第6章
 大気圏の珍客

 プラントのとある屋敷の一室。椅子に座る男は、立体映像に向かって話しかける。
「例の『足つき』は逃したそうだな。君らしくもない、不手際が続くじゃないか」
「まったくだ。自分でも驚いているよ。あの男が乗っている艦という事で気負い過ぎて
いるのかもしれんな」
「そんな事ではパトリック・ザラだけでなく、我らが神の信頼も失うぞ。使徒の地位に
甘えて、手を抜いているのかね?」
 口では皮肉を言いながらも、ギルバート・デュランダルは本気でそうは思ってはいな
かった。目の前の映像に浮かぶ彼の友人は、呆れるほどに純粋で、真面目で、そして狡
猾だからだ。
「かもしれんな。神に叱られる前に気を引き締めるとしよう」
 ラウ・ル・クルーゼは友人の皮肉に冗談で返した。
 世界最高峰の遺伝子科学者と、不完全で寿命も短いクローン人間。相反すると思われ
る二人だが、語り合う互いの表情は和やかなものだった。
「アンノンから誘いがあったそうだな。応じるのかね?」
 クルーゼの質問に、デュランダルは少し困ったような顔をする。
「どうしたものかと迷っている。彼らに近づけば情報は得られ、私の計画が叶う可能性
も高くなるが、我らの神も裏切る事になる。今の私があるのは我らが神、ダブルGのお
かげだからね」
 デュランダルは現在、クライン派に属する政治家である。一介の科学者に過ぎない彼
が短期間でそれなりの勢力を築けたのは、デュランダルの能力に目を付けたダブルGが
資金援助をしたからだ。その恩に報いる為、デュランダルはクルーゼ配下の亜使徒とな
り、プラント議会の情報を提供している。
 そんな恩に縛られているデュランダルを、クルーゼは嘲笑した。
「ふっ。恩義や義理に縛られるなど、君らしくもない。我らが神の事は私やリヒターに
任せて、君は君の道を行けばいいのだ」
「例えそれが、君やダブルGの道を遮る事になってもかね?」
「やれるものならな。だが、君の願いは届かない。世界は破滅へと向かっており、遠か
らず人類は死に絶えるだろう。私や君も含めてね」
「そうなった時は、それが運命というものだろう。だが、私は人類がそう簡単に滅ぶと
は思えないのだよ。確かに人間の欲望は尽きる事無く、戦いの連鎖も断ち切られる事は
ない。だが、それを乗り越える手段もある。ならば私は人類に期待したいのだ」
 世界の滅びを願う者の部下でありながら、まったく違う思いを抱くデュランダル。そ
の滑稽さがクルーゼは好きだった。
「君の考えは否定しないよ。万が一、私達が敗れた時は君の考えを実行したまえ。それ
で人類を、この世界を救えればいいのだがね。道は常に幾つも前にあり、我等は選び、
ただ辿る。君達はその先に願ったものがあると信じて。そして私は、やはり無いのだと
また知る為に。そして我らが神と共に、救い無きこの世界を滅ぼす為に」
 そう言い残して、クルーゼの立体映像は消えた。デュランダルはそっと目を閉じて、
考える。
 救いを求める者の声は届かず、人は戻れぬ過去に思いを馳せる。そして誓う。過ちは
もう二度と繰り返さないと。こんな悲劇はもう起こさないと。だが、既に終わっている
のだ。過ちを一度犯した時点で、人は……。
「ならば私が救う。そして変える。全てを。戻れぬというのなら、初めから正しい道
を。アデニン、グアニン、シトシン、チミン。己の出来る事、己のすべき事。それは自
身が一番よく知っているのだから」
 DNAを構成する四つの核酸塩基の名称を呟きながら、デュランダルは誓う。この戦
いが終わり、彼の友と神が死した後の世界の平定を。そして、その世界に永遠の、絶対
的な平和をもたらす事を。



 アルテミスを後にしたロウ達は、劾達サーペントテールと共に『デブリベルト』と呼
ばれる宙域にやって来た。この宙域には地球の重力に引かれた多くの漂流物(デブリ)
が集まっており、時折、待機の壁を突き破って地球へ落ちていく。それらの残骸物の中
には巨大で地球に落ちたら危険な物もあり、ジャンク屋組合は定期的に巨大デブリの回
収や破砕作業を行なっていた。今回はロウ達にその仕事が任されたのだ。
 目標の巨大デブリはすぐに見つかった。全長およそ1キロメートルにも及ぶコロニー
の外壁である。これ程巨大で、しかも頑丈な物が地球に落ちれば大変な事になる。これ
をジャンク屋組合のステーションまで運ぶのが、ロウ達の仕事である。
 しかし、その前にもう一つの用事を済ませる事にした。このデブリベルトに隠れてい
るサーペントテールの小型宇宙船の捜索である。
 アルテミスでの仕事に一抹の不安を感じていた劾は、この宙域に宇宙船と、仲間を一
人隠していた。そして自分達が長い間戻らなかったら、知り合いの傭兵に救出を依頼す
るように命じていたのだ。
 劾がサーペントテールの専用通信を放つと、宇宙船はすぐに姿を見せた。デブリの森
の中を進む宇宙船から、ホームに映像通信が送られてきた。ホームの艦橋のモニターに
幼い少女の顔が映し出される。
「劾、みんな、無事なのね? 良かった……」
 仲間の顔を見て安堵した少女の名は風花・アジャー。六歳になるロレッタ・アジャー
の娘で、サーペントテールの見習い隊員である。
「本当に良かった。あと一日遅かったら、救援を頼むところだったわ」
 劾は風花に、自分達が一定期間内に戻ってこなかったら、知り合いの傭兵に自分達の
救援を依頼するよう指示していた。しかしそれは傭兵としては最大の恥であり、何より
劾が依頼するよう命じた傭兵は、風花の一番嫌いな連中だった。
「お前がゴールド・ゴーストを嫌うのは分かるが、連中の能力は認めるべきだ。報酬さ
え出せば奴らは必ず仕事をするし、俺達を助ける事が出来る傭兵は奴らしかいない」
「確かにあいつ等の腕は認めるけど、あんな奴らに助けを求めるなんて、絶対に嫌。特
にオーマなんて最低だし」
 風花も劾も知らなかったが、ゴールド・ゴーストは数日前に地球に降りており、風花
の嫌いなオーマ・ディプトリーはオーストラリアの地で散っている。戦場を火遊びの場
所と勘違いした、哀れな男の最期である。
「あんな奴らの事はもういいのよ。それより劾、こっちでちょっとトラブルが起きた
の」
「トラブル? 宇宙船の故障か?」
「それなら俺達が直してやるぜ。俺達はプロのジャンク屋だからな。手先が器用な奴も
いるし」
 ロウは黒い仮面を付けた影太郎を見る。
「あ、いいえ、宇宙船は大丈夫です。そうじゃなくて、ちょっと変なのを拾ったという
か、転がり込んできたというか…」
「風花さん、話はまだ終わらないんですか?」
 風花が話し終わる前に、その『変なの』が姿を見せた。モニターに移るその姿は、風
花の言うとおり『変なの』としか言いようが無かった。劾やプロフェッサーも絶句して
いる。
「ん? そちらの皆さん、どうかしたんですか? 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をし
て」
「あんたの顔を見てビックリしているのよ。アタシだって最初は驚いたもの。あんたの
顔、インパクトありすぎ」
 続いて現れた、茶髪のショートヘアをした女性の言うとおりだった。しかし当の本人
は、
「え? 俺の顔に何か付いてますか?」
 まったく分かっていなかった。
 この『変なの』は何なのだろうか? 野太い声は人間の男のものだが、その顔や体は
人の体ではない。顔の半分を占める程に大きな機械の単眼。頭頂部には二本のアンテナ
を生やし、顔全体を金属の鎧で覆い隠している。体も人型ではあるが機械そのもので、
金属製の肌が光沢を発している。
 人の大きさにまで縮小したMS。その『変なの』の姿形は、そう表現するしかなかっ
た。
 絶句する一同の中で、いち早く我を取り戻したのは影太郎だった。
「あー、みんな呆気に取られているんで俺が代表して質問するけど、あんた、誰?」
「君こそ誰だ? そんな変な仮面を付けて、子供っぽいな。いや子供だからいいのか。
うん、いいんだ。納得した」
 勝手に納得している。こいつでは話が進まないと考えた影太郎は、茶髪ショートの女
性に質問する。
「答えてくれ。あんた達は一体…」
「ええ、分かっているわ。色々と訊きたいだろうし、アタシも話したい事はたくさんあ
るの。特にジャンク屋組合の人にはね。ロマノフ運送から仕事を請け負っている貴方達
も無関係じゃないから」
 優しい感じを漂わせていた女性の表情は、一変して厳しいものになった。女性はエレ
ア・クーウェルと名乗り、昔語りを始めた。



 巨大デブリの回収作業は順調に進められていた。ロウのレッドフレームとリーアムの
ワークスジン、夏のジンや樹里のMAミストラルも手伝い、コロニーの外壁に輸送用の
金具を取り付ける。この金具で巨大デブリと母艦ホームを連結させ、ホームの力でジャ
ンク屋組合のステーションまで運ぼうというのだ。
 作業が一段落ついた所で、ロウが口を開く。
「それにしても、あのエレアって女の話には驚いたな」
「ええ。話の内容だけでなく、彼女が地球人ではない事にも驚かされました」
「拙者もでござる。マーシャンと会ったのは初めてでござるよ」
【私もだ。データにはあるが、実物を見たのは初めてだ】
 リーアムと夏、そして8(ハチ)が驚くのも無理は無い。『マーシャン』と呼ばれる
火星の住人達は、滅多な事では地球を訪れない。正式な使節は一年に一度、定期便でプ
ラントに物資の補給と交換に来るのみで、一般人が彼らを目にする機会はほとんど無
い。
 しかしエレアは自分をマーシャンだと言った。確たる証拠は無いが、そんな嘘を言う
必要も無いのでロウ達は信じた。劾達は不信を抱いていたようだが、特に何も言わなか
った。重要なのは彼女がどこから来たのかではなく、彼女の話の内容だったからだ。
 地球に来たエレアは自分の能力を役立てようとDSSD(深宇宙探査開発機構)に入
ったが、諸事情でそこから逃げ出した。彼女は何者かに命を狙われたのだ。逃げ続けて
月にまでやって来たが、そこでロマノフ運送の者に捕まり、牢獄らしき場所に閉じ込め
られた。
「ロマノフ運送って、『あの』ロマノフ運送よね? 信じられない、あそこは悪い噂は
聞かないのに……」
 樹里が戸惑うのも当然だ。アンドレイ・ロマノフを社長とするロマノフ運送は月に本
社を置く世界屈指の運送業者で、仕事に対する真摯な態度は多くの人から信頼されてい
る。ジャンク屋組合とも提携しており、ロウ達もロマノフ運送絡みの仕事を請けた事が
ある。金払いが良く、いいお客様だと思っていたのだが、
「まあ考えてみれば、あれ程の大企業に裏の顔が無いはずがありませんね。問題は、な
ぜロマノフ運送がエレアさんを狙ったのかという事です」
「エレアさんを殺そうとした奴と、ロマノフ運送が繋がっているって事じゃないの
か?」
【それは単純すぎる答えだぞ、ロウ。ロマノフ運送がエレアを殺そうとしているのな
ら、なぜ捕らえた時点ですぐに殺さなかった?】
「あ、そうか」
「エレアさんの話では、ロマノフ運送は彼女に何も要求せず、ただ閉じ込めていただけ
だったそうです。目的は彼女の命ではなく、彼女の頭脳や能力を欲していたと考えるべ
きでしょうね」
【つまりロマノフ運送と、エレアを殺そうとした連中は別の組織という事だな】
「おお。8(ハチ)殿は賢いでござるな」
「あまり褒めるなよ、夏。こいつはすぐに調子に乗るからな」
 文句を言うロウだったが、8(ハチ)の考えは正しいと思った。だとすると、エレア
と一緒にいる自分達は、ロマノフ運送と謎の組織を敵に回す事になるかもしれない。
「かと言って、今更知らん顔も出来ないよなあ。それに、あのロボットみたいな奴の事
もあるし」
 ロウはホームに目を向けた。今、あの艦にはエレアともう一人、いや、もう一体と言
うべきかもしれない客人が乗っている。
「影太郎と出会ってからトラブルばかりだな。ま、退屈しなくていいけど」



 ロウ達が作業をしていた頃、影太郎とヴェイアはイライジャと共に、サーペントテー
ルの宇宙船からホームに移ってきた客人達を出迎えていた。風花とエレア、そしてもう
一体、
「俺はラグナス・バモラスと言います。どうぞよろしく」
 機械の顔を体をした男が挨拶する。野太い声だが、口調は意外と丁寧だった。だから
影太郎達も普通に挨拶を返す。
「宇流影太郎だ。よろしくな」
「イライジャ・キールだ。風花、待たせて済まなかった」
「グゥド・ヴェイアです。ようこそホームへ」
「ワン!」
「バウ!」
 影太郎達について来たレウと伝八も挨拶する。
「おお、ワンちゃん達も俺を歓迎してくれるのですか。ありがとう」
 ラグナスを身をかがめて、その鋼鉄の腕で二匹の犬の頭を撫でる。優しく、そっと。
「クゥ〜ン」
 レウはラグナスの腕を舐めた。伝八も尻尾を振っている。この光景を見たヴェイアは
微笑んで、
「レウと伝八が懐くのなら、悪い人じゃないみたいですね。安心しました」
「当然よ。ラグナスはアタシを助けてくれたんだから」
 エレアが言うには、ラグナスは彼女が閉じ込められていたロマノフ運送の施設にいた
らしい。大量のジャンクパーツの山の中に埋もれていたのを、脱走しようとしてその部
屋に迷い込んだエレアが見つけたのだ。
 ラグナスの異質な姿に惹かれたエレアは、DSSDで培ってきた技術を駆使して、機
能停止していたラグナスを生き返らせた。そして彼と力を合わせて、ロマノフ運送の施
設を脱走。このデブリベルトにまで逃れて身を潜めていたところを、
「私が偶然発見したんです」
 風花は発見した時の様子を思い出す。小型の宇宙船の中で震える女性と、それを抱き
かかえる人型の機械人形。あんな奇妙な光景は、そうお目にかかる事は無いだろう。
「まったく、状況が状況だったからと言って、水も食料も積んでいない宇宙船で脱走す
るなんて、自殺行為です。見つけるのがもう少し遅かったら、エレアさんは死んでまし
たよ」
「うん、だから風花ちゃんには感謝してるわ。ホントーにありがとね」
「どうも誠意が感じられないんですけど……」
 顔をしかめる風花。このエレアという女性、なかなか本心を明かさない。自分が追わ
れている理由についても、適当にはぐらかそうとしてる。
『悪い人じゃないみたいだけど、油断は出来ませんね』
 風花はエレアへの警戒を怠らない事にした。六歳の子供とは思えない分析力だった。
目配せして、イライジャにも伝える。
『相変わらず、子供離れした奴だな』
 イライジャは心の中で苦笑した。
 子供離れしていると言えば、もう一人。黒い仮面をつけた、風花よりも小さい男の
子。影太郎はラグナスの体を触り、色々と確かめている。
「見事なものだ。MSの技術を上手く転用して、MSよりも複雑な動きが出来るように
している。あんたの体を作った奴は天才だな。覚えていないのか?」
「ええ、まったく。自分が誰なのか、どうしてスクラップの中にいたのかも覚えていま
せん。名前も本名なのかどうか……」
「そうか。けど、元気を出せ。生きていれば、いつか昔の事が分かる日も来るさ。知恵
と勇気と根性があれば、大抵の事は何とかなるんだからな」
「知恵と勇気と根性、ですか。なるほど、確かにそれは重要ですね。分かりました、忘
れないようにします」
 ラグナスは素直な返事をした。姿は怖いが、中身はいい人のようだった。
 話が一段落したので、影太郎は三人を艦橋に案内しようとしたが、
「影太郎、ちょっといいかな?」
 ロウ達の手伝いに行くはずのヴェイアに引き止められた。影太郎は三人の案内をイラ
イジャに任せて、仮面を外してヴェイアと話をする。
「ヘッドホンならさっき直した。後で渡すよ」
「ありがとう。でも、話はその事じゃないんだ」
 ヴェイアは影太郎が外した仮面を指差す。
「その仮面の事は聞いたよ。素晴らしいアイテムだと思うけど、一つだけ気になる事が
ある」
「ドーピングの事か?」
 影太郎が作った黒い仮面には、様々な機能が搭載されている。肉体を強化する薬を打
ち込むドーピングのような機能もその一つだ。アルテミスではこの薬を使って危機を乗
り越えたのだが、
「ロウも劾も、ドーピングの事を話したら納得いかないみたいな顔をしてたな。お前も
なのか?」
「ああ。みんな同じ意見だと思うよ。レウと伝八もね」
 話を振られたレウと伝八は、黙って二人を見ている。
「俺だって、ドーピングなんて反則技は使いたくない。けど仕方ないだろ? 俺の体は
小さくて、力も弱い。だから強くなりたいんだ」
「強くなりたいと思う気持ちは分かる。けど、薬に頼るなんて君らしくないよ。何をそ
んなに焦っているんだ?」
「…………」
 影太郎は言い返せなかった。確かに彼は焦っていた。苛立っていた。MSも動かせ
ず、何も出来ず、誰も助けられない非力な自分が嫌だった。
「君は自分を卑下しているみたいだけど、ボクは君を凄い奴だと思っている。ボクがこ
うして生きているのはレウと伝八が優しい歌を歌ってくれたから。その歌をレウ達に教
えたのは君だ。君は…」
「でも、俺はウン・ノウの爺さんを見殺しにした」
「! それは……」
「男同士の決闘だったのは分かっている。邪魔しちゃダメなのも分かっている。けど、
俺の目の前で人が死んだのは事実だ。俺は見殺しにしたんだ。俺が殺したようなもの
だ。俺が、俺は、また人を殺した。また……」
 影太郎の脳裏に悪夢のようなな光景が浮かび上がる。泣き叫ぶ十二人の赤ん坊。メス
を取る自分の腕。その手は赤ん坊の頭に伸びて…
「影太郎!」
 ヴェイアの声に我を取り戻す。しかし影太郎の額には大量の汗が浮かび上がってい
た。
「…………重症みたいだね」
「ああ。情けないけど、俺の頭の中にはあの男がいる。力を求め続けるあまり、外道に
なってしまったあの男の記憶がある。それが俺に力を求めさせるのかもしれない」
「それが分かっているなら…」
 と言いかけて、ヴェイアは口を塞いだ。自分の中にいるもう一人の自分。その力の強
大さはヴェイアもよく知っているからだ。あれは強い。生半可な心で勝てる相手ではな
い。
 黙り込むヴェイアに、影太郎は笑顔を見せた。
「分かった、約束する。もうドーピングは使わない。絶対にだ」
「…………」
「ほら、ロウ達が待っているぜ。ヘッドホンは作業が終わってから取りに来いよ」
 影太郎の笑顔は作り物だった。寒々しい笑顔だったが、ヴェイアは何も言えなかっ
た。レウを連れて去っていく影太郎の後ろ姿を見て、ヴェイアは呟く。
「ボクはどうすればいい? どうすれば彼を、友達を救えるんだ? どうすれば…」
「ワウ……」
 伝八の悲しげな声が、ヴェイアの心に響く。痛かった。



 ホームの艦橋にはプロフェッサーと、風花とイライジャを除くサーペントテールの
面々が集まっていた。劾はアルテミスで迷惑をかけた事と、この宙域まで送ったもらっ
た事の礼としてプロフェッサーに報酬を渡そうとしたのだが、
「いらないわよ。アルテミスの事は悪いのはあのハゲ頭だし、送ったのはついでよ。正
式な仕事以外でお金を受け取るつもりは無いわ」
 と断られた。しかし劾も引かず、
「だが、お前達には大きな借りが出来たのは確かだ。返さなくてはこちらの気が済まな
い。金で片付くとは思わないが、受け取ってくれ」
「はあ……。あんたも相当な頑固者ね」
 苦笑するプロフェッサー。劾の後ろにいるリードとロレッタ、フィアも同じように苦
笑した。
 どうしたものかと悩むプロフェッサー。だがその時、劾の目付きが変わった。
「どうかしたの?」
「……来る。何かが近づいている」
 劾の目は戦士のものに変わっていた。そして彼の勘を裏付けるかのように、ホームの
レーダーが敵影を捉える。
「数は五。かなり近づかれたわね」
「ここはデブリのせいでレーダーが効き難いからな」
 リードの言うとおりだった。ここまで接近されては、逃げる事も隠れる事も出来な
い。プロフェッサーは劾の顔を見て、
「借りを返してもらうわよ。それとも、正式な依頼をした方がいいかしら?」
「その必要は無い。すぐに出る」
 劾はイライジャとフィアを連れて艦橋を出て行く。その胸中では、先程感じた予感に
ついて考えていた。
『あれはこの敵のものか? それとも…』



 劾が感じた不安と予感は、ロウも感じ取っていた。ロウは作業をリーアム達に任せて
(その直後にプロフェッサーから敵の接近を知らせる通信が入るのだが、既にレッドフ
レームはホームの通信圏外に行ってしまった)、レッドフレームをデブリ帯の奥へ進め
る。
「何だ? 変な気分だ。まるでレッドフレームが呼ばれているような感じだぜ」
 誰にも話さなかったが、アルテミスで捕まった時も同じような気持ちになった事があ
った。その直後にアルテミスは危機に陥った。
「嫌な感じだ。8(ハチ)、何か分かるか?」
【デブリが多く、レーダー使用不能。いや、待て。熱源を感知した。データ収集……】
 コンピューター8(ハチ)の分析能力は、すぐに解答を出した。その結果は、
「レッドorブルーフレームだと? でも劾はホームにいるはず…」
 その時だった。レッドフレームの正面に浮かぶ隕石の影から、一機のMSが現れた。
レッドフレームと同じ姿をしているが、機体の色は白と金色。右腕が無く、左腕には巨
大なバズーカ砲を持っている。
「コイツは……お前は、ゴールドフレームだと!?」
 ロウ達は知らなかったが、アルテミス陥落の原因となったMSである。乗っているの
は前回と同じくオーブ五大氏族の一つ、サハク家の子息ロンド・ギナ・サハク。
「ほう、こんな所で会うとは。アストレイとアストレイは引かれ合う運命にあるのかも
しれんな」
 ゴールドフレームの操縦席に座るギナは、数奇な運命に感謝した。今回、アズラエル
が彼に与えられた任務は、ロウ達が回収しようとしている巨大デブリを地球に落とす
事。目標はザフト軍のジブラルタル基地。アフリカ・ヨーロッパ方面のザフトの軍事拠
点を潰し、この地の軍事バランスを逆転させ、戦況を混乱させようというのがアズラエ
ルの企みである。
「急な仕事のせいで『黒い腕』(ブラックアーム)を取り付ける前に出撃せねばなら
ず、仕事もつまらないもので退屈していたのだ。悪いが、私のダンスに付き合ってもら
うぞ」
 ゴールドフレームのバズーカの砲口がレッドフレームに向けられる。そして、
「踊れ」
 ギナがそう言うと共に、バズーカから砲弾が発射された。



 レッドフレームとゴールドフレームの戦いが始まった頃、ホームでは謎の敵とサーペ
ントテールの戦いが行なわれていた。五機の敵の機体はいずれもジンだったが、隊長機
だけは少し違っていた。鎧を思わせる重武装の装甲を付けたこのジンは、ジンアサルト
と呼ばれており、火力も機動力もノーマル仕様のジンを上回っている。そしてパイロッ
トも、
「くっ。このパイロット、なかなかの腕だ」
 劾も認めるほどの実力者だった。
 ブルーフレームと互角に戦っているジンアサルトの操縦者の名はカイト・マディガ
ン。この男は宇宙空間での戦闘にも拘らず、宇宙服を着ず、スーツ姿でMSを操縦して
いた。
「あの青いの、なかなかやるな。さすがは噂のサーペントテール。ロマノフ社長も酷な
仕事をさせるぜ」
 先日、カイトはダミー会社を通じて、ロマノフからの仕事を請けた。会社の邪魔をす
るジャンク屋を始末してくれという、まるで殺し屋のような仕事だった。正直、断りた
かったが、ロマノフにはこの稼業を始める前に世話になった恩があるので断れなかっ
た。
 恩人であるロマノフには感謝しているが、最近のロマノフはその恩義を利用してカイ
トを操っている気がした。例えその気が無くても、これ以上ロマノフの為に主義に合わ
ない仕事をするのは嫌だった。
「この仕事が終わったら、ロマノフから離れてフリーになってみるか。って、こんな事
を言う奴は早死にするんだよな。危ない、危ない」
 ブルーフレームの正確な射撃を避けながら、カイトは味方のジンに目を移す。
「無人機か。俺が指示しなくても勝手にやってくれるのはありがたいが、あれも俺の流
儀じゃないな」
 とこから持ってきたのかは知らないが、あの無人MSはカイトは嫌いだった。戦争を
機械任せにするのは何か間違っている気がするのだ。
 考えていると、ブルーフレームが接近戦を仕掛けてきた。ビームサーベルの斬撃がジ
ンアサルトを襲う。かわすジンアサルトだったが、右肩を一部切り落とされてしまっ
た。
「おっと、やるな。あの青いMSは俺のコレクションに加えたいが、手加減していたら
こっちが死ぬな。残念だ」
 カイトは気を引き締める。二人の戦いは更に激しさを増していく。
 イライジャとフィアのジンは劾を援護しようとしたが、その行く手を敵のジンに阻ま
れた。四機のジンは一糸乱れぬフォーメーションを組み、一斉射撃を行なう。
「くっ、こいつら!」
「イライジャ、射撃の弾道は私が予測するわ。その隙に近づいて、接近戦で仕留め
て!」
「了解した。頼むぞ、フィア」
 『スナイパー殺し』の異名を持つフィアの弾道予測。それは今回も冴え渡り、無人機
のジンの銃撃は全てかわされた。そして間合いを詰めたイライジャのジンの剣が、敵の
ジンの胴を切り裂く。そして爆発。
「まずは一つ、次は…」
 次の目標を探そうとしたイライジャだったが、敵の方が早かった。第二のジンの剣が
イライジャのジンの右胸部を切り裂く。
「ぐわっ!」
「イライジャ!」
 窮地に陥ったイライジャを助けようとするフィアだが、残り三機のジンが一斉射撃。
当たりはしないが、イライジャ機に近づく事も出来ない。
 とどめの一撃がイライジャのジンに振り下ろされようとしたその時、赤い閃光が走っ
た。ジンとは思えない程の速さで駆けつけた赤いジンが、イライジャのジンを抱えて飛
び去る。
「ヴェイアか?」
「ええ、遅れてすいません」
 目標を失った無人のジンはヴェイアとイライジャの後を追おうとするが、
「そうはさせぬでござる!」
 ヴェイアの赤いジンより遅れてやって来た夏のジンの小太刀《タイガー・ピアス》に
よって胴体を貫かれた。
 敵機の爆発を確認した後、夏はイライジャに通信を送る。
「大丈夫でござるか、イライジャ殿? ケガはしていないでござるか?」
「ああ、助かった。ありがとう、夏」
「い、いや、礼などそんな……」
 生死を賭けた戦場で照れる夏。ある意味、大物かもしれない。
 リーアムのワークスジンもやって来た。手には銃を持っている。
「私も戦います。いえ、戦わせてください。私達の家(ホーム)を守る為に」
 その言葉にヴェイアと夏が頷く。三人の決意を感じ取ったイライジャは、
「頼むぞ」
 と言葉少なく言って、三人に後を任せる。
 傷ついたイライジャのジンはホームに引き上げ、その穴をヴェイア達が埋める事にな
った。三人はフィアと合流して、残り三機のジンに挑む。無人機に改造されたジンは決
して弱くはなかったが、相手が悪すぎた。戦闘では素人同然のリーアムは後方支援に徹
し、サーペントテールの『スナイパー殺し』にザフトの『英雄』、そして剣技に優れた
サムライ少女が前線に立つ。無人機達は片っ端から落とされ、最後の一機はヴェイアの
赤いジンによって撃墜された。
「全滅だと? こんなにあっさり落とされるとは、やれやれ、所詮は機械人形か」
 味方の全滅を知ったカイトは、冷静に思考を巡らせる。劾のブルーフレームとの戦闘
はほぼ互角。この上、あの三機まで相手にするのは無謀すぎる。
「ちっ。ここは退いた方が懸命だな」
 退却すると決めたら行動は早い。カイトはジンアサルトの出力を全てバーニアに回
し、全速力で逃げていった。
「ロマノフには愛想付かされるかもしれんが、そっちの方が辞めるにはいいかもな」
 何があっても腐らず、挫けない。それがカイト・マディガンの長所の一つである。
 ともあれ、これでホームは危機を脱した。艦に引き上げようとした一同の元に、プロ
フェッサーからの緊急通信が入る。
「お疲れのところ悪いんだけど、新手が来たわ。数は一。でも、これはかなり厄介な相
手みたいよ」
 プロフェッサーの予想は当たっていた。その敵は、デブリのせいで満足に働かないレ
ーダーでも分かるほど、巨大で、強大だった。100メートルを超える巨体に、怪物の
ような異様な形状。MSなのは間違いないようだが、それにしても大きすぎる。
「次から次へと、千客万来だな」
 そう言いながら劾は、この巨大な敵に対抗する方法を考えていた。そして、
「フィアは後方に下がって敵の射撃の予測に専念しろ。夏はホームに戻れ。刀だけであ
の敵に挑むのは無謀だ」
「了解」
「わ、分かったでござる」
 フィアも夏も了承した。夏は少し不満だったが、劾の言うとおりである。要するに自
分はまだまだ未熟なのだ。
「ヴェイア、お前も下がれ」
「ど、どうしてですか? ボクはまだ戦えます」
「そうは思えん。そんなに呼吸の乱れた体で戦えるのか?」
 劾の言うとおりだった。ヴェイアの呼吸は激しく乱れており、顔色も悪い。
 ヴェイアは自分の中にいるもう一人の自分、凶暴で冷酷で自分勝手な『英雄』と戦っ
ていたのだ。影太郎が修理したヘッドホンがあれば、『英雄』を押さえ込む事が出来
る。しかし、あれはホームの中だ。
「すいません、お言葉に甘えさせていただきます。ですが、すぐに戻りますから……」
「分かった。時間稼ぎぐらいなら出来るだろう」
 ヴェイアと夏を退かせた後、劾とフィアは決死の覚悟で、この巨大すぎる敵に挑む。
 巨大MSの操縦席には、四人の人間が座っていた。あまりに大きすぎるこの機体は一
人では操縦出来ない為、四人が力をあわせて動かしているのだ。だが、
「あ、姉(あね)さん、右腕のセンサーがピコピコ光ってるんですけど、これって何で
しょうね?」
「肩のミサイルポッドの調子も悪いみたいですよ。こんなんで大丈夫なんですか?」
「わ、私に聞かないでよ! 大丈夫、敵の数は減ったし、このズィウスの方が強くて大
きいんだから絶対に勝てるわよ。そうですよね、マゴット様? そして今度こそ、その
GGユニットってのを手に入れましょう。ね?」
 何とか希望を見出そうとするポーシャに対するミステリウス・マゴットの返事は、
「虫、蟲、蛆虫、醜い蟲、可愛い蟲……。でも宇宙に蟲はいない。飛んでない。どうし
て?」
 意味不明なものだった。
 今度こそ任務を達成出来るようにとダブルGがマゴットに与えた大型MS、ズィウ
ス。プラントに先駆けて完成させたNジャマーキャンセラーを搭載した核動力機で、完
成すれば絶大な戦闘力を発揮するのだが、現時点での完成度はあまり高いとは言えな
い。それでもパイロットが優秀ならばどうにかなるかもしれないが、
『無理。私達じゃ絶対に無理』
 宝の持ち腐れ。ポーシャは父から教わった古い諺(ことわざ)を思い出した。



 レッドフレームとゴールドフレーム。機体の性能はほぼ互角だが、右腕を持たないゴ
ールドフレームの方が不利と思われる。
 だが、ロンドの操縦技術は右腕が無いというハンディを補って余りあるものだった。
加えてデブリの回収作業中だったレッドフレームはシールドもビームライフルも持って
おらず、エネルギーも残り少ない。実際、ロウは追い込まれていた。ゴールドフレーム
のバズーカの砲撃をかわすのが精一杯だ。
「クソッ、このままじゃ……」
【ホームに戻るべきだ】
「ダメだ、ホームが危険になる。ここで食い止めるんだ!」
 レッドフレームの武器は長刀《ガーベラ・ストレート》とビームサーベルのみ。しか
し残りエネルギーの事を考えると、ビームサーベルは使えない。
「接近戦に持ち込むしかない。けど、どうすれば……」
 窮地に追い込まれたロウの頭に、影太郎の言葉が響き渡る。知恵と勇気と根性があれ
ば…。
「そうだな、影太郎。ここが俺の知恵と勇気と根性の見せ所だな!」
【どうするつもりだ?】
「へっ、まあ見てろって」
 ロウはレッドフレームを宇宙船の残骸の影に隠す。しかしデブリではゴールドフレー
ムのバズーカは防げず、あっさり破壊された。砕けた宇宙船の部品がレッドフレームの
周囲を漂う。
「銃も弾も無いなら、作ればいいんだよ!」
 レッドフレームの腕が大き目の部品を掴み取った。そしてそれをゴールドフレームに
全力で投げる。
 この行動はゴールドフレームに乗るギナを驚かせ、そして、失望させた。
「こんな子供騙しな手を使うとは、所詮は下賎な者か」
 ゴールドフレームは、バズーカの砲撃で投げられた部品を壊す。しかしレッドフレー
ムは次から次へと部品を投げてくる。
「ええい、私をバカにしているのか!」
 怒ったギナは部品を次々と砕いていく。しかしバズーカの弾も無限ではない。
「弾が尽きた? これが狙いか、姑息な!」
 ゴールドフレームは背部のビームサーベルを抜き、投げられた部品を切り裂く。そし
て最後に投げられた部品を、
「そうら、返すぞ!」
 綺麗に蹴り飛ばした。避けようとするレッドフレームだが完全には避けきれず、右腕
に当たり、《ガーベラ・ストレート》を手放してしまった。同時にカメラアイから光が
消え、動きも止まる。
「エネルギーが尽きたか。あんな無駄な行為をするからだ」
 とどめを刺すべく、接近するゴールドフレーム。
「下賎な者が私とデュエットを踊れるはずもないか。死ね」
 ゴールドフレームのビームサーベルがレッドフレームに振り下ろされようとしたその
時、レッドフレームの目に輝きが戻った。
「やっと来てくれたか。待ってたぜ、この時を!」
 全てはロウの作戦だった。デブリを投げつけたのは無駄弾を打たせると共に敵を挑発
する為、そしてこちらに遠距離用の武器が無い事を印象付ける為。《ガーベラ・ストレ
ート》を手放したのも、動きを止めたのも作戦の内だ。バズーカ以外の射撃武器を持っ
ていない相手だからこそ出来た危険な作戦。賭けに等しいものだったが、その賭けにロ
ウは勝った。
「無い知恵を振り絞って考えて、勇気を出して賭けに出たんだ。ここで決めるぞ。行く
ぜ、8(ハチ)!」
【了解!】
 レッドフレームの右腕に全てのエネルギーが集められる。膨大な電気が輝きと、強烈
な破壊の力を生み出す。
 以前、レッドフレームがミステリウス・マゴットが乗ったシグーと戦った時、同じ様
に右腕にエネルギーを集め、持っていたビームサーベルの刃を巨大なものにした事があ
る。あの戦いから思いついた攻撃だったが、今度はエネルギーを受けるサーベルは無
く、しかも出力の設定は以前より上にしてある。純粋で危険な電撃が、レッドフレーム
の掌で輝く。
【エネルギーを集めすぎた。右腕が壊れるぞ!】
「直しゃいい!」
 ジャンク屋らしいロウの台詞と共に、強烈な一撃がゴールドフレームの頭部に叩き込
まれる。その衝撃と負担でレッドフレームの右腕は砕け散ったが、掌を当てられたゴー
ルドフレームの頭部も粉砕され、ゴールドフレームは遥か遠くにまで吹き飛ばされてい
った。闇の彼方に消えていくゴールドフレームを見たロウは、心から安堵する。
「……ふう〜〜〜〜。な、何とか片付いたな。危なかったぜ」
【まったくだ。最近のお前は無茶ばかりする】
「無茶じゃない。根性を見せたのさ。薬なんかに頼ろうとしている、あのバカにな」
 ロウは知恵と勇気と根性の力を教えてくれた少年の顔を思い出す。彼にこの戦いを見
せたかった。
「ま、記録はしているから、後で見せればいいか。戻るぞ、8(ハチ)」
【待て。まだ危機は去っていないようだぞ】
 8(ハチ)の言うとおりだった。ゴールドフレームは敗北したが、任務は果たしてい
たのだ。
 ロウ達が回収しようとしていたコロニーの外壁デブリには、小型のバーニアが設置さ
れていた。見つからないように巧妙に設置されていたバーニアは、吹き飛ばされたギナ
が設定した時間通りに動き出し、デブリを地球へ、それもザフト軍のジブラルタル基地
へ直撃するコースへと導いていた。
「おい、マズイぞ! あのデブリにはホームが固定してあるんだ!」
 このままではホームもデブリと一緒に地球に落ちる。いや、その前にジブラルタル基
地からの砲撃によってデブリと共に破壊されるだろう。
 駆けつけようにも、ここからでは間に合わない。それにレッドフレームのエネルギー
も限界に近い。パイロットの生命維持だけで精一杯だ。
「くっ、どうすればいいんだ、どうすれば……!」
 一方、ズィウスと戦っていた劾も異変を察知した。ホームにはまだロレッタ達が乗っ
ている。フィアと共に助けに行こうとするが、
「それはダメ。行かせない」
 ズィウスがその巨体に似合わぬ俊敏な動きを見せて、ブルーフレームとフィアのジン
を遮る。
「命令はユニットの回収もしくは破壊。ユニットがあの艦にあるのなら、あのまま艦ご
と燃え尽きてくれれば手間が省ける」
「マ、マゴット様……」
 珍しく分かり易い台詞を発したマゴットに、ポーシャは感激する。しかし、
「そしてみんな喜ぶ。虫も喜ぶ。虫、虫、虫、虫、蟲がみんなで大喜び。私も喜ぶ。う
ふふふふふふふふふふふ……」
 すぐに元に戻ってしまった。
 劾の表情が厳しいものになる。この巨大な敵は倒せそうだが、時間がかかる。それで
は間に合わない。
「劾、このままじゃみんなが!」
 フィアの悲痛な叫びに、劾は答える事が出来なかった。



 ホームは巨大デブリと共に地球に落ちていく。大気圏の熱はデブリが壁になってくれ
るから何とかなるが、このままではジブラルタル基地に直撃する。
 バーニアを全て破壊するか、バーニアの制御装置を壊せばコースを変えられるかもし
れないが、艦の中からではどうする事も出来ない。しかし、艦は間もなく大気圏に突入
する。MSでも大気の熱で焼き尽くされるだろう。
 何とかしなければならない。プロフェッサーは艦に乗っている一同の顔を見回す。
 ロレッタにリード、風花に樹里、イライジャと夏、影太郎とレウ。新入りのエレアと
ラグナスもいる。
『あら? 誰かいないような…』
 思い出そうとするプロフェッサーの耳に、ラグナスの声が飛び込む。
「俺が行きます。俺の体なら高熱にも耐えられる」
 そう言って飛び出そうとするラグナスを、冷静すぎる声が止める。
「無理だ。熱に耐えられても、あんたにはバーニアを破壊出来る程の武器が無い」
 そう言ったのは影太郎だった。仮面の奥に浮かぶその目には、普段のような輝きは無
い。本当に本気で焦っているのだ。そしてそれは、今が最悪の事態である事を告げてい
る。
「いや、俺はメビウスを破壊した事もある……という記憶がある。何とかなるはずだ」
 何とか希望を繋げようとするラグナスだが、影太郎は冷たい言葉を浴びせる。
「記憶なんて、当てになるものか」
 またしても影太郎らしからぬ言葉だった。それは、他人の記憶に縛られている男の現
実否定、悪あがき。宇流影太郎という男が、一番言ってはならない言葉だった。
 絶望感が漂う中、通信が入る。その声を聞いたプロフェッサーは、ようやくこの場に
誰がいないのか気付いた。
「こちら、グゥド・ヴェイア。ホーム、聞こえますか?」
「ワン!」
 それは一度ホームに戻って来たはずのヴェイアの声だった。伝八も側にいるらしい。
「ヴェイア、お前、何をしているんだ!? 今、どこにいる?」
 冷静だった影太郎の表情が変わる。いや、表情が変わったのは影太郎だけではなかっ
た。全員がヴェイアがどこにいるのか、何をしようとしているのか察したのだ。
「今、ボクは夏さんのジンを借りて外にいます。すいません、夏さん。ボクのジンはバ
ーニアが壊れてしまっていたので、あなたの期待をお借りしました。あ、《タイガー・
ピアス》は艦に置いてきましたから」
「そ、そんな事はいいでござる。それよりヴェイア殿はどこに…」
「外です。バーニアを何とかしないといけませんから」
 あっさりと言うヴェイアだが、彼が乗っているジンの装甲は大気の摩擦熱には耐え切
れない。
「戻れ、ヴェイア! この艦はあと数分で大気圏に突入する。そうなったらお前は…」
 止めようとする影太郎に対し、ヴェイアは穏やかな声で語りかける。
「影太郎、ボクは君に感謝している。君はボクに可能性を見せてくれた。そして、ボク
に色々な事を教えてくれた。自分の心と向き合う事、自分を恐れない事、そして、仲間
を大切にする事」
 ヴェイアを乗せたジンは、デブリの表面を歩く。艦を出る前にコンピューターで分析
して見つけ出した、バーニアの制御装置がある場所に向かっているのだ。
「短い間だったけど、君やロウ達と一緒にいた時間は、ボクの人生で一番幸せな時間だ
った。ボクの中にいるもう一人のボクの事を忘れる事が出来る時間だった。だから、そ
んな時間をくれた君達を守りたいんだ」
「ワン!」
 伝八が吠える。この犬は夏のジンの操縦席に隠れ、後戻り出来ない場所に来るまで息
を潜めていた。まるでヴェイアが何を考えていたのか、夏のジンにヴェイアが乗るのが
分かっていたかのような行動。不思議だったが、ヴェイアは少し嬉しかった。
「ボクは臆病者だな。伝八と一緒にいるだけで心が和んで、勇気が沸いてくるんだ。友
達を守る為の勇気が」
「ヴェイア、よせ、ヴェイア!」
「修理してもらって悪いんだけど、あのヘッドホンは残していくよ。それからボクのジ
ンは誰でもいいから好きに使っていいよ。君達ならボクの望むとおりに使ってくれるだ
ろう。クセが強いから乗りこなせないかもしれないけど」
「ヴェイア!」
「影太郎」
 自分を止めようとする友の叫びを、ヴェイアはあえて断ち切った。そうしなければ決
意が鈍るからだ。誰かがやらなければならないのなら自分がやる。それだけの事だ。だ
から後悔はしていない。だから、こんな言葉を残せる。
「自分に負けないでくれ。君の中にある『過去』を恐れすぎないでくれ。そして、何か
に頼り過ぎたり、縋(すが)ったりせず、友達と、自分の知恵と勇気と根性を信じてく
れ。これは君が教えてくれた事だよ」
 バーニアの制御装置はバーニアと同じく、外壁の中に巧妙に隠されていた。ジンの銃
が制御装置を破壊する。同時に全てのバーニアが機能を停止。巨大デブリの軌道が変わ
り、ジブラルタルへの直撃コースは外れた。
 そして赤い空気がデブリを包み込む。一切の慈悲無き灼熱がデブリを、ヴェイアと伝
八が乗っているジンを襲う。巨大なデブリはその半分を熱で失い、ジンはわずか数秒
で、中にいた二つの命と共に消滅した。
 自分が燃える瞬間、ヴェイアは二つの声を聞いた。自分の中にいる『英雄』の断末魔
と、仮面を外した友の声。
 『英雄』には悪い事をしたと思う。彼は誰よりも生きたかったのだ。だから自分以外
の全てを否定し、殺してしまった。あれは自分の中の恐怖心そのものだった。優しい歌
で封じ込めるのではなく、受け入れて、共に歩むべきだったのかもしれない。
 そして、宇流影太郎。一緒にいた時間はわずかなものだったのに、彼の事は自分より
も大切に感じた。守りたかった。守る事が出来た。満足だった。だから悲しまないでほ
しい。そして、強く生きてほしい。その命が尽きる時まで、強く、激しく、知恵と勇気
と根性を振り絞って、自分自身と戦って、生きてほしい。それが『英雄』グゥド・ヴェ
イアの最後の願いだった。
「アオオオオオオーーーーーーーン…………」
 伝八の最後の鳴き声は、ホームの通信機には拾われなかった。



 大きな悲しみと共に、ホームは地球の大地に降りた。
 悲しみに沈む影太郎は何も知らなかった。
 ジブラルタル基地からのミサイル攻撃が、情報屋ケナフ・ルキーニのハッキングによ
って止められた事も。
「ま、ザフトの軍事コンピューターに侵入出来る者といったら、この私くらいなものだ
ろう。君には期待しているんだ。もっと私の予想を裏切るような活躍をしてほしいんだ
よ、宇流影太郎君」
 敗北したロンド・ギナ・サハクが、双子の姉ロンド・ミナ・サハクに叱責された事
も。
「アズラエルやダブルGへのご機嫌伺いも程々にしろ。オーブの力は奴らの為に使うも
のではない。分かるな、『私』よ?」
 影太郎は何も知らなかった。ホームが降りたアフリカの大地で、白き大天使との出会
いが待っている事も。何も知らない影太郎は泣いた。そして、泣き崩れた。

(2007・6/9掲載)
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