第5章
 お宝は黒い腕(ブラックアーム)

 パンデモニウムに戻ってきた不動剛馬を出迎えたのは、マクシー・ミカゲノの嫌らし
い笑顔だった。
「お帰りなさーい、剛馬ちゃん。師匠殺し、ご苦労様でした。うふふふふふふ」
 マクシーが笑う度に、赤いポニーテールが軽く震えている。鬱陶しい動きだった。
「貴様には関係なかろう。放っておいて貰おう」
 無視して足を進めようとした剛馬だったが、マクシーはしつこく食い下がる。
「そんなに邪険になくてもいいじゃない。アタシ達、仲間じゃないの」
「確かに貴様と私は同じダブルGの使徒で、同僚だ。だが、それ以上の関係は無いはす
だ」
 剛馬はマクシーを嫌っていた。性別を無視したような彼の言動は、実直な剛馬の心を
逆撫でする。しかしマクシーは、それを分かっているくせに剛馬に付きまとう。剛馬を
からかっているのか、嫌われる事を好む変態なのか。
『あるいはその両方か』
 そう考えた剛馬は寒気を感じた。そんな剛馬の拒絶を無視して、マクシーは喋り続け
る。
「同じ職場にいるってだけで充分じゃない。アタシ、剛馬ちゃんの事が心配なのよ。今
回だって師匠殺しに夢中になっちゃって、ユニットの捜索はしてないんじゃないかっ
て」
「そんな間抜けな事はやっていない。ウン・ノウの元へ行く前にアルゴス・アイを放っ
て調べている」
 剛馬はダブルGから二百機のアルゴス・アイを貰い、リティリアに入ると同時にそれ
を放った。百眼の巨人の名を持つ機械の眼はリティリア中を飛び回り、目的のユニット
を探し続けた。その結果は、
「結果はゼロ。あのコロニーにも、奴らの宇宙船にも、ユニットは無かった。まだレイ
ンボースターが持っているようだな。分かったらどけ。俺はこの事をダブルGに報告し
なければならん。貴様はクルーゼでも相手にしていろ」
「クルーゼちゃんは今、取り込み中みたいなのよ。それに、そんなに簡単に結論を出し
ていいのかしら?」
 マクシーが微笑む。妙な色気をかもし出すその微笑みは、まるでイタズラ小僧のよう
だった。
「アルゴス・アイだって万能じゃないわ。あの広いコロニーを隅から隅まで、完璧に、
見落とす事無く探したと断言出来るの? ジャンク屋どもの艦もよ。ああいう艦にはジ
ャンクパーツが山のように積まれていて、もしその中にユニットが隠されていたら?」
「む……」
「ユニットの所在が判明するまで、ダブルGへのご報告は待った方がいいわ。ただでさ
え今は機嫌が悪いのに、そんな中途半端な報告をしたらどうなるか分からないわ。剛馬
ちゃん、処刑されるかもしれないわよ」
「俺は死など恐れん」
「あらあら、主を残して部下が死ぬなんて、ちょっと忠誠心が足りないんじゃない? 
それとも、それが剛馬ちゃんの武士道なの?」
「…………」
 痛いところを突いてくる。黙り込んだ剛馬にマクシーは再度微笑んで、
「ここはアタシに任せてもらえないかしら。この前、アタシの使徒が面白いオモチャを
手に入れたの。それを使えば、もしかしたら怪しいジャンク屋もレインボースターも、
まとめて片付けられるかもしれないわよ」
 と言い切った。
 剛馬は少し考えた後、
「分かった。貴様に任せよう」
「ありがと。必ず吉報を届けるわ」
「期待だけはしておこう。だがマクシー、貴様、この状況を楽しんでないか?」
 剛馬の問いに、マクシーは今までで一番いい笑顔を見せて答えた。
「ええ、楽しいわよ。すっごく」
 いい笑顔だった。腹が立つくらいに爽やかな、いい笑顔だった。



 ヴェイアと夏、そして犬の伝八を仲間に加えたロウ達は、サーペントテールのイライ
ジャとフィアと共に宇宙要塞アルテミスに向かっていた。
 アルテミス。地球連合軍ユーラシア連邦の直轄の軍事拠点であるこの要塞は、あるゆ
る攻撃を防ぐ光波防御帯『アルテミスの傘』によって守られ、難攻不落を誇っていた。
 しかし数日前、要塞内にザフト軍のMSブリッツの潜入を許し、要塞は半壊。『傘』
も使用不能となった。『傘』に頼り切っていた要塞の戦力は貧弱で、ユーラシアからの
援軍が来るまで持ち堪えられない。そう判断した要塞の司令官ガルシアはサーペントテ
ールに要塞の防衛を依頼し、劾がその仕事を引き受けた。
 ガルシアはアルテミスの軍事力を利用して、要塞の近くを通る艦船から通行料と称し
て金品を巻き上げていた。それを恨む者達が次々とアルテミスを襲ってきたが、劾によ
って全て撃退された。しかし、それでもアルテミスを狙う者は後を絶たなかった。ガル
シアに恨みを抱く者以外にも、海賊やらスパイやらがアルテミスに入り込もうとした。
それは奇妙な噂が流れていたからだ。
「アルテミスには凄いお宝があるそうよ」
 プロフェッサーが入手した噂の内容は、こうだった。今、アルテミスには『ブラック
アーム』と呼ばれるお宝がある。それはアルテミスに潜入したザフト軍の最新MSの両
腕で、軍事機密の塊らしい。
「元々は大西洋連邦の作ったMSだそうよ。だから大西洋連邦は極秘裏に返してくれっ
て頼んで、ううん脅しているそうだけど、ユーラシアは惚けてかわしている。自分達の
MS開発に利用する気みたいね」
 交渉では取り戻せないと判断した大西洋連邦は、海賊や傭兵、スパイなどを使ってブ
ラックアームを取り戻そうとした。しかし劾の働きで全て失敗した。
「ユーラシアからの援軍ももうすぐ到着するそうよ。これでブラックアームはユーラシ
アの物ね」
「大西洋連邦は地団駄を踏んでいるでしょうね」
 ヴェイアの言うとおりだろう。ヘリオポリスの件に加えユーラシアがMS開発に成功
すれば、連合内の大西洋連邦の立場は危ういものになる。
「ふーん。ブラックアーム、最新MSの腕か。見てみたいなあ」
 ジャンク屋の血が騒ぐロウ。しかし、
【それは無理だ。軍事機密を部外者に見せるはずが無い】
 8(ハチ)の言うとおりだろう。他の面々も8(ハチ)に頷いている。
「でも俺達は劾の仲間を送ったんだから、そのお礼にチラッとでも…」
「俺達が送ってくれと頼んだ訳じゃない。お前が一緒に来たいと言って来たんだろう」
 イライジャの言うとおりだった。リティリアでの仕事を終え、劾と合流する為にアル
テミスに向かおうとしたイライジャとフィアを、ロウが半ば強引に引き止めたのだ。
「だって『傘』無しでアルテミスをどうやって守っているのか興味あるし、劾にやられ
た奴らに補修パーツを売りつけられるかもしれないし。影太郎も興味あるだろ?」
 話を振られた影太郎は、何か小さな物を作っていた。彼は工具を持った手を動かしな
がら答える。
「ああ。けど、ちょっと気になるな」
「気になるとは、何がでござるが?」
「クゥン?」
 夏がサムライっぽい言葉づかいで尋ねる。夏に抱きかかえられていたレウも首を傾げ
た。
「フィア、さっき劾に連絡した時、俺達が一緒にいると言ったら劾は何て言った?」
「え? 『ちょうどいい。ぜひ一緒に来てくれ』って……あ、そういえばちょっと変
ね」
 今のアルテミスの周辺宙域は、いつ戦場になるか分からない危険な場所だ。そんな所
へ来た者を歓迎するような事を言うなど、劾らしくない。それに仲間を送ってくれたロ
ウ達に礼も言わずに通信を切った。これも劾らしくない。
「何かありそうだ。準備しておいた方がいいかもしれないぜ」
「準備って、何の準備よ?」
 樹里が尋ねるが、影太郎が答える前にホームのレーダーが接近する機影を捉えた。機
種はアストレイ・ブルーフレーム。劾の機体だ。
 ブルーフレームはホームの艦橋にビームライフルの銃口を向けた。そして、劾の声が
艦橋に届けられる。
「ジャンク屋ロウ・ギュールとその仲間達に告げる。お前達はアルテミスの管理宙域に
無断で潜入した。よって艦ごと拘束する。イライジャ、フィア、ロウ・ギュールの一味
を拘束しろ」
「なっ!?」
 驚くロウ。命令されたイライジャやフィアも同様だ。
「ま、待ってくれ、劾、ロウ達は俺とフィアを送ってくれたんだ。それにこいつ等が来
る事はさっき連絡したはずだ。それなのに…」
「聞こえなかったのか、イライジャ、フィア。連中を拘束しろ」
 イライジャの弁明を劾は無視した。その声は冷たいものだった。
「劾らしくないわね。一体、何があったの?」
 考え込むフィアに、影太郎が尋ねる。
「フィア。サーペントテールはお前達三人だけなのか?」
「違うわ。ロレッタとリード、それに……あ!」
 フィアは、劾をサポートする為に同行したはずの二人の顔を思い出した。そして事態
を理解する。
「劾、ロレッタとリードが人質に取られているのね?」
「…………」
 劾は沈黙するが、答えないという事実が全てを物語っていた。
「アルテミスの連中、二人を人質にしているんだわ。それじゃあ劾は言いなりになるし
かない」
「マジかよ。クソッ、何て卑怯な奴らなんだ!」
「まったくでござる。武士の、いや軍人の風上にも置けない奴でござる」
 仲間を大切にする劾の性格を利用した、卑劣な方法だ。ロウや夏も怒りを感じた。熱
くなった二人にプロフェッサーが尋ねる。
「で、どうするの? 大人しく白旗を揚げる? それとも一戦やるの?」
 困った選択である。このまま降伏するのは嫌だが、抵抗すればアルテミスに捕らわれ
ている劾の仲間の命は保障されない。
「人質が二人というのが厄介ですね。見せしめに一人殺しても、まだ一人残っている。
助けるのなら二人同時に助けないと」
 元兵士であるヴェイアは冷静に分析する。彼の言うとおり、何とも厄介な状況だ。全
員が黙り込む中、
「よし、出来た!」
 一人、元気な奴がいた。影太郎だ。その手にはドライバーと、小さく黒い物が握られ
ている。
「ちょっと影太郎、そんなの作ってる場合じゃないでしょ! 何とかしないと…」
「分かってるよ、キサちゃん。だからこいつを作ってたんだよ」
 影太郎は黒い物を自分の目元に当てる。それは小さな仮面だった。黒い仮面は影太郎
の目元を隠し、彼を少し神秘的な存在に変える。
「あ、それ、ちょっとカッコいいかも」
「ロウ!」
「そうですね。いいと思います」
「うん、いいね。ラウ・ル・クルーゼの仮面に似ているけど、デザインはこっちの方が
いいな」
「リーアムとヴェイアまで、そんな事を言ってる場合じゃないでしょ!」
 この状況にも関わらずマイペースな仲間達に、樹里はツッコミを入れた。
「落ち着けよ、キサちゃん。これが俺達の切り札なんだからさ」
「切り札? そのオモチャみたいな仮面が?」
 樹里に酷評されても、影太郎はニヤリと笑う。
「ここに来る前のおかしな通信は、劾なりのSOSだったんだ。助けを求められたら応
えないとな。知恵と努力と根性を振り絞って作った、この仮面で」
「ワン!」
「バウ!」
 レウと伝八が同時に吠えた。この二匹もマイペースだった。



 結局、ロウ達が選んだのは『降伏』だった。ロウ達は全員イライジャとフィアによっ
てロープで縛られ、ホームはアルテミスに連行された。
 アルテミスで降ろされたロウ達を待っていたのは、ユーラシア軍人達の銃口と、要塞
の司令官ジェラード・ガルシア少将の陰湿な顔だった。ホームから運び出されたレッド
フレームを見たガルシアは、禿げ上がった頭を輝かせながら笑う。
「はははははは、これはいい! ブラックアームだけでなく大西洋連邦の最新型MSま
で手に入るとはな。それも二機も!」
 レッドフレームだけでなくブルーフレームも手に入れたつもりらしい。
「ようやく私にも運が向いてきたか。要塞を壊された時はどうなる事かと思ったが、こ
れだけの手柄を挙げれば昇進も夢ではない。あのクソ生意気なハルトマンに追いつき、
追い越してやる!」
 勝手にライバル視している同僚の悔しがる顔を思い浮かべ、悦に浸るガルシア。そん
な彼に劾が語りかける。
「約束は守った。そちらも約束を守ってもらおう。人質を返してもらうぞ」
「人質? 何の事かね」
「とぼけるな。ロレッタとリードを返してもらう」
 ガルシアに詰め寄ろうとする劾。だが、兵士達の銃口に取り囲まれた。
「ふむ。そういえばそんな約束をしたような気もするな。『我々の為に働いてくれれ
ば、客人二人はお返ししよう』と。だが、この程度の働きではまだまだ。君にはこれか
らも我々の為に働いてもらうよ。もちろんタダでね」
 このガルシアの言葉に反論したのは、劾ではなくロウだった。
「てめえ、汚ねえぞ! それでも軍人かよ!」
 縛られたまま、ガルシアに飛び掛ろうとする。しかし兵士達にあっさり取り押さえら
れた。
「ぐっ、放せ、この!」
「やれやれ、荒っぽい男だ。ジャンク屋というのはこんな連中ばかりなのかね?」
 ガルシアは馬鹿にするような眼でロウを見下した後、プロフェッサー達に眼を移す。
女性のプロフェッサーや樹里、夏には嫌らしい視線を向け、リーアムやヴェイアにはロ
ウと同じような眼で睨む。
『ん? こっちの男はどこかで見たような……』
 ヴェイアの顔を見たガルシアは一瞬戸惑ったが、気のせいだろうと無視した。しか
し、これは無理もない。噂に名高いザフトの『英雄』がジャンク屋と一緒にいるなど、
想像できないだろう。
「さて、ジャンク屋の諸君には、しばらくここに居てもらう。あの赤いMSのデータを
提供してもらいたいのでな。だが、私は暴力は嫌いだ。諸君らがその気になるまで待つ
としよう。じっくりと、な」
 言葉遣いは丁寧だが、要するに『協力するまで拘束する』と言っているのだ。
『分かり易い行動パターンだわ。おかげでこっちは楽に仕事を進められそうだけど』
 プロフェッサーは心の中で自分達の勝利を確信した。そして、ホームがアルテミスに
降り立つ少し前、黒い仮面を付けて密かに飛び出した少年と、二匹の犬に希望を託す。



 アルテミスの客間。この要塞には滅多に人が訪れない為、ほとんど使われていない部
屋なのだが、今はこの部屋には二人の『客』がいた。
 いや、正確には『客』ではない。二人は捕虜だった。劾という優秀だが扱いづらい番
犬を鎖に繋げる為の存在。二人は部屋から出る事を許されず、兵士達に見張られながら
過ごしていた。
 二人の捕虜は褐色の肌をした美しい女性と、口元に髭を蓄えた男だった。
「クソッ、いつまで俺達を閉じ込めておくつもりなんだ。酒も飲めないなんて、俺にと
っては拷問だぜ」
「いい機会じゃない。禁酒できるわよ」
 美女の言葉に、男は眉を歪める。
「悪いが酒をやめるつもりは無い。酒は俺の人生の最大の楽しみだからな」
「そんな事言って。あまり飲みすぎると、風花(かざはな)にまた怒られるわよ」
「風花か。一人残してきたけど、大丈夫かな」
「大丈夫よ。あの子は私の娘なんだから」
 そう言いながらロレッタ・アジャーは六歳の娘の顔を思い浮かべた。捕らえられてか
ら今日で三日目。そろそろ戻らなくては、劾だけでなく風花も苦しめてしまう。
「ちっ、ユーラシアの連中、好き勝手やりやがって。何とかしないと、サーペントテー
ルの名が廃るぜ」
 リード・ウェラーは悔しげにグチる。今回の失態は、交渉役としてガルシアに会いな
がら、その腹黒さを見抜けなかった自分の責任だと思っていた。何とかしたいが、部屋
の中は監視カメラで見張られているし、外には銃を持った兵士が見張っている。ロレッ
タもリードも腕に自信はあるが、それでも銃を持った兵士を相手にするには二人では少
なすぎる。
『せめてもう一人、仲間がいれば……』
 ロレッタはイライジャとフィアの顔を思い浮かべる。しかしイライジャとフィアはリ
ティリアに行ってしまった。助けは期待できない。
『自分達で何とかするしかないわね。でも…』
 どうすればいい、と考えていたロレッタの耳に、ざわめく声が聞こえた。外の兵士達
が騒いでいるのだ。
 何かあったのか、とロレッタは耳を部屋の扉にくっつける。かすかだが兵士達の声が
聞こえてきた。
「どうし…何が……」
「新しい……それに……」
 詳しくは分からないが、何かアクシデントが起きたらしい。
『これはチャンスかもしれないわね』
 そう思った直後に異変が起きた。要塞に鳴り響く警報。そして、外の兵士達の悲鳴と
倒れる音。犬の吠え声も聞こえた。
「何だ? 何が起こってるんだ?」
 戸惑うリードだが、ロレッタにも分からなかった。数秒後、扉が開き、一人の少年が
客間に入ってきた。年は風花と同じくらい。背丈は風花より少し低く、なぜか目元を黒
い仮面で隠している。少年の足元には二匹の犬がおり、気絶した見張りの兵士達の頭を
踏みつけている。
「これは……まさか、君がやったの?」
 驚くロレッタに、少年は微笑んで答える。
「ああ、俺がやった。この二匹の力も借りたけどな」
「ワン!」
「バウ!」
 二匹の犬は嬉しそうに吠えた。少年はロレッタとリードの顔を交互に見て、
「あんた達は劾の仲間だな? 俺の名は宇流影太郎。劾に頼まれて、あんた達を助けに
来た」
「君が、私達を助けに?」
「信じられないのは分かるが、今は時間が無い。一緒に来てくれ」
 影太郎の言葉に嘘偽りは感じられない。それにこの少年の事は劾から聞いている。ア
ルベリッヒ・バーネットの知識を受け継ぎ、闇を抱えながらも強く生きようとしている
少年。
 ロレッタはこの少年を信じる事にした。しかし、リードは冷たい目で影太郎を見てい
る。
「お前が俺達を助けに来たって事は信じる。でも、一緒に行って逃げ切れるのか? あ
っさり見つかったみたいだぜ」
 リードが不安を抱くのももっともだ。警報はまだ鳴り響いているし、兵士達が走り回
る足音も聞こえる。このままでは逃げても見つかってしまう。
 しかし影太郎は平然と、
「大丈夫だ。ここを見張っているカメラの映像回線には五分前の映像を延々と流すプロ
グラムを送り込んだ。逃げても当分はバレないはずだ」
「プログラムって、そんな物、どうやって用意したんだ?」
 リードの疑問に対して、影太郎は黒い仮面に手を当てた。そして仮面の中から接続コ
ードを伸ばす。
「この仮面には超小型コンピューターが搭載してある。単純なハッキングなら、これで
充分だ」
 アルベリッヒ・バーネットの知識を利用して作ったこの黒い仮面は、影太郎の自信作
だった。あの男は嫌いだが、彼の知識が自分の最大の武器なのだ。影太郎はそう考え
て、この仮面を作った。この仮面は彼の決意の表れでもあった。
「他にもこの仮面には色々仕込んであるんだが、それはまたの機会にしよう。それか
ら、このうるさい警報は俺のせいじゃない。来客を迎える為のファンファーレみたいな
ものさ」
「ファンファーレだと?」
「ああ。まさかこのタイミングで来るとは思わなかったが、いずれはここに来ると思っ
ていた。お宝と噂されている上、貴重なMSのパーツなんて、あの女が放っておくはず
ないからな」



 アルテミスの管制室は大騒ぎだった。要塞の管理宙域に突然、二機のMSが現れたの
だ。しかもどちらもガルシアには見覚えのある機体だった。
「あ、あれは、傭兵やジャンク屋が持っていたMS! もう一機あったのか?」
 ガルシアの言うとおりだった。二機のMSの内の一機は、右腕を失っている事と機体
の各所が金色である事を除けば、レッドフレームやブルーフレームとまったく同じ機体
である。
 この機体こそ三機目のアストレイ。ロウ達がヘリオポリスで手に入れた金色の腕の
主、ゴールドフレームだった。その操縦席には、妖艶な雰囲気を漂わせている男が座っ
ている。男は自らの黒い長髪を撫でながら、
「噂に名高いアルテミスか。さて、私のダンスの相手が務まるほどの奴はいるのか
な?」
 と言って、不気味に微笑む。
 ゴールドフレームが、左腕に持った大型のバズーカでアルテミスを攻撃してきた。
『傘』が直されていないアルテミスに、この攻撃を防ぐ手段は無い。砲弾が当たると共
に、要塞は激しく揺れる。
「ぐあっ! え、ええい、何をしている、反撃せんか!」
 ガルシアの命令を受けて、アルテミスの反撃が始まった。要塞から多数のミサイルが
放たれる。ミサイルはいずれもゴールドフレームを狙ってきたが、その前にもう一機の
MSが立ちはだかる。黒色に塗られたそのMSは、体の各所からアンテナのようなパー
ツを伸ばし、そこから光の幕を生み出した。光の幕はゴールドフレームも包み込み、ミ
サイルの攻撃を完全に防いだ。
「くっ……。やはりあれはプロトハイペリオンか! 地球で盗まれた機体なぜここ
に?」
 ガルシアは光の幕でゴールドフレームを守ったMSを睨みつける。プロトハイペリオ
ンと呼ばれたあのMSはユーラシア軍が開発したMSの試作機だった。アルテミス要塞
の光波防御帯をMSにも組み込み、絶対の防御力を与えた機体で、大西洋連邦に対抗し
ようとするユーラシアの秘密兵器だった。
 しかし三ヶ月前、地上で運用テストを行なっていた際に何者かによって盗まれてしま
った。この大失態をユーラシアの上層部は隠蔽し、MSの開発データまで処分されそう
になった。結局、データの破棄は免れたものの、MSの開発作業は大幅に遅れてしまっ
た。
 そんなユーラシアの汚点とも言うべき機体が、今、アルテミスに来ている。しかも恐
るべき相棒を連れて。アルテミスの軍人達は恐怖したが、ガルシアだけは違っていた。
「ふふふふふ……。三機目の新型機に、かつて盗まれた幻の試作機か。いいぞ、こいつ
等を手に入れれば中将どころか大将への昇進も夢ではない!」
 欲に目が眩んだガルシアは、最悪の命令を下す。
「モビルアーマー全機発進、あの二機を捕獲しろ!」
 捕獲は撃墜するよりも難しい作業だ。しかもMAでMSを捕獲するなど、至難の業で
ある。加えて相手は、
「ほう、そちらから出てきてくれるとは。いいだろう、私のダンスの相手に相応しいか
どうか、試してやろう。そして、相応しくなき者には死あるのみ。我が神への贄となる
がいい」
 ゴールドフレームのパイロット、ロンド・ギナ・サハクは戦闘の予感に身を奮わせ
る。強く、そして残虐な彼は、ダブルGの亜使徒に相応しい人物だった。



 ゴールドフレームとプロトハイペリオンの襲来に揺れるアルテミス。その廊下を密か
に、だが速やかに走る者達がいた。
 数は三。いずれも迅速に走り、かつ監視カメラの視線をかわしながら、慎重に歩を進
める。三人の動きには一切の無駄が無く、誰にも見つかる事無く進んでいた。
 堅く閉じられた扉を巧みな方法で開き、物陰に隠れ、全力で走り、三人は要塞の中を
行く。そしてついに目的地にたどり着いた。
 三人の目前には巨大な扉が立ちはだかっている。この扉の向こうに三人が目指す場所
があるのだ。三人は今までと同じ、いや今まで以上に慎重に作業を行なう。時間にして
わずか一分。三人は素早く事を終え、扉の鍵を開けた。
 扉の向こうには広大な空間が広がっていた。そして、
「あ」
「あ」
 先客がいた。それもお互いに見覚えのある顔だった。
「お前は……仮面を付けてるけど、その顔は忘れもしない。宇流影太郎!」
「そういうお前はMSオタクの泥棒女レインボースター。やっぱりお宝を狙ってきた
か。分かり易い奴」
 アルテミスの奥深くにある秘密格納庫で、怪盗と少年は再会した。一方はこの格納庫
にあるお宝を手に入れる為に。もう一方は仲間を探す内に偶然、迷い込んで。
「ふん。こっちの方面に逃げてきたとは聞いてたけど、まさかアルテミスにいるとはね
え。しかも捕まったの? 情けない奴」
「捕まったのは俺じゃない。それにこれから反撃開始するんだよ。そういうお前はまた
盗みかよ。俺達に痛い目に合わされたくせに、懲りない女だ」
「誰が誰に痛い目に合わされたって? あんたにやられた覚えは無いんだけど」
「そうだったな。お前をコテンパンにしたのは俺じゃなくてこいつだった。なあレ
ウ?」
「クゥン?」
「ギャーーーーーーーーッ!! 犬、犬、嫌あああああああああああっ!!」
「相変わらずだな。ほれ、伝八も挨拶してやれ」
「バウ?」
「もう一匹いるーーーーーーーーーっ!! 嫌、ダメ、そいつら近づけさせないでーー
ーーーーーっ!! 嫌ったら嫌ーーーーーーーっ!!!!」
 犬に怯える大怪盗と、その様子に苦笑している黒い仮面をつけた少年。何とも奇妙な
光景だった。それぞれの連れが言葉を無くすくらい、奇妙で馬鹿馬鹿しい光景だった。
「リード、あの子を信じた私、間違っていたのかもしれないわね」
「今更そんな事を言うな。気持ちは分かるが」
 ため息をつくロレッタとリード。レインボースターの子分も同様だった。
「ねえオレンジ、レインボースター様を助けなくていいの?」
「マユラ、その名前で私を呼ばないで」
「でも今は仕事中だし。私もパープルって呼ばないとダメなんだよ」
 マユラの言うとおりなのだが、アサギは納得できなかった。オレンジという名前は自
分には合わない気がするのだ。絶対に。
 それはそうとして、仕事はしなくてはならない。アサギは震えるレインボースターに
声を掛けた。
「あのー、レインボースター様、そろそろ仕事をしませんか? でないとロンド様はと
もかく、ジュリが……」
「あ、そ、そうだったわね」
 不完全なOSで慣れない機体を操縦している部下の事を思い、レインボースターは立
ち上がった。
「狙いはやっぱりブラックアームか。わざわざMSの腕だけを盗みに来るなんて、お前
も暇だな」
「うるさいわね。ブラックアームを欲しがってるのは私じゃないわよ」
 レインボースターもブラックアームの事は聞いており、密かに狙っていたのだが、そ
の前に彼女のスポンサーからの指令が下ったのだ。
「まったく、スポンサーのご機嫌取りも楽じゃないわ。私はこういうのは嫌なんだけ
ど」
 レインボースターの『スポンサー』とはロンド・ギナ・サハクの事である。レインボ
ースターはサハク家から援助を受けており、サハク家はレインボースターが盗み出した
MSのデータを入手し、オーブ製MSの開発に役立てている。両者は持ちつ持たれつの
関係なのだが、その繋がりはあまり強くない。
 レインボースターはギナがダブルGの部下である事を知らないし、ギナもダブルGが
探しているGGユニットをレインボースターが持っている事を知らなかった。そしてダ
ブルGはレインボースターがロンド・ギナと繋がっている事を知らない。これは亜使徒
であるギナには正確な情報が伝えられていない事と、アンノンによるアルゴス・アイの
大量破壊によって情報網が混乱している事が原因である。
 それにギナはアズラエルの部下で、GGユニットの探索を命じられている剛馬からの
指令は受けていない。今回のギナの目的はブラックアームの奪取で、これはユーラシア
の軍事力拡大を望まないアズラエルからの命令である。その為に潜入に長けたレインボ
ースターを利用したのだが、そのレインボースターがダブルGが捜しているユニットを
持っているのは、皮肉としか言い様がない。
 とにかく、この奇妙なすれ違いがこの出会いを生み、更に奇妙な事態を作るのであ
る。それはマユラの歓声から始まった。
「レインボースター様、ブラックアーム、発見しましたー!」
 マユラの後ろには巨大なコンテナが二機あった。長方形の形をした二つのコンテナに
は、それぞれ左右の腕が一本ずつ積み込まれていた。
「OK。それじゃあ、こいつを運び出して…」
「お前達、そこで何をしている!」
 レインボースター達が開けた扉から、ユーラシア軍の兵士達が入ってきた。数は十人
前後。全員、銃を持っている。
「ちっ、ノロノロしてたせいで見つかったか。しょうがないな」
 影太郎はロレッタとリードに視線を向ける。頷く二人。
「全員、そこを動くな! おい、誰かガルシア少将に連絡を…」
 その兵士が言い終わる前に、
「ワン!」
「バウ!」
 二匹の犬が兵士達に飛び掛かった。その隙に影太郎は、仮面の右横にある小さなスイ
ッチを押す。
「……痛っ。こいつはあまり使いたくないんだが、仕方ないな」
 一瞬だけ苦悶の表情を浮かべた後、影太郎は走り出した。そのスピードは風の如し。



 倉庫で戦闘が始まった頃、ガルシアが送り込んだMAメビウスの部隊はゴールドフレ
ームによって全滅していた。ハイペリオンの光の盾の中に隠れる必要も無く、ゴールド
フレームは全ての攻撃をかわし、十機のメビウスを宇宙の塵に変えた。
「つまらん。どいつもこいつも未熟すぎる」
 敵の弱さに失望するロンド・ギナ・サハク。そして、プロトハイペリオンに乗ってい
るジュリに通信を送る。
「ジュリ、アルテミスに潜入したレインボースターからの連絡は?」
「ま、まだです。ブラックアームを見つけたという報告もありません」
「そうか。例のジャンク屋どもは?」
「まだ要塞内にいるようです。彼らがユニットを持っているかどうかも確認されていま
せん」
「そうか。要塞ごと始末してもいいが、私のMSの新しい腕を葬る訳にもいかん。もう
しばらく待つとしよう」
 ゴールドフレームの強化を目論むギナは、ブラックアームを欲していた。アズラエル
からはブラックアームの使用許可は貰っている。あれを手に入れれば、ゴールドフレー
ムは更に強くなるはずだ。ギナはその予感に打ち震えた。
 一方、ゴールドフレームの予想以上の力を眼にしたガルシアは、醜いまでにうろたえ
ていた。アルテミスの管制室に彼の怒号が響き渡る。
「お、おのれ、よくもよくも! だ、だが、いい気になるなよ。こっちにはまだ切り札
がある!」
 ガルシアは部下に劾を呼び出せと命令した。劾ならば、あの二機ともやり合えるはず
だ。その考えは正しかったが、少し遅かった。
「格納庫から急報! 司令、あの青いMSが勝手に動き出したそうです!」
「なっ!?」
 驚くガルシアに、ブルーフレームに乗り込んだ劾からの通信が入る。
「ガルシア少将、貴様との付き合いもここまでだ。サーペントテールは引き上げさせて
もらう」
「バ、バカな、そんな事をすれば人質がどうなるか…」
「人質などもう存在しない。先程、俺の仲間から連絡が入った。二人を助け出した、と
な」
 影太郎はレインボースターと会う前に、仮面に付けていた通信機でブルーフレームで
待機していた劾に連絡していた。そしてMA部隊の全滅をチャンスだと考えた劾は、つ
いに行動を起こしたのだ。
「今頃はロウ達もイライジャとフィアが助け出しているはずだ。残念だったな」
 そう言って劾は通信を切った。同時に凄まじい衝撃と轟音が要塞内に響き渡る。
「し、司令、赤いMSも勝手に動き出しました! 青いMSと一緒に格納庫で暴れてい
ます!」
 部下からの報告に、ガルシアは顔を青ざめさせるしかなかった。そんな彼に、とどめ
の一撃が入る。
「し、司令、ブラックアームが…」



 秘密格納庫の床には、十人以上の兵士達が横たわっていた。全員、気を失っている。
「君、やるわね。子供とは思えないわ」
「あんたこそ。さすがはプロの傭兵だ」
 兵士達を叩きのめした影太郎とロレッタが互いを称え合う。
 二人の戦いを見ていたリードは信じられなかった。格闘技の達人であるロレッタはと
もかく、ロレッタの娘の風花よりも小さい体をしている影太郎が、大人を圧倒すると
は。
「いや、ロレッタさんの方が凄いよ。俺はちょっとインチキをしているからな」
 そう言って影太郎は、黒い仮面に指を当てる。
「この中には筋力増加と運動神経を一時的に高める薬が入っている。スイッチを押すと
注射針が出て、俺に薬を入れる。そのおかげさ」
 薬の調合はアルベリッヒの記憶を参考にした。まったくあの男は、色々な事をやって
いる。
 この事実を知らされたロレッタとリードは、共に不快な表情をした。
「感心しないわね。君みたいな子供がそんな事をするなんて」
「ああ。ガキの内から薬なんかに頼っていると、将来痛い目を見るぞ」
 二人の意見は正しい。だから影太郎は苦笑するしかない。
「分かっているけど、こんな体の俺が戦うには、こういう方法も使うしかないんだ。ま
あ薬の効果は一分程度だし、少ししか使わない。心配するな」
「クーン……」
 心配そうに自分を見るレウの頭を、影太郎は優しく撫でた。そんな彼に、今度はレイ
ンボースターが声を掛ける。
「なかなかやるじゃない。私達も助けてもらっちゃったわね」
「気にするな。振りかかった火の粉を払っただけだ」
「ふうん。だったら、厚かましいお願いをしてもいいかしら? もちろんタダとは言わ
ない。ブラックアームを一つあげるわ。それでどう?」
 この提案には、影太郎よりもアサギとマユラが驚かされた。
「レ、レインボースター様、本気で言ってるんですか!?」
「そんな事をしたらロンド、いや、スポンサーが怒りますよ。もう援助はしてもらえな
いかも…」
「二本ともあげるつもりはないわ。一本だけ、左腕だけよ。いいじゃない、あの人が持
っているMSには左腕はあるんだから」
「で、でも……」
 何とか止めようとするアサギの声を、レインボースターは無視した。そして話を進め
る。
「あんた達に預かってほしいメカがあるの。妙な連中がそれを探しているのよ。そし
て、それを壊そうとしている」
「妙な連中?」
「私を襲ってきた奴らの事よ。覚えてる?」
 影太郎はレインボースターと出会った時の事を思い出した。レインボースターを襲っ
た彼女の元子分と、それを率いていたおかしな少女。
「ポーシャ達は手下に過ぎない。裏社会の情報だと、敵はかなり大きな組織らしいわ。
私が持っている物を狙っていて、ポーシャ達の仲間らしい連中があの後もしつこく追い
かけてきたのよ」
 その組織とはダブルGの軍団の事だが、さすがのレインボースターも自身のスポンサ
ーがその一員だとは気付いていなかった。もっとも、スポンサーの方もレインボースタ
ーがユニットを持っている事は知らないのだが。
「今までは何とか逃げてきたけど、それも限界。かと言って、物を奴らに渡すのは絶対
に嫌。だからあんた達に預かってほしいのよ」
「厄介物を押し付ける代わりに、最新MSの腕一本か」
「悪くはないでしょ?」
「ああ。だが、一つだけ訊かせてくれ。お前はどうしてそのメカを奴らに渡さないん
だ?」
「壊されるからよ」
「なぜ壊されたくないんだ? お前にとって、そのメカはそんなに大事な物なのか?」
 レインボースターは少し考え込む。彼女の脳裏に、優しい笑みを浮かべた老人の顔を
浮かび上がる。
「あれがどういうメカなのかは私も知らない。けど、あれを私に預けた人は、私の目の
前で撃ち殺された。そして死に際に、あのメカを守ってくれって頼まれた。だから守り
たい。それだけよ」
 それはレインボースターの真意だった。影太郎の事は嫌いだが、今までの事で信頼で
きる人間だと思っている。だから預けようと思ったのだ。あの優しい老人の意思と、彼
女の誇りと共に。
 影太郎はレインボースターの眼を見る。しばらく睨んだ後、
「分かった。そのメカは預かろう。そして俺達が守る。必ず」
 と答えた。
 影太郎の力強い答えを聞いたレインボースターは、笑顔を浮かべて感謝した。
「ありがと」
 いい笑顔だった。怪盗とは思えないくらいに爽やかな、いい笑顔だった。



 数時間後、ユーラシアからの援軍がやってきた時には全てが終わっていた。ジャンク
屋とサーペントテールの面々は全員逃げ去り、レインボースターはロンドに「ブラック
アームは一本破壊された」と報告して、共に退却した。
 要塞の惨状は酷いものだった。外からはゴールドフレームとプロトハイペリオンの攻
撃を受け、内ではレッドフレームとブルーフレーム、そしてイライジャや夏、フィアと
ヴェエアのジンも大暴れ。その結果、アルテミス要塞は要塞としての機能をほとんど失
ってしまった。
 二機のアストレイには逃げられ、大切なブラックアームも奪われてしまった。その
上、要塞のこの有り様。ガルシアは降格、いや銃殺をも覚悟したが、ユーラシアの援軍
を率いてきた将は彼を責めなかった。
「上層部には上手く報告しておく。君の責任は問われないようにするつもりだ」
「なっ……」
 ガルシアはそう言った男の顔を見た。ヴィクター・ハルトマン中将は表情を一切変え
る事無く、
「MSに関わった君の経験は貴重なものだ。本国ではその経験を役立ててほしいと、君
に新しい役職を用意した」
 ヴィクターはそう言って、軍本部からの命令を伝える。
「ジェラード・ガルシア少将。君にはユーラシア軍のMS開発特殊任務部隊、通称
『X』の指揮を任せる。近々この要塞に配備される機体とパイロットと共に任務を遂行
したまえ」
「は、はっ! ありがとうございます、中将!」
 敬礼して答えるガルシア。予想外の結果になった。どうやら彼はまだ運に見放されて
はいないようだ。
「その前に要塞の修復作業を急がせたまえ。幸い、必要な機材は豊富にあるしな」
 そう言ってヴィクターは窓の外に眼を向ける。窓の外に広がる宇宙の闇に、ジャンク
屋がお手頃価格で売りつけていったパーツが漂っていた。
「あのパーツの代金は君の給料から引いておくそうだ。上層部も資金難らしい」
 ガルシアは自分の運の無さを呪った。ついでに、あの商売上手なジャンク屋どもも。



 月面都市アリスタルコス。月で第二位の規模を誇るこの大都市に、ロマノフ運送の本
社ビルはある。三十階建ての高層ビルは、世界屈指の運送会社の本社ビルに相応しい威
容だった。
 ビルの最上階はフロア全体が社長室になっていた。この階に来れるのは、社長である
アンドレイ・ロマノフが入室を許可した上、階下で厳重なボディチェックを受けた者だ
けである。
 この難関を越えた男が、社長室のソファに座っていた。もちろんロマノフの知人であ
り、秘書や会社の面々は彼を社長の無二の親友だと思っている。ロマノフ自身もそう言
っているのだが、それは見せかけの関係に過ぎない。個人的にはロマノフはこの男は好
きではなかった。
「ふう。相変わらず贅沢で無意味な部屋ですね。社長はこんな所にいて、楽しいんです
か? だとしたら神経を疑いますよ。私は金を積まれてもごめんですね」
 高級ソファに体を沈めながら、大会社の社長にも物怖じする事無く言い放つこの男の
名は、歌依 吟(ウタイ ギン)。ラクス・クライン等と並び称される世界的な歌手な
のだが、無精髭といい、赤いマントと帽子という派手すぎる衣装といい、とてもそうは
見えない。
 この無礼な男に対してロマノフは呆れたような眼を向けたが、追い出しはしなかっ
た。ロマノフにとってこの男は大切な『客』なのだ。
「私は忙しい。早く用件を言え」
「はいはい、相変わらず社長は金儲け一筋ですねえ。ま、私も世話になっているんだけ
ど」
 吟は懐から一枚のディスクを取り出し、ロマノフに渡した。ロマノフは無表情に、机
の上のノートバソコンにディスクをセットする。
 パソコンのディスプレイは、それまでスクリーンセーバーの映像を映し出していた
が、ディスクをセットされるとほぼ同時に画面が黒に染まった。そして白い文字で、自
動的にアルファベットが刻まれていく。
「社長、その暗号の解読コードは…」
「言わなくてもいい。このパターンならすぐに分かる」
 吟の口出しをロマノフは静止した。しばらく画面を見た後、頷いて、
「分かった。直ちに手配しよう。メッセージの伝達、ご苦労だった」
「いやいや。これが私の仕事ですから」
 吟は『世界中をさすらうミュージシャン』という表の顔を利用して、各地にいるダブ
ルGの使徒や亜使徒達にダブルGからの伝言を伝えている。以前は亜使徒への命令はア
ルゴス・アイで伝えられていたのだが、謎の組織アンノンによってアルゴス・アイが悉
く破壊され、組織の連絡網も崩壊してしまった。その為、吟のような亜使徒に、地味だ
が大切な役目が与えられたのである。
「しかし社長も大変ですね。表の仕事だけでも忙しいのに、他の亜使徒の手伝いまでさ
せられるなんて」
「心配は無用だ。確かに多忙だが、充実した日々を過ごしている。偉大なるダブルGの
役に立てるのならば、これほど嬉しい事は無い」
「大した忠誠心ですね。上も社長の忠誠心は高く評価しているみたいですよ。今回の任
務を成功させれば、使徒への昇格もあるかもしれませんよ」
「それは無いだろう。私は先日、大きな失態をしてしまったからな」
「そんな、小娘一人とポンコツロボットを逃がした程度で……」
「ダブルGはあの娘を捕獲しろと命じた。だが、私はそれが出来なかった。大きな失態
だよ」
 ロマノフはため息をついた。使徒への昇格を強く望んでいるロマノフにとって、先日
の失態は悔やんでも悔やみきれないものだった。
 使徒と亜使徒。名前の響きは似ているし、同じダブルGの配下であるが、その待遇に
は天と地ほどの差がある。使徒はダブルGが住むパンデモニウムへの出入りが許されて
いる上、ダブルGから直接言葉を掛けてもらえるが、亜使徒は使徒に仕えるだけの存在
だ。何より、
「使徒になれば、あのお方のお側近くに使える事が出来る。そして、あのお方の御心を
知り、共に歩む事が許される。ようやくその願いが叶うと思ったのだが……」
 使徒にはダブルGの真の目的が知らされる。それはダブルGがその者を名実共に自分
の『使徒』として認めた証であり、主従の強い絆である。過去の出来事からダブルGに
心酔しているロマノフにとって、それは百億の富を投げ出してでも得たいものだった。
「まあ、元気出してくださいよ、社長。ミスをしたのなら挽回すればいいんですよ。今
回の任務がいい機会じゃないですか。ね?」
 落ち込むロマノフに、吟が慰めの言葉を掛けた。ロマノフは苦笑する。
「まさか君に慰められるとは思わなかったよ。君はそんなキャラクターではないと思う
のだが」
「そうですね。今回は、世話になってる社長へのサービスという事で。私には社長のよ
うな生き方は出来ないし」
「君は使徒への昇格は望んでいないのかね?」
「ええ。私は今のままで充分です。気楽に世界を飛び回れますからね」
 ダブルGの部下ではあるが、忠誠は誓っていない吟はクールに言った。彼は亜使徒と
いう立場に満足していた。幹部になって、重たい荷物を背負わされるのはゴメンだ。
「社長、それじゃあ私はこれで」
「これからどこへ行くつもりなんだ?」
「地球へ降ります。地べたを這いずり回っているウジ虫どもに私の歌を聞かせてやりま
すよ。地球は戦争中で不幸に満ち溢れているでしょうからね。いい歌が書けそうです」
「ほう。ヒット曲を出して、行方不明になったシャロン・ソフォードの後釜でも狙うつ
もりかね?」
「あんな小娘と私の歌を一緒にしないでくださいよ。私はラクス・クラインやシャロン
のような偽善は歌わない。私が歌うのは絶望と真実。その為には、不幸に満ちた世界を
見る必要があるんですよ」
 吟の言葉にロマノフは納得した。『不幸の無いところに音楽は生まれない』と考えて
いる吟にとって、今の地球は楽園にも似た世界だろう。
「そういえば、社長も地球に降りるそうですね?」
「耳が早いな。ああ、そうだ。崑崙党(こんろんとう)の会合があるからな。表向きに
は会社の東アジア支社の視察という事になっている」
「今度は崑崙党の仕事ですか。社長も本当に大変ですねえ」
 多忙なスケジュールをこなすロマノフに、吟は素直に感心した。
 アンドレイ・ロマノフは三つの顔を持っている。大企業ロマノフ運送の社長、東アジ
アを勢力下に置く犯罪組織・崑崙党の幹部、そしてダブルGの亜使徒。この三つの顔を
使い分け、忠誠を誓ったダブルGの為に働いている。
 もしかしたらロマノフが使徒に昇格させてもらえないのは、彼が有能すぎるからかも
しれない。こういう人材は幹部として指揮を執ってもらうより、現場で動いてもらう方
がいい。
『だとしたら皮肉なもんだ。優秀すぎるせいで側に置いてもらえないなんて』
 吟はそう思ったが口には出さず、
「新曲が出たら買ってください。それじゃ」
 と言い残して、社長室を後にした。
 騒がしい吟が去った後、ロマノフは秘書を呼び、ある会社に連絡するように命じた。
 経営者にして犯罪者にして破壊者。この三つの顔を持つ男にマクシー・ミガゲノが与
えた命令は唯一つ、GGユニットを持つと思われるジャンク屋の抹殺。

(2007・6/2掲載)
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