第4章
 戦う者、旅立つ者

「うーん……」
 ホームの格納庫。中古のヘッドホンを前に、影太郎は唸っていた。彼の周りには大小
様々な機械の部品が転がっており、影太郎の頑張りを物語っている。しかし当人の顔は
冴えない。
「ワン、ワンワン!」
「ワン!」
 静寂を破る犬の吠え声。それも二つ。両方とも、もう聞き慣れた声だ。
「レウと伝八か。悪いがちょっとあっちへ…」
「僕もいますよ」
 二匹の犬を連れて、いや正確には犬達に先導されてやって来たのはヴェイアだった。
強敵ヘッドホンの持ち主を前に、影太郎は気まずい表情を浮かべる。
「あー……。すまない、ヴェイア。このヘッドホン、思ったより難物なんだ。もう少し
だけ待ってくれないか。必ず、絶対に必ず直すから」
「簡単に直せないのは分かっているよ。そんなに焦る必要は無いから」
 ヴェイアはそう言うが、残された時間は決して多くは無い。リティリアの改造はほぼ
終わっており、後は細かな調整を残すのみ。二、三日もすればそれも終わり、ヴェイア
達は地球圏から旅立つ。それまでに直さなければならない。約束は必ず守る。それが人
間というものだ。
「本当に焦らなくてもいいよ。どうやらそれは使わなくてもいいみたいだからね」
 そう言いながらヴェイアは、レウと伝八の頭を優しく撫でる。二匹とも嬉しそうな声
を上げる。
「でも、このヘッドホンが無いと、お前は戦えないんだろう? もし敵に襲われたら
…」
「もうすぐこのリティリアは出航します。そうなればもう襲われる心配はありません。
僕が戦う必要も無いでしょう。だからそのヘッドホンは使わなくても……」
「俺を気遣ってくれるのは嬉しいけど、そいつはちょっと甘いんじゃないのか? まだ
全てが終わったわけじゃないぞ」
 影太郎の言うとおりだった。
 突然鳴り響く警報音。そして、ホームの艦橋にいるプロフェッサーから通信が入る。
「ザフトの艦が来たわ。このリティリアに逃げ込んでいる脱走兵を引き渡せ。特にグゥ
ド・ヴェイアは絶対に渡してもらう。さもなくば実力行使をする、ですって」
 この要求に対して、リティリアの責任者シニストが下した判断は「NO」だった。
「殺されると分かっているのに、仲間を引き渡すなんて出来ないそうよ。でも、あまり
賢い判断じゃないわね。そのせいでリティリアが潰されたらどうするのよ」
 プロフェッサーはそう言うが、影太郎はシニストの判断を支持した。リティリアの為
に働いてくれたヴェイア達を見捨てたら、シニストは仲間からの信頼を失うだろう。そ
うなれば、これから先の過酷な旅路を行く事など出来ない。
「プロフェッサー、ロウ達は?」
「もう出ているわよ。イライジャとフィア、宮城さんも出たわ。ウン・ノウのお爺さん
はコロニーの中を守るそうよ」
「そうか」
 影太郎はヴェイアの顔を見た。悔しそうだった。みんなが自分の為に戦っているの
に、自分は何も出来ないのが悔しい。そんな顔をしている。
 その気持ちは影太郎も分かった。この男の力になりたかった。その為の手段は……。



 リティリアの外の宙域では、ザフトのMS部隊が編成を組んでいた。数は四。通常の
ジンが三機と、ジンの高機動型空間戦闘仕様機であるジン・ハイマニューバが一機。
 ハイマニューバには部隊の隊長であるミハイル・コーストが乗っていた。彼はリティ
リアからのヴェイア引渡し拒否の返事を聞いて、少々失望していた。
「大の虫を生かすために小の虫を捨てる事とも出来ないとは。患部を切り落とすことを
拒む愚かな患者め」
 ミハイルは愚かな人間は嫌いだった。そしてそういう人間が多い現実に失望してい
た。
 リティリアから迎撃部隊が出て来た。機体の数は五。ジンが一機にメビウスが三機、
そして新型の赤いMSが一機。
「ほう、あんなMSを持っていたとは。連中の自信の裏づけはあれのせいか」
 そういえばヴェイアのパーソナルカラーも赤だった。まさかと思ったミハイルは新型
機に通信を送る。
「そこのMS、乗っているのはグゥド・ヴェイアか?」
 ヴェイアだとしたら強敵になる。そう警戒していたミハイルに対する返事は、まった
く知らない男の声で送られてきた。
「いや、俺はヴェイアじゃない。ただのジャンク屋だ」
「ジャンク屋だと? ジャンク屋がなぜザフトに敵対行動を取るのだ。ジャンク屋組合
は地球側についたのか?」
「組合は関係ない。これは俺の意思だ。俺達の仲間を守る為に、俺はあんた達と戦う。
このアストレイでな」
 アストレイという新型MSからの返事は、ミハイルをますます失望させた。何という
愚かな男だ。病気に例えるなら、もう死を待つばかりの末期の重病患者だ。
「せめて安らかな死を与えてやるのが慈悲というものか……」
 ミハイルの心に冷徹な炎が灯った。
 一方、レッドフレームに乗るロウは、ジンに乗っているフィアから指示を受ける。
「ロウ、君は隊長機を抑えて。倒す必要は無いわ。その間に私とメビウスの三人で他の
連中を片付けるから」
 サーペントテールの傭兵フィアの注文は、なかなか過酷なものだった。戦闘ではまだ
まだ未熟なロウにプロの軍人を、しかもエースらしき敵を抑えろというのだ。
 しかし、こうするしかないのも事実だった。フィアとメビウスのパイロット達はリテ
ィリアを守る為に何度か一緒に戦っており、コンビネーションも整っている。リティリ
アに来て日の浅いロウでは、彼らの中に入っても邪魔になるだけ。それならば、アスト
レイの高い機動力で敵の隊長機を翻弄してもらった方がいい。
「やれやれ。難儀な仕事を任されちまったぜ」
【確かに困難な任務だ。辞めるか?】
「冗談言うなよ、8(ハチ)。辞めるくらいなら出て来ないっての」
【そうか。なら、全力でやるしかないな。影太郎も言っていたぞ。知恵と勇気と根性が
あれば、出来ない事など無い】
「ああ。仲間を守る為に俺は戦う!」
 気合を入れるロウ。強敵を前に勇気を奮い起こす。
 ミハイルのジン・ハイマニューバがレッドフレームに迫る。向こうから来てくれると
は好都合だ。
「行くぜ、8(ハチ)! お前も気合を入れろ!」
【コンピューターの私には無茶な要求だな。しかし、私の全てを尽くしてサポートしよ
う】
 最強の凸凹コンビが、ザフトの『ドクター』に挑む。



 ミハイルの部隊が戦いを始めた頃、ミハイル達がいる宙域とは反対側の位置にある宙
域に五つの影が迫っていた。
 影の正体は六機のジンだった。彼らは誰にも気付かれる事なく、密かにリティリアに
接近していた。
 先頭を行くジンの操縦席に座っているのは、アッシュ・グレイだった。残虐性ならば
ザフト屈指という冷酷なこの男は、この作戦を考えた人物を褒めていた。
「くくくっ、あの『ドクター』もなかなかやるじゃないか。隊長自らがオトリになると
はな」
 リティリアがヴェイア引き渡しの要求を拒む事を予測していたミハイルは、アッシュ
の部隊を密かにこの宙域に送り込んだ。そして自らは正面から攻撃を仕掛け、敵の目を
引き付ける。
「今回の手術(オペ)の目的はヴェイアの捕獲もしくは抹殺だ。それを成し遂げる為な
らば手段は選ばん」
 そう冷徹に言い放ったミハイルに、アッシュは共感を感じた。ああいう男は嫌いじゃ
ない。
「俺に大勢の人間を殺させてくれるチャンスを与えてくれたしな。楽しみだぜ。クック
ックッ……」
 ミハイルは無用な戦闘は避けるように命令したが、アッシュはそんな命令を守るつも
りは無かった。コロニーの中に入ったらジンの銃を乱射する。そして殺す。全員殺す。
コロニーにいる人間全てを殺せば、その中にヴェイアもいるはずだ。
 快楽の昇華と任務の達成。もうすぐその両方を成し遂げる事が出来る。喜びに打ち震
えるアッシュの元に、味方機からの通信が入る。
「何、敵だと? ちっ、待ち伏せていたのか!」
 アッシュのジンのレーダーにも反応がある。数は六。機種は全てジンだ。
「読まれていたのか。向こうもバカばかりじゃなかったか」
 少し予定が狂ったが、アッシュは焦らなかった。数は互角。ならば勝算は高い。こい
つらを皆殺しにした後でリティリアに行き、全員殺す。予定を少し変えただけの事だ。
「さあて、それじゃあ楽しませてもらおうか」
 敵を前にしたアッシュ・グレイは自信に満ちた笑みを浮かべた。彼は自分の力量に絶
対の自信を持っており、その自信に相応しい能力の持ち主だった。
 アッシュ率いる部隊の前に立ちはだかる六機のジン。その中には宮城夏とイライジ
ャ・キール、それぞれの機体もあった。
「フィア殿の読みは当たっていたでごさるな。後ろから狙ってくるとは、サムライの風
上にも置けぬ行為でござる」
「連中はMSのパイロットだ。サムライじゃない。勝つ為なら何でもやるだろう」
 武士道に拘る夏を、イライジャが嗜める。
「こいつ等をこれ以上リティリアに近づけるな。コロニーの中に入られたら終わりだ。
ここで片付けるぞ」
「分かったでござる。絶対に倒すでござるよ」
 イライジャと夏、そして他のパイロット達もリティリアを守る為に戦おうとしてい
る。だが、彼らはまだ知らなかった。自分達の前にいる敵がいかに強く、そして残虐で
あるかを。



「戦いが始まったようだな。ヴェイア、どうする?」
 影太郎の問いにヴェイアは少し迷った。ヘッドホンはまだ直ってない。ヴェイアの凶
暴な人格を抑える歌は、このヘッドホンから聞かなければ効果が低い。また、このヘッ
ドホンが壊れた時に発する音は、ヴェイアの凶暴な人格を呼び覚ましてしまう。修理せ
ずに使うのは危険すぎる。
 頼りのヘッドホンは使えない。それでもヴェイアは、
「行きます。この戦いは僕が原因だから、僕が決着をつけないと」
 と、はっきり言った。
「そうか。ま、お前ならそう言うと思ったよ。そんなカッコいいお前にプレゼントをや
ろう」
 影太郎は足元にいるレウに目配せをした。
「とびっきりのお守りを貸してやる。持っていけ。こいつは頼りになるぜ」
「えっ?」
「ワン!」
「ワウ!」
 驚くヴェイアに、レウは盛んに尾を振って答えた。伝八も同じように吠える。



 強敵に対し、ロウのレッドフレームは善戦していた。
 高速で飛び回りながら正確な射撃をするミハイルのジン・ハイマニューバに対し、一
定の距離を保ちつつビームライフルを発射。しかし射撃に慣れていないロウでは、ミハ
イルの機体に当てる事は出来ない。
「クソッ、もうちょっとなのによお。8(ハチ)、命中率を上げる方法とか無いのか
よ?」
【根性で何とかしろ。もしくはもっと集中しろ】
「根性も集中もやってるよ。けど当たらねえ、クソッ!」
 悔しがるロウはビームライフルを乱射する。そんな滅茶苦茶な射撃が当たるはずも無
く、ミハイル機は無傷だった。しかし、
「何だ、この不規則な攻撃は? 素人としか思えん」
 ミハイルの心に疑問を生じさせていた。
 戦場に出てくるという事は、それだけ腕に自信があるのだろう。現にレッドフレーム
の動きは素晴らしいもので、運動性だけならジンを遥かに越えている。パイロットも機
体の性能を引き出しているようだが、それにしては射撃が下手すぎる。
「プロなのか素人なのか分からん。それとも、ジャンク屋とはみんなこういうものなの
か?」
 型破りなロウの戦い方はミハイルを混乱させていた。それにビーム兵器の威力はジン
の装備を上回っており、当たれば無事ではすまない。
「手術をする前に落とされるわけにはいかないな」
 そう考えたミハイルは慎重に対応した為、戦況はこう着状態に陥っていた。その間
に、フィアのジンとリティリア守備隊のメビウスが、ミハイルの部下のジン三機を迎撃
する。
 ザフト側のジンの攻撃。銃やミサイルを使った射撃は正確だったが、フィアには当た
らない。
「悪いけど、私、そういう攻撃には敏感なのよ」
 敵の殺気をいち早く感じ取り、遠距離からの攻撃を見事に避ける。『スナイパー殺
し』の異名は伊達ではない。彼女のジンが攻撃をかわした隙に、待機していたメビウス
が一声攻撃。隊列を乱していた敵機を撃墜する。
「まず一つ。あと二機ね」
 一時の勝利にもフィアは浮かれなかった。気持ちを素早く切り替えなければ、傭兵は
勤まらない。浮かれるのは敵を全て倒してからだ。



 イライジャと夏は奮闘していた。敵部隊は手強かったが、リティリア守備隊のジン達
と力を合わせて、互角に戦っていた。
 敵のジンがイライジャに接近戦を挑んできた。重斬刀を抜いて切りかかってくる。
「そうは、いかんでごさる!」
 夏のジンがイライジャ機を庇う。彼女のジンも重斬刀を抜き、相手の刀と切り結ぶ。
同じ武器の衝突。武器の性能が互角なら、優劣を決めるのはそれを使う者の力の差。
 結果は夏の勝利。相手の刀を受け止め、その力を逃がして敵の体制を崩した後に敵を
斬る。小太刀の戦い方を応用した技だ。夏の技によって敵のジンは頭部と背部のバーニ
アを斬られ、戦闘不能になった。
「やるな、お前」
 イライジャが声をかける。女性に助けられたのは少し情けないが、それを差し引いて
も夏の技は見事なものだった。素直に褒めるイライジャだったが、夏は満足していない
ようだ。
「いや、まだまだでござる。やはりジンの剣では上手く受け流せないでござるよ。もっ
といい刀があればいいのでござるが……」
 そう言った夏の目の前で、信じられない事が起こった。
 敵のジンがこちらに近づいてくる。倒された仲間を助けに来たのかと思ったが、その
ジンは動けなくなった味方機にミサイルを発射した。
「!」
「なっ!」
 驚いた夏とイライジャは、素早くその場を退く。その直後にミサイルは損傷したジン
に命中、大爆発した。あと少し逃げるのが遅かったら、二人もあの爆発の中に消えてい
ただろう。
 二人の機体が無事なのを見て、ミサイルを撃ったジンのパイロットは残念がる。
「逃げ足の速い奴らだ。殺せたのは無能なカスだけか。ちっ、残念」
 アッシュ・グレイは仲間を殺しても平然としていた。敗者や役立たずには死あるの
み。敵も味方も関係ない。自分を不快にさせる者は全て殺す。それがアッシュの持論だ
った。
 この非道な行為はアッシュの仲間を恐怖させ、敵に怒りを与えた。夏の心に炎が灯
る。
「動けなくなった味方を平然と殺すとは……。外道め! この宮城夏が成敗いたす!」
「熱くなるな。自分を見失ったら勝てる戦いにも勝てなくなるぞ」
 怒りに燃える夏とは正反対に、イライジャは冷静だった。そして敵の戦力を分析す
る。味方を殺す非情さだけでなく、正確な射撃と動き。並のパイロットではない。
『俺と夏と他の連中の力を合わせても勝てるかどうか分からんが……やるしかないな』
 意を決したイライジャは、夏やリティリア守備隊の面々に指示を送る。数で勝るこち
らが敵を取り囲み、確実に倒す作戦だ。いい方法だが、
「こっちを囲むつもりか。甘いな!」
 アッシュはイライジャの作戦をあっさり見抜いた。そして部下達に敵に接近戦を挑む
ように指示する。
「奴らの動きを止めろ。包囲される前に叩くんだよ!」
 味方を殺したアッシュの命令に誰も逆らわなかった。命令を拒否すれば次は自分の番
だと分かっていたからだ。アッシュの部隊は一機失い、残るは五機。そこからアッシュ
機を除いた四機のジンがイライジャ達に挑む。
 イライジャと夏のジンは敵の攻撃をかわした。だが、リティリア守備隊の四機のジン
は敵に追いつかれた。四対四のバトルが始まると思われたが、
「死ね」
 アッシュのジンがミサイルランチャーから次々とミサイルを放つ。四発の大型ミサイ
ルはそれぞれ味方のジンに命中。リティリア守備隊のジンを巻き込み、大爆発した。先
程イライジャと夏に使ったのと同じ手だ。
「今度は大成功だな。ははははははははっ!」
 歓喜するアッシュ。味方殺しはザフトでも大罪だ。この事実が知られたらアッシュは
銃殺刑にされるだろう。しかし彼には強力なバックがある。こういう方法を使っても、
見事に隠蔽してくれるのだ。
『誰を殺しても、何をしてもOKか。くくっ、ダブルG万歳!だな』
 一方、イライジャと夏は動揺していた。味方の死もショックだったが、まさかこんな
非道な方法も二回も使うとは思っていなかった。二人はアッシュの残忍さに恐怖した。
「……イライジャ殿、拙者、こ奴だけは絶対に許せんでごさる。宮城流小太刀術継承者
の名にかけて、斬るでござる!」
「ああ、俺ももう止めない。こいつを倒さない限り、俺達も生き残れないようだしな。
行くぞ!」
 夏と同じように怒りで身を奮わせるイライジャ。だが、彼の震えの原因は『怒り』だ
けではなかった。敵は強い上、極めて冷酷非常だ。二人の力だけで勝てるだろうか。
『いや、やらなければならない。サーペントテールの一員として、絶対に!』
 サーペントテールの名を汚さない為にも、ここは負ける訳にはいかない。イライジャ
は覚悟を決めて戦いを挑む。



 影太郎とヴェイア、そしてレウと伝八は、ヴェイアのジンが閉まってある倉庫に向か
っていた。苦戦しているであろう仲間達を救う為に。
 途中、ウン・ノウの家の前を通りかかると、家の庭にはウン・ノウ専用のジンが膝を
着いて座っていた。そして、
「ええい、放せ、放さぬか!」
 ウン・ノウの元気な声と、
「気持ちは分かりますか、落ち着いてください。あんなに損傷したジンで出撃しような
んて無茶ですよ」
「リーアムの言うとおりだ。ご老人、ここで大人しくしていてください。これはリティ
リアのリーダーとしての命令です」
 彼を止めようとするガーフィールド兄弟の声が聞こえてきた。
 影太郎とヴェイアは、二匹の犬を連れてウン・ノウ家の玄関の扉を開ける。そこでは
元気な老人と、老人を必死に止めようとする兄弟が激しい戦い(?)を繰り広げてい
た。
「やれやれ……。ウン・ノウさん、リーアムの言うとおり落ち着いてくださいよ」
「影太郎、貴様もワシを止めるのか?」
「止めますよ。あんなジンで戦おうなんて無茶、いや無謀すぎる」
 影太郎の言うとおり、ウン・ノウのジンは激しいダメージを受けており、戦闘などと
ても無理だった。だからコロニーの改修を終えた後にロウ達と一緒に直すつもりだった
のだが、
「ふん、分かっておる。ワシもあれで戦うつもりなど無い。ただ、届け物があるんじ
ゃ」
「届け物?」
「ああ。必死に戦っているワシの弟子達にな」
 その言葉で、影太郎はウン・ノウが何をしようとしていたのか理解した。
「なるほど。けど、その程度の事なら代わりにやってくれる奴はいくらでもいるさ。な
あ、ヴェイア、リーアム?」
「えっ?」
「ふっ。ああ、そうだな」
 突然話を振られたリーアムは驚いたが、ヴェイアはすぐに察した。
「ふむ。それもそうじゃな。ではお前達、ワシの代わりにあいつらに届けてくれぬか?
 ワシの剣を学んだ奴らには、それに相応しい武器を与えないとな」
 そう言ってウン・ノウは外に出て、自分のジンを、いや、正確にはジンの腰に差して
ある二振りの刀を指差した。リーアムもようやくウン・ノウの考えを察し、自分のMS
に向かおうとするが、
「リーアム」
 シニストに呼び止められた。
「行くのか?」
 シニストのこの問いは、もう一つの意味を含んでいた。自分と一緒に来てくれるのか
否か。友を取るのか、兄を取るのか。
 リーアムの返事は、
「行きます。兄さん、私は仲間と力を合わせて、自分に出来る事をやってみようと思っ
ています」
 というものだった。
 この返事を聞いたシニストは、少し残念そうな、けれどもすっきりした顔をした。弟
がこういう人間なのは分かっていた。変わっていないのが嬉しかった。
「ふむ。兄弟の問題も解決したようじゃのう。ところで影太郎、やはりお前とはどこか
で会ったような気がするんじゃが……」
「気のせいだ」



 フィア達の見事な連携によって、敵のジンは全て撃墜されていた。残るはミハイルの
ジン・ハイマニューバだけだが、さすがに『ドクター』の異名を持つ男は手強く、ロウ
のビームライフルはもちろん、フィア達の攻撃も全てかわしている。そして強烈かつ正
確な射撃でロウ達を牽制し、近づけさせない。
「手詰まりになってきたわね……」
 フィアは少し焦っていた。自分も仲間も疲れ始めている。たった一機の敵に翻弄され
ている状況が精神的な苦痛となり、疲労を倍化させている。このままでは不利だ。
「敵もそれが狙いなんでしょうけど、ちょっとマズいわね」
 そう呟いたフィアの元へ、ロウからの通信が入る。
「このままじゃ埒が明かない。俺がダメージ覚悟で切り込むから、あんた達は援護して
くれ」
「待ちなさい。それは私が…」
「奴と戦うのは俺の仕事のはずだぜ? 決着もつけたいしな」
 負けず嫌いなロウは、このまま終わりたくはなかった。決着をつけ、そして勝ちたか
った。その気持ちは分かるが、レッドフレームの射撃は悉くかわされているし、接近戦
を挑もうとすればミハイルの正確な射撃で狙い撃ちにされる。とても勝ち目は無い。フ
ィアがそう言おうとしたその時、
「ロウ、皆さん、無事ですか?」
 作業用に改装されたジン(ワークスジン)がやって来た。あれはリーアムの機体だ。
「ロウ、ウン・ノウさんからの届け物です。これを使ってください!」
 リーアムのジンは手に持っていた物をレッドフレームに向かって投げた。レッドフレ
ームの手が『それ』を掴み取る。
「これは……」
【ウン・ノウ殿のジンが装備していた刀だな。名前は確か、ガーベラ・ストレート】
 8(ハチ)の言うとおり、この刀はウン・ノウのジンが使っていた物だ。ウン・ノウ
の友人である刀鍛冶が作った刀で、グレイブヤードを襲ってきた海賊や軍の機体を次々
と切り倒した名刀である。
「ウン・ノウさんからの伝言です。『非常事態だから貸してやるだけだ。免許皆伝など
と思うなよ。お前にはまだまだ教える事があるんじゃからな』だそうです」
 リーアムが持ってきてくれた刀と、伝えてくれた伝言はロウの心を奮い立たせた。
「ようし、行くぜ、8(ハチ)! 俺の勇気と根性を見せてやるぜ!」
【知恵は無いのか?】
「そいつはもう見せているぜ。強い敵でも恐れず挑む、っていう知恵をな」
【なるほど。ではこちらもOSを剣術仕様に更新しよう】
「用意がいいな。けどそんなOS、いつの間に作ってたんだよ?」
【リーアムと協力して作った。私にも知恵はある】
「へへっ、ありがとよ。それじゃあ行くぜ!」
 レッドフレームは敵機に全速力で突進する。まったく曲がらず、一直線に突っ込んで
いく。その愚直さはミハイルを再び驚かせた。
「バカな。自殺行為だ。無謀極まりない」
 死にたがりを治療する程、自分は暇では無い。そんなに死にたいのなら、とミハイル
はジンの銃をレッドフレームに向けて引き金を引いた。幾多の弾丸がレッドフレームに
向かって飛んできたが、
「うおおおおおおおおっ!」
 8(ハチ)が作ったOSがロウの剣技を再現し、レッドフレームはロウが思ったとお
りの動きをする。豪快にして洗練された剣技。ガーベラ・ストレートの刃が弾丸を切り
裂く。
「なっ!?」
 驚愕するミハイルだったが、その隙にレッドフレームはジンの懐に飛び込んだ。
「しまっ…」
 電光石火の煌きの後、ジン・ハイマニューバの右腕は瞬時に切り落とされた。美しす
ぎる程の断面を残して。



 アッシュ・グレイは残虐な男である。人を殺す事を楽しみとし、勝利の為ならば味方
をも平然と殺す。そして強い。こんな男と戦う羽目になったイライジャと夏は不運とし
か言いようが無いが、それでも二人は懸命に戦っていた。味方が全滅しても退かなかっ
た。
 ここで退けば敵はコロニーの中に入り、猛威を振るうだろう。コロニーの中にも守備
隊は控えているが、この凶暴かつ狡猾な敵に勝てるとは思えない。そう思った二人は力
を合わせて、アッシュのジンの攻撃を凌いでいた。
「ちっ、逃げるのだけは上手いらしいな。気に入らない連中だ。必ず殺す!」
 苛立つアッシュ。わずかだが攻撃が雑になってきた。しかしそれでもイライジャと夏
との力量の差は歴然。機体の損傷も激しく、このままではいずれ落とされる。
「イライジャ殿、このままでは二人とも殺されるでござる。拙者がオトリになるので、
イライジャ殿は下がってくだされ」
「馬鹿を言うな。仲間を見捨てて逃げるほど、俺は落ちぶれていない。それにこの敵
が、そう簡単に逃がしてくれるとは思えん。力を合わせて戦うんだ」
「は、はいでござる!」
 小さな想いを抱いている相手に励まされ、夏の心に闘志が戻ったその時、
「イライジャ、夏さん、二人とも大丈夫ですか?」
 赤いジンに乗って、救い主がやって来た。
「その声は、ヴェイア殿!」
「ヴェイア、お前、ヘッドホンは直ったのか?」
 ヴェイアの二重人格については夏とイライジャも知っていた。だから驚いたのだが、
ヴェイアはにこやかに答える。
「残念ながら直ってません。けど、素晴らしいゲストを連れていますから」
「ゲスト?」
 首を捻るイライジャの耳に、
「ワン!」
「ワンワン!」
 二匹の犬の声が飛び込んできた。ヴェイアが操るジンの操縦席には、ヴェイアとレ
ウ、そして伝八まで乗っていた。
「な、何で犬なんか乗せているんだ? それも二匹も」
「それは…」
 答えようとしたその時、レウと伝八が奇妙な吠え方をした。
「ワン、ワワン、ワワワワン、ワンワワン……」
「ワン、ウー、ワン! ワン、ワン!」
 適当に吠えているのではない。二匹とも、。規則性のある吠え方だ。これはまるで、
「歌……か?」
 イライジャの言うとおり、レウと伝八は歌っていた。滑らかに歌う(吠える)レウ
と、懸命にその後に続く伝八。二匹の奇妙なデュエットだった。
「この歌はラクス・クラインの歌でござるか? 何と……」
「影太郎君が教え込んでいたんです。ヘッドホンが直らなかった時の非常手段として」
 非常識な発想である。そしてそれをやってしまうレウも非常識な存在だが、ヴェイア
は影太郎達に感謝した。ヘッドホンを直すだけでも難題なのに、こんな事までやってく
れた影太郎に。会って間もない自分の為に歌ってくれるレウと伝八に。
 だからヴェイアは戦う。非常識だけど素晴らしい友の為に。一緒に戦場に来てくれた
二匹の犬の為に。
 決意を固めたヴェイアに、アッシュのジンが襲い掛かってきた。
「ははははははっ、獲物がそっちから出てきやがった。探す手間が省けたぜ!」
 探すついでに民間人を殺しまくるという楽しみは無くなったが、それは敵を片付けて
から、適当な理由をつけて楽しめばいい。殺人鬼ではあるが、アッシュもプロの軍人で
ある。任務の遂行を優先し、ヴェイアに戦いを挑んだ。
 ヴェイアのジンは、徹底的な改造によってジンとしては極限レベルの性能を持ってい
る。その性能とヴェイア自身の操縦技術で、素晴らしい動きを見せている。アッシュの
ジンの強烈な攻撃を全てかわすその姿は、さすがザフトの『英雄』である。
 だが、ヴェイアのジンは攻撃をしなかった。その手にはウン・ノウから託された小刀
を握っているのだが、それを鞘から抜く気配も無い。
 手を抜いているわけではなく、これが今のヴェイアにとっては精一杯だった。いくら
彼の意志が強靭で、影太郎やレウ達の友情に感じ入っていても、それだけでは無理だっ
た。凶暴な人格を押さえ込むのが精一杯で、戦うどころではない。
「どうした、どうした、『英雄』さんよ! 戦う気が無いのなら、即効死んでろ!」
 アッシュのジンが重斬刀を振り下ろす。それをかわしたヴェイアのジンは一気に加速
し、夏のジンの元にやって来た。
「夏さん、ウン・ノウさんからこれを預かってきました。使ってください」
 ヴェイアは夏に、託された小刀を渡した。この小刀の名はタイガー・ピアス。カーベ
ラ・ストレートと共に作られ、対を成す名刀だ。
「師匠が拙者にこれを……。使っても良いのでござるか?」
「あなたならこれを使える。宮城流小太刀術の真髄を忘れるな、との事です」
 師と仰ぐ人物からの伝言に、夏の心は震えた。心を落ち着かせ、こちらに向かってく
るアッシュのジンの動きを見る。
 夏が父から学んだ宮城流小太刀術の真髄は、防と攻の完全なる一体。敵の攻撃を防
ぎ、受け流しつつ、敵の隙を見出して攻撃。全ての武術の基本にして、それ故に実際に
行なうのは困難極まりない。しかし、
「出来る出来ないではない。やらねばならんのでござる。ここでやらなければ、サムラ
イになるなど夢のまた夢!」
 気合を入れた夏は、自らが操るジンにその思いを伝える。ジンは彼女の意思に答え、
タイガー・ピアスの刃でアッシュのジンの重斬刀を受け止めた。
「ちっ、そんな細い刀で防げるものか!」
 アッシュのジンは次々と攻撃を叩き込むが、夏のジンはそれらの攻撃を全て防いだ。
タイガー・ビアスは確かに小さく細い刀だが、古来より伝わる製法によって作られたそ
の刃の頑強さは、重斬刀を遥かに凌ぐ。
 連続して繰り出される攻撃の中、夏は一瞬の隙を見つけた。そして防御から攻撃に転
じる。
「いやああああああああっ!」
 小太刀の小回りの良さを生かした、素早く鋭い斬撃。
「!」
 危険を察知したアッシュは、ジンを素早く退りぞかせた。そのせいで致命傷は避けた
が、ジンの左腕は切り落とされてしまった。
「ちっ、やるじゃないか……」
 アッシュは思考を巡らせる。三対一。数でも不利な上に、敵も強い。『英雄』だけで
も手強いのに、あの刀を持ったジンは急に強くなった。残りの一機も何か切り札を持っ
ているかもしれない。
 どうしようかと考え込んだアッシュの元に、ミハイルからの緊急通信が飛び込んでき
た。
「退却命令か。グッドタイミングだな」
 迷う事無くアッシュは退いた。逃げるのは悔しいが、死んでしまっては元も子も無
い。アッシュはもっと多くの人間を殺したいのだ。
 逃げていくアッシュ機を、ヴェイア達は追わなかった。ヴェイアの疲労は限界に近か
ったし、夏とイライジャの機体の損傷も激しい。これ以上の戦闘は無理だった。
 犠牲は大きかったが、それでも敵を退ける事は出来た。イライジャ達は勝利したの
だ。
「ワオーン〜〜〜!」
「ワン、ワンワン!」
 レウと伝八が勝利を祝う雄叫びを上げる。戦い抜いた三人の心に安らぎが戻った。



 母艦に戻ったアッシュは、先に戻っていたミハイルに遭遇した。
「よう、隊長殿。あんたも結構やられたみたいだな」
「私は……」
 何か言おうとしたミハイルだったが、言うべき言葉が見つからなかったようだ。何を
言っても言い訳になると思ったのだろう。
「くくくっ、まあ俺も人の事は言えないけどな。けど、俺はこんな事で負けやしない。
もっと強くなってやる」
 そう言ったアッシュは、ミハイルの肩に手を回す。
「隊長さんよ。あんたは見所がある。もっと強くなりたくないか? あんたさえその気
なら俺も力を貸すぜ」
「…………」
「俺達はもっと強くなれる。強くなって、あいつ等をブッ殺してやろうじゃないか」
 ミハイルは、このアッシュ・グレイという男を嫌っていた。粗野で傲慢で冷酷で、そ
れでいて腕は立つ。実に嫌なタイプの人間だが、彼の言葉には惹かれるものがあった。
だから返事をしてしまった。
「…………お前の話、詳しく聞かせてもらおうか」
 ミハイル・コーストの運命は、この返事を機に大きく変わる事になる。



 ザフトの退却はリティリアの中にも伝えられ、人々は胸を撫で下ろした。ウン・ノウ
の家に集まっていた一同も、ほっと一息つく。
「やれやれじゃのう。これでリティリアの発進までは一息つける。ところで影太郎、や
はりお前とはどこかで会ったような気がするんじゃが……」
「気のせいだ」
 ウン・ノウの疑問を一蹴した影太郎はシニストに、
「シニストさん、リティリアはすぐに動かした方がいい。また邪魔が入らないとは限ら
ないからな」
「ああ。明日には発進させるつもりだ」
 もう少し準備を整えたかったが、影太郎の言うとおりである。また戦闘になって、リ
ティリアが損傷したら、発進はいつになるか分からない。
「さっきの戦闘ではリティリアのダメージは無いわ。ロウ達が頑張ってくれたおかげ
ね。相手が戦闘に集中してくれたからでもあるけど」
 いつの間にか来ていたプロフェッサーが報告してくれた。どうやら運はこちらにある
ようだ。
「損傷していないのなら時間をかける必要は無い。発進の準備を整えよう」
 シニストの言葉に一同は頷く。誰も反対しないと思われたのだが、
「それは困る。せめてこちらの用件が済むまで待ってくれないか?」
 男の声が、シニストに反論した。
 ウン・ノウ家の庭に二人の人間が立っていた。一人は樹里。もう一人は見知らぬ中年
の男。手には棒切れを持っている。シニストに意見したのは、この男のようだ。
「あのー、この人、ウン・ノウさんに用があるって言うから案内してきたんですけど…
…」
 樹里の発言はスルーされた。
 ウン・ノウは男の眼をじっと睨む。男も鋭い目付きで睨み返す。不気味な空気が充満
し、息苦しい世界を作り出す。
 緊張感溢れる睨み合いの後、ウン・ノウが口を開いた。
「ふん、久しぶりじゃのう。死んだと思っておったが、生きていたか」
「おかげさまで。父と違って運は良いようです」
 そう言って男はウン・ノウに頭を下げる。しかし、その態度にはウン・ノウへの敬意
は微塵も感じられない。
「で、不肖の弟子が今更、何をしに来た? ワシを殺しにでも来たのか?」
「それもありますが、もう一つ用件が。私の父が残した刀を返してもらいたい。あれは
息子である私が受け継ぐべき物だ」
「それはお前があいつとの約束を守った時じゃろう。ワシの元で学び、一人前の剣士と
なる。お前はそのどちらも守っておらん」
「確かに、貴方の元では学べなかった。しかし一人前の剣士にはなりましたよ。優れた
刀は優れた剣士が使ってこそ、その真価を発揮する。ガーベラ・ストレートもタイガ
ー・ピアスも私が使ってこそ、名刀となるのです」
「お主が一人前の剣士じゃと? 冗談も体外にせい! 血と死の匂いを漂わせている今
のお前は剣士などではないわ!」
「いいえ、私は剣士ですよ。剣士としての最高の喜び、仕えるべき主に巡り合い、その
剣を捧げたのだから。師よ、貴方が出来なかった事を私はやったのです」
「お前の主が誰かは知らんが、想像はつく。お前はその主とやらの命令で、どれだけの
人間を斬った?」
「主に逆らう者、主の障害となる者全て」
 男は自信と誇りを持って、そう答えた。彼の瞳は恐ろしいまでに澄み切っていた。そ
の瞳の輝きがウン・ノウを怒らせる。
「バカ者が! 人の道を外れ、剣鬼となって百鬼魔界に落ちたか!」
「それが我が主の望み。私の命を救ってくれた主の為ならば、私は鬼にも悪魔もなりま
す」
 二人の会話は平行線を辿っていた。傍から見ている影太郎や樹里達にも、この二人が
交わることの無い間柄なのが理解できた。そして、二人がやろうとしている事も。
「剣は持ってきたのか?」
「ここに」
 男は持っていた棒切れの両端を掴んだ。そして左手を横に動かす。棒切れと思われて
いた物の中から、鋭くも美しい刃が現れた。
「いい刀じゃ。お前には勿体ないのう」
「この剣には今まで多くの者の血を吸わせてきた。父の盟友にして我が師ウン・ノウ
よ、次は貴方の番だ」
「口だけは達者になったのう。じゃが腕の方はどうかな? 試してやろう、我が不肖の
弟子、不動剛馬よ」
 ウン・ノウも刀を持って、剛馬が待つ庭に下りる。影太郎や樹里達は後ろに下がり、
事の成り行きを見守る。
 数年ぶりの再会を果たした師弟は、対決の時を向かえた。共に敵意を漲らせており、
その気迫は見ている者の息を詰まらせる程だ。
「伝八の姿が見えませんが、どうしました? 死にましたか?」
「あいつは元気じゃよ。今も戦場で、新しい友と一緒に戦っておる」
「それは重畳。あの犬は父の愛犬の子供。父の分まで長生きしてほしいものです」
「同感じゃな」
 少し和やかな会話だったが、互いの敵意は衰えていない。むしろ高まっている。
「では」
「うむ」
 このやり取りを最後に、二人の口は閉じられた。そして、剣閃が走る。
 剛馬の剣は鋭いものだった。剣筋に乱れは無く、残酷なまでに素晴らしい動作。その
洗練を極めた動きは、剣術という武術の一つの完成形だった。
 対するウン・ノウの剣は、洗練だけでなく豪快さもあった。時には速さを、時には力
を駆使して敵を攻撃する容赦無き剣。それでいて、なぜか人間味を感じさせる。
 二人の剣技の違いは、二人がそれぞれ考える剣術の違いそのものだった。
 己を生かし、人も生かす剣『活人剣』を理想とするウン・ノウ。
 主に絶対の忠誠を誓い、主の為に人を殺す剣を振るう『殺人剣』を選んだ剛馬。
 剣術としてはどちらも正しい考えだ。だからこそぶつかり合い、殺し合う。
 二人の戦いを、影太郎達は何も言わずに見ていた。剣術を知らないプロフェッサーや
樹里、シニストさえも黙らせるほどの迫力。死闘と呼ぶに相応しい戦いだった。
 影太郎はこの戦いの全てを記憶していた。どちらが勝っても、ウン・ノウの弟子であ
る二人に全てを伝える為に。
 時間にしてわずか一分弱。長いようで短かった戦いは、ついに決着の時を迎える。
 相手の一瞬の隙をついて、放たれた刃。
 飛び散る鮮血。
 倒れる体。
 強敵を破り、勝利を手にしたのは、
「師よ。地獄にいる父上と仲良く過ごされよ」
 剛馬だった。
 勝利を手にした男は、影太郎達に目をやる。そして、
「ガーベラ・ストレートとタイガー・ピアスはどこにある?」
 重い声で尋ねる。静かだが、逆らう事を決して許さない声。傲慢で冷酷な声だった。
 百戦錬磨のプロフェッサーでさえ、何も言えなくなっていた。樹里は震え、シニスト
も脂汗を流している。己を保っていたのは唯一人だけ。
「ここには無い」
 宇流影太郎は、冷静すぎるほど冷静に答えた。まるで人間とは思えないほどに冷静
で、だからこそ剛馬にも怯まず、負けていない。この場で最も幼く見える少年が、最も
強い存在に見える。
「どこにある?」
 剛馬が影太郎に問う。
「ウン・ノウの弟子が持っている。名前はロウ・ギュールと宮城夏。ウン・ノウはあの
刀をこの二人に託した。その意味が分かるか?」
「…………」
 沈黙する剛馬。
「あんたはウン・ノウに勝った。けど、あんな老衰ギリギリの爺さんに勝っても自慢に
はならないだろう。ウン・ノウの剣を受け継いだ強き剣士と戦い、勝ってこそ、あんた
はあの剣を受け継ぐ資格を得る。俺はそう思うが、あんたはどうだ?」
「………………」
 剛馬は少し考えた。そして、
「口の上手い小僧だな」
「褒め言葉として受け取っておく。それで、どうするつもりだ?」
「ふん。いいだろう、貴様の口車に乗ってやる。だが、ウン・ノウの弟子はこの俺が戦
うに値するほどの強者なのか?」
「今はまだ未熟だ。だが、必ずあんたやウン・ノウより強くなる。俺も強くなる。そし
て、あいつ等はあんたを、俺は悪党らしいあんたの主を倒す。必ずな」
 主の事を悪く言われた剛馬は、少し表情を歪める。
「面白い事を言うじゃないか。小僧、貴様の名は?」
「宇流影太郎」
「覚えておこう。貴様も私の名前を覚えておけ。私の名は不動剛馬。我が主を侮辱した
貴様はウン・ノウの弟子共々、いずれ斬って捨てる」
 そう言って剛馬は去っていった。後に残ったのは血まみれになったウン・ノウの死体
と、殺気の残骸だけだった。
 ウン・ノウは即死だった。だが、その表情は穏やかなものだった。



 ウン・ノウの死の翌日、リティリアは発進した。行く先は木星。自分達の理想郷を作
る為、彼らは過酷な旅路を歩く。
 リティリアに乗るシニストの手の中には、小さな壷が握られていた。これには火葬さ
れたウン・ノウの骨の一部が入っている。葬式の最中、ロウから託されたのだ。
「あの爺さん、あまり口には出していなかったけど、木星に行きたがっていたからな。
木星に着いたら、そいつを撒いてやってくれ」
 シニストはその願いを聞き届けた。走り始めた船の中で、先に旅立った老人に鎮魂の
意を捧げた。



 影太郎とロウ達はホームの艦橋から、リティリアの旅立ちを見送った。艦橋にはホー
ムの乗組員の他にもイライジャとフィアと夏、そして主人を失った伝八と、彼の新しい
飼い主がいる。
「行ってしまったな。けど、いいのか、ヴェイア? お前、あいつらと一緒に行くつも
りだったんだろう」
 影太郎の問いに、グゥド・ヴェイアは微笑みながら答えた。
「ああ。でも、もう少しここで頑張ってみたくなったんだ。新しい友達も出来たし、ヘ
ッドホンの修理もやってもらわないとね。いつ終わるんだい?」
「あー、いや、そのー……。すまない、もう少しだけ待ってくれ」
 ウン・ノウと剛馬の戦いの時とは正反対の、和やかな空気が艦橋を包む。それは人が
健やかに暮らせる空気、そして世界。



 荘厳なる古城の一室。その王座に座る少年は、赤い瞳で部下の顔を見る。しかし少年
の部下に顔は無い。卵の殻のように一切の凹凸が無い銀色の仮面で頭部全てを覆い隠
し、主の前に膝を着く。
「リティリアは無事出航しました。潜り込ませた諜報員からの報告によれば、核エンジ
ンにもトラブルは無く、航海は順調に進むものかと思われます」
「そうか」
 少年は少し不機嫌そうになる。主の気持ちを察した仮面の男は話題を変える。
「ダブルGの件ですが、奴の秘密工場を発見し、壊滅させました。実働部隊からの報告
では、試作中のMSとアルゴス・アイも入手したとの事。状況は我らに有利です。マテ
ィス殿との一族と連携して、ここは一気に潰すべきかと」
「いや、その必要は無い」
 少年は冷静に言う。
「連中はMSやMA、コロニーに厄介なプログラムをぶち込んでいる。迂闊に動いたら
それが発動して大騒ぎになって、奴らだけじゃなく僕達の存在も知られてしまうかもし
れない。身内の敵も片付いていない今はまだ、僕達が表舞台に立つ時じゃない」
 主が不機嫌な顔になる。実の息子が最大の敵とは、何と過酷な運命なのか。主の心労
を計った仮面の男は、黙って頭を下げる。
「ダブルG以外にもプラントの動きには警戒しておいてくれ。単細胞のパトリック・ザ
ラには特にね。そういえばクライン派にも奴らの仲間がいたね。名前は……何だっ
け?」
「ギルバート・デュランダルです。元メンデルの研究者で、若いがなかなかのキレ者だ
そうです。ラウ・ル・クルーゼとは親交があるようですが、ダブルGからは距離を置か
れているようです」
「亜使徒ってやつか。ザラ派には使徒が二人もついてるのに、クライン派にはそいつ一
人だけか……。利用できるかもしれないね」
「コンタクトを取ってみますか?」
「ああ。ダブルGには気付かれないようにね。あと、リティリアの事だけど…」
 その単語が出た瞬間、仮面の男は主の機嫌が悪くなると思って警戒する。しかし主の
声は意外にも軽やかだった。
「放っておいていいよ」
「よろしいのですか?」
「ああ。あんな大きすぎる船で木星までいけるはずがない。火星にまで行けたら奇跡だ
よ」
 確かにそうだろう。使われている技術も既存のものばかりだし、組織の科学者達もリ
ティリアが木星まで行ける確率は極めて低いと判断している。
「無駄な労力を使う暇は無い。あいつ等は放っておこう。何かあれば、火星にいる連中
が報せてくれるだろう」
「分かりました。ですがもし、リティリアが火星を越えて木星にたどり着いたら…」
 その時は、という言葉を続けようとした仮面の男は、息を飲んだ。彼の主の顔が醜く
歪み、まるで悪魔のような顔になった。そして、少年の姿をした悪魔は、一切の感情が
感じられない声で告げる。
「殺せ」
 と。
「皆殺しにしろ。男も女も子供も老人も、みんな殺せ。絶望する間さえ与えず、なぜ死
ぬのか、誰に殺されるのかも分からないまま、一瞬で殺せ。僕の聖域を荒らし、僕の大
切な物を盗ろうとするバカは殺す。絶対に。分かった?」
「…………はっ。その時は、必ず」
 仮面の男は震えていた。恐ろしかった。二百年もの間、世界の闇を見続けてきた彼の
主が抱える闇が。この世界を誰よりも愛しているのに、誰よりも非情になれる主の心
が。

(2007・5/19掲載)

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