第8章
 対決、砂漠の虎

 砂漠に立つ影太郎は、巨大な艦を見上げていた。
 ザフトの大型陸上戦艦レセップス。数日前までは『砂漠の虎』の母艦として恐れられ
た艦だったが、今は破壊され、動く事も出来ない。
 砂嵐に晒されて動かぬ艦を見ながら、影太郎は思い出していた。このレセップスの艦
長であり、キラ達と死闘を繰り広げた『砂漠の虎』アンドリュー・バルトフェルドとい
う男の事を。



 影太郎とバルトフェルドが出会ったのは、バナディーヤの町だった。親プラント国家
であるアフリカ共同体はこの町をザフト軍の基地として提供しており、バルトフェルド
隊はこの町を拠点として戦っていた。
 軍の駐留により治安が保たれている為、バナティーヤには多くの人が集まり、戦時下
の町とは思えないほど活気に満ちていた。人が集まる所には金や物資も集まる。アーク
エンジェルと『明けの砂漠』の面々は補給物資を買う為、危険ではあるがバナディーヤ
を訪れていた。
 サイーブやナタル、キサカなど大人のメンバーは武器を手に入れる為、サイーブの知
り合いである闇商人に会いに行き、影太郎ら子供達は日用雑貨を買出しに向かった。影
太郎側のメンバーは黒い仮面を付けた影太郎と樹里と風花、カガリとキラの五人だが、
実はライズとイリア、アルルの三人がこっそり後を付けている。
「うーん、こんなコソコソするのは良くない事だと思うんだけど……」
 そう言うアルルをイリアが嗜める。
「私達はカガリ様の護衛役なのよ。目を離す訳にはいかないわ」
「でもカガリ様は、護衛なんかいらないって…」
「そんな訳にもいかないでしょ。ここは虎の縄張りなのよ」
 イリアは遠くにあるレセップスを見る。巨大な艦は、まるで町そのものを威圧するか
のように鎮座している。
「イリアの言うとおりだ。こればかりはカガリ様のワガママを聞く訳にはいかない。で
もカガリ様に怒られるのは嫌だから、気付かれないよう、こっそり後を付けよう」
 ちょっと情けない気もするが、ライズの言う事は間違っていない。カガリは怒ると怖
い。
 そんな護衛役の気苦労も知らず、カガリはキラ達と一緒に買い物を楽しんでいた。樹
里と仲良く話をしたり、風花のクールな反応に苦笑したり、
「ああしていると普通の女の子みたいなんだけどね」
 キラの呟きに影太郎は苦笑する。
「確かにそうだけど、そんな事はあの子の前では言わない方がいいよ。女の子って何気
ない一言に傷付くから」
「そうだね、気を付けるよ。それにしても君は時々、もの凄く大人っぽい事を言うね」
「気にするな。俺にも色々あったのさ」
「色々?」
 首を傾げるキラに対して、影太郎は仮面を外した。便利な仮面だが、友人の前では付
けたくなかった。
「ああ、色々とな。俺達も買い物しようぜ。レウの奴にお土産を買ってやらないと」
 影太郎の愛犬レウは、今日は留守番をしている。
「そういえば君、あの犬と一緒に何かやっているみたいだけど、何をしてるの? ミリ
ィがレウと一緒に遊べないって文句を言ってたよ」
「色々やってるんだよ。もうすぐ終わるからそれまで我慢するように言ってくれ。バジ
ルール副長にもな」
「うーん、そっちは難しいかも」
 影太郎とキラは、レウを愛しそうに見ていたナタルを思い出して苦笑した。
 楽しい会話を交わしている内に、買い物は終わった。思ったより早く終わり、サイー
ブ達との合流予定時刻まで、まだかなりの時間がある。
「あ、見て見て。あそこのトレーラー、お店みたいよ?」
 樹里が指差した方向には、一台のトレーラーが止まっていた。トレーラーの荷台が展
開し、大きな店を作っている。どうやら飲食店らしい。荷台の上の看板には、優しい感
じがする文字で店の名前が書かれている。
「あれは漢字だな。アフリカで漢字の名前の店なんて珍しいな。えーと、移動式和風喫
茶・風花屋って書いてあるぞ ん? 風花って確か……」
「私と同じ名前ですね」
 風花・アジャーは少し驚いた。自分と同じ名前の店が、しかもアフリカの砂漠の町に
あるとは。
「面白そうじゃないか。腹も空いたし、行ってみようぜ」
 影太郎の提案に逆らう者はいなかった。
 影太郎達は表通りに面したオープンテラスの席に座った。程なくして、眼鏡を掛けた
女の子がメニュー表を持ってやって来て、
「和風喫茶・風花屋二号店にようこそ! 毎度おおきに!」
 と元気よく挨拶した。少女のエプロンには『風花屋二号店店長・松本茜』と書かれた
ネームプレートが付けられている。
「えっ、あなたが店長さんなんですか?」
 驚く樹里だが、他の四人も驚いていた。樹里とそんなに年が変わらない少女が店長だ
とは。
「はいな。けど、そんなに大した事はあらしませんよ。ウチの姉ちゃんが風花屋の社長
をやっていて、その縁で任されているだけやから。人件費が掛けられないから、身内を
安月給でこき使っているんですわ」
 謙遜する茜。
 キラは周囲を見回す。店には茜以外の店員はいない。
「もしかしてこの店、君一人でやってるの?」
「はいな。姉ちゃん、いえ社長が勝手に店員を雇っちゃダメだって。どうせ一月以上は
同じ場所にいないんだから、その度に面接したり仕事を教えたりするのは無駄だし面倒
やからって」
 移動式喫茶・風花屋はその名のとおり、トレーラーを改造した店舗ごと移動して、世
界のあらゆる場所に店を開く事が出来る。その度に地元の人を店員として雇えば手間が
掛かる。
「その理屈は分かりますけど、あなた一人で大丈夫なんですか?」
 心配する風花に、茜はニッコリ微笑む。
「ええ、もう慣れましたわ。それにウチ、料理するのは好きやし」
 茜はメニューを渡してくれた。日本そばにラーメン、トンカツにオムライス、スパゲ
ッティナポリタンにトムヤムクン、デザートにはあんみつやガトーショコラなど、古今
東西のあらゆる料理が載っている。
「クスクスやケバブまであるのか。凄いけど、本当に作れるのか?」
 確認するカガリに、茜はニッコリ笑って、
「もちろんや。ウチは嘘は付かんで」
 と自信満々に答える。
「もちろん味も保障するで。遠慮せんでどんどん注文してや。安くて美味いもんを、お
腹一杯食べてもらう。それがウチの、そして風花屋のモットーやからな」
「そうですか。頼もしいですね」
 風花は嬉しそうだった。自分と同じ名前の店が気持ちのいい店だったのが嬉しいのだ
ろう。
 茜の言葉に甘えて、五人は少し多めに注文した。厨房に戻った茜は見事な手捌きで料
理を作り上げていく。
「凄いな。あれはもう芸術の域だぞ」
 影太郎の言うとおりだった。料理を作っている間にも、新しく来た客を持て成した
り、注文を聞きに行っているのだから、茜にはもう感心するしかない。
「本当に凄いね。一流レストランのシェフレベルじゃないかな?」
「いや、キラ、あいつはもうそんなレベルじゃないぞ。私の家のシェフでもあんなには
…」
「えっ、カガリの家ってシェフを雇ってるの?」
 カガリの一言を聞き逃さなかった樹里が尋ねる。
「あ、いや、その……。ま、間違えた。わ、私の友人の家のシェフの事だ。私の家はシ
ェフを雇えるような金持ちじゃない。うん」
 何とか誤魔化そうとするカガリ。苦しい言い訳だったが、樹里には通じたらしく、
「そう、そうよね。カガリってそんなお嬢様キャラじゃないわよね。うん」
 と納得してくれた。
「………………」
 複雑な表情をするカガリ。彼女の正体を知っている影太郎は、気付かれないように声
を出さずに笑った。
「ふん、まあいいさ。ところでキラ、お前に聞きたい事があるんだが」
「何だい?」
「ガーネット・バーネットについて聞きたいんだ」
 その名前を聞いた瞬間、影太郎の心に衝撃が走った。
「ミリィ達に聞いたら、お前、あの女と親しかったそうじゃないか。友達になったの
か?」
「うーん、色々話はしたけど、友達と言うほどじゃ……。凄い人だとは思うし、頼りに
はしているけどね」
「そんなに凄い奴なのか?」
「うん。『漆黒のヴァルキュリア』と呼ばれているだけの事はあるよ。あの人が頑張っ
てくれなかったら、アークエンジェルは地球に降りられなかったかもしれない。僕達に
とってあの人は大切な仲間だよ。地球に降りる時に離れ離れになったけど、無事みたい
だし、こっちに向かっているそうだよ。早く会いたいな」
「そうか、そんなに凄い人なのか。私も会いたいな」
「カガリとは気が合うと思うよ。ちょっと似ているところもあるし」
「そ、そうなのか。それは……楽しみだな」
 キラの言葉に気を良くするカガリ。二人の話を聞いていた樹里だったが、影太郎の異
変に気付いた。
「どうしたの、影太郎? 顔が真っ赤よ」
 樹里の言うとおり、影太郎の顔は赤く染まっていた。
「熱でもあるの? そういえば最近、夏さんやレウと一緒にMSを弄っているし、無理
をしすぎなんじゃ…」
「い、いや、これはそれとは関係ないし、体も大丈夫だ。心配するな」
 そのとおりらしく、影太郎の顔色はあっという間に元に戻った。
『クソッ、何を照れているんだよ、俺は。いや、俺の中のアルベリッヒは、か』
 娘が褒められた事が嬉しかったのだろうか。だとしたら親バカにも程がある。
『正面から付き合おうと思ったらこれだ。十二人もの赤ん坊を殺した悪党にしては、真
面目さが足りないんじゃないのか?』
 影太郎が自分の中にある他人の記憶に呆れていると、料理が運ばれてきた。まずはカ
ガリが頼んだドネルケバブと、キラが注文したシーザーサラダ。続いて影太郎のエスカ
ルゴ(「一度食べてみたかった」との事)と、樹里のコーンポタージュスープ、風花の
オニオングラタンスープ。
「メインディッシュは後でお持ちしますね。それではどうぞ、ごゆっくり」
 茜は一礼した後、新しい客の注文を聞きに言った。本当に良く働く少女だ。
「それじゃあ食べようか。いただきます」
 キラの後に続いて、四人も声をそろえて「いただきます」と言う。これは料理を作っ
てくれた人と、その材料に対する感謝の言葉だ。
 シーザーサラダを食べるキラは、カガリの顔を見た。いや、正確にはカガリが食べよ
うとしている料理を見ていた。
「ん? 何だ、キラ。ケバブを見るのは初めてなのか?」
「うん。雑誌では見たけど、本物を見るのは初めてだよ。ソースを付けて食べるんだ
ね」
「そうだ。ドネルケバブには、この真っ赤で辛いチリソースがよく合うんだ。これをた
っぷりと掛けてぇ…」
「あーいや待ったぁ! ちょっと待ったぁ!」
 突然、隣のテーブルにいた客が声を挙げた。若い男だった。サングラスを掛け、帽子
を被り、黄色と赤の派手なシャツを着ている。はっきり言って、どれも致命的なまでに
似合っていない。
 ファッションセンスの悪いその男は、カガリが手にしたケバブを見て、ため息をつ
く。そして白いソースが入った容器を持ち、
「ケバブにチリソースなんて何を言ってるんだ! このヨーグルトソースを掛けるのが
常識だろうが!」
「はあ?」
 首を傾げるカガリ。キラ達も呆気に取られ、食事を止めている。だが男はまったく気
にせず、
「いや、常識というよりも、もっとこう……。んー…そう! ヨーグルトソースを掛け
ないなんて、この料理に対する冒涜だよ!」
 と熱弁を振るう。
 男の勢いに押されていたカガリだったが、ここでようやく我に返り、
「な、何なんだお前は!」
「いや、私はケバブの正しい食べ方をだな…」
「見ず知らずの男に、私の食べ方にとやかく言われる筋合いは無い! ハグッ!」
 カガリはチリソースの掛かったケバブにかじり付いた。
「あーーー……。何という……」
 ため息をつく男を無視して、カガリはケバブを食べ終える。
「っんまーーーーいーーー! キラ、もう一つあるから、お前も食べてみろ。食べれば
分かるはずだ。ケバブにはチリソースが最高だとな!」
「え? いや、僕はまだサラダが…」
「だぁぁ! 待ちたまえ、彼まで邪道に堕とす気か!?」
「邪道なんかじゃない! ケバブにチリソースは王道だ!」
「君こそ分かっていないぞ。ヨーグルトソースの甘酸っぱさこそ大人の味。これを理解
した時、人はこのケバブという料理の奥深さと素晴らしさを知るのだ!」
「ちょっ、ちょっと二人とも、落ち着いて…うわっ」
 いい年こいた男と思春期真っ盛りの少女がケバブについて激論を交わし、それに気弱
な少年が巻き込まれている。そんなシュールな光景を片目に、影太郎達は食事を楽しん
でいた。
「このグラタンスープ、凄く美味しいですよ」
「私のコーンポタージュも美味しい〜。コーンの味は濃厚なのに、喉には残らないでス
ーッと入っていくの。こんなコーンポタージュ、初めてだわ。どうやって作ってるのか
しら?」
「エスカルゴって、こんなに美味かったのか。アルベリッヒの記憶にも無い味だ。ふ
っ、何となく勝った気分だ」
 影太郎達が前菜を食べ終えた頃、カガリ達の戦いも終わっていた。カガリも謎の男も
言い争うのに疲れたらしく、肩で息をしている。一番疲れた表情をしているのは、巻き
込まれたキラだったが。
「しかし凄い買い物だねぇ。パーティーでもやるの?」
 男がキラ達の荷物を見て言う。確かに、かなりの量である。
「うるさいなぁ、余計なお世話だ。大体、お前は何なんだ? 勝手に座り込んで、あー
だこーだと…」
 カガリが文句を言おうとした次の瞬間、爆音が鳴り響いた。そして立ち上る黒煙。
「伏せろ!」
 謎の男の声が轟く。この男も含めた風花屋のキラ達以外の客が全員、銃を取り出して
身構える。
「な、何だ、お前達は? それにこれは一体…」
「カガリさん、伏せて!」
「カガリ!」
 風花の指示を聞いたキラは、カガリを強引に伏せさせる。影太郎と樹里もそれに続
く。そして黒煙の中を突き進み、数人の男達が飛び込んで来た。全員が銃を持ち、その
目には憎悪と殺意の光を宿している。
「死ね、コーディネイター! 宇宙(そら)の化け物め!」
「青き清浄なる世界の為に!」
 そのスローガンを知らない者はこの世界には存在しない。襲撃者達の正体は、コーデ
ィネイターの根絶を企む過激派団体、
「ブルーコスモスか!」
 カガリの推理は当たっていた。
 銃を乱射し、突進してくるブルーコスモスの面々。まるで目に映る者全てを撃ち殺す
ような勢いだ。しかし、
「構わん! 全て排除しろ!」
 謎の男の号令の元、こちらからの反撃が始まった。凄まじい銃撃戦の中、数人のブル
ーコスモス兵士がカガリ達に狙いを定める。
「虎とヘラヘラ話すようなガキも、青き清浄なる世界には不要だ! 死ね!」
 マシンガンの銃口がカガリ達に向けられる。
「皆さん、走って!」
 敵の動きに逸早く気付いた風花が指示をする。全員が走り出した直後、彼らのいた場
所はマシンガンの弾の雨が降り注いだ。
 しかし休む暇は無い。逃げた先にもブルーコスモスの男が待ち構えていた。
「死ね、ガキど…」
 男が台詞を言い終わる前に、影太郎が男の脛(すね)を蹴る。痛さのあまり体勢を崩
した男の首に、キラの回し蹴りが叩き込まれる。
「ぐはっ!」
 倒れる男の手から、カガリが銃を取り上げる。そして新手のブルーコスモス兵に向か
って連射。命中はしなかったが、相手の動きを抑える事は出来た。
 その間に、カガリ達に助っ人が来てくれた。少し離れた場所で護衛をしていたライ
ズ、イリア、アルルの三人だ。
「カガリ様、ご無事ですか!?」
「ライズか。私は大丈夫だ。気を付けろ、こいつ等、ブルーコスモスだ」
「見境いが無い奴らって事ですね。分かりました、自衛の為に応戦します!」
 話をしている間にも銃声が響き渡る。ライズ達も銃を取り出し、カガリを守る為にそ
の引き金を引く。
「ちっ、こんな事ならラグナスでも連れて来れば良かったかな」
 今もジャンクパーツの中でじっとしているサイボーグの事を思い出しながら、影太郎
は黒い仮面を付ける。仮面のサーチ機能が状況を正確に伝えてくれる。敵は次々と倒さ
れ、もしくは捕縛されているらしく、辺りに静寂が戻りつつあった。
「!」
 仮面のサーチ機能が潜んでいる敵兵士の影を捉えた。場所は、あのヨーグルトソース
派の男の真後ろ。男は気付いていない!
「おっさん、後ろだ!」
 影太郎は大声で男に報せる。その大声に襲撃者は怯み、男は即座に振り返った。
 そして銃声。襲撃者は倒れ、あの男がホッと息をついていた。
 戦いは終わった。風花屋はメチャクチャになってしまったが、影太郎達は無事だっ
た。あの男の仲間もケガをした者はいるようだが、死者はいない。
 生き残ったブルーコスモスの連中は、駆けつけて来たザフトの兵士に引き渡された。
あの男はザフト兵に何か言っている。兵士達は敬礼し、男の指示に従っているようだ。
 それから男は、店を壊され、呆然としている茜に頭を下げた。店の修理費はザフトが
出すと言い、それを聞いてようやく茜の機嫌が直った。連行されていくブルーコスモス
の連中に向かって塩を巻いている。
 話を終えた後、男が影太郎に近づいてきた。
「君か、さっき教えてくれたのは。ありがとう、助かったよ」
「大した事じゃない。この仮面には色々な仕掛けがあるからな」
「ほう、それは凄いな。ところで……」
 男はキラ達に視線を移す。全員、特に女の子の服が土埃と煙でかなり汚れてしまって
いる。
「命の恩人のお仲間を、そんな格好で返す訳には行かないな。それにお礼をしたいし、
良かったら僕の屋敷に来ないか? 歓迎するよ」
 丁寧な言葉だが、キラ達の顔から警戒の色は消えない。皆、この男が何者か分かった
からだ。ブルーコスモスを相手に堂々と渡り合ったその力量、そしてブルーコスモスが
こんな大胆な行動をしてまで殺そうとする程の重要人物。
「ああ、僕は怪しい者じゃないよ。僕の名はアンドリュー・バルトフェルド。この町の
ザフト軍の指揮を任されている者だ」
 屈託の無い笑みを浮かべるバルトフェルド。その顔を見たカガリは、忌々しそうにこ
の男のもう一つの名を呟く。
「砂漠の、虎……」



 バルトフェルドは町の中心部にある邸宅に住んでいた。アクシデントによってバルト
フェルドの危機を救った影太郎達は、この屋敷に招待された。
 しかしバルトフェルドの屋敷は、敵の本拠地のような場所である。そんな所へ行くな
ど危険すぎるとライズ達、特に慎重なイリアは強く反対した。しかし、ここで断れば逆
に怪しまれ、別行動をしているサイーブ達の身も危うくなるかもしれない。
 結局、ライズ達も付いていく事にし、一行はバルトフェルドの屋敷に入った。屋敷の
扉を開けると、美しい女性が彼らを出迎えてくれた。
「お帰りなさい、アンディ。あら、そちらの方達は?」
「今日の仕事に巻き込んでしまってね。女の子達の服を汚してしまった。アイシャ、ど
うにかしてやってくれ」
「ええ、分かったわ」
 アイシャと呼ばれた女性は、カガリと樹里、そして風花を見て、優しく微笑む。
「さ、いらっしゃい。服はたくさんあるから」
 カガリ達三人は顔を見合わせた後、アイシャについて行った。
「アルル、私達も行くわよ」
「ええ。それじゃあ皆さん、また後で」
 イリアとアルルはカガリ達の後を追った。任務に忠実な護衛役である。
「君達はこっちだ。男は男同士で話をしようじゃないか」
 バルトフェルドに先導され、影太郎達は歩を進めた。多数のザフト兵が警備する中、
緊張しながら歩く。
「おいおい、そんなに警戒しなくてもいいよ。別に取って食ったりはしないからさ」
 軽口を叩くバルトフェルド。とても『虎』と呼ばれている男には見えない。
 影太郎とキラ、ライズは屋敷の客間に通された。三人はソファに腰を下ろすと、バル
トフェルドは机の上に置かれていたコーヒーメイカーのスイッチを入れる。
「僕はコーヒーには、いささか自信があってね。この前、いいブレンドを見つけたん
だ。君達にも飲ませてあげよう。そっちの仮面の坊やはミルクの方がいいかね?」
 子供扱いされる影太郎。数日前までの影太郎ならここで怒っていたかもしれないが、
今の彼は冷静だった。
「ああ。ホット&砂糖をたっぷり入れたやつで」
 と言い返した影太郎に、バルトフェルドはニッコリ笑って、
「ほう、分かっているじゃないか。暑い時には熱い物を食べたり飲んだ方がいい。冷や
しすぎは体に悪いからな」
 こちらも冷静に対応した。そして呼び鈴を押して部下を呼び、ホットミルクを持って
くるように命令した。ダコスタと呼ばれたその男は、やれやれという表情をした後、部
屋を出て行った。
「彼は有能な副官でね。おかげで僕は楽をさせてもらっているよ」
 コーヒーメイカーから音が発せられる。入れたばかりのコーヒーがキラとライズに差
し出された。
「飲んでくれたまえ。僕の自信作だ。ん? 少年、その石がそんなに珍しいかね?」
 バルトフェルドはキラの視線が、暖炉の上に飾ってある石に向けられているのに気が
付いた。少し大きなその石には、クジラのような生物の骨が刻まれている。
「エヴィデンス01。ジョージ・グレンが木星で見つけた、羽クジラとか、クジラ石と
呼ばれているやつだ。それはレプリカだがね。実物を見たことは?」
「いえ。本物はプラントにあるんでしたよね?」
 キラの言うとおり、本物のエヴィデンス01の化石はプラントの首都アプリリウスに
ある。とてつもなく巨大なその化石は人類初のコーディネイター、ジョージ・グレンの
偉業を称えるモニュメントとして、今も多くの観光客を集めている。
「しかし、何でこれを鯨石と言うのかねぇ。これ、鯨に見える?」
「いや…そう言われても…」
 バルトフェルドはクジラ石のレプリカを触りながら、キラに尋ねる。答えに詰まるキ
ラに、バルトフェルドはクジラ石の巨大な鰭(ひれ)の部分を指差し、
「これ、どう見ても羽根じゃない? 普通、鯨には羽根は無いだろう」
「確かに、鯨に羽根は無いな」
 ライズがコーヒーを飲みながら相槌を打つ。
「え…まぁ……。あ、でも、それは外宇宙から来た、地球外生物の存在証拠ってことで
すから…」
「いやいや、僕が言いたいのは、何でこれが『鯨』なんだってことだよ。似ていなくも
ないが、やっぱりこれは鯨じゃないだろう」
「じゃあ、何ならいいんですか?」
「ん〜〜…、何ならと言われても困るが…」
「宇宙怪獣」
 影太郎のその答えに、部屋の空気が凍りついた。直後にバルトフェルドが爆笑する。
「ふっ、ははははははははははっ! なるほど、確かにぴったりだ。はははははははは
ははははははっ! 面白い答えだが、そいつは本物のエヴィデンス01の前では言わな
い方がいいぞ。あの石を天使とか言って崇めている連中もいるらしいからな」
「ご忠告どうも。プラントに行く機会があったら気を付けるよ」
「ああ、そうしてくれたまえ。しかし、まさかあの人と同じ事を言う奴がいるとはな」
「あの人?」
 キラが尋ねると、バルトフェルドは懐かしそうな顔をして、
「昔、一度だけ会った人だよ。プラントの学者でね。その人もあの石を怪獣の化石みた
いだと言ったんだ。鯨は賢くて優しい生物だと思われているから、鯨に似ているあの生
物も賢くて優しいと考えている連中が多い。しかし鯨は人間以上に暴食で貪欲な生物
だ。勝手なイメージを抱くのは危険すぎる、とも言ってたな」
「なかなか面白い意見ですね。確かに、その生物が人類に友好的とは限らない」
 ライズは、その学者の考えに賛成らしい。
「ああ、僕もそう思うよ。彼にはもう一度会って話をしたかったな。アルベリッヒ・バ
ーネット。まったく、惜しい人を亡くしたよ」
 その名前が出ても影太郎は驚かなかった。何となくそうじゃないかと思っていたの
だ。プラントでそんな事を言う変人は、影太郎の知る限りではあの男しかいない。
「ま、あれこれ想像するのは楽しいが、厄介な存在だよねぇ、これも」
 バルトフェルドはクジラ石を見ながら苦笑する。
「厄介…ですか?」
「そりゃあそうでしょう。こんな物見つけちゃったから、希望っていうか、可能性が出
てきちゃった訳だし。人はまだもっと先まで行ける、ってさ。この戦争の一番の根っ子
だ」
 バルトフェルドの言うとおりだ。先を目指すあまり、人は急ぎ、争い、戦火を広げて
いる。
「…………」
 どう答えるべきか分からなかったキラはコーヒーを飲んだ。少し苦い。キラが顔をし
かめると、客間の扉が開かれた。
「アンディ、終わったわよ」
 そう言って部屋に入ってきたアイシャに続いて、カガリ達がやって来た。カガリも樹
里も風花も、そしてなぜかイリアとアルルも、パーティー用の美しいドレスを着てい
る。
「あはは、アイシャさんが強引で……」
 恥ずかしがるアルルだが、
「い、いや、良く似合っているよ。うん、見違えた。綺麗だ」
 ライズが褒めているとおり、紺色のドレスはアルルに良く似合っている。ライズの目
はアルルに釘付けになっていた。
「……ふん。どうせ私はアルルほど似合ってないわよ」
 イリアがポツリと呟く。いや、朱色のドレスをまとった彼女も充分美しい。ライズが
鈍感すぎるのだ。
 樹里は桃色の、風花は空色の鮮やかなドレスを着ている。綺麗になった二人を見た影
太郎の感想は、
「お前達のサイズに合う服があったんだな」
 という最低なものだった。
「影太郎さん、確かに私もそう思いましたけど、幾らなんでもそのコメントはどうかと
思いますよ」
「あー……。何か、そう言われるだろうと思った。ロウが言いそうだし」
 軽く落ち込む二人の少女。首を捻る影太郎。アルベリッヒの記憶も、女心の複雑さま
では教えてくれないらしい。そして、鈍感な男がもう一人。薄い緑色のドレスを纏い、
どこかの国の姫君のように飾られたカガリを見たキラは思わず、
「あー…女…の子…?」
「! お前、私を何だと思っていたんだ!」
「い、いや、だったんだよね、って言おうとしただけだよ」
「同じだろうが、それじゃあ!」
 賑やかに騒ぐ一同を見て、バルトフェルドとアイシャが笑い合う。平和な光景だっ
た。
 一騒ぎした後、女性陣もソファに座った。カガリがバルトフェルドの進めたコーヒー
を飲むと、
「ドレスもよく似合うねぇ。と言うか、そういう姿も実に板に付いてる感じだ。飲み方
も丁寧だし」
「勝手に言ってろ!」
「しゃべらなきゃ完璧」
 バルトフェルドのその言葉に、ライズ達三人が頷く。カガリは失礼な護衛役達を睨ん
だ後、
「そういうお前こそ、本当に『砂漠の虎』か? 何で人にこんなドレスを着せたりす
る? これも毎度のお遊びの一つか?」
「ドレスを選んだのはアイシャだし、毎度のお遊びとは?」
「変装してヘラヘラ街で遊んでみたり、住民は逃がして街だけ焼いてみたり、ってこと
さ」
 タッシルの町を襲った件で皮肉を言うカガリ。バルトフェルドは鋭い目でカガリの目
を見る。
「いい目だねぇ。真っ直ぐで、実にいい目だ」
 誤魔化されたと思ったカガリは、
「くっ! ふざけるな!」
 と叫び、テーブルを叩きながら腰を上げる。隣に座っていたキラが、
「カガリ!」
 と静止するが、カガリが止まる前にバルトフェルドが、
「君も死んだ方がマシなクチかね?」
 と、先程以上に鋭い視線で尋ねる。
「……!」
 答えに詰まるカガリとキラ。ライズ達や樹里、風花も同様だ。ただ一人、影太郎は仮
面を外し、バルトフェルドの目をじっと見つめる。
「死んだ方がマシな奴なんていないと思うぜ。死んだらそれまでだからな」
 影太郎がそう言うと、バルトフェルドは頷き、
「そのとおりだ。そっちの彼、君はどう思ってんの?」
 と、キラに話を振った。
「え?」
「どうなったらこの戦争は終わると思う? モビルスーツのパイロットとしては」
「!」
 凍りつく一同。ライズ達はカガリを守ろうと身構えるが、
「止したまえ。君達をここでどうこうするつもりはないよ」
 その言葉どおり、バルトフェルドは動かなかった。コーヒーを飲み、一息入れる。
「バルトフェルドさん、私達の正体に気付いていたんですか?」
 樹里が質問すると、バルトフェルドは笑い声を上げる。
「はっはっはっはっ。あまり真っ直ぐすぎるのも問題だぞ」
「あ」
 ここで樹里達はバルトフェルドがカマをかけていた事に気が付いた。自分達の方から
正体をばらしてしまったのだ。
「迂闊でしたね」
 風花の言うとおりである。敵陣にいるという事で必要以上に警戒してしまい、単純な
誘導尋問に引っ掛かってしまった。
 コーヒーを飲み終えたバルトフェルドがソファから立ち上がった。キラ達も立ち上が
り、部屋の反対方向に向かう。万が一に備え、キラはカガリの手を握り、ライズ達三人
はカガリの周りを取り囲む。影太郎も樹里と風花を庇うような位置に立つ。
 バルトフェルドは机の引き出しを開け、
「戦争には制限時間も得点もない。スポーツの試合のようなね。なら、どうやって勝ち
負けを決める? どこで終わりにすればいい? 敵である者を、全て滅ぼして!…か
ね?」
 銃を取り出し、その冷たい銃口をキラ達に向けた。
「!」
 このままでは危ない。そう思ったキラは何とかしようと考え、周囲を見回す。しか
し、
「止めた方が賢明だな。いくら君がバーサーカーでも、暴れて無事にここから脱出でき
るもんか」
「バーサーカー…?」
 自分の事をそう言う男に、キラは戸惑う。言葉の意味が分からないキラに影太郎が説
明する。
「北欧に伝わる狂戦士だ。普段は大人しいが、戦いになると興奮して、人が変わったよ
うに凶暴になり、時には味方にまで襲い掛かる」
「僕が……そんな戦士だって?」
 衝撃を受けるキラに、バルトフェルドは語り続ける。
「君が乗っていたあのストライクというMSの戦闘を見させてもらったよ。砂漠の接地
圧、熱対流のパラメーター。君は同胞の中でも、かなり優秀な方らしいな。あのパイロ
ットをナチュラルだと言われて素直に信じるほど、私は呑気ではない。それくらい強い
君でも、ここから脱出するのは無理だと思うよ。ここに居るのはみんな君と同じ、コー
ディネイターなんだからね」
「!」
 驚くカガリ。彼女はキラがコーディネイターだとは知らなかったようだ。
「君が何故同胞と敵対する道を選んだのかは知らんが、あのMSのパイロットである以
上、私と君は敵同士だということだな?」
「…………」
 答えられないキラ。その様子を見たバルトフェルドは、銃口をキラ達から外した。
「ふふ。やはり、どちらかが滅びなくてはならんのかねぇ」
 微笑むバルトフェルド。先程言っていたとおり、キラ達を殺すつもりは無いらしい。
「ま、今日の君達は命の恩人だし、ここは戦場ではない。そろそろ洗濯させた服も乾い
ただろう。帰りたまえ。話せて楽しかったよ。良かったかどうかは分からんがね」
 バルトフェルドの言うとおり、ここで敵である彼と話した事がいい事なのか悪い事な
のかは分からない。しかし、
「また戦場でな」
 そう微笑みながら別れを告げるバルトフェルドに、キラ達は何も言い返せなかった。
だが、キラ達が出て行った後、
「おや? 君は帰らないのかね」
 影太郎が一人だけ残っていた。彼は黒い仮面を付け、
「あんたはこの戦争に疑問を持っているようだな。だから敵をなるべく殺さないように
して、敵である俺達も見逃してくれる。けど、それが正しい事だと思っているのか? 
あんたが見逃した敵が、あんたを殺すかもしれないのに」
「そうなった時は、それが僕の運命だったというだけさ。例え殺されても僕は誰も恨ま
ないし、後悔もしないよ。いや、死んでしまったら、憎む事も後悔する事も出来ない
か」
 苦笑するバルトフェルド。影太郎も微笑んで答える。
「あんた、いい奴だな。敵にするには惜しい男だよ」
「君もなかなかだよ。だが、その言葉遣いは直した方がいいな。大人に対してするもの
じゃない。それにその仮面もどうかと思うぞ。自分の顔を晒せないような奴は信用され
ない。まあ白でない分、奴よりはマシだがね」
「ご忠告どうも。最後に一つだけ聞かせてくれ。あんたはこの戦争、正しいと思ってい
るのか?」
 真面目な顔をして訊く影太郎に、バルトフェルドも真面目な表情で答える。
「正しい戦争なんてあるのかね?」
「無いな」
「それが答えだ。特にこの戦争は、どちらにも正義があるようで、実はまったく無い気
がする。いや、こんな事をザフトの隊長が言っては駄目だな。隊の士気が下がる」
「いや、あんたの言うとおりだと思うぜ。俺もこの戦争は不愉快だ。俺達の知らない何
かに動かされているような、急かされているような気がする」
 それはアルベリッヒ・バーネットの記憶からの警告。はっきりとした記憶や言葉で現
してはくれないが、それでも何かを伝えようとしている。
「今、この世界で、俺達の知らない所で何かが動いている。それが俺達の敵なのか味方
なのかは分からないが」
「君の言っているのはブルーコスモスの事かね? それともロゴスか?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。俺にも良く分からないんだ。け
ど、用心だけはしておいたほうがいいと思う。じゃあな」
 影太郎はそう言い残して、客間を出て行った。一人になったバルトフェルドは影太郎
の言葉を思い出す。
「子供の空想、と笑い飛ばせないな。それだけ今のこの世界が歪んでいるという事か。
それとも、あの子の考えが真実かもしれないからか……」
 考え込むバルトフェルドの耳に、扉を叩く音が聞こえた。入室を許すと、副官のダコ
スタがお盆を持って入ってきた。お盆の上には子供用のカップが乗っている。
「隊長、ホットミルクをお持ちしました。あれ、お客さん達は?」
「遅いよ、ダコスタ君。やれやれ、せっかく入れたミルクが勿体無いな」
 バルトフェルドは影太郎の為に入れられたホットミルクを飲んだ。熱くて、そして甘
かった。



 それから数日後、バルトフェルド率いるザフトの部隊と、アークエンジェルとの決戦
の火蓋が切って落とされた。バルトフェルド隊は旗艦レセップスともう一隻の陸上戦艦
の他、多数のバクゥと戦闘ヘリを導入。北北西にあるタルパディア工場区跡地から紅海
に抜けようとしたアークエンジェルを追撃する。
 しかし追撃される事はアークエンジェル側も予測していた。『明けの砂漠』も全ての
戦闘用ジープを繰り出し、追ってきたバルトフェルド隊を迎え撃つ。
「これが虎との最後の戦いだ。今日こそ虎を倒す。いいな!」
 先頭を走るジープに乗るサイーブが激を飛ばす。『明けの砂漠』の面々の顔付きが変
わる。別のジープに乗るカガリも気を引き締める。その胸ポケットには、死んだ戦友ア
フメドの母がくれたマラカイトの原石が入っている。アフメドの分まで戦おうとするカ
ガリだが、同時にバルトフェルドに言われた言葉を思い出す。
『君も死んだ方がマシなクチかね?』『いい目だねぇ。真っ直ぐで、実にいい目だ』
「くっ、あんなふざけた奴に!」
 会わなければ良かった。そう思いながらも、カガリは戦場に向かう。
 アークエンジェルでも戦闘準備が整えられていた。キラはエールストライカーを装備
したストライクに乗り、ランチャーストライカーを装備したムウのスカイグラスパーが
それを援護する。スカイグラスパーの2号機にもソードストライカーが装備され、待機
している。一々換装するより、乗り換えた方が早いというムウの提案だった。
 出撃するエールストライク。スカイグラスパーも後に続く。そして『明けの砂漠』の
三機のクラウドウィナーと合流し、フォーメーションを組む。
 アークエンジェルには影太郎やサーペントテールの面々も乗っていた。ジャンク屋組
合は自衛以外での戦闘行為を禁じている為、影太郎やプロフェッサー達は今回の戦闘に
は参加できないが、『明けの砂漠』に雇われたサーペントテールは、キラ達と共に戦う
事になった。その為の手伝いなら影太郎達にも出来るので、一緒にやって来たのだ。
 発進するストライクを窓から見たリードは自分の髭を触りながら、
「ほう、ストライクはエールを使うのか。大丈夫なのか? あれじゃあ火力が足りない
だろう」
「いいえ、賢明な判断です。バクゥを相手にするなら火力より機動性です。火力に秀で
た連合の戦車部隊がバクゥの機動性に翻弄された記録は多数存在します」
「風花の言うとおりだ。影太郎、俺のジンは出られるか?」
 イライジャの問いに影太郎は頷く。
「修理も調整も終わっている。いつでも出られるぞ」
「そうか。じゃあ行って来る」
「敵はかなりの数です。イライジャ、気を付けてください」
 心配する風花の頭を、母親のロレッタが優しく撫でる。
「劾はいないけど、今のイライジャなら大丈夫。サーペントテールの名に恥じない仕事
をしてくれるはずよ」
 影太郎もそう思った。それにイライジャのジンも、今までとは少し違う。グゥド・ヴ
ェイアの専用ジンのパーツを一部流用し、赤と青が入り混じった姿をしている。性能は
大きく向上してはいないが、機体に込められた思いと、それを操る者の闘志は今までと
は違う。
「ヴェイア、あいつに力を貸してやってくれ」
 そう祈る影太郎の横には、ヴェイアのジンが分解された為、乗る機体が無くなってし
まった夏がいた。彼女の新しい機体はまだ完成しておらず、今回は留守番をするしかな
かったのだ。イライジャと一緒に戦えない苛立ちを隠し、夏も祈る。
「イライジャ殿、ご武運を……」
 友の、愛する人の生還を信じて、祈る二人。そんな二人を見たエレアは、クールな彼
女らしい呟きをする。
「祈っても力なんか出ないわよ。あいつが敵より強かったら生きて帰るし、弱かったら
死ぬ。それだけよ」
 エレアは聞こえないように呟いたのだが、側にいたプロフェッサーには聞こえたよう
だ。彼女は微笑んで、
「それでも祈らずにはいられないのよ。戦う力を持たない人は戦う意志を託すしかない
の」
「……ふん。地球人(テラナー)らしい軟弱な考え方ね。とにかく、こんな戦いはさっ
さと終わってほしいわね。倉庫に篭もりっぱなしのラグナスが錆びる前に」
 グチるエレナの眼下で炎が上がった。戦いが始まったのだ。



 アークエンジェルとバルトフェルド隊の戦いは、敵味方双方の予想を超える激戦にな
った。
 ザフトの戦闘ヘリはクラウドウィナーとアークエンジェルからの砲撃によって次々と
落とされ、『明けの砂漠』の戦闘ジープはバクゥの攻撃を避け切れず、爆炎を上げた。
そのバクゥも、キラのストライクのビームサーベルによって切り裂かれ、あるいはライ
フルからのビームによって胴体を貫かれていく。
 戦闘が激しさを増す中、旗艦レセップスからバクゥの上位機種ラゴゥが出撃する。操
縦しているはバルトフェルドとアイシャだ。ダコスタに艦を任せ、バルトフェルドはキ
ラのストライクに挑む。
 その一方で、近くに潜ませていたもう一隻の陸上戦艦にアークエンジェルを攻撃させ
る。前に二隻、後ろに一隻。計三隻の陸上戦艦での挟み撃ち。バルトフェルドの作戦は
完璧だった。
 後方からの砲撃を避けられず、被弾するアークエンジェル。ムウのスカイグラスパー
とライズ達のクラウドウィナーは前方の二隻の艦と交戦中で、キラのストライクはラゴ
ゥの俊敏な動きに翻弄されている。陸上戦艦に乗っている砲撃用MSザウートも、艦と
共に攻撃してきた。危機に陥るアークエンジェル。
「くっ、このまま終わらせるものか!」
 イライジャのジンが砂漠を駆ける。そして敵艦やザウートからの砲撃をかわし、船体
に取り付いた。そして零距離からの射撃で船体に風穴を空ける。
「あの艦には俺の仲間が乗っているんだ。落とさせる訳には行かないんだよ。俺達の為
に死んだ友(やつ)の為にもな!」
 クールなイライジャが吠える。そこへソードストライカーを装備したスカイグラスパ
ーが飛んできた。乗っているのはカガリだ。アークエンジェルの危機を知り、半ば強引
に乗り込んだのだ。
「イライジャとか言ったな。早くこいつを黙らせないと、レセップスが来るぞ!」
「分かっている。まったく、戦場に出てくる女はみんな勇ましいな!」
 イライジャのジンは艦上のザウートを次々と撃破する。カガリのスカイグラスパーは
その巨大な剣で艦の砲を切断し、敵艦を無力化させた。
 後ろの敵が沈黙した事で、アークエンジェルは前方の敵のみに集中する事が出来る様
になった。《ゴットフリート》の砲口がレセップスに向けられる。
「足つきめ、あれだけの攻撃でまだ!?」
「まずいわよ、アンディ!」
 アイシャの予測は当たってしまった。連続で放たれた《ゴットフリート》のビームが
レセップスの船体を貫き、艦の各所で爆発が起こる。
「ちいっ、足つきめ、やってくれる……!」
 ラゴウのビーム砲がストライクを狙う。しかしストライクはラゴゥのビームをかわ
し、逆にビームライフルの射撃を行なう。ビームはラゴゥの右前足に命中し、吹き飛ば
した。
「うっ! アンディ、熱くならないで。負けるわ!」
「分かっている!」
 ラゴゥのビームがストライクのビームライフルに命中し、これを破壊した。突進して
くるラゴゥに対し、ストライクは背部のビームサーベルを抜いた。ラゴゥも口の部分に
装備されたビームサーベルで切りかかる。両者の刃はそれぞれ、エールストライカーの
片翼とラゴゥの左翼を切り落とした。
 その間にもレセップスの被害は拡大していた。動力機関も振動モーターも停止し、戦
闘はおろか動く事さえ不可能になった。燃え上がる艦を見たバルトフェルドは、
「ダコスタ君」
「は、はい!」
「退艦命令を出せ。勝敗は決した。残存兵をまとめてバナディーヤに引き揚げ、ジブラ
ルタルと連絡を取れ」
「隊長……」
 ダコスタはその指示に従った。生き残った乗員を残り一隻の陸上戦艦に避難させ、レ
セップスを放棄する。
「君も脱出しろ。アイシャ」
「そんな事するくらいなら、死んだ方がマシね」
「君もバカだな」
「なんとでも」
 恋人達は最後の戦いを覚悟した。アイシャは砲の照準を定め、バルトフェルドは闘志
を燃え上がらせる。
「では、付き合ってくれ!」
 砂の大地の上をラゴゥが走る。その姿を見たキラは戦慄を感じた。
「バルトフェルドさん!」
「まだだぞ、少年!」
「もう止めて下さい! 勝負は付きました、降伏を!」
 キラの言うとおりだ。だが、ラゴゥは止まらなかった。
 ビームサーベルで切りかかるラゴゥ。ストライクはかわすが、完全には避け切れず、
エールストライカーの残りの片翼が切り落とされてしまった。しかしストライクもラゴ
ゥの背部の砲を切り落としていた。
「言ったはずだぞ! 戦争には明確な終わりのルールなど無いと!」
「バルトフェルドさん!」
 戦いたくないキラの耳にエネルギー切れの警報音が飛び込んでくる。予想以上の長時
間の戦闘で、ストライクのエネルギーが尽きてしまったのだ。ストライクのフェイズシ
フト装甲が停止し、機体の色がトリコロールカラーから灰色に変わる。
 ラゴゥの操縦席は火花に包まれていた。その中でバルトフェルドは叫ぶ。
「戦うしかなかろう。互いに敵である限り、どちらかが滅びるまでな!」
 迫り来るラゴゥ。命の危険を察したキラの中で、何かが弾け飛んだ。キラの瞳の色が
変わり、その心は驚くほど澄み切っていく。
 ストライクは邪魔なストライカーパックと盾を投げ捨てた。そしてアーマーシュナイ
ダーを取り出し、ラゴゥに突撃する。ラゴゥも迎え撃つ。
 激突する両機。ストライクはラゴゥの懐に飛び込み、上部からアーマーシュナイダー
を突き刺した。鋭い刃はラゴゥの装甲を貫き、動力部を破壊した。ストライクがその場
を飛び退くとラゴゥは倒れ、そして、
「アンディ!」
「ううっ……」
 恋人達が最後の抱擁を交わすと同時に爆発した。
 キラは勝利した。だが、彼の心に残ったのは哀しみだけだった。
 バルトフェルドは悪い人間ではなかった。なのになぜ、殺さなければならなかった?
 なぜ戦わなければならなかった? バルトフェルドが言ったとおり、この戦いはどち
らかが滅びるまで戦うしかないのか? 殺し続けるしかないのか?
「僕…僕は…殺したくなんかないのに!!」
 絶叫するキラ。その声はアークエンジェルにいる影太郎には届かなかったが、キラの
心が哀しみに満ちている事は影太郎にも分かった。
「バーサーカー、か……」
 バルトフェルドはキラの事をそう呼んでいた。しかし影太郎はそうは思わない。あん
なに優しいバーサーカーなどいるものか。あんないい奴をバーサーカーにしているこの
戦争が間違っているのだ。
『俺はこれからどうすればいい? ヴェイア、俺はキラの為に、みんなの為に、何をす
ればいいんだ?』
 悩む影太郎の頭に、ある言葉が浮かび上がる。
「正義の味方……」
 それはかつては漠然とした目標だったが、今は違う。
『バルトフェルド、あんたが空しさを感じていたこの戦争の底にある真実を探ってみ
る。そして、そこにあるものの正体を掴んでみせる。それが今の俺の正義だ』
 戦争を止めようとする意志。それは紛れも無く正義だ。ならば俺はその味方になろ
う。もうこれ以上、友の悲しむ顔を見たくないから。
 影太郎は亡き友と、今生きている友に誓った。この命が尽きるその日まで戦い、自分
の正義を貫く事を。

(2007・7/7掲載)
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