第13章
 潜入、大西洋連邦

 大西洋の深海を、一隻の潜水艦が進んでいた。表向きは大西洋連邦の潜水艦だが、実
はアズラエル財閥が買い取ったブルーコスモスの艦である。
 いや、それも真実ではない。この潜水艦の真の所有者はアズラエルの上に存在する邪
神ダブルG。神に仕える者達を乗せて、潜水艦は大西洋を西へと進む。
 この潜水艦は無人機として改造されており、運行に多くの人手を必要としていなかっ
た。今、この艦に乗っているのはダブルGの亜使徒であるクロナ、マゴット、吟と、マ
ゴットに従うポーシャとその手下二人。そしてもう一人、
「随分と時間が掛かるのね。はあ、退屈だわ」
 艦長席に座るマクシー・ミガゲノ。マゴット達のような亜使徒ではなく、ダブルGに
直接従う使徒の一人である。彼はクロナ達の直属の上司ではないが、それでもクロナ達
は緊張していた。まだ説明は聞いていないが、今回の任務は幹部である使徒が自ら指揮
を執るほどの重要なものなのだろう。ならば、失敗は絶対に許されない。
 緊張で顔を強張らせるクロナを見て、マクシーは苦笑する。
「そんなに緊張しなくてもいいわよ、クロナちゃん。あたしは遊びに来ただけなんだか
ら」
「遊び? ミガゲノは遊ぶの? 虫と遊ぶの? 虫、虫、蟲、蟲と遊ぶ、遊びましょ、
うふふふふふふふふふふふふふ」
 マゴットは普段どおりだった。
「そうよ。あたしは遊びに来たの。あんた達が何度も取り逃がしている連中に興味が沸
いてきたのよ。あたしの亜使徒のアッシュや、新入りのミハイルもやられちゃったでし
ょ? 暇だったし、どんな連中なのか、一度見てみたくなったの」
「そんな理由で地球に降りてきたんですか? ダブルGがよくお許しになりましたね」
「仕事はちゃんとやってるわよ。それに吟ちゃんだって好き勝手やってるんだもの。使
徒のあたしだって、偶には遊んだっていいでしょ?」
 吟はドキリとした。ダブルGの命令だと偽って、クロナ達を動かした事を咎められる
かと思ったのだ。しかしマクシーはそれ以上の追求はせず、
「剛馬ちゃんには悪いけど、連中にはここで死んでもらう事になりそうね。このあたし
が出るんだもの。アズラエルからいいオモチャも貰ったし、久しぶりに遊んじゃうわ
よ。うふふふふふ」
 ほくそ笑むマクシー。男らしくない、しかし女らしくもない、嫌らしい微笑だった。
 クロナはマクシーのこの微笑が嫌いだった。この微笑を見ていると、クロナの心の奥
にいる、どす黒い何かが揺さぶられる。そんな感じがするのだ。



 大西洋連邦。
 南北アメリカ大陸を領土とするこの国は、その圧倒的な経済力と軍事力で世界に君臨
する、地球最大の国家である。反コーディネイター、反プラントを掲げ、ユーラシア連
邦や東アジア共和国などと手を組み、プラントやそれに協力する大洋州連邦などと交戦
している。
 プラントの政府やマスコミは最大の敵国であるこの国を『悪の帝国』のように扱い、
恐れていた。プラントに住む人々にとって大西洋連邦は、足を踏み入れただけで殺され
る、そんな無法地帯のようなイメージを抱かせる危険な国だった。
 プラント育ちの宮城夏も、そこまで極端なものではなかったが、大西洋連邦にあまり
いいイメージは抱いていなかった。ブルーコスモスを支援しているというアズラエル財
閥の本社がある国に好感を抱けというのは無理がある。マチルダが指定された空港に着
陸した際、夏は気を引き締め、影太郎達をブルーコスモスや連邦の軍から守る為に一戦
交える覚悟をした。
「そこまで緊張しなくてもいいと思うが……」
 というジャン・キャリーの言葉も届かず、夏は一同の先頭に立ってマチルダから降り
た。
 しかし、そんな夏を出迎えたのは、二人の中年男性と、二人を警護している数人のS
Pだけだった。中年男性の一人は軍服を着ていたが、禿げ上がった頭といい、温厚そう
な表情といい、とても危険な人物には見えない。
 戸惑う夏に向かって、もう一人の中年男性が話しかけてきた。背広をまとった、紳士
的な人物である。
「ようこそ、大西洋連邦へ。サンダルフォン大佐から話は聞いている。シャドウ・セイ
バーズの諸君、私達は君達を歓迎するよ」
「そういう事だ。そんなに緊張しなくても大丈夫。取って食ったりはせんよ。はははは
はは!」
 禿頭の中年軍人は、豪快に笑った。その笑い声に『裏』は感じられなかった。
 紳士的な男の名はジョン・S・ブラウン。大西洋連邦の上院議会の議員で、次期大統
領の呼び声も高い大物政治家だった。
 禿頭の軍人の名はシグマン・ウェールズ。階級は少将だが、今は閉職に回されている
らしい。
「今は退屈な事務職をやらされておるよ。サザーランドめ、余程この禿頭が目障りらし
い。汚れきった奴の目には、この頭は眩しすぎるのかもしれんな。ははははははは!」
 豪快に笑うウェールズと、それに苦笑するブラウン。どちらも悪い人間ではないよう
だ。影太郎はこの二人を信用し、自己紹介した後、自分達がこの国に来た事情を説明し
ようとしたが、その前に救急車がやって来た。そしてマチルダから未だ目覚めぬナイ
ン・ソキウスが運び出され、車に乗せられて去っていった。その早業に驚く影太郎達に
ウェールズが、
「サンダルフォンから話は聞いていると言っただろう。彼なら心配いらん。最高の病院
と最高の医師を手配してある。きっと助かるよ」
 と、心強い言葉をかけてくれた。聞く者を安心させる、力強い声だった。
 その後、影太郎は二人をマチルダの中に案内した。二人のSPも艦内に入り、一同は
マチルダで一番広い部屋、食堂で話し合う事にした。
 まず大西洋連邦の中でもかなりのVIPであるブラウンとウェールズがここに来た理
由だが、
「あのサンダルフォンが入国を許可してくれるよう頼んだコーディネイターというの
で、興味が沸いた」
「暇だったからだ。いや本当にな。はははははは!」
 という、本当にそれでいいのか?と言いたくなるような理由だった。
 サンダルフォンは大西洋連邦でも有名な反コーディネイター思想の持ち主であり、ブ
ルーコスモスの幹部である事を公言している。それ程の男が認める程のコーディネイタ
ーに興味が沸くのは、人として当然だろう?
「それはそうかもしれないけど、本当に見に来るのはどうかと思うわよ」
 エレアのこの発言には、意外にもSP達が頷いていた。どうやらブラウンには普段か
ら振り回されているようだ。
「私はまだまだ未熟だからね。しかも臆病者なんだ。だから色々なものを見て、考え、
そして知識を蓄えていかないと安心できないんだよ」
 ブラウンのその理屈は、少し分かる気がした。彼は多くの人の未来を背負っている政
治家だ。間違った判断を下せば、自分だけでなく国民全てを苦しめる事になるかもしれ
ない。だから興味、もしくは不安を抱かせるようなものに対しては自らの目で見て、耳
で聞いて、それから考えたいのだろう。
「大した行動力ね。そして慎重だわ。ううん、臆病というべきかしら?」
 歯に絹を着せないエレアに、ブラウンは苦笑を浮かべた。
「そうだな。だが私は政治家は臆病なくらいでちょうどいいと思っている。どこぞの財
閥のお坊ちゃまのように、怖いもの知らずのイケイケでは困るのだよ。しかし、今はそ
ういう人間がトップになり易い時代のようだ」
「軍も似たようなものですよ。サザーランドを筆頭に、どいつもこいつもコーディネイ
ターを皆殺しにするつもりらしい。勝利イコール虐殺だと考えているようだ。まったく
嘆かわしい」
 愚痴るウェールズ。政治も軍もそんな調子では、プラントとの戦争は激化する一方
だ。いや、激化するだけならまだいい。問題は止まらなくなってしまう事だ。
「プラントの人々を皆殺しにするまで、地球軍は止まらない恐れがあると言うのか?」
 影太郎の問いに、ブラウンもウェールズも答えは出さなかった。しかし、二人の沈黙
はその可能性がある事を物語っていた。
 黙る二人に代わって、エレアが口を開く。
「あるいはプラント側が地球の人達を殺し尽くすかまで、ね。噂じゃ連中は凄い兵器を
作っているらしいわよ。数年前から火星産のレアメタルをたくさん買い込んでいるらし
いし」
「その噂なら拙者も聞いたでござるよ。しかしそれはMSやニュートロンジャマーの事
ではないのでござるか?」
「MSやNジャマーだけに使うにしては、レアメタルの量が多すぎるのよ。まだ何か作
るのかもしれないわ。あるいは、もう作ったのかも」
 プラントの人々は『血のバレンタイン』の一件以来、地球に住むナチュラルを嫌って
いる。それでも温厚派のシーゲル・クラインがプラントの評議会を制している間は押さ
えられたのだろうが、
「先日、パトリック・ザラが評議会議長に就任した。あの男は我々ナチュラルを心底か
ら嫌っている。現状で講和などしないだろうな」
「最低でもパナマを落として、オペレーション・ウロボロスを達成してからでしょう
な。しかしそうなったら、こちらの過激派が黙ってはいない。コーディネイターはやは
り危険だ、滅ぼすべきだと世論を煽り、戦争はますます激化するでしょう」
 ブラウンとウェールズの予想の的中率は極めて高いだろう。それは最悪の未来でもあ
る。
「全面戦争になれば、地球もプラントも無事ではすみません。食い止められないのです
か?」
 ジャンはブラウン達に問うが、二人は答えなかった。いや、この二人にも答えが分か
らなかったのだ。
 重苦しい雰囲気の中、影太郎が口を開いた。
「やっぱりこの戦争には何かがあるな」
「? 何か、とは何だね?」
 子供の言葉にもウェールズは真剣に耳を傾けた。彼はそういう人間だった。影太郎は
シグマン・ウェールズという人間に好感を持って、話を続ける。
「ここに来るまでに俺達は何度も正体不明の連中に襲われた。最初はザフトや地球軍か
と思ったが、どうも違うみたいだ。そして、この戦争の影では何かが動いている。もし
かしたら俺達を襲った連中が、その『何か』かもしれない」
 影太郎の言葉に、ブラウンはある組織の名を思い浮かべる。古の時代から政治や経済
をコントロールしてきた、世界的なな軍産複合体組織ロゴス。奴らの仕業なのか?
 ブラウンが口にする前に、エレアが同じような答えを言う。
「その『何か』って、もしかしたら死の商人じゃない? 戦争を長く続けさせる事で武
器を大量に売って、大儲けしようとしているのよ」
 エレアの考えに、影太郎は少し考えた後、首を横に振る。
「違うな。少なくとも俺達を襲った連中は金が目的じゃない。それにこの戦争には、金
儲けなんかじゃない、それ以上の悪意を感じるんだ。人類や世界に対する圧倒的な憎
悪。そんなのが蠢いている気がするんだ」
 影太郎の中に宿るアルベリッヒ・バーネットの記憶も、同じように感じていた。つま
り生前のアルベリッヒも、この嫌な空気を感じていたのだろう。いや、もっと具体的な
証拠を掴んでいたのかもしれない。だからあの男は、あんな事をしてまで……。
「いや、結論を出すのはまだ早いな」
 影太郎は自嘲するかのように言った。それからブラウン達に、
「ナインの事は頼んだぜ。俺達は仕事をさせてもらうぜ」
「仕事? ジャンク屋の仕事かね?」
「ああ。ベルリンで手に入れたパーツを売らないと、ナインの手術代も払えないから
な」
 意気込む影太郎。しかし、ブラウンが申し訳無さそうに、
「悪いがそれは無理だ。君達に与えられたのは大西洋連邦への入国許可のみで、この国
でのジャンク屋としての営業許可は降りなかったんだよ」
「…………え?」
 ジャンク屋組合に所属している者は、どこの国にも入国できるし、それを止める事は
国際法で禁じられている。しかし最近、そのジャンク屋の特権を悪用して敵国にスパイ
として潜り込み、情報や物資を盗み出す者が増えてきた。つい先日もそんな悪質なジャ
ンク屋が逮捕され、政府はジャンク屋に対して警戒を強めているのだ。
「それは酷いでござる! 拙者達はそんな悪党ではござらん!」
「私もそう思う。しかし今は無理だ。ジャンク屋組合に抗議して、その特権を剥奪すべ
きだという連中もいる。こんな時に君達が派手に動き回れば、ジャンク屋に対する警戒
を強めてしまうだろう。それは君達にとってもマズいんじゃないのかね?」
 ブラウンの言うとおりだ。大気圏突入の際の一件や、ベルリンへの到着が遅れた事
で、組合の影太郎達への評価はあまりいいものではない。これ以上、組合に迷惑をかけ
れば除名されるかもしれない。
「ナイン君の手術が終わるまでは大人しくしているしかないようだね」
 ジャンの言うとおりらしい。しかしそれでは金が稼げない。困った影太郎に、ウェー
ルズ少将が救いの手を差し伸べた。
「そんなにお金を稼ぎたいのなら、私がいい仕事を紹介しよう。ちょうど人手が欲しか
ったところだ。ジャンク屋の仕事ではないが、どうかね?」
 影太郎は親切なこの禿頭の少将に感謝したが、釘を刺すのも忘れなかった。
「仕事の内容次第だね。穴掘りの手伝いや、オトリ役以外なら受けてやってもいいよ」
 ウェールズは少し驚いた後、苦笑した。
「そういう仕事ではないよ。だが、そうだな、ある意味ではそれ以上に厳しい仕事かも
しれん」
 シグマン・ウェールズ。彼は軍人にしては正直な人間だった。実際、そのとおりの仕
事だったのである。



 大西洋連邦軍、フロリダ基地。ここは大西洋連邦のアグレッサー部隊の駐留基地でも
ある。
 アグレッサー部隊とは、簡単に言えば教官パイロット達によって構成された部隊であ
る。兵士達を指導する役目を与えられた彼らは、全軍から選び抜かれたエリート達であ
り、新兵器も優先して与えられる。そしてデータを蓄えた後、各地に赴き、未熟な兵士
達を鍛えるのだ。
 そんなエリート達の集まりであるアグレッサー部隊にも例外はいる。腕はいいのだ
が、性格に問題がある者が少なからずいるのだ。例えば、
「いやー、参ったぜ。昨夜はバーの女の子達が離してくれなくてさあ。危うく門限を破
るところだったぜ。ジョニー、お前は間に合ったのか?」
「ギリギリセーフだ。途中でチンピラどもに喧嘩を売られたが、全員KOしてやった」
「さすがは壊し屋ジョニー。容赦ないな」
「いやいや、キレた時のエドには敵わないさ。あの時のお前は怖かったな。今でも思い
出すと足が震える」
「若気の至りってやつだ。女の子の前では、そんな怖い話はするなよ。それから、お前
も少しケンカは控えた方がいいぜ」
「俺が売ったんじゃない。あいつら、ちょっと肩がぶつかったくらいで頭に血を上らせ
るなんて、カルシウムが足りないにも程がある。この辺りも柄の悪い連中が増えてきた
な」
「ああ。そして可愛い女の子は田舎に帰ってしまい、どんどん減っていく。人生って、
どうしてこんなにも不条理なんだろうな」
「そうだよなあ。俺達がモテモテになる日はいつの事やら……」
「永遠に来ないと思うわよ、このバカコンビ」
「あ、ジェーン」
「よう、久しぶり。元気だったか? 俺は寂しかったぜ。また生きてジェーンに会える
なんて、こんなに嬉しいことは無いぜ」
 同僚エドワード・ハレルソンの軽口に、ジェーン・ヒューストンはため息をついた。
「久しぶりって、さっき別れたばかりじゃない。そっちの訓練はもう済んだの?」
「ああ、終わったさ。あんなイージーな訓練、俺とジョニーには子供のお遊びみたいな
ものだ。なあ、ジョニー?」
「そのとおり。清く正しく逞しく、スピーディーかつアクティブに。それが俺達のトレ
ーニングだからな」
 エドと仲のいいこの茶髪の男の名は、ジョナサン・アーケンス。後に『切り裂きエ
ド』と呼ばれる親友に匹敵する腕を誇る、このフロリダ基地のアグレッサー部隊の中で
もトップクラスのエースパイロットだ。自分で言っている程、不真面目な人間ではな
く、遊び呆けているのもエドに付き合っているだけだ。だからこそ、エドと並ぶ問題児
になってしまったのだが。
「やる事をやっているから上は何も言わないけど、何かミスをしたら、あなた達二人と
もタダじゃすまないわよ。もう少し気を付けて行動しなさい」
「分かっているさ。心配するなよ、ジェーン。お前を残して死んだりしないさ」
「はいはい」
 エドを軽くあしらって、ジェーンは去っていった。
「ちぇっ、またかわされたか」
「エド、お前もう少し真剣に口説いたらどうだ? ジェーンはお前の事を嫌っていない
ぞ。お前が勇気を出せば、きっと彼女は答えてくれるさ」
「お前の女神とは違ってか? ……あ、悪い、傷つけるつもりは無かったんだ。だから
そんなに落ち込むな。な?」
「い、いや、いいんだ。もう俺は吹っ切ったから。レナの事なんて、もう全然気にして
いないさ。はは、あはははははははははは」
 乾いた笑いで強がる親友を、エドは元気付けようとする。
「そ、そういえば今日は慰問コンサートがあるんだよな。可愛い女の子が来るそうじゃ
ないか。楽しみだなあ」
「…………エド、お前、そういう趣味だったのか?」
「えっ?」
「告知をちゃんと見てなかったようだな。今日来る女の子は…」



 エドがジョナサンから衝撃的な事実を告げられたその頃、マチルダはフロリダ基地に
向かって飛んでいた。
 本来なら民間機で、しかも大西洋連邦の機体ではないマチルダが軍の基地に行く事な
ど許されない。しかしウェールズ少将の特別の計らいと、彼から依頼された仕事の為、
特別に許可されたのだ(それでも基地の中に着陸する事は許されず、基地からかなり離
れた所に着陸するせよと指示された)。
 ウェールズからの依頼は、人を一人フロリダ基地にまで運んでほしい、というものだ
った。仕事そのものは簡単だったが、運ぶ人物というのが問題だった。現在、マチルダ
の操縦室で艦長席に座り、だらけきっている幼い少女。この子がウェールズから運んで
ほしいと頼まれた客なのだが、
「あー、だるっ。そして退屈だわ。誰か、芸をしなさい、芸を。ゲイじゃないわよ、芸
術とか芸人とかの芸よ。聞いてる? ねえちょっと、みんな聞いてる? テルペの声、
聞こえないかな? それとも無視してるの? いい度胸ね。テルペ、ちょっとムカッと
きたかも。でも、あー、だるっ。だるくて怒る気も無いわ。あー、ホントにだるっ。そ
して退屈。誰か何とかしなさいよねー」
 と、こんな感じである。操縦している夏やエレアの気持ちなどお構いなし。好き放題
に喋り、だらけて、退屈しているのだ。
「あー、そういえば、あの影太郎ってのはどこ行ったの? あの、テルペと同い年くら
いのクセに大人ぶった、ちょっと変な奴。子供のくせに、妙にオッサンっぽいのよね
え。きっと好物はスルメとか豚足とか、酒のおつまみになりそうなのばかりだわ。そし
て体臭までオッサンレベルになるのよ。ウェールズさんが子供の頃、そんな子だったっ
て言ってたもん。類は友を呼ぶのね」
 言いたい放題なテルペ。実はこの発言は扉の向こうにいた影太郎も聞いていた。影太
郎は自分の頭に手をやった後、足元にいるレウと、後ろにいたラグナスに、
「俺、大丈夫だよな? 寿命は短いみたいだけど、大丈夫だよな?」
「ク〜ン……」
「俺、サイボーグだからよく分からないです。すいません」
「くっ。ま、まあいい、気にしない事にしよう。色々言われたジャンに比べたら、この
程度の毒舌は耐えられるさ」
 ちなみにジャンは整備室に篭もっていた。テルペの毒舌に撃沈寸前になり、ギリギリ
で退避したのだ。どうやら彼女はオッサンと呼ばれる年代の男が嫌いらしい。
「まったく、ウェールズ少将もとんでもないお荷物を押しつけてくれたな。あのテルペ
って子、清純派のチャイルドアイドルだって噂だったのに」
 ぼやく影太郎。どちらかといえば芸能オンチな彼も、テルペの名前は聞いた事があ
る。
 テルペことエウテルペ・テレプシコーラ。わずか八歳にして、その元気溢れる歌声で
多くの人を魅了している、地球の幼い歌姫。『妖精』とも呼ばれているらしいが、その
実態は、
「まさかエレアをも凌ぐ毒舌娘だったとは。世界は広いぜ」
「まったくです。あの年でエレアさんを超えているなんて、あの子の将来が心配です」
 頷き合う影太郎とラグナス。エレアが聞いたら折檻間違いなしの暴言である。
 元気な妖精の顔と、生意気な毒舌家の顔を併せ持つテルペだが、フロリダ基地の慰問
コンサートの仕事を受けて以来、彼女の元に奇妙な事件が続発した。「コンサートを中
止しろ」という手紙が大量に送られてきたり、自宅の庭に犬や猫の死体が放り込まれて
いたり……。
 嫌がらせの相手の正体は不明だが、このままではテルペの身も危ない。大西洋連邦の
国内ではあるが、それでも今は戦時下だ。何が起こるか分からない。テルペの所属事務
所はコンサートの中止を考えたが、
「あの子は脅しなんかには屈しない、コンサートは絶対にやる!って言い切ったそう
だ。強い子だな」
「ただの毒舌家じゃないんですね。そういうところもエレアさんと似てるなあ」
 テルペの決意は固く、ついに事務所も折れた。しかし、テルペのいるニューヨークか
ら会場のフロリダ基地までは遠い。車などでは途中で襲われる可能性がある。警備を強
化しても、相手は警報装置が山のように仕掛けられているテルペの家の庭に侵入した程
の奴だ。万が一、という事もある。
 フロリダ基地に入れば一安心だ。基地までどうやってテルペを運ぶか。閉職に回さ
れ、軍側からこのコンサートを取り仕切る事になったウェールズは頭を悩ませていた。
「そこへやって来たのが俺達ってわけだ。確かに空の上なら、ストーカーも近づけない
からな」
「いいアイデアですね。テルペさんは安全にフロリダまで行けて、こちらは報酬が貰え
る。いい事尽くめじゃないですか」
「ああ、俺もそう思ったんだけどな」
 まさかテルペがとんでもない毒舌家で、だらけきったキャラだとは思わなかった。毒
舌を浴びせられまくったジャンはリングアウトし、続いてターゲットになった夏は放心
寸前。エレアは完全無視を決め込んでおり、操縦室の空気は最悪だ。
「仕方ない。ここは俺が行くか。知恵と勇気と根性を振り絞って!」
「ええ、頑張ってください。応援しています」
 ラグナスからのエールを背に受けた影太郎は、レウを抱え上げて、操縦室の扉を開け
た。
「あ、戻ってきた。どこ行ってたのよ。トイレ? 借金の計算? パラシュートを付け
ずにこの艦から飛び降りる練習? ま、どーでもいいけど」
 早速の毒舌攻撃。しかし影太郎は怯まなかった。彼には最終兵器がある!
「テルペちゃん、退屈ならこの犬と遊ばないか? こいつは頭がいいから、一緒に遊ん
だら楽しいと思うよ」
「ワン!」
 元気よく吠えるレウ。対するテルペの返事は、
「テルペ、犬嫌い。猫の方がいい」
「即答かよ」
 その可愛らしさで多くの人を魅了してきたレウ、初めての敗北。
 などとやっている内に、フロリダ基地の姿が見えてきた。そう、前に進み続けて入れ
ば道は開ける。沈んだ太陽もいつかは昇る。明けない夜はないのだ。
「何、その使い古された表現。ダサいしキモい」
 ………………エウテルペ・テレプシコーラ。末恐ろしい子供である。



 テルペのコンサートは、フロリダ基地から少し離れた場所に作られた特設会場で行わ
れる事になっていた。屋外だが音響設備は整っており、歌は会場の端までよく聞こえ
た。
 人手が少ないので、影太郎達も会場の設営を手伝わされた。なかなかの重労働だった
が、「こいつは趣味で仮面を被っているんです」と偽って参加させたラグナスの力もあ
り、作業は予定より早く終わった。
 おかげでテルペの歌をリハーサルで聞く事が出来た。ステージの上のテルペは、だら
けきっていた時とは表情も気迫もまったく違う。その真剣さと力強さは、同一人物とは
思えない程だった。
「凄い歌だ。子供とはいえ、さすがプロだな」
「そうでござるな。聞いていると、何だか元気が出てくるようでござるよ」
「ワン!」
 テルペの毒舌に凹まされた夏も復活した。人の心を震わせ、元気付けるとは、大した
歌だ。もしかしたらテルペはラクス・クラインやシャロン・ソフォード、そしてジャン
ルは違うが佐々山一朗のような、いや、彼ら以上の歌手になるかもしれない。
「それでも、もうあの子をマチルダに乗せたくはないわね。影太郎もそう思うでし
ょ?」
「何だ、さすがのエレアもテルペには勝てないか?」
「自分と同じようなキャラを相手にするのが、こんなに疲れるとは思わなかったわ。無
視するだけで精一杯よ。アタシも年を取ったのかしら?」
「そんな事はありませんよ。エレアさんはまだまだお若い」
「ラグナスにそう言われてもね」
 自分の年も分からないラグナスに言われても、あまり嬉しくないのだろう。エレアは
苦笑した。
「呑気だねえ。大きな嵐が近づいているのにさ」
 背後からの声に、影太郎達は即座に振り返った。影太郎達の後ろには一人の少年が立
っていた。夏にさえその気配を感じさせなかった、黒髪とブルーの瞳が特徴的なこの少
年。影太郎は知っていた。中東のバザーで会った、あの少年だ。
「お前は…」
「ああ、そういえば自己紹介がまだだったね。僕の名はマルコ・フィオーレ。ママと一
緒に世界を見て回っているんだ」
 見た限りでは、ごく普通の少年だったが、影太郎も夏達も油断しなかった。こうして
話をしていても、少年からは気配をまったく感じないのだ。この少年、見た目以上に危
険な存在だ。
「そんなに警戒しなくてもいいよ。君の事は気に入らないけど、今日はそういうつもり
で来たんじゃないんだ」
「じゃあ、何をしに来たんだ?」
「警告だよ。ママが言ってた。あの子、狙われているんだってさ」
 マルコはステージの家で歌っているテルペに目を向けた。
「ストーカーに付きまとわれているのは知っている。だから俺達がここまで連れてきた
んだ」
「知っている。でもママが言ってた。あの子を狙っているのは、ストーカーなんて生易
しい奴じゃないって。もっとちゃんと守ってやりなよ。じゃあね」
 そう言って去ろうとするマルコの背に、影太郎は声をかける。
「待て。どうしてお前は、お前のママは俺達にそんな事を教えるんだ?」
「…………」
 マルコは再びテルペの方に目を向けた。そして小声で、
「ママが言ってた。いい歌を歌う人間は、それだけで生きる意味と価値があるって。僕
もそう思う」
「お前……」
「ま、せいぜい頑張りなよ。君達の活躍に期待しているからさ」
 本心を見せぬまま、マルコは去っていった。影太郎はマルコの謎めいた雰囲気に気を
かける一方、周囲の冷たい空気を感じていた。何かが来る。何か、強烈な悪意が近づい
てくる。



 日が沈み始めた頃、テルペのコンサートは予定通りの時刻に開演した。
「ああ、この世界は、どうしてこんなにも美しく、だけど残酷なのか。そして大人達は
…」
 八歳の子供とは思えない歌唱力を見せるテルペ。彼女は自分の過去を知らない。親も
家族もいない。物心がついた頃には彼女は一人だった。自分の素性も名前も知らなかっ
た彼女は、生きる為に歌い続けた。歌えばお金が貰えるし、歌うのは好きだったから、
彼女は懸命に歌った。
 その切ない思いは今も変わらない。自分には歌しかないのだ。エウテルペ・テレプシ
コーラという名前も、歌っている内にそう呼ばれるようになり、名乗るようになった。
テルペは歌で全てを手に入れた少女だ。だから彼女は歌い続ける。生きる為の全ての力
を注ぎ込み、これから何があっても、歌い続けるのだ。
 テルペの気迫は、戦闘のプロである軍人達の心も揺さぶった。エドもジョナサンもジ
ェーンも、全員が夢中になってテルペの歌を聞いている。力の限り、拍手してくれる。
テルペにとって至福の時間だった。
 しかし、彼女の幸福を望まない者がいる。
 突然、爆発する警備車両。それも一台だけではない。二台、三台と、まるで連鎖反応
のように爆発していく。
 爆弾が仕掛けられていたのか? いや、コンサートが始まる前に全ての施設や車両は
入念にチェックした。それに爆発した車両だが、どの車両もペシャンコになっていた。
まるで上から大きな何かに踏み潰されたかのような状態なのだ。
「こ、これは一体、どうなっているのよ?」
「パニクってる場合じゃない! ジェーン、早く来い、基地に戻って出撃するぞ!」
「出撃!? エド、出撃するってどういう事よ?」
「これは敵襲だ! だから迎え撃つ、それだけだ。ジョニー!」
「おう、分かってる!」
 普段のいい加減さが消し飛んだエドと、その後を追って走るジョナサン。ジェーンも
すぐに状況を理解して、二人の後に続く。
 一方、テルペはまだステージの上にいた。スタッフの「逃げろ!」という声も訊か
ず、空を見上げていた。何が起こっているのかは分からないが、自分の大切なコンサー
トが滅茶苦茶にされたのは確かだ。誰だ? 誰の仕業だ? そしてそいつはどこにい
る?
 怒りに身を振るわせるテルペ。しかし、敵の魔手は容赦なく彼女に迫っていた。
「危ない!」
 間一髪、飛び込んだ影太郎がテルペを抱きかかえて、その場を飛び退く。その直後に
テルペのいた場所に大きな穴が開いた。
「あ、あれは……何なの?」
 驚き、そして恐怖するテルペ。その表情は、毒舌を撒き散らしていた時とはまったく
違う、八歳の女の子らしいものだった。しかし影太郎は、テルペにこんな顔をさせる
程、怖がらせた敵に腹が立った。
「ジャン、夏、敵は姿を隠している。居場所は…」
 検討を付けようとする影太郎だったが、その必要は無かった。敵は自らその姿を現し
たのだ。ミラージュコロイドを解除して現れたのは、黒いロングダガーだった。その手
には鋭いナイフが握られている。
「ステージに大穴を開けたのはあれか。クソッ、このステージを作るのは俺達も手伝っ
たのに!」
 何から何まで腹が立つ敵だった。一生懸命に歌っていたテルペを怖がらせた事も、ス
テージを壊した事も許せないが、何より許せないのは、この敵がこの破壊行為を楽しん
でいる事だった。あの黒いロングダガーのパイロットは、敵を殺す事や、物を壊す事を
躊躇わないタイプだ。『凶暴』より『凶悪』という表現が似合う人間。そういう奴は手
強いが、絶対に許せない。
「ジャン、夏、ラグナス、頼んだぞ!」
 影太郎は頼りになる仲間達の名を呼ぶ。それに応えるようにジャンの白いジンが、夏
のケンタウロスが、そしてラグナスのディンがマチルダから出撃した。三機のMSは黒
いロングダガーを取り囲み、絶対に逃がさないようにする。
 この状況を、黒いロングダガーの操縦者は喜んでいた。マクシー・ミガゲノは三機の
敵を見回した後、
「うーん、いいわねえ。クロナちゃん達を手こずらせている奴だけじゃなく、あの『煌
く凶星「J」』までいるなんて。わざわざ地球に降りてきた甲斐があったわ。本当に楽
しめそう! たまには吟ちゃんの思惑に乗るのもいいわね」
 このコンサート襲撃計画を立てたのは吟だった。彼は以前からテルペにストーカーま
がいの嫌がらせをしていた。「コンサートを中止しろ」と言えばテルペは意地になっ
て、何としてでも今日のコンサートをするだろうと予測。そこをダブルGの命令だと偽
って、クロナ達に襲わせるつもりだったのだ。
「自分とはまったく違う歌を歌う目障りな小娘を、他人の力を使って潰す。吟ちゃんっ
て狡猾よねえ。でも、あたしが降りて来た事や、GGユニットを持っているかもしれな
い連中がテルペと一緒にいた事は計算違いだったでしょうね。ま、あたしにとってはラ
ッキーだったけど。さあ、思いっきり遊ばせてもらうわよ!」
 夏との対決を望んでいる剛馬には怒られるかもしれないが、ここで死んだのならそれ
までの相手だったのだ、と言いくるめておけばいい。マクシーも吟に勝るとも劣らない
快楽優先主義者だった。
 狂気の操縦者を乗せた黒いロングダガー、アサシンダガーが走る。再び姿を消して、
愚かな三人の敵に忍び寄る。



 その頃、フロリダ基地では、一人の女が困り果てていた。
「何なのよ、これは……。基地の連中がコンサートに気を取られている隙に仕事をしよ
うと思っていたのに、これじゃあ台無しじゃない」
 騒然とする基地の片隅で、体を震わせている女の軍人がいた。小柄な体は激しく震
え、可愛らしいその顔は怒りで引きつっている。
「またあいつらなの。あいつらなのね。もう借りは返したのに、どうしてまた私の前に
現れるのよ。どうしてまた私の仕事の邪魔をするのよ!」
 怪盗レインボースター、絶叫。しかしその叫びに答える者はいない。だから彼女は行
動する。このふざけた因縁を打ち砕く為に。生き残って、最高のMSを手に入れる為
に。

(2007・8/25掲載)
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