上がって間もなく、地球から多くの技術者がグレイブヤ
ードは双方から狙われた。しかし、ウン・ノウが乗るジンは二振りの刀を振るって敵を
倒し、グレイブヤードを守っていた。
 そして地球軍もザフトも『グレイブヤードで受け継がれているのは伝統工芸のみ。現
代の武器開発の役には立たない』と判断して手を引くと同時に、グレイブヤードに悪魔
が現れた。奴らは大軍団で押し寄せ、グレイブヤードを破壊し尽くした。ウン・ノウ以
外の住人は全て殺され、ウン・ノウも重傷を負った。
 しかしウン・ノウは生き残った。愛犬の伝八や乗っていたジン、そして散っていった
技術者達の情報を収めたディスクを持ってグレイブヤードを後にした。友の仇を討つ為
に、失われようとしている技術を守る為に。
 ウン・ノウの昔話を聞き、彼のジンが持つガーベラ・ストレートを見せてもらったロ
ウは、完全にその虜になった。また、ロウはアストレイのビーム兵器のエネルギー使用
量が高すぎる事からエネルギーを使わなくてもいい武器を探しており、そういう点でも
ガーベラ・ストレートは理想的な武器だった。
 ガーベラ・ストレートが欲しいというロウの頼みを、ウン・ノウはあっさり断った。
しかし、同時にチャンスを与えた。
「あの刀を使いたければ、使いこなせる程の力量を持ってみせろ。ワシが鍛えてやる」
 ウン・ノウのこの要求をロウは受け入れ、現代に至っている。
 修行に励む二人の様子を、夏は眩しそうに見ていた。
「どうやらロウ殿はウン・ノウ殿に弟子として認められたようでござるな。うらやまし
いでござるよ」
 彼女はプラントの剣術の名家として知られる宮城家の一人娘である。幼い頃から父に
剣術を叩き込まれ、今は修行の旅をしている。このリティリアに来たのは、父も教えを
受けたという伝説の剣豪ウン・ノウに会い、稽古をつけてもらう為だった。しかし、
「ウン・ノウ殿は『お前の剣術はワシの剣術とは違うものじゃ。ワシが教えても強くは
なれん』と言われたのでござる」
 確かに、ウン・ノウの剣術と宮城夏の剣術は基本的な部分からして違う。ウン・ノウ
の剣術は長刀を操る一般的なものだが、夏の剣術は宮城家に代々伝わる小太刀術だ。長
刀と小太刀は長さだけでなく、使い方そのものが違う。小太刀術を極めようとしている
夏にウン・ノウの剣術を教えても為にならない。
 しかしウン・ノウは、夏にしばらくこのリテイリアに留まるように言った。
「お前は技は極めつつあるが、精神面ではまだまだ未熟じゃ。多くの人と触れ合い、人
としての心を身に付けよ」
 夏は宮城家では箱入り娘として大事に育てられた。その為、世間知らずな一面があ
り、友人もいない。人間として未熟である事を自覚していた夏は、ウン・ノウを師匠と
呼び、共にリティリアを警護している。
「MSの操縦も、剣術に負けぬくらい奥が深いでござる。コーディネイターとはいえ、
拙者はまだまだ未熟者である事を痛感している毎日でござるよ。しかし、拙者は頑張る
でござる。父上が目指している真の剣豪、サムライになる為に!」
 このちょっと変な言葉遣いをする少女に、樹里は好感を抱いた。自分の欠点を知りつ
つ、それを克服しようと努力している。樹里も自分のちょっと内気な性格を嫌い、何と
かしようと頑張っている。同じ道を進む仲間を見つけたような気分だった。
「頑張ろうね、夏さん。私も頑張るから!」
「? はあ、よく分かりませんが、拙者、頑張るでござる」
「仲良しごっこはそれくらいにしてくれないか」
 二人の少女に、イライジャが声を掛ける。
「警備の交代の時間だ。夏、先に行っているぞ」
「あ、ま、待ってくだされ、イライジャ殿!」
 先に歩くイライジャの後を、夏が懸命に追いかける。夏は少し嬉しそうだった。二人
を見送るフィアが呟く。
「精神的に未熟、か。確かにウン・ノウさんの言うとおりだわ。自分の恋心にも気付い
ていないみたいだし」
 自分の美形にコンプレックスを感じている男と、並々ならぬ向上心を持つ少女。お似
合いかもしれないが、前途多難とも感じられる組み合わせである。



 イライジャと夏が出て行った後、影太郎達もウン・ノウの家を後にした。
「二人だけにさせた方が修行に専念できるだろう。俺達は自分の仕事をやろうぜ」
 そう言って影太郎は、仕事の指示を仰ぐ為にシニストの元へ行こうとした。が、ヴェ
イアに呼び止められた。
「すいません、どうしても修理してもらいたい物があるんです。ジャンク屋の方なら機
械に詳しいと思うのですが……」
 ヴェイアは影太郎にヘッドホンを渡した。かなり古い物だった。あまりに古すぎて部
品が無く、リティリアの技師にも修理できなる者はいないと言う。樹里も首を傾げて、
「うーん、見た事も無いタイプだね。これはちょっと難しいかも……」
 と弱音を吐く。
 影太郎はヘッドホンを見た後、ヴェイアの顔を見て、
「どうしても直してほしいのか?」
 と真剣な表情で尋ねる。ヴェイアもまた、真剣な表情で頷き、
「はい。これは僕に必要な物なんです」
「何の為に?」
「…………」
「正直に話してくれ」
 沈黙が流れる。ヴェイアは理由を語りたくないようだったが、影太郎は執拗だった。
長い沈黙の果て、ついにヴェイアが口を開く。
「僕の中にいる、ザフトの『英雄』というおぞましい存在を封じ込める為に」
 グゥド・ヴェイア。赤いジンを駆り、開戦時から数多くの敵を倒してきた、ザフトで
も指折りのエースパイロット。その多大な功績と、味方が全滅しても彼だけは必ず生還
した事から、プラントの人々はヴェイアを『英雄』と呼んだ。
 しかし、事実は違った。ヴェイアの中にはもう一人のヴェイアと呼ぶべき別人格があ
り、『英雄』としての功績はもう一人のヴェイアの手によるものだった。普段のヴェイ
アは温厚な性格だが、もう一人のヴェイアは残虐で凶暴。戦闘時には鬼神の如き強さを
発揮するが、敵味方関係なく攻撃して、皆殺しにしてしまう。
 戦場で生き残るのは常に自分だけ。味方殺しを繰り返す毎日に苦しんだヴェイアは、
ついに軍から脱走した。
 ヴェイアの凶暴な人格は、この古いヘッドホンをつける事と、ある曲を聞かせる事で
封じる事が出来る。その曲をこのヘッドホンを流せば、凶暴な人格は完全に封じられる
だろう。
「道具や音楽に頼るのは間違っているかもしれません。でも、今の僕にはこれが必要な
んです。あの悪魔を目覚めさせずに戦うには、どうしてもこれが……」
 ザフトを脱走したヴェイアは追われる身である。いつ追手に見つかり、戦闘になるか
分からない。もしその時に凶暴な人格が目覚めたら、敵だけでなく、無関係な人々まで
殺してしまうかもしれない。それだけは絶対に防がなければならない。
 ヴェイアの話を聞いた影太郎は、少しの間考えた。そして、ヴェイアのヘッドホンを
手に持ち、
「大丈夫だ。部品があれば直せる」
 と断言した。
「えっ? そんなに古いの直せるの?」
「キサちゃん、俺を誰だと思っているんだよ。俺は宇流影太郎。知恵と勇気と根性で、
どんな困難も乗り越える男だぜ」
 影太郎の中にはアルベリッヒ・バーネットの記憶がある。その中には、このヘッドホ
ンに関するデータもあった。どうやらアルベリッヒが愛用していた物と同じタイプらし
い。幸運ではあったが、アルベリッヒを軽蔑している影太郎は、彼の記憶に頼りたくな
かった。しかし、
「辛い事を話させて、すまなかった。でも、あんたの気持ちは受け取ったぜ。お詫びも
兼ねて、このヘッドホンは絶対に直す」
 とヴェイアに約束した。自分と同じように『もう一人の自分』を宿し、それと戦って
いる少年に、影太郎は自分の姿を重ねていた。



 それからしばらくの時が流れた。
 ロウはレッドフレームでの作業の傍ら、ウン・ノウの元で剣術の修行に励んでいた。
忙しい日々だったが、ロウは楽しそうだった。
 樹里は自分用のキメラを、リーアムは作業用のワークスジンを駆り、ロウを手伝っ
た。しかしリーアム表情は少し暗い。彼はまだ、兄に返事をしていなかった。
 イライジャとフィア、そして夏とヴェイアはジンに乗り、リティリアの警備をしてい
た。一度、宇宙海賊が襲ってきたが、夏の剣技とフィアの射撃、そして腕を上げたイラ
イジャの活躍であっさり撃退した。
「ジンの重斬刀は扱いにくいでござるよ。拙者には向いてないでござる」
 困ったように言う夏の傍らで、ヴェイアはもう一人の自分が目覚めなかった事に感謝
していた。
 ヴェイアのヘッドホンの修理は難航していた。古い物の為、部品が見つからず、さす
がの影太郎も手間取っていた。しかし、
「俺はあいつと約束した。男は、約束は必ず守るものだ!」
 影太郎は燃えた。ジャンクパーツから部品を一から作り上げ、音が出るまでに直し
た。雑音が多いが、あと一歩で完全に直せる。
 リティリアの改造作業は順調に進んでいた。外装の強化、エンジンの取り付けも終了
し、後は微調整と、推進力になる核爆弾を設置するのみ。
 そう、いずれも『あと一歩』のところまで来ていた。しかし、こういう時にこそトラ
ブルは起こるものである。そしてこのコロニーには、多数のトラブルメーカーが集まっ
ている。何も起こらない方がおかしいのだ。



 漆黒の宇宙を、ザフトが誇るナスカ級高速戦闘艦が進んでいく。
 艦に乗っているのは、ザフトの精鋭を集めた特殊戦闘部隊。向かう先はリティリア。
目的はリティリアにいると思われるザフトの『英雄』の捕獲もしくは抹殺。
「ふむ。今回のオペは単純だな。簡単では無さそうだが」
 特殊部隊の隊長は冷静な口調で呟く。彼の名はミハイル・コースト。元医師であり、
その冷静すぎる程に冷静な戦い方から『ドクター』と呼ばれるエースパイロットであ
る。己の力量に絶対の自信を持っており、弱い敵と戦う事や簡単な任務を嫌っている
が、今回の任務は彼を満足させるものになりそうだった。
『無敵の『英雄』グゥト・ヴェイアか。手強い相手だが、だからこそ除去しなければな
らない。難病は早期治療が肝心なのだ』
 ヴェイアの脱走は、まだ公表されていない。『英雄』の脱走が人々に与える影響を考
慮しての事だが、いつまでも隠し通せるものではないだろう。臆病者の脱走兵には死を
与えなければならない。
『それが出来るのは、ザフトでも恐らく私だけ。そう判断した上層部の目は正しい』
 ミハイルは自分を選んだ上層部の判断を評価した。しかし、
『だが、部隊の隊員の人選は間違っているな。この私の部下に、あんな粗暴な男をつけ
るとは』
 ため息をつくミハイルの元に、一人の男がやって来た。広い額に怪物の両眼を模した
刺青を入れた、何とも不気味な人物。男はニヤニヤと笑いながら、
「どうしたんだよ、隊長さんよお。何か面白くない事でもあるのかよ?」
 とミハイルに気安く声をかける。
 面白くないのはお前のせいだ、とミハイルは言いたかったが、何とかその気持ちを抑
えた。任務の前に仲間と揉め事を起こすなど、愚劣極まりない行為だ。オペの成功率を
自分から下げる必要は無い。
「何でもない。それより、そろそろ目的地に到着するぞ。自分の機体の調整でもしたら
どうかね、アッシュ・グレイ君?」
 要約すれば「お前とは一緒にいたくないから、さっさと行ってくれ」という発言であ
る。しかしアッシュは、
「ご心配なく。俺のジンの調整はもう終わってますよ。戦いになったら、一番に出撃さ
せてもらいますぜ。速く出れば、それだけ敵を多く殺せますからね」
 と言って笑う。このアッシュ・グレイという男、腕はエース級なのだが、そのあまり
にも凶暴で残忍な性格から上層部から問題視されていた。無抵抗な捕虜や民間人の虐殺
など日常茶飯事。あまりにも人を殺す為、正規の部隊には配属できず、今回のような極
秘任務専門の部隊に回されていた。しかし本人は気にする事無く、敵を殺し続けてい
る。
 人の命を救う医師と、人を殺す事を快楽とする殺人鬼。本来なら会う事も無いであろ
う二人が、こうして同じ場所に立ち、同じ任務をこなそうとしている。ミハイルは世界
の不条理を感じていた。
『まあ私のオペさえ邪魔しなければいい。私は『英雄』という患部の除去に専念しよ
う』
 ミハイルは何があってもアッシュを助けないと誓った。一方アッシュは、自分にこの
任務を与えてくれた人物に感謝していた。
『ダブルGってのは、思ったより俺を買っているみたいだな。この仕事を成功させれ
ば、亜使徒からの昇格も夢じゃないかもしれん。使徒になれば、もっと多くの人間を殺
せるそうだからな。最高だぜ!』
 アッシュは自分を評価してくれないザフトを既に見限っていた。そんな彼の心境を見
抜いたマクシーにスカウトされ、彼の亜使徒になった。オカマ口調のマクシーは好きで
はないが、自分に人を殺す機会を与えてくれた事には感謝していた。
『殺してやるぜ。『英雄』も、それを邪魔する奴らも、みんな殺してやる。ククククク
……』
 危険極まりない男を乗せて、ナスカ級はリティリアに向かう。到着まで、あとわず
か。



 同じ頃、ザフトの部隊とは別にリティリアに向かう艦があった。リヴァイアサン級と
呼ばれるダブルG軍団の艦だ。
 ミラージュコロイドによって完璧に姿を隠したその艦の艦長席には、ダフルGの使徒
の一人、不動剛馬が座っていた。剛馬の目は正面にあるモニターに向けられていた。
 モニターには、敵組織アンノンの目を掻い潜り、奇跡的にリテイリアに潜入したアル
ゴス・アイからの映像が映し出されていた。映像は次々と切り替わる。海賊の艦を追い
払うイライジャ専用ジン、鉄柱を運ぶレッドフレーム、仲良く話をしている樹里と夏、
子供達と遊ぶレウ、ヘッドホンの修理に励む影太郎、そして、
「…………」
 刀を振り下ろすロウと、彼を見守るウン・ノウ。老人の表情は厳しいが、少し嬉しそ
うでもある。
「ふっ。そんな顔もするのですね。知りませんでしたよ」
 剛馬の心は高ぶっていた。長年、捜し求めていた男をようやく見つけたのだ。
「あれから俺も強くなりましたよ。偉大なる神に認められ、貴方を殺せるくらいに」
 部下の不始末は自分の不始末。アズラエルにそう言われた剛馬は、マゴットの失態を
補う為、自らも出撃した。先に送り込んだアッシュ達が失敗した時、自分の手でGGユ
ニットを回収する為に。
 だが、リティリアにはあの男がいた。剛馬に屈辱と敗北を与えた、あの忌々しい老人
が。
「ユニットだけでなく、貴方の命も拝借しましょう。待っていてくださいよ、ウン・ノ
ウ。我が師にして忌まわしき宿敵よ!」
 剛馬は嬉しかった。師を殺す好機を与えてくれた運命に感謝した。
 リティリアに強大な嵐が迫っていた。

(2007・5/11掲載)
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